インタビュー、エッセイなど 2

2015年以降のインタビュー、エッセイなどです。2014年以前はこちら。

エッセイなど

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『TH(トーキングヘッズ叢書)№81「野生のミラクル」』
2020年1月29日㈬発売予定

 エッセイ「密林のパラダイスーー管理された野生」を寄稿させていただきました。
 今回のテーマの「野生」はレヴィ・ストロースの『野生の思考』から、ということなので、そのレヴィ・ストロースが文化人類学の道へと進んだ最初の一歩が『悲しき熱帯』、というわけで『伊藤計劃トリビュート』収録の拙作「にんげんのくに」で描いたアマゾナス先住民についていろいろ書きました。
「にんげんのくに」の「人間」族のモデルはヤノマミ族ですが、他のアマゾナス先住民についてもたくさん調べたので、これを機会に総浚い。「にんげんのくに」後記で述べた「アマゾナス先住民の伝統文化と言われるものは、実は大して伝統がない」説を、より詳しく論じました。具体的には『アギーレ 神の怒り』とか『アナバシス』とか「異国風景」とか「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」とか。

「にんげんのくに」をお読みになった方も、そうでない方も、御興味を持たれましたら是非。「野生」はもちろんアマゾナスに限ったことではないので、他の執筆者の方々が論じる多彩な「野生」を、私も一読者として楽しみにしています。

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TH(トーキングヘッズ叢書) №79「人形たちの哀歌」』
2019年7月31日発売予定

「幕屋の偶像(アイドル)――物そのもの(フェティッシュ)への眼差し」というエッセイを書かせていただきました。
 まず「人形愛」を定義したうえで、サーデグ・ヘダーヤトの短篇「幕屋の人形」を取り上げ、人を含む動物の具象表現が禁止されている(とされる)ムスリムであるヘダーヤトが、なぜかくも「正しく」人形愛を描くことができたのか。その謎を解くべく、イスラムにおける偶像観を考察します。
  ヘダーヤトの別の短篇「最後の微笑」も取り上げます。

 ヘダーヤトの評論は、これで二度目になります。前回は『早稲田文学』2015年秋号のアンナ・カヴァン特集で、まあつまりカヴァンとヘダーヤトを一緒に論じたわけで、ごく一部で「空気読まない」と好評(笑)をいただきましたが、今回は原稿の段階で何人かの方々に読んでいただいたところ、「イスラムについて知らなくても解りやすい/おもしろい」と好評(笑、でない)をいただいております。
 自分が興味を持っていることが、どう興味深いのか他人に伝えることができるのは、物書き冥利につきます。

『TH』№76と77では、規定枚数に収めるのに少々苦労したので、今回は「できれば少し増やしていただきたいのですが」とお願いしたところ、なんと2頁も増量していただけました(3頁→5頁)。書きたいことを書きたいだけ書けて、たいへん楽しかったです。
 もう一つ、今回は是非とも「イランの対“バービーとケン”人形、“サラとダラ”」の画像を使いたかったのですが、あいにく自分では実物も画像も所持しておらず、編集の方々に無理を言って画像を探していただきました。この場を借りて、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。
 バービーを「欧米からの文化侵略」と見做すイラン政府が2002年に製造販売を開始した、「イスラム的に正しいお人形」サラ(宗教指導者のお墨付き)。なかなか味のあるデザインですので、是非周知させたいと。

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内容に関する補足の記事はこちら

 

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『SFが読みたい! 2019年版』

 今年も特別企画「2019年のわたし」に書かせていただきました。
 毎年、「201○年のわたし」の原稿を書く時期に当たる1月上旬は、寒さによる不調で思考も後ろ向きになります。精一杯前向きなことを書いたつもりでも、後日、『SFが読みたい!』で読み返すと、「ああ、なんて後ろ向きな……!」と頭を抱える羽目になるので、今年は開き直りました。どうもすみません。

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『TH(トーキングヘッズ叢書)№77「夢魔~闇の世界からの呼び声」』
2019年1月30日発売

「ノイズから物語を紡ぐ~脳科学の見地から夢を解く」というエッセイを寄稿させていただきました。

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「ノイズから物語を紡ぐ」こぼれ話的なもの(今回は1回だけです)

 

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『TH(トーキングヘッズ叢書)№76「天使/堕天使~閉塞したこの世界の救済者」』
2018年10月30日発売

「イスラムの堕天使たち」というエッセイを寄稿させていただきました。

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補足あれこれ
「ヤズィーディーの信仰について Ⅰ」(長いので何回かに分けました)

 

 

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『SFが読みたい! 2018年版』(2018年2月10日発売)
 SF作家たちによるエッセイ「2018年のわたし」に書かせていただいております。
 体調が悪い時に書いたので、少々気弱な内容です。すみません。補足と近況報告はこちら

 

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『SFが読みたい! 2017年版』(2017年2月10日発売)

 カテゴリー「日常」では御報告しましたが、こちらの「活動」カテゴリーに上げるのを忘れていました。特別企画「2017年のわたし」にエッセイを掲載していただきました。
 また、もう一つの特別企画「2010年代前期ベストSF30」では、国内篇30位にランクインさせていただきました。投票してくださった皆様、ありがとうございました。

 

 

