近況

 すごくすごく健康に気を遣った生活を半年余り送ってきて、だいぶ元気になったと安心していたら、突然体調を崩しました。原因不明。

 年に1、2回あるんですが、目に見える不調(熱が出たとか、胃や腸がおかしくなったとか、アトピーが極端に悪化したとか、しばらく不眠が続いたとか)がないのに、ある日突然、やたらと怠くなって動けなくなる。
 困るのは、普段は毎日かなりの運動(有酸素運動と筋トレとヨガ)で体調を維持しているので、怠くてしんどいので有酸素運動ができない、腹に力が入らないので筋トレもできない、身体がガチガチに硬くなるのでヨガもできない、となって、運動不足でさらに不調になる。

「ガーヤト・アルハキーム」解説は、先日、ルーターだがモデムだかの不調で家からココログに数日間アクセスできなくなった間の書き溜め分があったので、不調になってからも連日更新できていたんですが、書き溜め分もなくなったので、ちょっと更新をお休みさせていただきます。
 わざわざ「解説」を読みに来てくださる方がいたのかどうかわかりませんが、「連日更新」と宣言したからには、それができなくなったので(前回と違って今回は自分の都合ですし)、謝罪させていただきます。申し訳ございません。

 どうにも怠いんですが、だらけずに規則正しい生活を維持し、ちょっとずつでも運動を続けていればそのうち回復しますので、1日でも早く回復できるよう頑張ります。

|

「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十三

ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段14行
不干渉
 現代のイスラムの「常識」では、「異教徒」は信徒(ムスリム)に税を納める代わりに庇護してもらうが、「異教徒」として認められるのは「啓典の民」だけである、とされる。「啓典の民」とは、①一神教、②預言者を通じてもたらされた神の啓示を記した聖典すなわち「啓典」を有する、という条件を満たす宗教(いわゆる「啓示宗教」)の信者である、とされる。「啓典の民」ではない多神教徒や偶像崇拝者は強制改宗の対象となる、とされる。
 が、本作の舞台であるハッラーン(トルコ西南部)で、古代バビル(バビロニア)とユーナーン(ギリシア)の宗教が混淆した独自の多神教が、イスラム支配下で100年以上も堂々と存続していることからも明らかなように、初期イスラム時代(AD7、8世紀)には上記のような「常識」は存在しなかった。
 ハッラーンの多神教徒は、ファールス(ペルシア)のマギ(ゾロアスター)教徒と同じように扱われたのだろう。サーサーン朝が定めた「正統教義」のマギ教は、最高神オフルミスド(アフラ・マスダー)と、それに仕える中級・下級の神々という体系で一神教に近く、偶像崇拝も禁じられていた。しかしそれが徹底されたのはファールスの西部だけであり、他のイラン(現イラン・イスラム共和国ではなく、インド・アーリア民族と分かれたイラン・アーリア民族のこと)文化圏では偶像崇拝を伴う多神教的マギ教が信仰されていた。どのみち「正統教義」にしても、「預言者」や「啓示」という概念は持たなかったので、マギ教は明らかに「啓示宗教」ではない。
 しかしイスラムの支配者たちは、ファールス各地のマギ教徒の命と安全と心身の自由(つまり信教の自由も)を保障し、代わりに税を納めさせた。そのためファールスのイスラム化は進行が遅く、改宗が人口の50%を超えるのは9世紀に入ってからである。
 このように総督や司令官など、実際に統治を行う地位にある者の多くは、「啓典の民」でない住民が大半を占める広大な地域で強制改宗を行う危険を弁えていた。それ以前に、改宗者が増えれば税収が減ってしまうのである。しかし一般信徒はマギ教徒に対し、しばしば「犬いじめ」などの嫌がらせを行ったし(解説その二の「犬のように無視される」の項参照)、宗教的情熱から強制改宗を試みる者も地位を問わずいた。
 そのような狂信者が統治者となった不運な地域が、ファールス東部のホラーサンとその向こうのソグディアナ(現在のウズベキスタンとタジキスタンを中心とする地域)である。上述のようにこれらの地域では偶像崇拝を伴う多神教的マギ教が信仰されていたのだが、8世紀初め(本作の時代の3、40年前)にホラーサンの総督となってソグディアナを征服したその人物は、強制改宗を断行し、多数の偶像と神殿を破壊した。以後この地域では、住民が棄教して反乱→鎮圧して強制改宗→棄教して反乱→鎮圧して……がルーティンとなる。彼の後任となった総督たちも、棄教だけは認めるわけにはいかなかったので、数世代にわたって反乱と鎮圧が延々繰り返されたのだった。
 ホラーサンとソグディアナについては、後ほど改めて解説する。
 イスラム世界全体でも、9世紀以降は非「啓典の民」に対して、建前だけでも「啓典の民」を装うよう圧力がかけられるようになる。こうしてマギ教は宗祖ザラスシュトラ(ゾロアスター)を「預言者」、聖典を「啓典」、オフルミスド以外の諸神は「天使」として、「啓示宗教」の体裁を整えていく。この手法は後に仏教やヒンドゥーにも用いられる。ハッラーンの多神教徒たちも「啓典の民」を装うことになるのだが、とりあえず先の話である。
 参考:メアリー・ボイス『ゾロアスター教』(講談社)、青木健『ゾロアスター教史』(刀水書房)、青木健「ザラスシュトラの預言者化」(『宗教研究』82巻4号)、清水宏祐「イラン世界の変容」(『西アジア史Ⅱ』山川出版社)

