近況

「ガーヤト・アルハキーム」解説、あと1回ですが、ここ数日ちょっと立て込んでまして、疲れたので2、3日休みます。

 相変わらず体調が悪くなったり良くなったりを繰り返しているうちに、体力が低下しつつあります。
 9月末に体調を崩す直前までは、片手腕立て伏せとか片脚スクワットとかやってたのが、どちらも1回もできなくなってる……立位前屈も肘が床についたのが、掌つくのがやっとになってるし、両足を首の後ろに引っ掛けられたのが、片足がやっとになってる……つらい。
 有酸素運動も太極拳とか緩いのしかできなくなってるから、運動不足で腹が減らなくて食事が美味しくない……つらい。なのに太る……つらい。

 なまじ健康のために仕方なく運動してたんじゃなくて、好きでやってたから、できないのがつらいっす。早く元気になって、三点倒立とかやりたい。

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十四

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

note
『賢者の究極目標(ガーヤト・アルハキーム)』
 マスラマ・マジュリティー(AD950-1007.より原語に忠実な表記はマスラマ・アル・マジューリティー)はスペイン(後ウマイヤ朝)の数学者。
 イブン・ハルドゥーン(1332-1406)は『歴史序説』(岩波書店)で、マジュリティーにたびたび言及しているが、魔術師あるいは錬金術師としている。イブン・ハルドゥーンは中世においては稀有な合理的思考の持ち主だが、彼の時代にはすでに科学全般が衰退しつつあり、数学や錬金術(化学の原型としての)を含む科学と魔術との区別が曖昧になっていたのである。
 イブン・ハルドゥーンは、マジュリティーを魔術書『賢者の極み』(本作では「極み」を「究極目的」とする)ならびに錬金術書『賢者の階層』の著者としている。これはイブン・ハルドゥーンひとりの見解ではなく、当時の通説であろう。
 現在では、タージク(アラビア)語魔術書『ガーヤト・アルハキーム』の著者はマジュリティーではなく、12世紀の無名の人物だとされている。イスラム支配下のスペインのユダヤ人だという説と、ハッラーンの多神教徒だという説があるようだが、妥当なのは前者である。後者については、12世紀にはハッラーンの異教徒のコミュニティはとうに消滅しているし、自らを誹謗中傷する (解説その二の「犠牲に選ばれるのは……」の項参照)というのもおかしな話である。
『ピカトリクス』は『ガーヤト・アルハキーム』のラテン語版タイトル。

イスマイール派
 解説その四十五の「アブー・ハッターブ」の項で述べたように、イスマイールの生前から彼をイマーム(大導師)に望む人々がいた。その中心的人物であるアブー・ハッターブは、イスマイールの死が父である第6代イマーム、ジャアファル・サーディクによって公表されると、今度はサーディクをマフディ(救世主)または神に祭り上げようとして失敗し、処刑された。
 しかしイスマイールの死を信じず、彼は一時的にこの世を離れただけで、やがてマフディとして再臨すると信じた人々もいた。また別の一派はイスマイールの死を認めたものの、彼は生前にイマームの地位を父から譲り受けていた、すなわち第7代イマームとなっていた、と主張した。この二派が後の「イスマイール派」の原型である。
 いずれにせよ事実としては、アリー一族当主としての第7代イマームの地位はイスマイールの弟に受け継がれた。この弟の血統は4代もしくは5代後に断絶するが、この5代目の子孫を第12代イマームとし、いつの日かマフディとして再臨すると信じるのが十二イマーム派であり、現在に至るまでアリー派の主流である(イラン・イスラム共和国の国教である)。
 一方、イスマイール派についての記録は、100年以上後のAD9世紀末になるまで現れない。899年、イスマイールの子孫を称する人物がシャーム(シリア)に現れた。政府に逐われた彼はチュニジアに逃れ、現地民の支持を得て王朝を設立した。これがファーティマ朝(909-1171)であり、969年にはエジプトのカイロを攻略して首都とする。
 この王朝が国教とする教義もイスマイール派と呼ばれるが、奇妙なことにアリー派第6代イマーム、ジャアファル・サーディクの跡を継いで第7代イマームとなったのはイスマイールではなく、彼の息子だとしている。イスマイールの存在が無視されているのである。
 実は「イスマイール派」というのは他称であって、ファーティマ朝では「教宣組織」と自称していたそうだが、イスマイールがイマームにならなかったことが分派の発端となっているのは事実なので、「イスマイール派」という名は他称としては適切であろう。
 イスマイールの死後の8世紀後半から、ファーティマ朝のイスマイール派が出現するまでの100年余り、第7代イマームをイスマイールとするかその息子とするかを巡って水面下で争いがあり、後者が勝利したと考えられる。この期間はアッバース朝によるアリー派弾圧が非常に厳しかったため、アリー派の中でも少数派だったイスマイール派の史料はまったく残っていない。
 イスマイール本人についての史料も非常に少ないのは、こうしたアッバース朝による弾圧に加えて、イスマイール派の主流が彼の存在を無視したことも大きいかもしれない。
 また10世紀に入ってファーティマ朝が成立すると、アッバース朝は非常に警戒し、反イスマイール派プロパガンダを展開した。イスマイール派を誹謗中傷する文書がこの時期、大量に作られ、同派の起源に関する伝承も捏造された(ファーティマ朝の開祖はイスマイールの子孫などではなくユダヤ人だ、等々)。初期イスマイール派の研究を困難にしている一因である。
 ところで、ファーティマ朝君主の称号は、アリー派(の分派)らしく「イマーム(大導師)」またはアッバース朝に対抗して「ハリーファ(名代)」だが、彼らはイスマイールの子孫ということになる。その6代目、ハーキムという人物は強烈な個性をもって知られる。996年に11歳で傀儡としてハリーファ位に就けられ、政治は宦官に牛耳られた。在位4年で自ら宦官を殺害し、以後は親政を行う。当初は異教徒も含めすべての人民に対し寛容だったが、数年で異教徒弾圧に転じる。この頃から夜な夜な街を徘徊するなどの奇行が目立つようになる。1017年頃には一部の熱狂的な信奉者の支持を得て自己神格化に至り、1021年、謎の失踪を遂げた。
 参照:菊池達也『イスマーイール派の神話と哲学』岩波書店
 このハーキムを主人公にした短篇小説が、ジェラール・ド・ネルヴァル(1805-1855)の「カリフ・ハケムの物語」(筑摩書房『ネルヴァル全集Ⅱ』所収)である。
 解説その一の「美青年」の項で、イスマイールに関する情報があまりに少ないので、彼の弟の末裔を自称し自己神格化を含めたエキセントリックな言動で知られるファールス(ペルシア)のサファヴィー朝の始祖イスマイール1世(AD1487-1524.在位1501-)のイメージを重ねていると述べた。それに加えて、このハーキムのイメージも少し重ねている。まあ本作のイスマイールは、エキセントリックではあるがこの二人とは方向性が違うんだが。