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『ハヤカワ文庫SF総解説』 (2015年11月20日発売)
『SFマガジン』2015年4月号、6月号、8月号の連載企画が1冊の本になりました。
 私は〈ホーカ〉シリーズ(『地球人のお荷物』『くたばれスネイクス!』『がんばれチャーリー』)、『スターシップと俳句』、『80年代SF傑作選』上下巻、『星ぼしの荒野から』の4点を担当しています。

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8月21日発売『早稲田文学』2015秋号 amazon 公式ページ(内容の詳細はこちら) 

小特集「昏い部屋の女たち」で、アンナ・カヴァンについて書いています。

 

 

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『SFマガジン』2015年8月号

ハヤカワSF文庫総解説PART3[1001~2000]で、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『星ぼしの荒野から』の解説を担当しました。

 

 

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『SFマガジン』2015年6月号

ハヤカワSF文庫総解説PART2[501~1000]で、ソムトウ・スチャリトクルの『スターシップと俳句』、小川隆/山岸真・編の『80年代SF傑作選』(上下巻)の解説を担当しました。

 

 

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『SFマガジン』2015年4月号

2000番到達記念特集 ハヤカワSF文庫総解説PART1[1~500]で、ポール・アンダースン&ゴートン・R・ディクスンの〈ホーカ・シリーズ〉(『地球人のお荷物』『くたばれスネイクス!』『がんばれチャーリー』の解説を担当しました。

 

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〈トーキングヘッズ叢書№61〉「レトロ未来派~21世紀の歯車世代」

 2015年1月28日発売。一冊丸ごとスチームパンクの特集です。企画の一つ「エッジのきいたスチームパンク・ガイド」で映画レビューを五本担当しました。

 

 

インタビュー

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『SFマガジン』2015年10月号

 インタビューじゃなくて、長谷敏司氏と藤井太洋氏との鼎談ですが。伊藤計劃氏と『トリビュート』について。

 

2014年以前のエッセイ、インタビューなどはこちら

 

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十六

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。

目次

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14行
ヒルミス主義およびジャービル錬成術からの……(続)
 クラウス(前回参照)の見解に従えば、イスマイールの父ジャアファル・サーディクがジャービルの師であり、サーディク自身も錬成術(錬金術)師だったという伝承も、イスマイール派の捏造だということになる。
 解説その四十二の「彼にとっての学問とは……」の項で述べたとおり、サーディクが錬成術師だった可能性はほぼない。しかしサーディクが多くの弟子を持つ学者だったという伝承は信憑性が高いので、錬成術以外の分野でジャービルが師事した可能性は否定できない。
 ところで、サーディクがジャービルの師だったという伝承がイスマイール派の捏造ならば、その息子のイスマイールこそ、ジャービルと関連付けた伝承が量産されそうなものである。年齢も近いし。
 そのような伝承が現存していない理由は、イスマイール自身に関する伝承そのものが少ないことと同じだろう。すなわち、8世紀後半から9世紀にかけて水面下で起きていたと推測される、「イスマイールを重視するイスマイール派」と「イスマイールを重視しないイスマイール派」の対立で、後者が勝利した結果、イスマイールに関する伝承の多くが失われてしまったと考えられるのである(前々回の「イスマイール派」の項参照)。
 失われたといっても、別に「イスマイールを重視しないイスマイール派」が積極的に抹消して回ったといったような陰謀論じみた話ではなく、「イスマイールを重視するイスマイール派」が途絶してしまえば、その伝承も途絶してしまうし、文献があったとしても、すでに獣皮紙ではなく紙の時代なので、写本が作られることもなく朽ちてしまったのだろう。
 ジャービルがハッラーン出身、またはハッラーンで錬成術を学んだ、という伝承もある。イスマイール派の教義にはヒルミス(ヘルメス)主義も取り込まれているので、彼らがジャービルとハッラーンを関連付けるために伝承を捏造した可能性が高い。
 とはいえ、ジャービルの生年が720年頃という伝承が正しければ、彼が錬成術を学べた場所は非常に限られてくる。そして当時のハッラーンは、錬成術をはじめとするユーナーンの学問の中東最大の中心地だった。
 一方、ジャービルの父ハイヤーンがアッバース家のダーイー(宣教員)だったという伝承(解説その五十一参照)は、たとえ捏造だったとしても、アッバース家を宿敵と見做すイスマイール派、あるいはアリー派によるものでないのは確実である。ではアッバース朝側の人物あるいは集団によるものかというと、それでなんらかのメリットが得られたとは考えられない。となると、史実である可能性が高い。
 その五十一で述べたように、アッバース家当主の真の目的(自分がハリーファになること)を知っている、あるいはそれに賛同している者はごくわずかだった。ハイヤーンは末端の工作員でしかなく、しかもクーファ出身である。
 同じくその五十一で述べたように、クーファは熱烈なアリー派の巣窟だったが、口先だけで行動が伴わない者が多いため、アッバース家から信用されていなかった。となると、ハイヤーンはアッバース家の真の目的を知らない、純粋なアリー派だったのではあるまいか(しかしクーファ市民にしては珍しい行動派だったため、思想に殉ずることとなったのであった)。
 しかし別にイスラム世界に限ったことではないが、中世人の歴史認識はかなり杜撰である。前回の「暗殺者教団」の項で挙げた『統治の書』がいい例だ。もし「ジャービルの父ハイヤーンはアッバース家の宣教員だった」という伝承が捏造だったとしたら、その捏造を行った人物が「ハイヤーンはアッバース家の宣教員だったが、アッバース家の真の目的は知らなかった」というところまで頭が回っていたとはまず考えられない。すなわち捏造者の目的は、ジャービルをアッバース朝支持者だとすることにある、ということになる。しかしアッバース朝は(ユーナーンの学問全般を保護したとはいえ)、ことさら錬成術を奨励したわけでもない。
 ジャービルに纏わる伝承には彼とイスマイール派(およびその母体のアリー派)とを関連付けるものが多いが、それらとは無関係なものとして、彼とスーフィズム(イスラム神秘主義)を結び付けるものがある。詳しくは後述するが、スーフィズムも初期にはアッバース朝からの弾圧を被っている。それゆえ私は「ジャービルの父はアッバース家の宣教員だった」という伝承は事実である可能性が高い、と判断した次第である。
 ジャービルの父ハイヤーンが本当にアッバース家の宣伝員であったなら、それが伝承として残ったということは、ジャービルもそのことを知っていたはずである。そしてハイヤーンの目的はアッバース家ではなくアリー一族をハリーファにすることであっただろうし、ジャービルもアッバース家ではなくアリー一族の支持者だったろう。そうであれば、アリー一族の当主であるサーディクを崇敬していただろうし、彼に師事するためにイラクのクーファからはるばるタージク(アラビア)半島のマディーナまで赴いたことだってあり得るわけだ。