 続きます。

目次

|

「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十二

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次 

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。

|

「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十二

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次 

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段11行
ファールスは滅んでしまいました
 前回解説したように、サーサーン朝ファールス(ペルシア)の皇帝ホスロー1世(在位AD539年-576年)は、ユーナーン(ギリシア)やシンド(インド)の学術を熱心に導入し、また口承のみで伝えられていたマギ(ゾロアスター)教の「聖なる知識」を文書化し聖典とする事業に取り組んだ。しかし彼の死後、内憂外患が続いて帝国は弱体化し、644年、新興のイスラム勢力にニハーヴァンドの戦いで大敗し、事実上滅亡。651年には最後の皇帝ヤズデガルド3世も逃亡中に殺害される。
 イスマイールはこのヤズデガルド3世の血を引くという伝説が生まれるのは、本作の時代(8世紀半ば)より100年ほど後のことである。

あなた方の慈悲によって……
 本作の舞台であるハッラーン(現トルコ南西部)は、前イスラム時代にはサーサーン朝とルーム(東ローマ帝国)の境界地域にあり、奪ったり奪われたりを繰り返していたが、最終的にサーサーン朝領となった。
 サーサーン朝滅亡に先立つ640年、街はイスラムの軍勢によって平和裡に占領された。その後の支配も平和的だったのは、100年後の本作の時代にも古来の多神教が生き延びていたことからも明らかである。

外来の学問
 イスラムでは伝統的に、学問分野を「固有の学問」と「外来の学問」の2つに大別する。
「固有の学問」とは、聖典を基礎とした「イスラム固有の学問」のことである。聖典を正しく誦む(音読する)ためのタージク(アラビア)語学、聖典から導き出される神学、聖典を補完するための諸伝承(預言者ムハンマドの言行を中心とする)についての伝承学、聖典とそれら伝承から導き出される法学、聖典と伝承で語られる歴史についての歴史学などである。
 一方、「外来の学問」とは異民族(タージク=アラブにとっての)の学問のことで、主にユーナーン(ギリシア)とシンド(インド)由来の科学、哲学、文学などだ。
 この分類法と呼称はAD10世紀後半以降のものらしいが、本作の時代である8世紀半ばには、「固有の学問」の諸分野はすでに確立されつつあった。それに対する「異民族・異教徒の学問」といった意味で、作中では「外来の学問」という呼称を使っている。

無関心
 作中の時代(AD8世紀半ば)における名代(ハリーファ。イスラム世界の最高統治者の称号。誰の「名代」なのかは後ほど解説)であったウマイヤ家の人々は、学問全般に無関心だったとされる。ただしウマイヤ朝は後世の信徒(ムスリム)たちにあまり評判がよろしくなく、ことさらにマイナスイメージが強調される傾向があり、「学問に無関心」もその一環と言える。
 実際には、少なくとも前項の「固有の学問」のうち、聖典を正しく誦む(音読する)ためのタージク(アラビア)語正書法に関しては、国家規模で改革に取り組んでおり、無関心だったとは言えない。
「外来の学問」については、確かにウマイヤ一族は異民族の芸術(美術や歌舞音曲)は愛好したが、学問には無関心だった。一方、ウマイヤ家を滅ぼして新王朝を建てたアッバース家の名代たちは、「固有の学問」の発展にも「外来の学問」の導入にも熱心だった。
 しかしアッバース朝の場合、多様化した帝国を統治するためにいろいろ理論武装が必要で、そのために外来の高度な学問を導入し、「固有の学問」にも磨きをかけなければならなかった、という事情があった。ウマイヤ朝はまだその段階には達していなかったため、外来の学問への関心も低かったのである。

