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不幸な出来事

 塩澤編集長から最初の連絡があって『グアルディア』が刊行されるまで、半年近くあったわけだが(その間何をしていたのかと言うと、ひたすら加筆修正である)、いよいよ刊行目前、もう見本も届いているという時点でも、私はそのことを家族にしか告げていなかった(しかも家族全員にではない)。理由の一つは、要するに本当に本が出るということが信じられなかったのである。早川書房を信用していなかったとかそういうんではなくて、ただこの幸運が信じられなくて、なんとなく口にするのも躊躇われたのであった。

 そんな折、学生時代の友人から偶然に電話があった。彼女は同じ史学科東洋史専攻で、趣味はまったく合わなかったのだがなぜか大層気が合った。当時から私は小説家志望だったが、小説を書けないのでその夢を他人に話したことがほとんどなかった。彼女は、その少ない相手の一人である。卒業してからも付き合いは続いていたが次第に疎遠になり、もう5年ほど完全に連絡は途絶えていた。卒業後、OL→主婦の彼女と、大学院→フリーターの私とでは、致し方ない結果ではあった。連絡の絶えたきっかけも、彼女の妊娠だったしな。その後、彼女は離婚して子供を連れて実家に戻り、さらに一年経ってようやく落ち着いたところで私のことを思い出し、わざわざ私の実家に連絡してくれたのだった。懐かしさも手伝ってすっかり嬉しくなった私は、小説家デビューのことを彼女に告げた。彼女は私の夢をちゃんと憶えていてくれて、本が欲しいと言った。「分厚いし、一般受けするようなんちゃうで。きみ、SF読まんやろ」と断ったが、それでも欲しいと言う。まあ現物は見せたいしな、ということで刊行から一週間後くらいの9月初め、持参していったのであった。そして改めて、貰ってくれるという彼女を謝絶した。

「お薦めの本(またはDVDとか)を貸す」というのは、不穏な行為である。下手をしたら人間関係に罅が入る危険すらある。そして彼女はSFどころか、書籍全般をまったく読まない人であった。子供の頃、クリスマスプレゼントに童話を貰って、失望と嫌悪のあまり泣いて拒否したという逸話の持ち主だ。そんな彼女がなぜ東洋史なんかを専攻したのかというと、「自分の知らない分野だから、ものは試しに」だったそうな。たぶん、東洋史がアホほど文献(それも漢文とか中国語とか)を読む必要があるということも知らなかったのであろう。2回生の時点ですでに「やっぱり私には合わない。早く卒業したい」と言っていた(それでもちゃんと課題をこなして卒論も提出したのだから、むしろ大したものかもしれない)。再会した彼女は、その文芸全般への無関心にますます拍車が掛かっており、いくらなんでもこれは知っているだろうと挙げた「セカチュー」ですら知らなかった(映画化とTVドラマ化の直後である)。

 再会自体は大過なく楽しく終わったが、その後彼女からの連絡はなかった。ま、そんなもんだろう、と3ヵ月後に電話してみると、「ごめんな、本まだ途中までしか読んでへんねん」。「うん、そんなことやろと思てたよ」と私は答えた。「ごめんな」「ええって、無理せんでも。それよりこないだも言うたけど(言ったのである)、職場でもどこでもSFとか好きそうな人がおったら、その本あげてや。そういう人がおらんかったら、図書館に寄贈するか古本屋に売るかして」「えーっ、そんなことでけへんよ」「お願いやから、そうして」

 彼女は困惑しているようだったが、ややあって気を取り直すように言った「本、映画化するといいなあ」。「いや、しないから」映像化不可能という誉め言葉を、彼女は想像したこともないんだろうなあ、と思っている私に、さらに追い討ちが掛かる「でも、映画化するとなると、南米が舞台だからロケとか大変やろな」。そうか……アニメ化とかCG使うとかそういう発想すらないのか。『グアルディア』実写化、キャストはオール日本人……?

 痛い。すっげー痛い。何かもう、断末魔の叫びを上げて床をゴロゴロ転げ回ってしまいそうな痛さである。何より痛いのは、彼女が私が喜ぶものと思って言っていることだ。やめてー、もうやめてー、ゆるしてー。そもそも、こういうことを言われたくないから、デビューの話を周囲にしていなかったのである。それでも彼女にだったら多少痛いことを言われても耐えられる、と思ったのだった。しかしその痛さは、予想を遥かに超えていた。

「ほな、読み終わったら連絡するな」と彼女は言った。それきり、連絡はない。そういうわけで未だに私は、必要だと判断した時以外、自分の職業を人に告げないのである。

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