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キラキラ、ギラギラ

 発売中のSFマガジン6月号のエッセイの中で使っている「キラキラ、ギラギラ」というフレーズは、大原まり子氏の同じく未来史シリーズ『未来視たち』の後書きから引用させていただきました。私にとっての「SFなるもの」は、「キラキラ、ギラギラしたもの」です。「キラキラ」だけじゃ駄目なんだよな。「ギラギラ」もしてないと。

 そんなふうに私の中で「SFなるもの」のイメージは非常に明確なのに、そのイメージに沿って書いたものは「キラキラ」も「ギラギラ」もしてません。なんでやねん。敢えて言うなら、「ぬめぬめ」とか「ぬらぬら」とか……(しかも平仮名かよ)。脳標本を見て喜んでる奴には、どだい無理なのか。いや、そもそも『一人で歩いていった猫』を初めて読んだ時からして、下顎を吹っ飛ばされて死体と化した「猫」が再生するシーンで、「おおっ」と思ったもんな(12歳だったのに……)。

 私の実家は信州の山奥で、市街地まで徒歩20分は掛かります。車がないと、どこへもい行けない。当時は毎週土曜夕方、家族全員で図書館とスーパーへ行く習慣でした。『一人で歩いていった猫』を閲覧席で読み始め、猫が流刑囚として地球送りになることを告げられたあたりで閉館時間。両親に急かされながら、ほかの図書と一緒に借り、乗車すると直ちに取り出して開いた頁が偶々、例の再生シーンだったのですよ。おおっ、と思ったところで車が動き出したので渋々本を閉じ(乗り物酔いするので)、スーパーに着いてから寒い車内に残って続きを読んだのでした。

 作品世界を代表するガジェットとしてエッセイに挙げたのが、タイトルロールの「天使猫」なのはいいとして、もう一つが「破壊されたアディアプトロン人」ってのが、露骨に趣味が出てます。あれは表題作「一人で歩いていった猫」の該当シーンそのままではなくて、『SFマガジン・セレクション1981』所収の「ほうけ頭」に登場するアディアプトロン人のイメージも重ねてあります。『グアルディア』の原型となるプロット群が、当初から連作構想だったのは、間違いなく「未来史シリーズ」の影響ですね。あと、『火の鳥』と『ナルニア』。

 話は変わりますが、『SFマガジン・セレクション1981』はどの作品もおもしろかった。手許にないので、記憶と検索データだけで書きますが、特に亀和田武氏の「夢みるポケット・トランジスタ」のお蔭で、現在に至るまで私は「たとえ現実と思っているものがまやかしだったとしても、そのまやかしのほうが現実よりもマシであるなら、まやかしに留まることを選ぶほうが『リアル』だ」と考えるようになったのでした。現実にそこまでの価値はない、と。作者の意図がどうだったのかは判りませんが。

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