 続きます。

目次

|

「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十一

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次 

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段9行
ファールスの皇帝
 サーサーン朝皇帝ホスロー1世(在位AD531-579)のこと。529年にアカデメイア(学園)を閉鎖された哲学者たちが、亡命先にファールス(ペルシア)を選んだのは、彼が異文化の庇護者としてつとに名高かったからである。
 以前述べたとおり、この時代のファールスへのユーナーン(ギリシア)文化の移植に大きな役割を果たしたのは、ルーム(ローマ)で異端とされたメシアス(キリスト)教諸派であり、アカデメイアの哲学者たちは大したことはしていない。それでもホスロー1世がハッラーンに「ユーナーン人の学校」を建てたのは、哲学者たちの受け入れと関連していたと思われる。
 この学園は本作の時代(8世紀半ば)より後まで存続しており、9世紀の著名な天文学者、数学者にして翻訳者のサービト・イブン・クッラは、この学園の出身者である。
 ホスロー1世はユーナーンだけでなく、シンド(インド)の学問芸術の導入にも熱心だった。天文学や医学、数学などだけでなく、チェスや動物寓話(「ねずみの嫁入り」など。そのタージク語版からの邦訳が、平凡社の『カリーラとディムナ』)も彼が採り入れたものである。しかしその動機は決して「外国かぶれ」ではない。「先祖の叡智を取り戻す」ためだったのである。
 サーサーン朝は、古代のハカーマニシュ(アケメネス)朝の後継者を任じていた。したがってハカーマニシュ朝を滅ぼし(BC330年)、その都(ペルセポリス)を破壊したアレクサンドロス(イスカンダル)は、まさに大悪魔アーリマンの手先にほかならなかった。
 その悪行は誇張され、やっていないことまで付け加えられる。ハカーマニシュ朝最後の皇帝ダーラヤワウ(ダレイオス)3世の殺害はその一つだが(実際には自らの臣下に背かれ、殺された)、ホスロー1世に関わってくるのは、「マギ(ゾロアスター)教の聖典を焼き捨てた」ことである。
 もちろんそんな事実はなく、そもそもマギ教の「聖典」はマギ (神官)によって口伝され、書物のかたちでは存在しなかった。文書化が開始したのは、ようやくホスロー1世の時代になってからである。サーサーン朝がイスラムに滅ぼされる百年足らず前のことであり、しかもとうとう完成しなかったらしい。
 なぜそんなに遅かったのかというと、まずサーサーン朝の前のアルシャク朝(いわゆる「パルティア」。BC3世紀-AD226)は、マギ教の体系化や教義の統一といったことに無関心だった。一方、サーサーン朝はマギ教を国教と定めたため、「正統教義」を確立する必要があった。それなのに聖典の文書化が遅れたのは、紀元前より口伝されてきた古代ファールス語を書き記すための文字が存在しなかったので、先にそれを開発しなければならなかったのである。
 それから、これは私見なのだが、マギたちの抵抗もあったのではないだろうか。「聖なる知識」が口承である限り、それは部外者に漏れる恐れはない(ごく短いものでない限り)。ところが文字で書き記されてしまえば、その文字を知る者には誰でも読めてしまう。マギたちは、「聖なる知識」を独占できなくなることを恐れたのではないだろうか。