 もう最後なので書きたいことを書きたいだけ書こう、というわけで、次回、余談で締めです。この「解説」自体、余談以外の何ものでもないんだけどねー。

目次

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十五

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。

目次

 残り2項目だけなんで、1回で終わるかと思ったんですが、最後の項目が長くなりすぎたので分けます。

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14行
暗殺者(アサシン)教団
 正確には、イスマイール派のさらなる分派。ファーティマ朝(前回の「イスマイール派」の項参照)は北アフリカで安閑とすることなく、イスラム世界各地にダーイー(宣教員)を大量に送り込んだ。彼らは秘密裏に宣教活動を行うだけでなく、険しい山岳地帯などを拠点にゲリラ活動をも行った。
 AD11世紀末、ファーティマ朝で王位継承権争いが起きた。当時、ファールス(ペルシア)北部のアラムート山を拠点としていた宣教員たちは、敗れた側を支持していたため、以後はファーティマ朝と袂を分かち、独立したテロ集団となった。彼らニザール派(支持していた王子の名に因む)こそが、西洋で呼ぶところの暗殺教団である。「山の老人」は伝説に過ぎないが、彼らによってイスラム世界の多くの要人が暗殺されたのは事実である。
(『東方見聞録』とか「ハシーシー(ハシーシュ=大麻喰い)」とか、そういう話は有名だから省略します)
 たとえば11世紀のセルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクは、秩序を乱すものとしてイスマイール派をはじめとするイスラム異端(分派)および異教を憎悪し、それらすべてが実は結託してイスラム世界を滅ぼそうとしているという陰謀論を、その著書『統治の書』(岩波書店)の中で展開している。
 この人は当代屈指の知識人のはずなんだけど、それでもこの程度の歴史認識なんだなあ。それと、陰謀論の定型ってこんな昔に完成してるんだなあ。
 とはいえ積極的に異端・異教を弾圧したわけでもなく、ただただ著書でヘイトを吐き出していただけであり、「正統」なイスラムを広めるべく学問振興に力を入れたのは、むしろ称讃すべき行為である。が、それでも因果と言うべきか、ニザール派アサシンの手に掛かり最期を遂げている。
 ちなみに『統治の書』の邦訳は、史実とどれだけ食い違っているか訳注がほぼ皆無で不親切ですよ。

ヒルミス主義およびジャービル錬成術からの……
 以下、イスマイール派と錬成術(錬金術)師ジャービルとの関係について、まとめて述べる。
 錬成術(錬金術)師ジャービル・イブン・ハイヤーン(ハイヤーンの息子ジャービル)の実在性を最初に体系的に検証したのは、パウル・クラウス(AD1904-1944)である。noteで述べたように、クラウスはタージク(アラビア)語のジャービル文書(ジャービル作とされる文書群)のほとんどは捏造されたものだとし、ジャービルの実在自体、疑わしいとした。ローレンス・M・プリンチーペ『錬金術の秘密』(勁草書房)によれば、クラウスはジャービル文書に関する第3作を準備中、カイロの自宅で自殺も他殺ともつかない不審な死を遂げた。その草稿は散逸してしまったという。
 クラウスの研究に対し、E・J・ホームヤード(1891-1959 『錬金術の歴史 近代化学の起源』朝倉書店)などの反論もあり、現在おおむね定説とされているのは、ジャービルの実在と、実作も残っている(大量の贋作とともに)可能性を認めている、といったところである(伊藤俊太郎『近代科学の源流』中央公論新社)。
 上の『錬金術の秘密』によれば、クラウスがジャービル文書の多くを贋作だとする根拠の一つは、それらの中で言及される幾つかのユーナーン(ギリシア)語文献が8世紀にはまだアラビア語に訳されていないことだという。が、ジャービルがこれらの文献をユーナーン語原典かそのシャーム(シリア)語などの訳で読んでいたのなら問題はない。
 またクラウスによれば、最初期のジャービル文書の一つ『慈悲の書』は9世紀半ばに書かれたもので、この書物に感化されたシーア派(アリー派)の錬成術師たちがジャービルの名を冠した作品を大量に生み出したという。
『錬金術の秘密』はイスラムのややこしい歴史に踏み込むつもりはないらしく、「シーア派(アリー派)」としているが、正確にはそのさらなる分派である「イスマイール派」である(前回参照)。
 ジャービル文書のほとんどがイスマイール派によって捏造されたものである、というのは多くの研究者の共通見解であり、それらの文書に現れる思想とイスマイール派の教義の間には明白な共通点がある。
 前回述べたように、8世紀後半から9世紀末までのイスマイール派については史料がまったく残っていない。だからイスマイール派の教義のネタ元が、8世紀後半に書かれたジャービルの「実作」だった可能性もあるわけだ。

