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インランド・エンパイア

 あははは、わけわかんねー。

 奇を衒った、概ね「前衛的」とカテゴライズされる作品は、大概が作者の「奇を衒おう」という意図が透けて見えるので好きじゃない。デヴィッド・リンチ作品も、そういう意図が見えないこともないんだけどね。それでも三時間も付き合えるのは、造りが非常に丁寧だからなんだろうなあ。いわゆる前衛的作品(「既成の枠組みに捉われない」と称する)には単に杜撰なだけのものが少なくないが、リンチ作品は何はともあれ技術は高いし、手間がかかっている。「丁寧」というのは、「執拗」「偏執的」とも言い換えられるんだろうけど。

 これまで観たことのあるリンチ作品は、『ブルーベルベット』『ワイルド・アット・ハート』『ツインピークス』の最初の数話、『ストレイト・ストーリー』『マルホランド・ドライブ』。映画館で観たのは『マルホランド』だけ。リンチは自作に対する「文学的解釈」を忌み嫌っているのだそうである。前衛的と称される創作者(文芸分野も含む)は大概こういう主張をする。そうして作られた作品は大概、単に破綻してるだけだったりするんだが、これまでのリンチ作品は(少なくとも私が知る限りでは)「文学的解釈」を可能にする一応の枠組みというか骨組みを持っていた。だいたい、この人は作ろうと思えばまともな話(『ストレイト・ストーリー』)も作れるし。

『インランド・エンパイア』は、文学的解釈を一応可能にする骨組みを完全に取り払った作品だ。まさに「悪夢のように不条理な」世界なのだが、まったくの支離滅裂というわけでもない。悪夢や妄想(精神症状としての)にもそれなりに整合性があるように、一見まったく関係のない場面同士が、同じ役者、同じ台詞、同じ音響、同じ構図等で繫がっていて、こちらの注意力を持続させる。何か意味があるんじゃないかと期待させて。

 たぶんリンチは、「何を見ても意味を見出そうとする」という人間の脳の機能を引き摺り回す才能の持ち主なんだろう。引き摺り回されるのにもそれなりの気力と体力が必要だが。人間の脳は、見たものになんらかの意味を見出そうと(解釈しようと)し、意味/解釈を見出せた時には快感を覚えるように出来ている。その機能をリンチに引き摺り回された挙句、何がしかの意味を見出せて満足する人もいるだろうし、何も見出せなくてフラストレーションしか残らない人もいるだろう。しかしこれまでのリンチ作品は、一応は解釈可能な余地があったが、今回は誰にとっても無理なんじゃなかろうか。いや、パンフレットの解説では無理やりな解釈が試みられてたけど。

 私はと言えば、意味の有無にはあまり意味を見出さないし、例えばクローネンバーグ作品のような類では隠喩が鼻につくこともあったりするんだが、それでももちろん「何を見ても意味を見出そうとする」機能はしっかり持ち合わせている。この機能を刺激され続けなかったら、到底三時間も集中力を持続できはしない。意味などないと判っていながら意味を見出そうとする自分の脳と、それを引き摺り回すリンチの力量の双方に、半ば呆れ半ば感心しながら三時間付き合った。こういう作品もまた、映画館で観てなんぼ、だろう。作中でも映画館の暗闇について言及されていたが、自宅等の日常的な空間では、引き摺り回された挙句にランナーズハイ状態になってエンドルフィンが放出される境地には至れるものではない。実際、14インチTVで観た『ブルーベルベット』と『ワイルド・アット・ハート』は苦痛なだけだったしな。

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