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風とライオン

 1975年の米映画。映像は美しいしショーン・コネリーはかっこいいが、二十世紀初頭の米国の行動原理として描かれているのが、二十一世紀初頭現在の米国の行動原理とまったく同じなので、非常に微妙な心境になる。制作者たちに批判の意図があったようには思えないが、かといってベトナム戦争の泥沼を体験した直後の米国でこれでは、あまりに単純で無邪気すぎる。

 タイトルと内容の関係もなあ。「風」の比喩は作中で幾度か出るが、その割りにルーズベルト大統領は米国を熊に喩えている。一方、「ライオン」の比喩は最後の最後にようやく出てきて、いささか唐突な印象を受ける。作中に実際に登場するライオンは、ショーン・コネリーの敵である暗愚なスルタンへの献上物として檻に入れられた、しかもまだたてがみも生え揃ってない可愛らしい奴だし。

 キャラクター同士の掛け合いとか、散りばめられた小ネタとか、作品の質自体は悪くないのに、素直に楽しめなくて残念。ところで、ルーズベルトが熊好きなのは、やっぱり「テディ」だからだろうか。

 以下、ネタバレ。

 現在の状況への風刺であるはずがないのだが、どうもそういう見方をしてしまうというか、できてしまうというか。ルーズベルト大統領はカウボーイ気取りで、イスラムの族長に「米国人の女子供」が誘拐されると、「被害者の死か、加害者の死か」と強硬姿勢で臨む。米軍は大統領の意志を勝手に汲んで「世界大戦」に繋がりかねない軍事行動を勝手に起こし、大統領はそれを事後承認する。しかし被害者を無傷で返還に来た族長がドイツの罠に嵌まって捕らえられると、米軍の部隊は現場の判断で一応の味方であるはずのドイツ軍と戦闘して族長を取り戻す。最後には、米軍がモロッコから欧州列強の軍隊を追い払いつつある、という報告を大統領が受ける、という落ち。いやほんとに、ものすごい皮肉だなあ。

 そういう正しくない見方をすると、大変興味深い作品でありましたよ。

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