 とりあえずここで切ります。後1回で終わるはず。

目次

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近況

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 後1回で終わりの「ガーヤト・アルハキーム」解説、前回の近況報告で「2、3日お待ちください」と書いてから、ずいぶん日が開いてしまいました。体調を崩してたとかじゃなくて、書きあぐねておりました。
 錬成術(錬金術)師ジャービルの出自についての幾つもの伝承のうち、一番信憑性が高いのはどれか、という問題について書いたら、えらく長くなっちまって……
 それでも後は、ジャービル(およびイスラム錬成術)とイスラム神秘主義との関係についてなんですが、これもまた複雑で、なかなかまとまらない。まあほかにもやるべきことはあるので、毎日ちょっと書いては書き直し、という感じでちまちま進んでおります。もう少々お待ちください。

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近況

「ガーヤト・アルハキーム」解説、あと1回ですが、ここ数日ちょっと立て込んでまして、疲れたので2、3日休みます。

 相変わらず体調が悪くなったり良くなったりを繰り返しているうちに、体力が低下しつつあります。
 9月末に体調を崩す直前までは、片手腕立て伏せとか片脚スクワットとかやってたのが、どちらも1回もできなくなってる……立位前屈も肘が床についたのが、掌つくのがやっとになってるし、両足を首の後ろに引っ掛けられたのが、片足がやっとになってる……つらい。
 有酸素運動も太極拳とか緩いのしかできなくなってるから、運動不足で腹が減らなくて食事が美味しくない……つらい。なのに太る……つらい。

 なまじ健康のために仕方なく運動してたんじゃなくて、好きでやってたから、できないのがつらいっす。早く元気になって、三点倒立とかやりたい。

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十四

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

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『賢者の究極目標(ガーヤト・アルハキーム)』
 マスラマ・マジュリティー(AD950-1007.より原語に忠実な表記はマスラマ・アル・マジューリティー)はスペイン(後ウマイヤ朝)の数学者。
 イブン・ハルドゥーン(1332-1406)は『歴史序説』(岩波書店)で、マジュリティーにたびたび言及しているが、魔術師あるいは錬金術師としている。イブン・ハルドゥーンは中世においては稀有な合理的思考の持ち主だが、彼の時代にはすでに科学全般が衰退しつつあり、数学や錬金術(化学の原型としての)を含む科学と魔術との区別が曖昧になっていたのである。
 イブン・ハルドゥーンは、マジュリティーを魔術書『賢者の極み』(本作では「極み」を「究極目的」とする)ならびに錬金術書『賢者の階層』の著者としている。これはイブン・ハルドゥーンひとりの見解ではなく、当時の通説であろう。
 現在では、タージク(アラビア)語魔術書『ガーヤト・アルハキーム』の著者はマジュリティーではなく、12世紀の無名の人物だとされている。イスラム支配下のスペインのユダヤ人だという説と、ハッラーンの多神教徒だという説があるようだが、妥当なのは前者である。後者については、12世紀にはハッラーンの異教徒のコミュニティはとうに消滅しているし、自らを誹謗中傷する (解説その二の「犠牲に選ばれるのは……」の項参照)というのもおかしな話である。
『ピカトリクス』は『ガーヤト・アルハキーム』のラテン語版タイトル。