 次回で完結です。 

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十三

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.69
上段18行
近くホラーサンへ……
  本作の翌年、AD746年にアブー・ムスリムは東ファールス(ペルシア)のホラーサンへと送り込まれ、747年に蜂起する。
 アブー・ムスリムは、現地のタージク(アラブ)人にも非タージク人にも非常に慕われた。異教徒にも寛容で、配下の非タージク人には改宗者だけでなく異教徒も多かった(ただし背教者には容赦しなかった)。
 アッバース朝成立後の755年、アブー・ムスリムはその勢力を恐れたハリーファ(名代)によって謀殺される。数か月後にホラーサンのマギ(ゾロアスター)教徒が、アブー・ムスリムの血の復讐を唱えて蜂起した。その後、ホラーサンおよびソグディアナ(中央アジア)の住民の間に、アブー・ムスリムを預言者あるいはマフディ(救世主)と仰ぐ奇怪な宗教が広まり、100年以上にわたってしばしば騒乱を引き起こすことになる。

黒衣
 解説その三十五の「幾度となく政府転覆を試みたが」の項で、イスマイールの大叔父ザイドを首謀者とする「ザイドの乱」(AD740年)について述べた。ザイドの息子はホラーサンでしばらく反政府活動を展開した後、743年に処刑されたが、現地ではザイド父子への同情が広まった。
 本作でも述べているとおり、747年に蜂起したアブー・ムスリム軍は黒衣を纏い、黒旗を掲げた。以後、黒はアッバース家の色となる。黒はウマイヤ家の色である白に相対するものだが、喪の色でもある。後世の史書によると、アブー・ムスリムはホラーサンの人々に対し、黒はザイド父子への哀悼を示すものだと説明したという。
 ウマイヤ家の白についての由来は、説明してる資料を見つけられず。
 ところで同じく解説その三十五の同項で、ザイドの息子が処刑された翌年、ザイドの乱の残党が、アリーの兄の曾孫を担ぎ上げて起こした反乱にも触れた。この人物は本作の時点(745年)では、逃げ延びた先のマダーイン(ファールス=ペルシア西南部)で現地民の支持を得、勢力を拡大していた。
 同時期、現ハリーファ(名代)のマルワーン2世に対して反乱を起こしていたウマイヤ家の人物が敗北し、反政府勢力ハワーリジュ派(解説その三十四の「不満分子」の項参照)と結んだ。746年、マルワーンの軍隊に敗れた彼らは、アリーの兄の曾孫の許へ庇護を求めて逃げ込み、受け入れられた。
 ウマイヤ家はアリーに謀反してハリーファとなった上に、アリーの息子フサインを惨殺したし、ハワーリジュ派はアリーを暗殺している。どちらもアリー一族の宿敵である。アリーの兄の曾孫だから傍系ではあるが、なんというか節操がない。
 さらに翌年の747年、このアリーの兄の曾孫はウマイヤ朝の軍隊に敗れ、ホラーサンへと逃げた。すでにホラーサンを掌握していたアブー・ムスリムは、庇護するどころか、現地民を煽動して殺害させたのだった。というわけで、アブー・ムスリムのアリー一族の敬意はただのポーズに過ぎない。