 さらに膨大な量の情報を暗記し、暗誦できるようになるための労力と、文字(表音文字)を読めるようになる労力とでは、後者のほうがまだ楽である。サーサーン朝時代、すでに文字はそれなりに普及していたので、マギたちは識字習得にかかる労力を知っていたはずだ。「聖なる知識」が文字化されたら、それを暗記した自分たちの努力が無駄になってしまう。後輩に楽をさせたくない、という心理は人類の大半に共通している。
(この「文字化への抵抗」現象は、藤原書店から出ているオングの『声の文化と文字の文化』で述べられていたと思うんだが、違ったかもしれない)
 しかし一方で、当時の中東にはユダヤ教、メシアス(キリスト)教、マーニー(マニ)教と、「聖なる書物」を有する宗教が幅を利かせていた。それらに対抗するのに、一握りの聖職者だけが独占する「聖なる口伝」ではいろいろ不利であったろうし、羨む気持ちもあっただろう。
 こうして、「書き留められた聖典はあったんだけど、大悪党イスカンダルに燃やされてしまった」という物語が作られたのである。
 まったく同じことが、中東の少数民族ヤズィーディーの信仰に起きている。この宗教はおそらく古いかたちのマギ教が原型で、イスラムやハッラーン(本作の舞台)の混淆宗教の影響を受けたものだが、マギ教と同じく、「聖なる知識」は一握りの聖職者たちによって口伝のかたちで独占されてきた。しかし近年のヤズィーディーたちは、「文字で記された聖典があったのだが、西洋人によって奪われてしまった」と信じているのである。
 ヤズィーディーについては、『トーキングヘッズ叢書』№76所収の拙文「イスラムの堕天使たち」を御参照ください。
 サーサーン朝のマギ教に話を戻すと、イスカンダルの悪行はそれだけではない。聖典を焼き捨てる前に、それをユーナーン語に翻訳させ、持ち去った。それが現在(サーサーン朝時代)、世界中に分散している「叡智」なのである――
 つまりユーナーンやシンド(インド)、キーム(エジプト)、バビル(バビロニア)、さらには中国まで、当時知られていた文明国の学問(科学や哲学、文学)はすべて、マギ教の聖典に記されていたものだということになったのである。ホスロー1世が熱心に収集していたのは、これらの「先祖の叡智」だったわけだ。
 というわけで、本作において「ファールスの皇帝」がユーナーンの錬金術を庇護した背景には、このような「他所者が持ってる素敵なものは、実は俺たちの先祖から奪ったもの」というカーゴカルト的イデオロギーがあったのでした。
 参考:山中由里子『アレクサンドロス変相』(名古屋大学出版会)、ディミトリ・グダス『ギリシア思想とアラビア文化』(勁草書房)、青木健『ゾロアスター教史』(刀水書房)
 なお以前解説したように、タージク(アラビア)語ではルーム(ローマ)の皇帝の称号として、「カエサル」から転訛した「カイサル」が使われる。イスラム以前のファールスの皇帝の称号もあって、「キスラー」というのだが、これは「ホスロー」の転訛である。ホスロー1世が非常に偉大だったため、タージク人にとってファールス皇帝の代名詞となったのである。
 しかし「カエサル」→「カイサル」なら解りやすいし、「カイザー」「ツァーリ」など、カエサルの転訛が皇帝の称号となっている例はほかにもあるので、本作でも「ルームの皇帝(カイサル)」とルビを振ったが、「ホスロー」→「キスラー」は解りにくいし、そもそもホスロー1世の日本における知名度はカエサルに比べて遥かに低い。そういうわけで、「ファールスの皇帝(キスラー)」とはしませんでした。

