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バベル

 言葉が通じないことから起こる悲劇、では全然ない。コミュニケーション不全の物語、といえるのも日本のパートだけである。バベルの塔の神話は「愚行の結果、人々は互いに言葉が通じなくなり、世界は争いに満ちた」というものであり、その塔の名を冠した作品の軸となっているのは「言葉」ではなく「愚行」のほうだ。登場人物の一人の台詞「私は悪人じゃない。愚かなことをしただけ」が、すべてを象徴している。現実に於けるさまざまな軋轢――近所付き合いから国際問題まで――も、悪意よりも愚かさが原因であることが遥かに多いのではないだろうか。

 モロッコのキャストたちが、映画を観たこともない素人とは思えないほど素晴らしかった。そういう素人役者たちに、ブラッド・ピットもケイト・ブランシェットも抑えた演技で自然に溶け込んでいる。ブランシェットならそういう演技ができて当然だけど、ブラピまでできるとは……いや、なんでもありません。それにしても欧米人というのは、人生やら結婚生活やらに行き詰ると、決まって北アフリカに行くなあ。「なぜここに来たの」というブランシェットの問いに、ピットが「二人きりになるために」と答え、「二人きり?」と観光客や地元民に溢れた周囲を見回したブランシェットが苦笑するシーンがある。ところでモロッコの警察って、とことん国民に信頼されてないんですね。

『グアルディア』と『ラ・イストリア』の自主販促キャンペーン中だからというわけじゃないんだが、メキシコ人俳優ガエル・ガルシア出演作連投。今回は出番少ないけど。それほど印象的な役ではないが、続けて観ただけに演技の幅が広いのには感心させられる。まるきりメキシコのちんぴら兄ちゃんにしか見えなかったよ。ところで彼を職務質問した国境警備員が、しきりと「ディエゴ」と言っているように聞こえた。「いいから言うとおりにするんだ、ディエゴ」「飲んでるのか、ディエゴ」「車を移動させろ、ディエゴ」てな感じで。ガエルの役名はディエゴではない。これはDiego=Dago、すなわちヒスパニック系に対する蔑称だったんじゃないかと思うんだが。だとすればこの警備員は、ごくあっさりした事務的な態度で蔑称を連発していたことになる。露骨に威圧的で侮蔑的な態度を取られるより、相手は却って屈辱を感じるのではないだろうか。字幕からわかるのは、やや猜疑的な態度だということくらいだから、ガエルが単に切れやすい奴にしか見えない。

 子供の視点から見たメキシコの結婚式の情景は、たいそう魅力的。例の旅行で泊まったグアナファトのホテルでも、地元のカップルが結婚式を挙げてました。建物の一部にかつてのアシエンダ領主の屋敷が使われている趣のあるホテルなので、そういう催しには相応しいのでしょう。マリアッチのオルケスタを呼んで(ホテルに入っていくところを偶々見かけたけど、ほんとに銀の刺繍入りの伝統的な黒いスーツに大きなソンブレロという出で立ちだった)、夜中の2時まで騒いでましたよ。

 日本のパートは、一番解りやすくコミュニケーションの問題の物語。その趣旨で、すでにたくさんの人が感想を述べているでしょう。菊池凛子、ちゃんと高校生に見えたけど、26歳で女子高生役って、キャリーですか。監督がメキシコ人だからなのか、日本に対するバイアスは弱かったように思う。チエコの家のインテリアが仏像や書画なのは御愛嬌。

 日本のメディアが監督をイニャリトゥと呼ぶのは、スペイン系人名に無知だからなのか監督自身がそう希望したのかどっちなんだろ。ガエル・ガルシア・ベルナルは、ガエル・ベルナルとは呼んでないのにな。ゴンサレスのほうが呼び易いし憶え易いと思うぞ。

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