下段
算(かぞ)え、測り、験(ため)し、証して、
 p.63上段16行目の大神官の台詞、「計算し計測し、実験し検証します」の言い換え。そのままコピペしたのでは芸がないのと、言葉遊びの側面もあるが、それ以上に、当時のタージク(アラビア)語に「計算」「計測」「実験」「検証」に該当する語がなかったと考えられるからである(大神官が話しているのはシャーム=シリア語)。
 こうした学術的な用語は、ユーナーン(ギリシア)語文献の翻訳事業の中で、新たに造語されるか、元からある語に新たな意味を持たせるか、異国語から借用するかして成立するのだが、それはまだ先の話である。

賢者の究極目的(ガーヤト・アルハキーム)
「ハキーム」は「賢者」(「アル」は定冠詞)。「ガーヤト」は「目的」のほかに「究極/極み」といった意味がある。そのため一般に「ガーヤト・アルハキーム」は「賢者の極み」または「賢者の目的」と訳されるが、本作では両方の意味を持たせるため「賢者の究極目的」とした。
 しかしまあ少々ぎこちない訳なので、タイトルはカタカナのみの『ガーヤト・アルハキーム』とした。
 このタイトルの中世の魔術書については次回。

祈りにも似た思いで
 ジャービルがこの「思い」を向けているのは唯一神ではなくイスマイールなので、「祈って」しまっては反イスラムとなる。だからあくまで祈りに「似た思い」なのだが、被造物である人間に対してそのような感情を抱いている時点で、すでに異端に足を踏み入れかけている。

 というわけで本編の解説終わり! 後はnote(後記)だけです。いやー、毎日コツコツやれば終わるものですね。ではまた明日。 

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十二

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.69
上段11行
日出づる処(ホラーサン)
 ウマイヤ朝に対する最初の反乱以来、イラクのクーファはアリー派の中心地だった(解説その三十五参照)。しかし史書に記されるクーファのアリー派は、常に口ばかりで無計画で、アリー一族の適当な人物を担ぎ上げては、いざ蜂起となると逃げ出す信用ならない連中である。その結果、担ぎ上げられたアリー一族の者は、ほとんど手勢がいない状態で政府軍に蹴散らされる、ということが繰り返された。
 いずれも同時代史料ではないので、誇張やステレオタイプ化の可能性が考えられるが、火種が常にクーファにあったことと、反乱がことごとく失敗しているのは確かな事実である。
 アッバース家はウマイヤ朝打倒を企てた当初から、クーファに重きを置かなかった。彼らの本拠地はクーファから遠く離れた現パレスチナ南部だったが、反ウマイヤ朝活動を展開したのは、クーファよりさらに東のファールス(ペルシア)東部のホラーサン地方とその東のソグディアナ(現在のタジキスタンおよびウズベキスタン辺り)だった。
 ホラーサンではAD7世紀末以来、この地ではウマイヤ朝への反乱が頻発していた。氏族同士の反目を背景としたタージク(アラブ)人と、強制改宗や重税に反発する現地民の双方で、時に両者に呼応することもあった。アッバース家は彼らの心を捉えるべく、「全信徒の平等」と「異教徒の保護」を謳ったのである。

信徒の父にして信徒の息子(アブー・ムスリム・イブン・ムスリム)
 伝えられるフルネームは、「アブー・ムスリム・アブドゥルラフマーン・イブン・ムスリム・アル・ホラーサーニー」。「アブドゥルラフマーン」は「慈悲深きもの(唯一神の美称の一つ)のしもべ」で、個人名(固有名詞)としても使われるが、この場合は文字どおりの意味で、匿名的な名乗り。「アル・ホラーサーニー」は「ホラーサーンの人」だが、この場合は「ホラーサン出身」ではなく、「ホラーサンに縁がある」という意味。
 そして「アブー・ムスリム」は「信徒の父」、「イブン・ムスリム」は「信徒の息子」なので、「匿名希望」と称しているようなものである。
 出自についてはファールス(ペルシア)系で元奴隷だと伝えられる以外は一切不明。事績については追々説明。

