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サンタ・サングレ

 アレハンドロ・ホドロフスキー作品はこれが最初で、今のところ最後。ネタバレが問題とされるタイプの作品ではないと思うが、一応ネタバレ注意と書いておきますよ。

 視覚的にはいろいろと楽しめたが、脚本や演出がどうにも。まずは不平から。メキシコで実際に起きた連続殺人事件に基づいているそうだが、監督の関心は実際の事件にはなく、それをネタに自分のやりたいことをやっただけのように思える。とにかく私は、実在だろうと架空だろうとサイコ野郎は嫌いだし、それに同情的な作品および人は嫌いである。かっこいいと思ってるのんは論外だ。母親に操られて殺人を犯す青年、しかし実は母親はとうに死んでいて……って、『サイコ』じゃん。先行作品があることを云々する気はないが、このネタに限っては『サイコ』一本で充分だ。てめえのこらえ性のなさを母ちゃんのせいにしてんじゃねえよ、情けねえ野郎だな。

 全編に満ちた毒々しい俗悪さは、なかなか素晴らしい。特に一箇所、すべての不満を帳消しにするほど素晴らしいシーンがある。主人公の母コンチャは信心にのめり込んでいるのだが、その信仰の対象は、かつて強姦されて殺されたある一人の少女である。少女を聖女として崇める宗教団体で、コンチャは教祖か少なくともかなり高位にあるらしく、小さな教会でミサを取り仕切っている。祭壇には両腕を切り落とされた少女の像が祀られ、教会の前庭にはプールがあり、「聖女から流れ出た聖なる血」で満たされている。

 そこへカトリックの司祭がやってきて、コンチャたちを異端だと糾弾し、さらにプールいっぱいの鮮血がペンキに過ぎないことを暴く。げんなりするほど浅薄な「聖性」がこの瞬間、毒に満ちた嘲笑へと昇華される。実に、素晴らしいシーンだ。ただし作品全体にちりばめられた隠喩の中には、解りやすすぎて辟易させられるものもあるので(大蛇の幻覚=性衝動/殺人衝動、等)、ひょっとしてこの監督は大真面目なんじゃないかとやや不安になったりもする。「二人羽織」はもしかしてギャグじゃない?とか。

 強姦され両腕を切り落とされた少女、というのはアステカの女神コアトリクエだろう。大勢の子を持つ未亡人だったが、ある日、どこからともなく出現した羽毛の球に触れたところ、妊娠してしまう。息子や娘たちは、家の恥としてコアトリクエを殺す。四肢と頭を切り落とされた死体から生まれたのが、アステカ族の守護神ウィツィロポチトリである。生まれるや否や兄と姉たちを虐殺した彼は、太陽神であると同時に戦争の神でもある。アステカ族の戦争は、生贄を狩るために行われていた。

 スペインによる征服後、コアトリクエは聖母マリアに習合された。ということはつまり、ウィツィロポチトリはキリストだということになる。生贄を求める神は、自身が生贄となった神と同化されたのである。『サンタ・サングレ』では、コンチャもまた両腕を切り落とされて死ぬ。コンチャ=コアトリクエ=聖母、主人公=ウィツィロポチトリ=キリスト、とまで監督が考えていたのかどうかはわからないが、主人公の名は「フェニックス」で、最後に彼は母親から解放されて自分の罪と向き合う=復活するので、たぶんそうなんでしょう。ちなみにフェニックスを導き、救う少女の名はアルマ(ALMAスペイン語で「魂」)で、コンチャの正式な名はコンセプシオン(INMACULADA CONCEPCION無原罪懐胎)でつまり聖母を指す。

 最後にもう一つだけ不満を述べる。成長したアルマ役の女優、もっと綺麗な子を使ってほしかった。

 観たのは確か2000年。友人に強く勧められたから。どうだった、と訊かれて、はかばかしい反応をしなかった私に失望したらしく、彼女はその数年前に作っていたというミニコミ誌に掲載された彼女自身のレビューを見せてくれた。私も失望しましたよ。サイコ野郎に同情的な人だと判ったので。友人に作品を勧めるというのは、本当に剣呑な行為だなあ。

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