イスマイール派
 解説その四十五の「アブー・ハッターブ」の項で述べたように、イスマイールの生前から彼をイマーム(大導師)に望む人々がいた。その中心的人物であるアブー・ハッターブは、イスマイールの死が父である第6代イマーム、ジャアファル・サーディクによって公表されると、今度はサーディクをマフディ(救世主)または神に祭り上げようとして失敗し、処刑された。
 しかしイスマイールの死を信じず、彼は一時的にこの世を離れただけで、やがてマフディとして再臨すると信じた人々もいた。また別の一派はイスマイールの死を認めたものの、彼は生前にイマームの地位を父から譲り受けていた、すなわち第7代イマームとなっていた、と主張した。この二派が後の「イスマイール派」の原型である。
 いずれにせよ事実としては、アリー一族当主としての第7代イマームの地位はイスマイールの弟に受け継がれた。この弟の血統は4代もしくは5代後に断絶するが、この5代目の子孫を第12代イマームとし、いつの日かマフディとして再臨すると信じるのが十二イマーム派であり、現在に至るまでアリー派の主流である(イラン・イスラム共和国の国教である)。
 一方、イスマイール派についての記録は、100年以上後のAD9世紀末になるまで現れない。899年、イスマイールの子孫を称する人物がシャーム(シリア)に現れた。政府に逐われた彼はチュニジアに逃れ、現地民の支持を得て王朝を設立した。これがファーティマ朝(909-1171)であり、969年にはエジプトのカイロを攻略して首都とする。
 この王朝が国教とする教義もイスマイール派と呼ばれるが、奇妙なことにアリー派第6代イマーム、ジャアファル・サーディクの跡を継いで第7代イマームとなったのはイスマイールではなく、彼の息子だとしている。イスマイールの存在が無視されているのである。
 実は「イスマイール派」というのは他称であって、ファーティマ朝では「教宣組織」と自称していたそうだが、イスマイールがイマームにならなかったことが分派の発端となっているのは事実なので、「イスマイール派」という名は他称としては適切であろう。
 イスマイールの死後の8世紀後半から、ファーティマ朝のイスマイール派が出現するまでの100年余り、第7代イマームをイスマイールとするかその息子とするかを巡って水面下で争いがあり、後者が勝利したと考えられる。この期間はアッバース朝によるアリー派弾圧が非常に厳しかったため、アリー派の中でも少数派だったイスマイール派の史料はまったく残っていない。
 イスマイール本人についての史料も非常に少ないのは、こうしたアッバース朝による弾圧に加えて、イスマイール派の主流が彼の存在を無視したことも大きいかもしれない。
 また10世紀に入ってファーティマ朝が成立すると、アッバース朝は非常に警戒し、反イスマイール派プロパガンダを展開した。イスマイール派を誹謗中傷する文書がこの時期、大量に作られ、同派の起源に関する伝承も捏造された(ファーティマ朝の開祖はイスマイールの子孫などではなくユダヤ人だ、等々)。初期イスマイール派の研究を困難にしている一因である。
 ところで、ファーティマ朝君主の称号は、アリー派(の分派)らしく「イマーム(大導師)」またはアッバース朝に対抗して「ハリーファ(名代)」だが、彼らはイスマイールの子孫ということになる。その6代目、ハーキムという人物は強烈な個性をもって知られる。996年に11歳で傀儡としてハリーファ位に就けられ、政治は宦官に牛耳られた。在位4年で自ら宦官を殺害し、以後は親政を行う。当初は異教徒も含めすべての人民に対し寛容だったが、数年で異教徒弾圧に転じる。この頃から夜な夜な街を徘徊するなどの奇行が目立つようになる。1017年頃には一部の熱狂的な信奉者の支持を得て自己神格化に至り、1021年、謎の失踪を遂げた。
 参照:菊池達也『イスマーイール派の神話と哲学』岩波書店
 このハーキムを主人公にした短篇小説が、ジェラール・ド・ネルヴァル(1805-1855)の「カリフ・ハケムの物語」(筑摩書房『ネルヴァル全集Ⅱ』所収)である。
 解説その一の「美青年」の項で、イスマイールに関する情報があまりに少ないので、彼の弟の末裔を自称し自己神格化を含めたエキセントリックな言動で知られるファールス(ペルシア)のサファヴィー朝の始祖イスマイール1世(AD1487-1524.在位1501-)のイメージを重ねていると述べた。それに加えて、このハーキムのイメージも少し重ねている。まあ本作のイスマイールは、エキセントリックではあるがこの二人とは方向性が違うんだが。

 次回で完結です。 

目次

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十三

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.69
上段18行
近くホラーサンへ……
  本作の翌年、AD746年にアブー・ムスリムは東ファールス(ペルシア)のホラーサンへと送り込まれ、747年に蜂起する。
 アブー・ムスリムは、現地のタージク(アラブ)人にも非タージク人にも非常に慕われた。異教徒にも寛容で、配下の非タージク人には改宗者だけでなく異教徒も多かった(ただし背教者には容赦しなかった)。
 アッバース朝成立後の755年、アブー・ムスリムはその勢力を恐れたハリーファ(名代)によって謀殺される。数か月後にホラーサンのマギ(ゾロアスター)教徒が、アブー・ムスリムの血の復讐を唱えて蜂起した。その後、ホラーサンおよびソグディアナ(中央アジア)の住民の間に、アブー・ムスリムを預言者あるいはマフディ(救世主)と仰ぐ奇怪な宗教が広まり、100年以上にわたってしばしば騒乱を引き起こすことになる。

