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サム・ペキンパー

 ペキンパー作品で観たことがあるのは『ワイルドバンチ』『ガルシアの首』『わらの犬』『ゲッタウェイ』『戦争のはらわた』。確かこの順番。『ワイルドバンチ』は『ラ・イストリア』執筆中にディレクターズカットで再鑑賞したが、ほかは数年~十年以上前にビデオ鑑賞したきり。印象は未だに強烈だが、細部はいろいろ記憶違いがあるかもしれません。

 ペキンパー作品は「男の映画」だが、「男の美学」の映画ではない。「そういうふうにしか生きられない」男たちを描いた作品だ。そういうふう、というのがどういうふうなのか、というのは言葉で説明できるものではない。彼らが己の生き方、或いは思考や感情、行動原理を自省して言葉で説明できるのなら、それはある程度自己コントロールができるということで、「そういうふうにしか生きられない」ということにはならないわけだ。そしてペキンパーは彼らの「そういう生き方」を、映画という媒体によって描いている。もっとも、より正確を期すなら、描こうとした、と言うべきか。描けてる作品と描けてない作品があるからね。

『ゲッタウェイ』はそもそも「そういうふうにしか生きられない」男を描こうとしてる作品ではない。ペキンパー作品の中では一番普通というか作家性が薄い(テーマに於いて)というか。『わらの犬』と『戦争のはらわた』は「そういう生き方」を映画という表現手段ではなく、理屈で説明しようとしているきらいがある。というわけで成功しているのは『ワイルドバンチ』と『ガルシアの首』。

 映画の中の話ではなくて、世の中には実際に「そういうふうにしか生きられない」男たちが存在している。そしてそういう生き方は、少なくとも当人には理屈で説明できるものではなくて、つまりは言語化できない野蛮な生き方である。言語化された、理論武装された文明的な蛮行というのも事欠かないわけだが、そういうものはまた別の理屈を付けてやめることもできる。当人が言語化できない蛮行は、別の理屈を付けることができないので、やめることができない。で、当然ながら世の中には実際に「そういうふうにしか生きられない」女たちもいるんだが、ペキンパーはそういう野蛮な女を描こうとはしなかった。おそらく描けなかったか、野蛮な女がいるということ自体、解っていなかったか。そういうわけでペキンパー作品では、女は男の野蛮を表現するためのダシとして使われることがしばしばある。女殴らなきゃ勃たない男ばっかりだしな(5作品中3作というのは、やはり多かろう)。セックスを暴力表現のダシに使う手法はあまりに陳腐で、そんなものに頼らずとも、『ワイルドバンチ』のように女相手でも容赦なくさっくり殺せばよかろう。でもって、女にさっくり殺されるのである。

『ガルシアの首』では、男が女のために行動している。もっとも、本人はそのことに気づいていない。ガルシアの首を探すという計画に付き合わせなければ、彼女は死ぬことはなかった――と後悔はしたに違いないんだが、そこからなぜ「何が何でも首を奪い返し、賞金を獲る」という行動に繫がるのか、自分でも解っていない。復讐という意識すらないだろう。間違いなく、いくらも経たないうちに自分が後悔したことすら忘れてるし。女の死の悲しみすら忘れていたかもしれない。それでも最後まで、男を衝き動かすのは女の死である。

 この作品で描かれるメキシコの情景も素晴らしい。最初のシーンが、娘をガルシアに孕まされた富豪の屋敷で、革命前(20世紀初頭以前)が舞台かと思うんだよね。で、「ガルシアを連れて来い。生死にかかわらず」と命じられて男たちの一団が馬で出て行く。次の一団は自動車で出て行く。あれ?と思ってるうちにジェット機が飛び立つので、ようやく現代(1970年代)だと判るのである。

 そういうわけで、メキシコの情景を観るにはペキンパー作品で一番参考になりそうだったんだが、あまりに好きな作品なんで却って再鑑賞したくなくて、『ワイルドバンチ』を借りたのでした。再鑑賞するなら、もう数年は先にしたい。なんとなく。『ワイルドバンチ』ディレクターズカットの追加シーンは確か短いのが3つだけ。回想が二つとマパッチ将軍がパンチョ・ビージャに追われるシーン。最後のは私は興味深かったが、時代背景にまで興味がない人にはどうかと思われるし、回想二つは明らかに蛇足。監督の意思を無視した編集でズタボロになった作品はたくさんあるんだろうし、これまでに私が劇場公開版といわゆるディレクターズカット版を両方観た作品は少ないんだが、その少ない例からすると、「やっぱり他人の意見って大切だよ」。追加されてるシーンは大概が「なくてもいい」か「ないほうがいい」。

 ですから私は、編集諸氏の御意見は常に謹んで拝聴しているのです。いやマジで。

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