 一項目だけですが、長くなったので今回はここまで。また明日お目にかかりましょう。

目次

|

「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段6行
ところがその頃から……
 シンド(インド)から零と位取りの概念、計算術(筆算)を含む数学がアレクサンドリアに伝わった(かもしれない)AD5世紀は、メシアス(キリスト)教化したルーム(ローマ)による異教迫害が激化した時代でもあった。その頂点は415年、女性哲学者ヒュパティアの惨殺である。

父祖たちは東方へ逃れ……
 前項のAD415年のヒュパティアの惨殺、そして529年のアカデメイア(学園)閉鎖は、古来のユーナーン(ギリシア)文化の終焉を象徴する事件である。が、後者に関しては、解説その五の「彼らがルームの皇帝に逐われてから……」の項で解説したように、ファールス(ペルシア)に亡命した異教徒の哲学者たちはわずか7名で、大した事績も残さずに532年には帰国している。ファールスとルーム(ローマ)との協定により身の安全を保障され、改宗を強いられることもなく平穏に余生を過ごしたようだ。
 前者のヒュパティア殺害は確かに劇的な大事件だが、それでアレクサンドリアの異教やヘレニズム文化が根絶やしにされたというわけでもなく、フェードアウトしていって、いつ途絶えたとも定かでない、というのが正しい。
 解説その五の同項で述べたように、古代・ヘレニズムのユーナーン文化の東方移植の功績は、7名の亡命哲学者たちではなく、ルームで異端とされたメシアス(キリスト)教徒たちのものである。もちろん東方に亡命したユーナーン古来の多神教徒たちは、この7名以外にもいただろうが、ユーナーン文化の東方移植に果たした彼らの役割は見えてこない。
 そしてR・J・フォーブスの『古代の技術史』(浅倉書店)によれば、本作の舞台であるハッラーンを含むシャーム(現シリアを中心とする地域)はヘレニズム時代、キーム(エジプト)と並ぶもう一つのユーナーン錬成術(錬金術)の中心地だった。現存する最古の錬成術文書は、BC1世紀以前のハッラーンで書かれた『アガトダイモーン文書』だとする説もある。
 ハッラーンでは、バビル(バビロニア)とユーナーンの古来の信仰が融合した。この習合がいつ起こったのかは不明だが、ヘレニズム期初期(BC4世紀以降)にまで遡るかもしれない。ルーム(東ローマ)の支配下にあった時代、ここは「ヘレノポリス」すなわち「ユーナーン人の都市」と呼ばれていた。イスカンダル(アレクサンドロス)大王以来、ユーナーンの宗教と文化、そして血統が途絶えることなく保たれてきたのだろう。
 本作のハッラーンにおけるユーナーンの錬成術も、ヒュパティアの死後、あるいはアカデメイア学園閉鎖後に初めて持ち込まれたのではなく、それよりも数百年遡ると思われる。そして錬成術師/神官たちも、200年あるいは300年前の亡命者たちだけではなく、イスカンダル大王以来の入植者たちの血も引いているのだろう。
 しかし彼らは自らを「ルームおよびメシアス教の犠牲者」と位置づけ、受難の歴史をことさらに強調しているのである。

続きます。

目次

|

「ガーヤト・アルハキーム」解説 その十九

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
預言者二本角(ズールカルナイン)
 イスラムの聖典では、「二本角(ズールカルナイン)」なる人物の事績が語られている(第18章)。唯一なる神によって力を与えられた彼は、陽の没する処から陽の昇る処まで世界を巡って信仰を広め、最後に世界の果てに辿り着く。
 そこには二つの峰が聳え立っており、その向こうには野蛮な「ヤージュージュとマージュージュ」の民が住んでいる。この蛮族に苦しめられている人々の嘆願により、二本角は双峰の間に巨大な壁を築き、蛮族を封じ込める。
「ヤージュージュとマージュージュ」とは、旧約聖書の「ゴグとマゴグ」のタージク(アラビア)語形である。イスラムの聖典や伝説には、旧訳・新訳聖書のエピソードやユダヤ・キリスト教の伝説が数多く採り入れられている。「二本角」は聖書はもちろん、ユダヤ・キリスト教の伝説には登場しないが、AD3世紀頃にアレクサンドリアで編纂されたとされる「アレクサンドロス物語」(アレクサンドロス大王の遠征に従軍したカリステネスに帰されている。『アレクサンドロス大王物語』のタイトルで国文社から邦訳あり)の中の、ユダヤ色の強い系統の写本では、大王がゴグとマゴグの侵略を防ぐ壁を山峡に建設している。
 したがって「二本角」の呼称の由来は不明ながら、それがイスカンダル(「アレクサンドロス」のタージク語形)のことであるという認識は、早くからイスラム世界に広がっていた。この認識が「定説」となる経緯は省略するが、聖典において「神から力を授けられた信仰の戦士」という位置づけであるため、二本角=イスカンダル=預言者、という図式も早い時期から成立していた。
 イスカンダルは異教徒だったはず、と反論する識者もいるにはいたが、大半の人はそういう細かいことは気にしなかったのである。
 以上は、本作が掲載されている『ナイトランド・クォータリー』vol.18の特集、国立民族学博物館の特別展示「驚異と怪異――想像界のいきものたち」を企画された山中由里子氏の『アレクサンドロス変相』(名古屋大学出版会)に拠る。同誌のブックガイドで紹介されているので、ぜひ御参照されたい。

位取りと零の概念
 零の記号と位取り方式による数字が記されたシンド(インド)最古の文献は、AD9世紀のものである。しかしこれは現在のシンド国内に限った話であり、シンド文化圏全体で見れば、パキスタンで発見された4‐5世紀のものと思われるサンスクリット語文献まで遡ることができる(ジョージ・G・ジョーゼフ『非ヨーロッパ起源の数学』講談社)。つまり成立は、さらに早い。