黒衣
 解説その三十五の「幾度となく政府転覆を試みたが」の項で、イスマイールの大叔父ザイドを首謀者とする「ザイドの乱」(AD740年)について述べた。ザイドの息子はホラーサンでしばらく反政府活動を展開した後、743年に処刑されたが、現地ではザイド父子への同情が広まった。
 本作でも述べているとおり、747年に蜂起したアブー・ムスリム軍は黒衣を纏い、黒旗を掲げた。以後、黒はアッバース家の色となる。黒はウマイヤ家の色である白に相対するものだが、喪の色でもある。後世の史書によると、アブー・ムスリムはホラーサンの人々に対し、黒はザイド父子への哀悼を示すものだと説明したという。
 ウマイヤ家の白についての由来は、説明してる資料を見つけられず。
 ところで同じく解説その三十五の同項で、ザイドの息子が処刑された翌年、ザイドの乱の残党が、アリーの兄の曾孫を担ぎ上げて起こした反乱にも触れた。この人物は本作の時点(745年)では、逃げ延びた先のマダーイン(ファールス=ペルシア西南部)で現地民の支持を得、勢力を拡大していた。
 同時期、現ハリーファ(名代)のマルワーン2世に対して反乱を起こしていたウマイヤ家の人物が敗北し、反政府勢力ハワーリジュ派(解説その三十四の「不満分子」の項参照)と結んだ。746年、マルワーンの軍隊に敗れた彼らは、アリーの兄の曾孫の許へ庇護を求めて逃げ込み、受け入れられた。
 ウマイヤ家はアリーに謀反してハリーファとなった上に、アリーの息子フサインを惨殺したし、ハワーリジュ派はアリーを暗殺している。どちらもアリー一族の宿敵である。アリーの兄の曾孫だから傍系ではあるが、なんというか節操がない。
 さらに翌年の747年、このアリーの兄の曾孫はウマイヤ朝の軍隊に敗れ、ホラーサンへと逃げた。すでにホラーサンを掌握していたアブー・ムスリムは、庇護するどころか、現地民を煽動して殺害させたのだった。というわけで、アブー・ムスリムのアリー一族の敬意はただのポーズに過ぎない。

下段
算(かぞ)え、測り、験(ため)し、証して、
 p.63上段16行目の大神官の台詞、「計算し計測し、実験し検証します」の言い換え。そのままコピペしたのでは芸がないのと、言葉遊びの側面もあるが、それ以上に、当時のタージク(アラビア)語に「計算」「計測」「実験」「検証」に該当する語がなかったと考えられるからである(大神官が話しているのはシャーム=シリア語)。
 こうした学術的な用語は、ユーナーン(ギリシア)語文献の翻訳事業の中で、新たに造語されるか、元からある語に新たな意味を持たせるか、異国語から借用するかして成立するのだが、それはまだ先の話である。

賢者の究極目的(ガーヤト・アルハキーム)
「ハキーム」は「賢者」(「アル」は定冠詞)。「ガーヤト」は「目的」のほかに「究極/極み」といった意味がある。そのため一般に「ガーヤト・アルハキーム」は「賢者の極み」または「賢者の目的」と訳されるが、本作では両方の意味を持たせるため「賢者の究極目的」とした。
 しかしまあ少々ぎこちない訳なので、タイトルはカタカナのみの『ガーヤト・アルハキーム』とした。
 このタイトルの中世の魔術書については次回。

祈りにも似た思いで
 ジャービルがこの「思い」を向けているのは唯一神ではなくイスマイールなので、「祈って」しまっては反イスラムとなる。だからあくまで祈りに「似た思い」なのだが、被造物である人間に対してそのような感情を抱いている時点で、すでに異端に足を踏み入れかけている。

 というわけで本編の解説終わり! 後はnote(後記)だけです。いやー、毎日コツコツやれば終わるものですね。ではまた明日。 

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十二

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.69
上段11行
日出づる処(ホラーサン)
 ウマイヤ朝に対する最初の反乱以来、イラクのクーファはアリー派の中心地だった(解説その三十五参照)。しかし史書に記されるクーファのアリー派は、常に口ばかりで無計画で、アリー一族の適当な人物を担ぎ上げては、いざ蜂起となると逃げ出す信用ならない連中である。その結果、担ぎ上げられたアリー一族の者は、ほとんど手勢がいない状態で政府軍に蹴散らされる、ということが繰り返された。
 いずれも同時代史料ではないので、誇張やステレオタイプ化の可能性が考えられるが、火種が常にクーファにあったことと、反乱がことごとく失敗しているのは確かな事実である。
 アッバース家はウマイヤ朝打倒を企てた当初から、クーファに重きを置かなかった。彼らの本拠地はクーファから遠く離れた現パレスチナ南部だったが、反ウマイヤ朝活動を展開したのは、クーファよりさらに東のファールス(ペルシア)東部のホラーサン地方とその東のソグディアナ(現在のタジキスタンおよびウズベキスタン辺り)だった。
 ホラーサンではAD7世紀末以来、この地ではウマイヤ朝への反乱が頻発していた。氏族同士の反目を背景としたタージク(アラブ)人と、強制改宗や重税に反発する現地民の双方で、時に両者に呼応することもあった。アッバース家は彼らの心を捉えるべく、「全信徒の平等」と「異教徒の保護」を謳ったのである。

信徒の父にして信徒の息子(アブー・ムスリム・イブン・ムスリム)
 伝えられるフルネームは、「アブー・ムスリム・アブドゥルラフマーン・イブン・ムスリム・アル・ホラーサーニー」。「アブドゥルラフマーン」は「慈悲深きもの(唯一神の美称の一つ)のしもべ」で、個人名(固有名詞)としても使われるが、この場合は文字どおりの意味で、匿名的な名乗り。「アル・ホラーサーニー」は「ホラーサーンの人」だが、この場合は「ホラーサン出身」ではなく、「ホラーサンに縁がある」という意味。
 そして「アブー・ムスリム」は「信徒の父」、「イブン・ムスリム」は「信徒の息子」なので、「匿名希望」と称しているようなものである。
 出自についてはファールス(ペルシア)系で元奴隷だと伝えられる以外は一切不明。事績については追々説明。