アッバース家当主
 アッバース家は反ウマイヤ朝運動を展開するに当たって、作中でも述べているように、誰をイマーム(大導師)とするかを敢えて明確にしなかった。「預言者ムハンマドの血を引くイマーム」がウマイヤ家に代わってハリーファ(名代)となる、とだけ約束することで、千々に分裂したアリー派は、アリー一族のうち自らが支持する人物をイマーム/ハリーファとすべく、結束してアッバース家に与したのである。
 非常に賢明な戦略である。が、もちろんアッバース家はウマイヤ家を倒した後、政権をアリー一族に譲るつもりは毛頭なかった。ウマイヤ朝滅亡直後の混乱の中、「ムハンマドの叔父の子孫だから、ムハンマドとは血の繋がりがある」と強弁し、まんまと即位したのであった。汚い! 実に汚い!
 解説その三十七で、アリーの息子の一人イブン・ハナフィーヤ(イスマイールの曽々祖父フサインの異母兄弟)が685年、クーファ市民が起こした反乱に「マフディ」として祭り上げられたが、反乱には関わらなかったとして赦免されたことを述べた。
 イブン・ハナフィーヤは716年に没したが、アッバース家は彼がウマイヤ家に毒を盛られ、死に際にアッバース家当主にイマーム位を譲った、と主張した。もちろん作り話であり、これを信じてアッバース家を支持する者もいたが、まとまりのないアリー派の中でも少数派に過ぎなかった。
 アッバース家の反ウマイヤ朝革命運動で、重要な役割を担ったのが、前項のアブー・ムスリムともう一人、アブー・サラマという人物である。アブー・ムスリムは後述するようにホラーサンで革命軍を組織し、アブー・サラマはクーファにおいて革命を指導した。
 しかしアブー・ムスリムがアッバース家当主に忠誠を誓い、ハリーファ位に就けるべく心血を注いでいたのに対し、アブー・サラマの望みはアリー一族をハリーファにすることだった。革命のどさくさでアッバース家当主が殺され、ほかのアッバース家の成人男性たちとも連絡が取れなくなったのを幸い、アブー・サラマはアリー一族の主要な人物をハリーファにするべく画策した。彼が交渉した相手は、アリー一族当主ジャアファル・サーディク(イスマイールの父)のほか、ハサン家当主とその息子で潜伏中だった「純粋な魂」(解説その四十六の「ハサン家」の項参照)もいたが、サーディクは頑なに拒絶し、「純粋な魂」父子はあれこれ条件を付けて交渉が進まず、そうこうしているうちにアッバース家当主の弟が出てきて即位したのだった。
 この行動が原因で、後にアブー・サラマは粛清されるのだが、このように革命の双璧の一人と言うべき人物でさえ、アッバース家をイマームとして認めていなかったのだった。
 解説その五十一の「革命の志士」の項で述べたように、ジャービルの父ハイヤーンはおそらくアッバース家の最初期の「ダーイー」(宣教員)の一人だが、アリー派の本拠地であるクーファ出身であることから、アッバース家の真の目的は知らなかった可能性が高い。本作では、少なくともジャービルはそれを知らず、アッバース家はアリー一族のために働いていると信じている。


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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十一

