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ラストキング・オブ・スコットランド

 物語の舞台が鑑賞者(読者或いは観客)に馴染みがない世界である場合、「ガイド役」がいると便利である。その世界に関する知識が乏しい人物を放り込んで、「これはなんだ? あれは誰だ? どういう状況だ?」と周囲に質問させれば、作者は世界設定の説明を無理なく行えるというだけではない。想定される鑑賞者にできるだけ近い社会に属する人物であれば、鑑賞者は感情移入することで物語にスムーズに入り込めるのだ。というわけで舞台が過去や未来、或いは異世界だったりする場合、ガイド役はなんらかの手段によって移動してきた現代人が務めることになる。同じ世界の出身者が務めることもあるが、そういう場合は記憶喪失だったり極端に無知だったりする。

 現代やごく近い過去が舞台であっても、ガイド役が必要とされることもある。想定される鑑賞者には馴染みのない社会が舞台の場合だ。残念ながら、私たちは1970年代のウガンダという世界に対し、「白人青年」というガイド役を必要とする。

 以下、ネタバレがありますよ。

「文明人が野蛮に満ちた後進国に行って、無知と半端な正義感から散々周囲に災厄を引き起こすが、本人は大した損害も受けず(いろいろ怖い思いはするが)、のうのうと脱出する、しかも大概は現地人の自己犠牲によって」という類型を、この作品も踏襲していると言える。ただしガイド役となる白人青年の無知と無責任を際立たせているあたり、制作者側はこの問題に自覚的なのだろうと思う。中盤くらいまではともかくそれ以降はあまりにも無責任な彼に、観てるほうは感情移入するというより、アミン大統領の台詞じゃないが「おまえは一体何しに来たんだ」と言いたくなるし。最後にだいぶ痛い目に遭うが、その頃にはほとんどの観客が「当然の報いだ」という気分になってるんじゃなかろうか。

 しかし彼は、従来の「ガイド役」(鑑賞者が感情移入できるよう、鑑賞者の分身として設定される)よりも、実のところ遥かに私たちに近いのだろう。私を含め現代の日本人の多くが彼と同じ状況に置かれたら、少なくとも行動原理は彼と似たものになってしまうのではないだろうか。

 お約束どおり、白人青年は現地人の無償の自己犠牲によって脱出する。青年の同僚の医師だが、決して仲がよかったわけではない彼は、なぜ助けてくれるのか、という問いに対し、「自分でも解らない」と答える。この妙に投げやりな展開には、制作者の意図を憶測する余地があるなあ。ただし、この医師が言うとおり「『真実』は白人が訴えなければ、世界(白人を中心とする世界)は耳を傾けてくれない」のは事実である。

 長々と述べたが、観に行った目的は馬鹿な白人が酷い目に遭うところじゃなくて、フォレスト・ウィテカーの演技である。彼の出演作で観たことがあるのは、憶えている限りでは『スモーク』『ゴーストドッグ』『フォーンブース』『パニックルーム』。なんかいつ観ても「苦境に立たされて困った顔をしてるおっさん」であった。巨体にかかわらず胃弱っぽい。出産以来無敵のジョディ・フォスターに敵うわけないじゃん、勝負は最初から見えてるよ、みたいな。いつも同じような役ばかりの俳優は好きではない。なので、そういう役者がいつもと違う役を、しかも嬉しそうに演じてたりするとそれだけで評価が上がる。『レディ・キラーズ』のトム・ハンクスとか。「いつも困っているおっさん」が、「狂気の独裁者」をどのように演じるか興味があったのだ。

 実在の「狂気の独裁者」が演じられる場合、だいたいが単にヒステリックなだけだったり、内面へのアプローチとか称して、うじうじしてるだけだったりで、「こんなののどこにカリスマがあるんだ」と言いたくなるのが多い。そうなる可能性も危惧してたのだが、杞憂で終わった。「狂気の独裁者」が怖いのは、それが人を惹き付ける魅力を持ってるからだよね。いや、とにかくフォレスト・ウィテカーが楽しそうなので、私も楽しかったです。

 殺されたのは30万人とも50万人とも言われるが、映画の中での直接的な死はむしろ少ない。それがために却って残虐さを突きつけることに成功している。少なくとも一緒に観た父と妹Ⅱ(二人いるうちの下のほう)には、非常に効いていた。劇場から出た時には妹Ⅱは真っ青でほとんど口も利けない有様だったし、父まで心なしか顔色が悪かった。えらいすんません、と謝る私に父は「いい。知ってたわけじゃないんだろ」

 いや、知ってはいなかったけど、予想はしてました。でもって、父と妹Ⅱも当然ある程度は予想してるもんだと思ってました。えらいすんません。

 こうした仕打ちにもかかわらず、このあと二人は新刊刊行の前祝をしてくれました。でも初めて入った店が、よさそうな見かけに反して高いし(一品あたりの値段は普通なのだが、量がやたらと少ない)、その割りに味は大したことないし、料理が出てくるのが遅かった。すぐに出て、近所のスーパーで酒と刺身を買って家で仕切り直しました。

 というようなことを書くと、まるで家族仲が良いかのようですが、普段は会話らしい会話もありません。仕切り直しでも、父と妹Ⅱは日曜洋画劇場『コラテラル・ダメージ』を観ながら、私は『ラストキング――』のパンフレットを読みながら、黙々と飲んでましたよ。

 

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