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メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

 カテゴリー「思い出し鑑賞記」は、鑑賞が数ヵ月以上前になるものについての記事です。書くのにあたって再鑑賞はしていないので、記憶違いがあるかもしれません。御了承ください。しばらくは、『ラ・イストリア』で参考になったような気がする作品を挙げていきます。

 というわけで、『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』。いかにもマジック・リアリズム的なタイトルを映画雑誌で目にして以来、ずっと公開を楽しみにしていた。もちろん、映画館で観ましたよ。

 中南米、ことにメキシコ人にとってアメリカ合衆国は、憧れとコンプレックスと脅威が入り混じった存在だ。戦後から高度成長期にかけての日本人の心性に近いんじゃなかろうか。当然ながら、メキシコ人にとっては遥かに肉薄した問題であるわけだが。物語は、三人の男を中心に展開する。テキサスのカウボーイであるピート、その親友で不法越境者のメルキアデス・エストラーダ、そしてメルキアデスを射殺した国境警備隊員のマイク。マイクは高校時代はフットボールのスター選手で、今はただの人。異文化に無関心で国境の外はすべて「周辺」だと思っている、典型的なアメリカ人だ。ピートは国境地帯に根を下ろし、スペイン語も話せるが、自らの法に従って生きており、マイクとは違った意味で典型的な(或いは伝統的な)アメリカ人である。

 興味深いのは、脚本がメキシコ出身のギジェルモ・アリアガ(『バベル』の人)であることだ。つまりマイクとピートというキャラクターは、「外の人間から見た典型的アメリカ人」なのである。俳優たちも、おそらくそのことを意識して演じている。ちなみにバリー・ペッパー(マイク役)はカナダ出身、トミー・リー・ジョーンズはテキサス出身でハーヴァード大卒(これが初監督作になる)。この二人のキャラクターに対し、フリオ・セサール・セディージョ演じるメルキアデスは冒頭すでに死体となっており、回想シーンに登場するだけである。ピートとルー・アン(マイクの妻)という彼に好意的な者たちによる回想だということもあって、メルキアデスはありえないくらい純朴な人物として描かれている。あたかも「文明人」にとっての理想化された「第三世界人」といったところで、脚本家の意図に疑念を抱くが、終盤、メルキアデスの「故郷」ヒメネス、「胸が痛くなるほど美しい場所」で、それまで作り上げられてきた彼のイメージは一変する。そして最後の最後にそのイメージは再び変貌し、メルキアデスというキャラクター、および作品そのものが現実と幻想の入り混じった美しい場所へと飛翔する。

 死体とともにメキシコ国境の荒野を旅する男、というモチーフは『ガルシアの首』を思わせる。作品の雰囲気も似ている。とはいえ『ガルシアの首』の殺伐とした陰鬱さに対し、『3度の埋葬』の旅はどことなくユーモアが漂う。死と結び付けられたユーモア、という点でも実にメキシコ的な作品だ。

 メキシコでは不法越境者を「ポーリョ」(若鶏)、その仲介業者を「ポリェーロ」(養鶏業者)と呼ぶという。『ラ・イストリア』では、北米からメキシコへと大量の不法越境者(その多くは20世紀のメキシコ移民の子孫)が押し寄せるが、彼らはメキシコ人たちから「プエルコ」(豚)、仲介業者は「ポルケーロ」(豚飼い)と呼ばれる。スペイン語圏では豚は最も忌み嫌われる動物で、人を豚呼ばわりするのは非常に強い侮辱になるんだそうな。ただし豚肉は好んで食べられてます。

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