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.69
上段10行
革命の志士
 錬成術(錬金術)師ジャービルの出自に関するさまざまな伝承のうち、今日おおむね定説とされているのは以下のとおり。
 ジャービルの父親はイラクのクーファ出身の薬種商ハイヤーンといい、アッバース家の「ダーイー」だった。タージク(アラビア)語「ダーイー」は「宣教員」あるいは「宣伝員」と訳され、特定の思想・宗教を広める。たいていは秘密裏なので、平たく言えば工作員である。その死の経緯は作中で述べられている(なぜホラーサンに送られたのかについては次回)。
 ジャービルはクーファ育ちだと伝えられるので、父の死後、親族の許に送られたのであろう。アッバース家がホラーサンに最初の「ダーイー」を送ったのはAD718年だとされる。ハイヤーン処刑は722年頃に生まれたジャービルがまだ幼い頃だったと考えられるので、ハイヤーンはこの最初期のダーイーの一人だったと思われる。処刑の2年前に、現地の官憲の疑いを招いて捕らえられ尋問を受けたが、その時は白を切り通して釈放されたという。
 またジャービルは、クーファの有力なタージク人氏族であるアズド族の出身だともされる。
 解説その三十九および四十で述べたように、古代・中世において香料(焚香料およびスパイス)は単なる嗜好品ではなく医薬品としても珍重され、非常に高価だった。解説その四十一の「薬種商」の項で述べたように、それらの香薬類を扱う薬種商は幅広い知識を必要とされた。
 ユーナーン(ギリシア)医学を継承したイスラム医学が発展するのは、まだ先のことであるが、タージク人は古来、香料貿易に従事しており、ヘレニズム文化の影響も受けているから、ユーナーン医学の香料に関する知識もある程度は伝わっていたはずだ。
 薬種商になるには、多額の資金も多方面へのコネも必要だし、ジャービルの父親の時代のタージク人なら、書物(異国語の)を読んで独学した可能性はほぼないので(解説その四十二の「彼にとっての学問とは……」の項参照)、薬種商の下で長期間の修行も必要だったはずだ。
 それとこの時代の氏族主義を考えれば、ハイヤーンが有力氏族出身である可能性は非常に高いし、その中でもかなり地位の高い家の出だったのではあるまいか。
 参照:E・J・ホームヤード『錬金術の歴史 近代化学の起源』朝倉書店
 私がこの説を妥当だと判断する理由については、後ほど改めて述べる。
 ジャービルの母親についての伝承はないようだが、本作では次の理由でファールス(ペルシア)人の奴隷だとした。
『千夜一夜』には、敵対関係にある氏族同士の若い男女の悲恋物語が幾つもある。まあタージク版ロミオとジュリエットであるが、タージクの氏族主義においては結婚は家同士どころか氏族同士のものであり、時代を遡るほどその傾向が強い。
 8世紀初めまでに、ホラーサン地方には多数のタージク人が移住していたから、ハイヤーンが現地で結婚しようと思えば相手に不自由はなかっただろうが、危険な密命を帯びていながら、厄介な人間関係とセットになっている結婚をわざわざするとは考え難い。身元を偽っていた可能性もある。となると、ジャービルの母親となった女性は奴隷だったという推測が成り立つ。
 場所がファールスだったからといって、必ずしもファールス人だったとは限らないが、わざわざ別の民族にする必然性もなかったので。それとジャービルは後年、ファールス系の宰相一族と懇意になったと伝えられる。これも彼がファールス系であったかもしれないと推測する理由の一つである。

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.68
下段4行
死者あるいは生者から……
 えーと、要するにクローンです。SF脳なんで、元ネタ(解説その四の「犠牲に選ばれるのは……」の項参照)から思いつくのが、どうしてもそういう方向になります。どうもすみません。
 設定的には、この世界の物質(および「霊的存在」)は「エネルゴン」から構成されているので、物質変成などの操作は比較的簡単です。正確な操作には正確な計算が必要で、それをやろうとしているのが錬成術(錬金術)。
 一方、魔術は数量化や再現性といった概念を持たないまま、行き当たりばったりと経験則でそれなりに発展してきたのが、経験則を無視した机上の空論が発達したのが仇となって衰退してしまった、というような状況です。
 この「クローン技術」も、古代キーム(エジプト)で行き当たりばったりと経験則で一応確立されたのが、机上の空論が幅を利かせるようになったことで、いったん衰退。ヘレニズム時代に入ってユーナーン(ギリシア)人の錬成術師たちによる数量化を経て復活、といったところですね。

復活は来世まで……
 エジプトのミイラは来世で復活するためのものだが、当初は現世で復活すると信じられていたそうである。

七体
 作中で述べられているように余分に作るのは予備のためだが、他の数ではなく「7」なのは、ハッラーンのヒルミス(ヘルメス)=シン信仰ではこの数を重視したから(七惑星に基づくと思われる)。

宮殿
 本作の前年に即位したマルワーン2世は、その短い治世(AD744-750)の間にハッラーンを再開発し、宮殿も建設した。その宮殿はシン神殿の場所に建てられた、という英語記事を幾つか見つけたんだが、神殿がその後も存続していたのは多くの記録から明らかである(最終的にモンゴル軍に破壊された)。イスラムの支配下で、いったん破壊された神殿を再建できたとは考え難い。
 しかしシン神殿は都市の中心にあり、信者が減少したとはいえ、それなりの面積を有していたはずだから(本殿のほかに少なくとも倉庫群と神官の宿舎くらいはあっただろう)、宮殿用に接収の話が出ていた可能性は高い。

アッバース家
 作中でも述べているように、預言者ムハンマドの叔父アッバースの子孫。「極秘計画」については追々解説していきます。

p.69
上段
異教徒の保護
 預言者ムハンマドの時代から、異教徒はムスリムに納税する代わりに一定の権利を与えられる。そのような異教徒を「ズィンミー」と呼ぶ。タージク(アラビア)語で「庇護民」の意。
 聖典では「啓典の民」(唯一神からの啓示を記した聖典を有する民)の権利を謳う一方で、多神教と偶像崇拝を厳禁しているので、多神教徒および偶像崇拝者は保護の対象にはならないことになる。しかし初期イスラム時代から、マギ(ゾロアスター)教やハッラーンの多神教徒は保護の対象になっており、強制改宗は例外的なケースであった(解説その二十三参照)。
 とはいえ、民衆レベルでは異教徒への嫌がらせは日常的に行われており(解説その二の「犬のように無視される」の項参照)、また時代が下ってイスラム世界全体が保守化してくると、マギ教もハッラーンの異教も「一神教化」せざるを得なくなる(マギ教は教義そのものを改変したが、ハッラーンの場合は一神教に偽装しただけだった)。

