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カルロス・フエンテス

 メキシコ人作家で小説が最も多く翻訳されているのがフエンテスなんで、必然的に彼の作品ばかりを読むことになったわけである。おもしろかったものについて、事実日記(非公開のほうの日記)に書いた感想を参考に思い出し。

『アルテミオ・クルスの死』 死の床に横たわる大富豪アルテミオ・クルスと、その若き日の記憶がカットバックで描かれる。手法に慣れてしまえば、ストーリー自体はごくシンプルで、革命期の混乱を利用してアルテミオがのし上がっていく過程はエンターテイメント性が高い。

『聖域』 美しい女優の母とニートの息子、という物語はありきたりと言える。その結末も、奇を衒った結果、却って予想どおりの場所へ着地してしまっている。しかし、いい齢して母親の関心を惹こうと汲々とする息子の駄目っぷり、少年時代の友誼といった描写はおもしろく、現代小説としてよくできている。というか、まるで1980年前後の山岸凉子作品のようですよ。絵柄もすごく嵌まりそう。ところで主人公が「ミト」と呼ばれるのは「ギジェルモ→ギジェルミート→ミト」だからだけど、ほかの名前でもこういう略し方はするのかな。

『老いぼれグリンゴ』 メキシコ革命に身を投じ、そのまま消息不明となったアンブローズ・ビアスの「起こり得たかもしれない最期」。ビアスの短編の幾つかがモチーフとして使用されている。ビアス/グリンゴ(アメリカ白人)は当然ながらメキシコ人カルロス・フエンテスの目を通したグリンゴ/異邦人であり、その異邦人の目を通して、フエンテスはメキシコ革命を描いている。ちなみにこの作品は1989年にグレゴリー・ペックとジェーン・フォンダの主演でアメリカで映画化されている。小説では擬似父娘的だったビアスとハリエットの関係が恋愛に置き換えられてるらしいんで、どうも観る気がしない。映画タイトルは小説のGRINGO VIEJOの直訳でOLD GRINGOだが、邦題は『私が愛したグリンゴ』。小説の翻訳も単行本時はこのタイトルだったが、文庫化で原題の直訳に変わっている。

『アウラ』 短編集。「チャック・モール」が一番おもしろかった。メキシコの知識階級に属する男がチャック・モール像のレプリカを手に入れるが、像は命を得て動き出す……。もしかしてフエンテスはチャック(マヤの雨の神)とチャック・モール(彫像の様式というか形態。チャック神の像に限らない)の区別が付いてないんじゃないかという気がするが、まあともかく。蘇ったチャック神は畏怖に満ちた存在ではない。それどころかその力は衰えていて、神というよりは奇妙な獣のようである。最初のうちは結構可愛い。本来は凶暴なはずの獣が人間に拾われて懐いていくかのようで、『リロ&スティッチ』のスティッチってこんな感じかもしれない(姪っ子に付き合って2作目は観たが、1作目は観ていない)。この作品はゴシック・ホラーの体裁を取っているので、文明的な主人公の許に転がり込んできた可愛い野生動物が可愛いままでは、もちろん終わらない。やがて凶暴な本性を剥き出しにしていくのだが、これは文明的な生活を侵犯する現地民もしくは二級市民という構図である。偉大で残忍な神は、現代文明に染まった卑俗な現地民として蘇る。しかしその凶暴な力は元のままで、アイデンティティが曖昧な征服者の子孫たちは到底太刀打ちできないのである。

 というわけで、四ヵ月近くもゆるゆる続けてきた『グアルディア』『ラ・イストリア』自主販促キャンペーンはようやく終わりです。販促になったのか? 『ミカイールの階梯』は鋭意執筆中ですが、そろそろ日常生活に支障が出てきましたよ。つまり執筆していない時期に増して食器を割ったり料理を焦がしたり包丁で手を切ったり何もないところでこけたり買い物をして品物を受け取るのを忘れたり、といったことをしやすくなってきているのです。もちろん、道にも迷いやすくなります。

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