アッバース家当主
 アッバース家は反ウマイヤ朝運動を展開するに当たって、作中でも述べているように、誰をイマーム(大導師)とするかを敢えて明確にしなかった。「預言者ムハンマドの血を引くイマーム」がウマイヤ家に代わってハリーファ(名代)となる、とだけ約束することで、千々に分裂したアリー派は、アリー一族のうち自らが支持する人物をイマーム/ハリーファとすべく、結束してアッバース家に与したのである。
 非常に賢明な戦略である。が、もちろんアッバース家はウマイヤ家を倒した後、政権をアリー一族に譲るつもりは毛頭なかった。ウマイヤ朝滅亡直後の混乱の中、「ムハンマドの叔父の子孫だから、ムハンマドとは血の繋がりがある」と強弁し、まんまと即位したのであった。汚い! 実に汚い!
 解説その三十七で、アリーの息子の一人イブン・ハナフィーヤ(イスマイールの曽々祖父フサインの異母兄弟)が685年、クーファ市民が起こした反乱に「マフディ」として祭り上げられたが、反乱には関わらなかったとして赦免されたことを述べた。
 イブン・ハナフィーヤは716年に没したが、アッバース家は彼がウマイヤ家に毒を盛られ、死に際にアッバース家当主にイマーム位を譲った、と主張した。もちろん作り話であり、これを信じてアッバース家を支持する者もいたが、まとまりのないアリー派の中でも少数派に過ぎなかった。
 アッバース家の反ウマイヤ朝革命運動で、重要な役割を担ったのが、前項のアブー・ムスリムともう一人、アブー・サラマという人物である。アブー・ムスリムは後述するようにホラーサンで革命軍を組織し、アブー・サラマはクーファにおいて革命を指導した。
 しかしアブー・ムスリムがアッバース家当主に忠誠を誓い、ハリーファ位に就けるべく心血を注いでいたのに対し、アブー・サラマの望みはアリー一族をハリーファにすることだった。革命のどさくさでアッバース家当主が殺され、ほかのアッバース家の成人男性たちとも連絡が取れなくなったのを幸い、アブー・サラマはアリー一族の主要な人物をハリーファにするべく画策した。彼が交渉した相手は、アリー一族当主ジャアファル・サーディク(イスマイールの父)のほか、ハサン家当主とその息子で潜伏中だった「純粋な魂」(解説その四十六の「ハサン家」の項参照)もいたが、サーディクは頑なに拒絶し、「純粋な魂」父子はあれこれ条件を付けて交渉が進まず、そうこうしているうちにアッバース家当主の弟が出てきて即位したのだった。
 この行動が原因で、後にアブー・サラマは粛清されるのだが、このように革命の双璧の一人と言うべき人物でさえ、アッバース家をイマームとして認めていなかったのだった。
 解説その五十一の「革命の志士」の項で述べたように、ジャービルの父ハイヤーンはおそらくアッバース家の最初期の「ダーイー」(宣教員)の一人だが、アリー派の本拠地であるクーファ出身であることから、アッバース家の真の目的は知らなかった可能性が高い。本作では、少なくともジャービルはそれを知らず、アッバース家はアリー一族のために働いていると信じている。


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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十一