 続きます。

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四十九

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.67
下段19行
地下通路
 ハッラーンは広大な平原に建設された都市なので、市壁(防壁)に囲まれている。シン神殿はハッラーンの中心にあった。
 解説その十三の「地下の大書庫」の項で述べたように、現代のハッラーン一帯では、かつてシン神殿の地下に秘密の通路があった、と語り伝えられているという。それが数十キロに及ぶ長大なものだったかどうかはともかく、古代メソポタミアの都市間戦争では、敵に最も狙われるのは都市の主神の像だったから、神殿地下に秘密の脱出路が設けられていた可能性は充分にある。

黒土の国(キーム)から来た男に……
 ロバート・アーウィン『必携 アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』(平凡社)によれば、キーム(エジプト)では数千年前からファラオの宝を求めて盗掘が横行し、それに伴って宝探しの魔術も発達した。同書では『千夜一夜』中のキームの宝探しの物語のほか、AD13世紀に書かれた宝探しの指南書を紹介している。
 オーウェン・デイビーズ『世界で最も危険な書物 グリモワールの歴史』(柏書房)によれば、中世末期(14世紀頃)から西洋人もキームの宝探しに参戦した。彼らもタージク(アラビア)語の魔術書を使用したが、中でも特に人気だった『埋められた真珠の本』は、1930年代になってもトレジャーハンター必携の書だったという。

p.68
図と数字から……
 解説その十三で後回しにした「施錠装置」の解説を、ようやく行える。扉の「把手の傍らに熔接された」「鉄の小箱」(p.60下段最後の行)に付いている「真鍮の板」に図と数字が刻印されており、その図と数字から設問を理解し、計算し、解答を数字が刻まれた「円盤」(要するにダイヤル)で入力すると解錠(扉の開閉から施錠までは自動)。問題を記した「真鍮の板」は扉ごとに12枚用意され、日替わりする(定期的に総入れ替えもされているかもしれない)。
 入力を3回間違えれば「防御機構」が発動して「エネルゴン」に攻撃されるが、この「施錠装置」自体は錬成術(錬金術)とはまったく無関係で、必要なのは図と数字のみから設問を理解する知識と知力、そして計算力だけである。まあこの時代(AD8世紀半ば)においては、ハッラーンの上級神官たちが、そんなことができるのはこの世に自分たちだけしか存在しないと思い込むくらいの特殊能力ではある。
 というわけで解錠に使われた書字板(解説その十二の「書字板」参照)は、計算用である。神殿に侵入したイスマイールも当然、書字板を携帯している。

その驕り
 彼らの傲慢さについては、解説その十二の「割礼」の項やその十六の「メシアス教」の項を参照。

機巧(カラクリ)で動く神像に……
 参照:深谷雅嗣「古代エジプトの神託とその社会的機能」(『宗教研究』第81巻4号所収)

 前回に引き続き、今回もサクサク進みましたね。それではまた明日

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四十八

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.66
下段12行
不朽体(サフ)
 古代キーム(エジプト)ではミイラを「サフ」かそれに近い発音で呼んでいた。「高貴な」という意味だそうだ。
「不朽体」はメシアス(キリスト)教聖人の遺体のことで、神の加護によって腐敗しないとされる(ラテン語in「不」+corruptus「腐った」から)。現存する「不朽体」は、自然または人為的にミイラ化した遺体だと言われている。
 本作で「不朽体(サフ)」という名称を当てた「物」については後ほど解説するので、ここではヒルミス(ヘルメス)との関係について。
 後世のムスリムがヒルミスを預言者エノクと同一視したことは、解説その九の「預言者」の項で述べた。ところで「エノク」のタージク(アラブ)語形は、「ハヌーフ」という。解説その二十九で述べたように、イスラムの聖典では歴代の預言者のリストが挙げられているが、そこに「ハヌーフ」の名はない。ユダヤ教聖書に該当人物がいない幾人かの預言者のうち、「イドリース」がハヌーフ=エノクだとされている(大川玲子『聖典クルアーンの思想 イスラームの世界観』講談社)。
 イブン・バットゥータ(AD1304-1369頃)は『大旅行記』(平凡社)の中でヒルミスについて、古代キーム(エジプト)で唯一なる神を崇めた最初の人であり、またの名をハヌーフ、つまりイドリースのことである、と述べている。ヒルミスは大洪水(ノアの洪水)を予知し、それによって知識や技術が失われることを恐れ、ピラミッドと古代神殿を建て、その中に絵を描くことで後世に伝えようとしたのだという。
 イドリース=エノク説には異説もある。家島彦一『海域から見た歴史 インド洋と地中海を結ぶ交流史』(名古屋大学出版会)によると、イドリースはイエス・キリストの使徒アンドレアスとも同一視されていた。つまりヒルミスはメシアス教聖人でもあったことになり、その「サフ」に聖人の遺体を指す「不朽体」の語を当てるのは適切なのである。