およそ三百年前
 シンド(インド)数学(位取りと零、そして計算術)についての、シンドより西における最も早い記録はAD7世紀のシリア系キリスト教徒によるものだが、もちろん伝播はもっと早かったはずだ。
 AD5世紀のアレクサンドリアはシンドとの交易が活発で、多くのシンド商人が訪れていた。このことから、K・メニンガーは『図説 数の文化史』(八坂書房)の中で、この時代のアレクサンドリアにシンド数学が伝わった可能性を指摘している。

計算術
 要するに筆算。小学校で習うあれの基礎となったものである。位取りと零の概念があって初めて可能になるものであり、本作の時代(AD8世紀半ば)の中東においては、紛れもなく特殊技能であった。
 参考:三村太郎『天文学の誕生』(岩波書店)

 続きます。

目次

|

「ガーヤト・アルハキーム」解説 その十八

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
上段18行
あらゆる事物事象はエネルゴンから……
 現実において、あらゆる物質がエネルギーに変換できるように、本作の世界でもあらゆる物質はエネルゴンに変換できる。ただし現実の物理と比較して、変換は非常に容易である。
 とはいえ、p.59の「防護霊」のように、ごく短時間「発現」(個別のまとまった形で出現すること)させるのはかなり容易であるものの、作中で言明されているように、出力の調整は困難だし、長時間安定した出力を保つのはさらに至難の業である。
「エネルゴン」と現実の物理学における「エネルギー」とのもう一つの違いは、生命現象も、ニューロン・ネットワークから生み出される思考や感情、さらには精神そのものも、エネルゴンから構成されている、つまりエネルゴンに変換できるということである。

数学という普遍の言語
 この世界における数学は、数秘術的な側面も多分に有している。つまり各数字が意味を持っている、それぞれ何かを表している、ということである。
 数字に意味がある(何かを象徴している)という考えは非科学的だが、それでも数秘術は数学の知識と正確な計算を必要とする。本作p.59で登場した「魔方陣」が、その好例である。また、この魔方陣が描かれた護符の裏側に描かれた六芒星も、コンパスや定規を使って正確に作図されたものである。
 これが「魔術」であれば、魔方陣ではなく呪文、六芒星その他の記号の作図はフリーハンド、ということになる。
 各数字が表わす(象徴する)ものは、おそらく文化によって異なる。詳しくは後述。

錬成
 物質を構成するのがエネルゴンである以上、その構成を変えれば物質の変成が可能である。再現性の概念を持たない「魔術」による物質変成は、ほとんど偶然に近い。
「錬成」という語については次々項を参照されたい。

黒土の国(キーム)
 古代エジプト人は自らの国土を「ケメト」すなわち「黒土/黒い大地」と呼んだ。エジプトのユーナーン(ギリシア)錬成術(錬金術)の最盛期であったAD4世紀のエジプト語であったコプト語では「ケーメ」という。
 タージク(アラビア)語にはe音がないので、「キーム」となる。本作では、同じ単語が言語によって発音が多少変わる場合、煩雑さを避ける便宜上、表記をなるべく統一している。

黒土の国の術(キミア)
 ヘレニズム期のユーナーン(ギリシア)人が錬成術(錬金術)のことをなんと呼んだのかは、資料によって「ケメイア」「ケミア」「キミア」「キュメイア」等、表記がばらばらである。ギリシア文字のラテン文字への置換、そのカタカナ表記に伴う問題であろうが、原典史料のスペリングも統一されていないのだろう。本作ではタージク(アラビア)語の「アルキーミヤー」に近い「キミア」を選択。
「キミア(錬成術)」という語がエジプトの古名である「キーム」に由来する、というのは、多くの研究者によって否定されているが、現在でも通説と言っていいほど流布している。この説は、古くはAD1世紀のプルタルコスにまで遡るそうだ。
 1965年に書かれたアシモフの『化学の歴史』は、この「黒土の国の術」説を紹介した後、「現在、いくぶん支持者の多い第二の説」として、「植物の汁」を意味するユーナーン(ギリシア)語「クモス」語源説を紹介している。こっちのほうが「黒土の国の術」説より、さらにこじつけめいてると思うんだが、それはさておき、この『化学の歴史』の邦訳は河出書房(「新社」ではない)から出ていて、私が読んだのは1977年の「新装版」で(新装でない旧版の出版年は記載がなかった)、河出書房側によるアシモフの紹介が、小説家であることに一言も触れていなくて、1977年にもなってこの有様とは、当時はSFもミステリも地位が低かったんだなあと、むしろ感心したものである。
 話を戻すと、私自身は「キミア」の語源としては、AD4世紀初頭のゾシモスの錬成術理論と、3世紀の金属加工(金や銀の模造など)術とに明白な関連を見出せることから、金属の鋳造を意味するユーナーン語(これも資料によってラテン文字およびカタカナの表記がさまざま)から派生したという説が最も妥当であると思う。このことから、本作では「錬成」という語を使うのである。
 参考:R・J・フォーブス『古代の技術史』浅倉書店、ローレンス・M・プリンチーペ『錬金術の秘密』勁草書房
 しかしエジプトにルーツを持つ中世のユーナーン人錬成術師たちが信じていたのは、「黒土の国の術」説であろう。