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.69
上段10行
革命の志士
 錬成術(錬金術)師ジャービルの出自に関するさまざまな伝承のうち、今日おおむね定説とされているのは以下のとおり。
 ジャービルの父親はイラクのクーファ出身の薬種商ハイヤーンといい、アッバース家の「ダーイー」だった。タージク(アラビア)語「ダーイー」は「宣教員」あるいは「宣伝員」と訳され、特定の思想・宗教を広める。たいていは秘密裏なので、平たく言えば工作員である。その死の経緯は作中で述べられている(なぜホラーサンに送られたのかについては次回)。
 ジャービルはクーファ育ちだと伝えられるので、父の死後、親族の許に送られたのであろう。アッバース家がホラーサンに最初の「ダーイー」を送ったのはAD718年だとされる。ハイヤーン処刑は722年頃に生まれたジャービルがまだ幼い頃だったと考えられるので、ハイヤーンはこの最初期のダーイーの一人だったと思われる。処刑の2年前に、現地の官憲の疑いを招いて捕らえられ尋問を受けたが、その時は白を切り通して釈放されたという。
 またジャービルは、クーファの有力なタージク人氏族であるアズド族の出身だともされる。
 解説その三十九および四十で述べたように、古代・中世において香料(焚香料およびスパイス)は単なる嗜好品ではなく医薬品としても珍重され、非常に高価だった。解説その四十一の「薬種商」の項で述べたように、それらの香薬類を扱う薬種商は幅広い知識を必要とされた。
 ユーナーン(ギリシア)医学を継承したイスラム医学が発展するのは、まだ先のことであるが、タージク人は古来、香料貿易に従事しており、ヘレニズム文化の影響も受けているから、ユーナーン医学の香料に関する知識もある程度は伝わっていたはずだ。
 薬種商になるには、多額の資金も多方面へのコネも必要だし、ジャービルの父親の時代のタージク人なら、書物(異国語の)を読んで独学した可能性はほぼないので(解説その四十二の「彼にとっての学問とは……」の項参照)、薬種商の下で長期間の修行も必要だったはずだ。
 それとこの時代の氏族主義を考えれば、ハイヤーンが有力氏族出身である可能性は非常に高いし、その中でもかなり地位の高い家の出だったのではあるまいか。
 参照:E・J・ホームヤード『錬金術の歴史 近代化学の起源』朝倉書店
 私がこの説を妥当だと判断する理由については、後ほど改めて述べる。
 ジャービルの母親についての伝承はないようだが、本作では次の理由でファールス(ペルシア)人の奴隷だとした。
『千夜一夜』には、敵対関係にある氏族同士の若い男女の悲恋物語が幾つもある。まあタージク版ロミオとジュリエットであるが、タージクの氏族主義においては結婚は家同士どころか氏族同士のものであり、時代を遡るほどその傾向が強い。
 8世紀初めまでに、ホラーサン地方には多数のタージク人が移住していたから、ハイヤーンが現地で結婚しようと思えば相手に不自由はなかっただろうが、危険な密命を帯びていながら、厄介な人間関係とセットになっている結婚をわざわざするとは考え難い。身元を偽っていた可能性もある。となると、ジャービルの母親となった女性は奴隷だったという推測が成り立つ。
 場所がファールスだったからといって、必ずしもファールス人だったとは限らないが、わざわざ別の民族にする必然性もなかったので。それとジャービルは後年、ファールス系の宰相一族と懇意になったと伝えられる。これも彼がファールス系であったかもしれないと推測する理由の一つである。

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.68
下段4行
死者あるいは生者から……
 えーと、要するにクローンです。SF脳なんで、元ネタ(解説その四の「犠牲に選ばれるのは……」の項参照)から思いつくのが、どうしてもそういう方向になります。どうもすみません。
 設定的には、この世界の物質(および「霊的存在」)は「エネルゴン」から構成されているので、物質変成などの操作は比較的簡単です。正確な操作には正確な計算が必要で、それをやろうとしているのが錬成術(錬金術)。
 一方、魔術は数量化や再現性といった概念を持たないまま、行き当たりばったりと経験則でそれなりに発展してきたのが、経験則を無視した机上の空論が発達したのが仇となって衰退してしまった、というような状況です。
 この「クローン技術」も、古代キーム(エジプト)で行き当たりばったりと経験則で一応確立されたのが、机上の空論が幅を利かせるようになったことで、いったん衰退。ヘレニズム時代に入ってユーナーン(ギリシア)人の錬成術師たちによる数量化を経て復活、といったところですね。

追記:あと、錬成術(錬金術)なので当然ながら、ホムンクルスのイメージも被せています。

復活は来世まで……
 エジプトのミイラは来世で復活するためのものだが、当初は現世で復活すると信じられていたそうである。

七体
 作中で述べられているように余分に作るのは予備のためだが、他の数ではなく「7」なのは、ハッラーンのヒルミス(ヘルメス)=シン信仰ではこの数を重視したから(七惑星に基づくと思われる)。

宮殿
 本作の前年に即位したマルワーン2世は、その短い治世(AD744-750)の間にハッラーンを再開発し、宮殿も建設した。その宮殿はシン神殿の場所に建てられた、という英語記事を幾つか見つけたんだが、神殿がその後も存続していたのは多くの記録から明らかである(最終的にモンゴル軍に破壊された)。イスラムの支配下で、いったん破壊された神殿を再建できたとは考え難い。
 しかしシン神殿は都市の中心にあり、信者が減少したとはいえ、それなりの面積を有していたはずだから(本殿のほかに少なくとも倉庫群と神官の宿舎くらいはあっただろう)、宮殿用に接収の話が出ていた可能性は高い。

アッバース家
 作中でも述べているように、預言者ムハンマドの叔父アッバースの子孫。「極秘計画」については追々解説していきます。

p.69
上段
異教徒の保護
 預言者ムハンマドの時代から、異教徒はムスリムに納税する代わりに一定の権利を与えられる。そのような異教徒を「ズィンミー」と呼ぶ。タージク(アラビア)語で「庇護民」の意。
 聖典では「啓典の民」(唯一神からの啓示を記した聖典を有する民)の権利を謳う一方で、多神教と偶像崇拝を厳禁しているので、多神教徒および偶像崇拝者は保護の対象にはならないことになる。しかし初期イスラム時代から、マギ(ゾロアスター)教やハッラーンの多神教徒は保護の対象になっており、強制改宗は例外的なケースであった(解説その二十三参照)。
 とはいえ、民衆レベルでは異教徒への嫌がらせは日常的に行われており(解説その二の「犬のように無視される」の項参照)、また時代が下ってイスラム世界全体が保守化してくると、マギ教もハッラーンの異教も「一神教化」せざるを得なくなる(マギ教は教義そのものを改変したが、ハッラーンの場合は一神教に偽装しただけだった)。

 続きます。

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