克死漿(ネクタール)
「ネクタール」νεκταρnektarはユーナーン(ギリシア)神話の神々の飲料。原義は「死を克服する」。
 前項の「サフ」が古代キーム(エジプト)で、「ネクタール」は古代ユーナーン。この文化混淆は、ヒルミス(ヘルメス)信仰そのもののである。

大きな硝子壺の中
 この場面はハッラーン神殿の密儀についての伝承に基づいている(解説その四の「犠牲に選ばれるのは……」の項参照)。

水時計
 水時計は数千年前からキーム(エジプト)やバビル(バビロン)で使用されていた。これを改良したのがアレクサンドリアのクテシビオス(前3世紀)で、以後千数百年にわたって水時計の機構に変化はなかった。

p.67
下段
三重に偉大な賢者
「三重に偉大な」は、ヘルメス・トリスメギトスの「トリスメギストスτρισμηγιστος」の訳。「三倍偉大な」と訳されることもある。

人の姿をとったアルイクシール
『栄光ある者の書』(キターブ・ル・マージド)と題される著作でジャービルは、「栄光ある者」とはイマーム、すなわちアルイクシールであると述べている。このアル・イクシールは神的霊から溢れ出し、下界(地上)の国を変貌させることになっているという。
 参照:アンリ・コルバン『イスラーム哲学史』岩波書店

 続きます。

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四十七

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.66
上段4行
ハイヤーンの息子ジャービル
 解説その一の「ジャービル」の項で述べたように、彼は半ば伝説上の人物であり、出自についても様々な伝承がありますが、父親がハイヤーンという名の薬種商(解説その四十一の「薬種商」の項参照)、というのはおおむね定説となっています。
 より詳しくは後ほど。

夷狄
 タージク(アラビア)語だと「アジャム」。意味は「わけのわからない言葉を話す者」で、ユーナーン(ギリシア)語の「バルバロイ」と同じ。「アラブ」以外の人間はすべて「アジャム」である。なお「アラブ」の語源は不明。

割らずに飲み始めた
 葡萄酒は水で割って飲むのが一般的だった。

ウルファ
 本作の舞台であるハッラーン(現トルコ南東部)から北西40キロ余りに位置する。ハッラーンと同じく古代から栄えた都市。西洋ではセレウコス朝時代(BC312-BC63)の名「エデッサ」として知られる。AD638年にイスラム軍に征服された時にはルーム(東ローマ)領だった。
 中世イスラム世界においてはハッラーンほど重要ではなかったので、本作の時代(8世紀半ば)にはどんな名だったのかは調べても判らなかった。セレウコス朝時代以前は「ウルハイ」という名で、それが後に「ウルファ」となるんだが、その変遷の過程も判らず。まあここで名前が出るだけなんで、「ウルファ」にしておきました。

今は黒土の国(キーム)の暦で……
 ここから続くジャービルの一連の台詞を解説すると、まず「キーム(エジプト)の暦」とは、現在でもコプト正教会で使用されているコプト暦のこと。キームでは数千年前から、年に1度、シリウスが夜明けの太陽と共に現れる日を元日とする1年365日の太陽暦が使用されていた。観測結果から1年に4分の1日ずつずれが出ることも判明していたが、神官たちの反対で閏年は設けられなかった。BC30年にルーム(ローマ)皇帝アウグストゥスによってずれが修正され、現在のコプト暦となった。
 ユリウス暦と同期しており、元日はユリウス暦の8月29日である。12の月名は古代キームの神々の名で、1月は暦の神トフト(トート。解説その九の「トフト」の項参照)である。
「我々の暦」とは、イスラム太陰暦(ヒジュラ暦)のことである。新月が出た日を各月の第1日目とするが、この場合の新月は「朔(見えない月)」ではなく、朔の後の第1日目の月のことである。この点が、朔の日を各月第1日とする東アジアの太陰暦とは異なる。
 水星は日の出直前か日の入り直後の低い空にしか現れず、新月は日没時にしか現れない。AD745年のコプト暦トフト(第1)月中のイスラム太陰暦で月の第1日目に当たるのは、グレゴリオ暦9月7日に当たる。