 続きます。

目次

|

「ガーヤト・アルハキーム」解説 その十七

ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
上段17行
数量化された魔術
 古来、ユーナーン(ギリシア)では実学が軽んじられ、学者は机上の空論を弄ぶばかりで、実験、実証、実用を怠ってきた。ヘレニズム時代、ユーナーン本国を遠く離れたアレクサンドリアでは、ユーナーン人たちによって実験・実証を伴う数学、機械工学、そして錬成術(錬金術)が花開いた。
 しかしそれらの学術も、ルーム(ローマ)帝国の衰退に伴い、空論に堕した。化学(ケミカル)の原型と呼ぶに相応しかった錬金術(ケメイア)も例外ではなかった。魔術的・哲学的錬金術が再び科学的錬成術に回帰するのは、イスラムに継承されてからである。
 とはいえイスラムの錬金術(アルキーミヤー)も、多かれ少なかれ魔術的・哲学的であることは免れ得なかった。その程度は錬金術師個人の資質に負うところが大きく、本作の登場人物であるジャービル(AD720頃‐805頃)は、(本人の作である可能性の高い文献を見る限りでは)科学的であると同時に哲学的・魔術的でもあった。ジャービルに次ぐ著名な錬金術師であり、西洋ではラーゼスの名で知られるラーズィー(AD865-925)は、錬金術から魔術的・哲学的要素を排したが、その後のイスラム科学全体の衰退により、アルキーミヤーはついにケミカルになることはできなかった。なお、現代タージク(アラビア」語で「化学」は「アルキーミヤー」である。
 十字軍とモンゴル襲来を経たAD14世紀、イスラムの知の精髄あるいは最後にして最大の輝きとも言えるイブン・ハルドゥーンは錬金術について、次のように述べている。
「錬金術が魔術に付随したものであるのは、ある特定の物体をある形相から他の形相へ帰るに際し、実際的な技術によるものではなく、心霊力を用いるからである。したがって、錬金術は一種の魔術であると言えるのである」(『歴史序説』第6章 岩波書店)
 科学と魔術を分けるものは、数量化である。本作の原点となるのは「イスラム世界でスチームパンク」というアイデアであり、さらに遡れば『屍者たちの帝国』(河出書房新社)所収の拙作「神の御名は黙して唱えよ」である。あれは『屍者の帝国』の「屍者」とその技術をイスラムに結び付けることには成功していると自負しているが、スチームパンク的要素が薄かったのが惜しまれる。いや、50枚の短篇だからあまり詰め込み過ぎてもあれだし、あれはあれでいいんですが、もう少し枚数があればスチームパンク的要素ももっと前面に出せたのに、とちょっと引っ掛かっていたのですよ。
 その「ほんのちょっとの引っ掛かり」が、去年の秋頃、「イスラムでスチームパンク」のアイデアとなったものの、それ以上の具体化にはなかなか至らなかった。
「スチームパンク」といっても、いわゆる「ネオ・スチームパンク」で、ヴィクトリア朝でないのはもちろん、蒸気機関にも限定されない。まあ蒸気機関自体はアレクサンドリアのヘロン(AD3世紀?)が発明していて、イスラムはヘレニズム科学を継承しているから問題ないんだが。
 ヘレニズム科学を発展させたイスラム科学は、「(ネオ)スチームパンク」の第一条件である「現実とは異なる方向に発展した科学」を充分満たすことができる。特に錬金術と、『千夜一夜』の多くの物語で重要なガジェットとなっている自動機械の数々は、強い独自性がある。
 史実よりも科学を発展させる駆動力として、「より科学的な錬金術」は最初から念頭にあった。「錬金」だけが目的ではない、化学の原型としての「錬成術」。しかし、それだけでは史実よりも科学を発展させる駆動力たり得ない。「イスラム/中東的スチームパンク」の最重要ガジェットである自動機械を動かす動力が必要だ。
 すでに解説したように、中世の中東では錬金術師によって石油が精製され、限定されたかたちとはいえ実用化されていた。それに何しろ中東だし、ということで「石油(ナフサ)パンク」というのも考えたが、「燃料が石油」というだけでは、あまりにもおもしろみがない。普通すぎる。
 ……というところで行き詰まってしまったので、そのまま放置していた。行き詰まったアイデアは放置しておくと、ある日突然、あっさりと打開案が降って湧くものである。
 本作の場合は、『ナイトランド・クォータリー』のお話をいただいた時だった。『NLQ』は「ホラー&ダーク・ファンタジー専門誌」である。つまり、厳密な定義におけるSFでなくてもい
いのだ。
 何をもってSFの「厳密な定義」とするかは人それぞれであろうが、少なくともこの時の私は、「魔法」を出してもいいんだ、と解釈した。
 かくなる次第で、「史実よりも進んだ科学」の動力源として、「魔法」を採用することにした。「より科学的な錬金術」である「錬成術」は、この「魔法」をも数量化して扱うのである。数量化せずに「感性」だけで扱うのが「魔術」である。「魔法」が存在するスチームパンクだから、サブジャンルとしては「マジック・パンク」ということになるようだ。
 では本作における魔法は、単に「史実よりも科学を発展させる動力」として都合がよかったからというだけで採用されたのか、というと、もちろんそんなことはない。それについては、また後ほど。
 1項目だけですが、長くなったので今回はここまで。また明日お目に掛かりましょう。
 
