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恋愛睡眠のすすめ

『エターナル・サンシャイン』は、この監督にしては「普通」だったんだなあ。

 シャルロット・ゲンズブール出演作は初めて。可愛いんだけど、もうちょっと若かったらな、と思いました。ガエル・ガルシアは美青年役よりもこういうほうがいい。美青年役が似合わんとかそういうわけじゃないけど。夢と現実の区別がつかない、という点についてはとりあえず措いといて、異性との付き合い方がわからず、好きな女性が相手でも悪気はないのに無礼な言葉を口走ってしまう成人男性を巧く演じ、且つ大変可愛らしい。レビューを見ても、「可愛い」という評価は定まっているようだ。別の俳優によって演じられていたら、たぶんあんまり可愛くなかったんじゃないかな。で、実際に身近にこういう男がいたら、大概の女の評価は「きもい」なんじゃなかろうか。私はと言えば、そういう人がいてもきもいとは思わん。その不器用さを気の毒に思う。別に可愛いとも思わんけど。

 夢と現実の区別がつかない状態、というのは、私にとって非常にリアルで、観ていてしんどかった。現実感が希薄だから生々しい夢を見るのか、生々しい夢を見るから現実感が希薄なのか知らんが、現実から夢に逃避しているわけではない。生々しい夢というのは、自分の願望や不安が露骨に、しかしひどく歪んだ現れであるので、理想的どころか時には不快ですらある。さらには、起きている間も自分の記憶が実体験だったのか夢だったのか区別がつかず、幻覚も幻聴もないが既視感はしばしばで非常に気分が悪い。ガエル演じるステファンが夢に逃避しているという物語であれば、その夢はもっと美しく幸福感に満ち溢れたものとして描かれるはずだ。しかし彼が見る夢は、楽しいものでもどこか不安を掻き立てるものであり、悪夢でしかないこともある。彼にとってどこからが夢でどこからが現実か区別がつかないように、観客にも次第に区別がつかなくなる。

 気が付いた時にはもうこういう状態で、確固たる現実感というのがどういうものか、そもそも自分がそういうものを持っていたことがあったのすら憶えていない。だからと言ってその状態の不快さに慣れることはできない。小説を書くようになってからは、現実でない状態(執筆中。プロットを練ったり調べ物をしたりしている時も含む)と現実(それ以外の時間)が明確に区分されるようになった。歪んで生々しい夢も見なくなった。ただし夢の中でも構想を練り続けているし、でなければ執筆に呻吟している夢とか、「書いても書いても終わらない」夢とか、塩澤編集長に駄目出しを食らってる夢とかを見る。起きてから疲労に襲われるほど生々しくはないけど。相変わらず「確固たる現実感」というのがどんなものかは解らないが、もはや現実とも非現実ともつかない状態が入り込む余地はない。だから小説を書くというのは、それ自体の愉悦だとか飯の種だとかとはまた別に、私には必要な行為だ。

  というわけで、私にはこの作品は気が滅入るほど「リアル」だったわけですが、ほかの人にとってはどうなんでしょう。

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