最上層の至聖所を……
 解説その十一の「祭日以外は……」の項参照。

 切りがいいところまで来たので今回はここまで。続きはまた明日

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四十六

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.65
下段16行 
弱腰のお父上
 イスマイールの父でアリー一族当主ジャアファル・サーディクは、人格者にして当代屈指の学者だったと伝えられるが(解説その三十六の「ジャアファル・サーディク」の項参照)、不満分子集団アリー派には政府転覆を期待され、幾人もの親族が反乱の首謀者に担ぎ上げられるという状況で一族郎党を守り続けたのだから、実は政治手腕は相当なものである。
 解説その三十五の「幾度となく政府転覆を試みたが」の項で、AD740年(本作の5年前)に起きた「ザイドの乱」について述べた。首謀者ザイドはサーディクの父方の叔父で、息子の1人は3年後に政府に捕らわれ処刑されたが、生き残ったもう1人の息子はサーディクの庇護下に置かれた。さらにサーディクは、ザイドに従って戦死した250人に対しても、その遺族に金銭を支給している。
 しかし当時は前イスラーム時代の美徳であった猛々しさ、荒々しさといった「男らしさ」が、いっそう美化され強調される傾向にあった。サーディクの穏健、慎重、賢明といった特質は評価され難かっただろう。
 後代になると、預言者ムハンマドの血統への崇敬が高まり、アリー派を忌み嫌う者でさえ、アリー一族を謗ることは決してなかった。たとえばイスマイールの子孫を開祖とするファーティマ朝(後述)は主流派(スンニ派)から憎悪されたが、あれはイスマイールの子孫を詐称してるのだとして、アリー一族に罪はないとされていた。
 しかしウマイヤ朝は、その成立からしてアリーに対する反乱だし、2代目はアリーの息子フサインを惨殺している。ウマイヤ朝に忠実な者ほど、アリー一族への崇敬は希薄だっただろう。

p.66
ハサン家
 アリーの長男にして第2代アリー一族当主ハサンの子孫。自主的に隠遁したため、アリー一族当主の地位はハサンの弟フサインの子孫に受け継がれることとなった。
 しかし反ウマイヤ朝の旗頭としてアリー一族への期待がますます高まる中、フサインの息子(第4代)以降の当主たちは穏健路線を取り続けた。そのためアリー派の期待はハサン家に集まることとなった。
 アリー一族の第5代当主にしてフサイン家当主のムハンマド・バーキル(フサインの孫でイスマイールの祖父)の時代、彼と同世代であるハサン家第3代当主(ハサンの孫)はウマイヤ朝転覆の準備を密かに進め、着々と支持者を増やしていった。さらにハサン家はアリー一族当主の座への復帰も望み、フサイン家と争うこととなった。
 ムハンマド・バーキルはAD733年に没し、息子のジャアファル・サーディク(イスマイールの父)が跡を継いだが、両家の争いは続いた。7年後、ムハンマド・バーキルの弟(すなわちサーディクの叔父)ザイドが、一部のアリー派の口車に乗せられて蜂起した(ザイドの乱。解説その三十五の「幾度となく政府転覆を試みたが」の項参照)。その背景には、ハサン家への危機感があったと考えられる。
 ザイドの乱に先立つ737年、ハサン家当主の息子(ハサンの曾孫)で「純粋な魂」と呼ばれる19歳の若者に、「マフディ」(「救世主」。解説その三十七参照)を称して反政府活動を行った廉で官憲の手が伸びた。「純粋な魂」という二つ名は、その敬虔さに因む。イスマイールより世代は1つ上だが、718年生まれなので同年代である。結局、彼の側近だった人物が逮捕・処刑され、「純粋な魂」自身は辛くも逃れて潜伏した。本作の時点(745年)でも潜伏中である。この頃には「純粋な魂」の父であるハサン家当主は、自身ではなく息子をイマーム位に就けるべく画策していたようである。
 この場面での警官(シュルタ)の言葉は、一つには「男らしさ」の価値観(前項)に基づくものである。ウマイヤ家に盾突く不逞の輩だが、それはそれとして、ひたすら忍従するフサイン家当主たちよりも「男らしい」、というわけだ。
 またタージク(アラブ)人の異民族差別にも基づいている。解説その七の「混血を厭いません」の項で述べたように、フサインは異民族の女性を娶ったため、彼の子孫はイスマイールに至るまでその血が流れている。
 一方、ハサン家は「純血」を誇る。同項で紹介したハサン家の人物とは、上記の「純粋な魂」のことである。また「純粋な魂」の父親は、上記のザイドがシンド(インド)人との混血であることから(兄とは腹違い)、「魔女の息子」と罵ったという。

 続きます。

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