目次

|

「ガーヤト・アルハキーム」解説 その十六

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次 

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.61
下段20行
エネルゴン
「活力/動力」、いわゆる「エネルギー」を表わす語。しかし語源であるユーナーン(ギリシア)語の「エネルゲイア」は、アリストテレス(BC384-BC322)以来の哲学用語で、その意味するところは「活力」「動力」といったものとはかなり異なる(専門外もいいとこなので、解説は省かせていただきます)。
 しかし「エネルゲイア」のさらなる原型は、接頭辞εν-(en-)+εργον(ergon)「仕事」でενεργον(energon)「仕事をするもの」であり、「エネルギー」の概念に近い。なお現代ユーナーン語ではενεργεια(energeia)は「エネルギー」の意味で使われている。
 また後述するように、錬成術(錬金術)は哲学者によって見下されていた。錬成術が新興の学問・技術だった時代(AD2世紀?)には、なおさらだっただろう。その錬成術の用語として、哲学用語として確立されて久しい「エネルゲイア」を採用したりしたら、哲学者たちの反感を買うのは避けられない。
 以上2つの理由から、「エネルゴン」が採用された、という設定。エネルゴンそのものについての解説は後ほど。

メシアス教
 キリスト教のこと。タージク(アラビア)語では「マシーヒア」といい、「マシーフ教」の意。
「マシーフ」は「(油を)注がれた者」、すなわち「救世主」で、ヘブライ語の「マシアハ」と同じ。しかしマシーフでもマシアハでもなんのことか解らないので、そのユーナーン(ギリシア)語形「メシアス」を採用。日本語の「メシア」はこの「メシアス」から。
 作中、「救世主」に「メシアス」とルビを振った形の表記もある。イスラムにおける救世主論については後述。
 ファールス(ペルシア)やメソポタミア、タージク(アラビア)半島に広まっていたメシアス(キリスト)教はネストリウス派など、ルーム(ローマ)によって異端とされた諸派である。以前に解説したように、古代およびヘレニズムのユーナーン文化が中東に継承されたのは、彼らに負うところが大きい。
 異教として迫害されたユーナーンの多神教徒たちが、同じく迫害された者同士であっても、メシアス教徒というだけで信用できないのは致し方ないと言えるが、何かにつけて見下すのは傲慢というものである。

p.62
承知した
 神殿のユーナーン(ギリシア)人たちが、ルーム(ローマ)人と言われるのを嫌うことや(p.59)、女性の地位が高いこと(p.60)などと同様、彼らの傲慢さについても予めジャービルから説明されていたのだろう。

 次回が長くなる予定なので、今回はここまで。

目次

|

«「ガーヤト・アルハキーム」解説 その十五