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ココシリ

「雄大な自然」などと悠長なことを言ってる場合じゃない、とにかく過酷な世界。

 監督は中国人で、観客のための「案内役」として北京から来たジャーナリスト(父親がチベット族でチベット語は話せるが、チベットの習慣には詳しくない)を用意しているが、序盤を過ぎてからはチベット人たちの視点に徹する。パトロール隊員たちは、無給で働くヴォランティアである。この場合、「義勇兵」という語義に相応しく、彼らの仕事は命懸けである。密猟者たちとの「戦い」は、比喩ではなく文字どおりの戦闘行為だ。撃ち合い自体がなくても、追跡途中で自然の猛威によって命を落とすこともしばしばである。隊長は元軍人だが、隊員たちは元タクシー運転手とか学生とか、要するに素人の集まりである。

 彼らはひたすら寡黙だ。作品で観る限りは、チベットの人々は「喜」と「楽」の感情表現は日本人や中国人に比べて豊かだが、「怒」と「哀」はむしろ抑制するようだ。そして「喜」と「楽」もボディランゲージや歌で表現し、言葉で語ることは少ない。

 チベットカモシカが乱獲されても、彼らは(少なくとも直接には)別に困らない。しかし命懸けでそれを阻止しようとする。その理由について、彼らは何も語らない。自然保護だとか郷土愛といった大層なお題目は一切唱えないのである。もし欧米人の監督が同じテーマの作品を撮ったら、隊員たちに自発的もしくはジャーナリストの質問に答えるかたちであれこれ語らせただろう(日本人でもやりかねない)。密猟の実態や隊員たちの苦境の原因はそのまま中国政府の失策だから、ルー・チューアン監督は当局に睨まれるのを恐れたという可能性もあるが、裏の事情はどうでもいい。どのみち間接的な批判は、充分に機能している。また環境保護を訴えるドキュメンタリーの類にありがちな、自然の美しさや野生動物の愛らしさのアピールも省かれているため、一層ストイックに仕上がっている。ま、余計なことを語らない男ってかっこいいよね。とはいえ、ここまで何も喋らない(弁解すらしない)のも、家族や恋人はしんどいやろな。

 切実さという点では、密猟者たちのほうがパトロール隊員より遥かに上である。彼らの多くは、食っていく術がほかにないのだ。三人の息子とともに常習的に密猟に協力している老人は、ジャーナリストの質問に「元は遊牧をしていたが、牧草地が砂漠になってしまった」と答える。これも、突き詰めて言えば政府の失策だ。そういう困窮したチベット族を使って密猟を行う親玉リータイ(漢族か?)は悪人だが、毛皮を買う者がいるから密猟が成り立つのだ。

 高度4700mに暮らすチベット族が次々と脱落するような追跡行に、果たしてジャーナリストが最後までついていけるものなんだろうかという些細な疑問はあるものの、とにかくひたすらストイックでハードボイルドな映画なのでした。

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