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無伴奏ソナタ

 オースン・スコット・カードの初期短編集。先日、母校の図書館に立ち寄った際に、表題作だけ18年振りに再読。ネタバレ注意。

 ちょうど今頃の季節だった。読書の秋ということで、図書館司書のA氏が放課後、生徒たちにお薦めの本を何冊か紹介する集まりを開くことになった。初めての試みであり、人が集まらないことが予想されたので、我々図書委員がサクラとして動員された。どんな本が紹介されるかは、委員たちも前もって知らされてはいなかったのだが、その中にはこの短編集も含まれていた。それは最近、図書館に入ったばかりの本で、もちろん私は書架に並ぶ前に読み終えていた。

 A氏が選んだのは、表題作「無伴奏ソナタ」だった。それは、概ね次のように紹介された。

「未来のある国に、一人の音楽家がいました。彼の音楽はとても美しいけれど、人々を悲しい気持ちにさせるものでした。そこで政府は彼に音楽を奏でることを禁じました。しかし彼は音楽への情熱を消すことができず、ある日、ピアノを弾いてしまいます。政府は彼の指を切り落としてしまいました。それでも彼の情熱は消えず、歌うことで音楽を作り続けます。ついに彼は殺されてしまうのですが、人々は彼の音楽を愛し、決して忘れなかったのでした」

 その後、情熱とか芸術とかについてのコメントが続いたのだが、私は呆然としていた。なぜなら、私が読んだ「無伴奏ソナタ」はまったく違う物語だったからである。私が読んだのは、以下のような物語だ。

「未来の管理社会、人々は生まれた時から素質に見合った職業を割り当てられ、分不相応は重大な犯罪とされていた。生まれながらに音楽家の天分を見出された主人公は、幼いうちに社会から完全に隔離され、他人が作った音楽を一切聴くことを禁じられ、完全にオリジナルな音楽だけを作り、演奏し続けた。彼の音楽を聴けるのもまた、選ばれた聴衆のみだった。ある日彼は聴衆の一人に、バッハのテープを渡される。興味を惹かれた彼はテープを聴いてしまい、結果、音楽にバッハの影響が現れ、当局に知られることになる。

 法律を破った彼は、音楽活動を禁じられ、肉体労働者となる。彼は音楽から遠ざかろうとするが、音楽が彼を離してくれない。他人の音楽を奏でようとしても、それは必ず彼自身の音楽となってしまい、当局に知られることとなる。監視者がやってきて、彼に刑罰を与える。一度目はピアノを弾いて指を切り落とされ、二度目は歌を歌って声を奪われる。二度目の違反の時、監視者は彼に言う。法律は皆を幸せにするためにあるが、きみの音楽は皆を悲しくさせる。指も声も失った彼は、刑罰として彼自身が監視者の任に就かされる。何年も後、刑期を終えて街に出た彼は、人々が彼の音楽を奏で、歌っているのを知る」

「他者の影響を一切受けない、完全にオリジナルで斬新な才能」というのは、未熟な人間が抱きがちな観念だ。「無伴奏ソナタ」の管理社会が規定するところの「才能」はこの手の観念であるようなのだが、いまいち曖昧である(別にカード自身がこの観念の持ち主だと言っているわけではない)。法律違反の主旨も、他人の影響を受けて「純粋」でなくなってしまった才能を行使し続けることに対してなのか、単に音楽活動をする資格がないのに続けているからなのか、曖昧である。「きみの音楽は人を悲しくさせる」という台詞は最後のほうになって初めて出てきて、どうも後付け的だ。

 と、いまいち設定に詰めが欠けるし、指を切り落とすシーンなど、著者が嬉々として書いているのが丸わかりで辟易させられたが、なかなかおもしろく読めた。というわけでA氏が読んだのは同じタイトルの別の作品としか思えず、日を置かず再読してみたんだが、最初に読んだとおりの内容だった。18年振りに読んでみても、さすがに細部は忘れていたが、大筋は記憶どおりだった。

 読者の数だけ解釈があるというのは当然のことだが、A氏と私との食い違いは解釈以前の問題であろう。つまりどちらか一方、もしくは双方が誤読している可能性である。しかし、A氏は資格を持った学校司書である。それが誤読って……。かと言って、この私が読解力に問題ありというのも、それはそれで問題だろう。

 結局、氏は「無伴奏ソナタ」に感動したらしい、少なくとも生徒に紹介したいと思うくらいには良作だと思ったのだし、私もそれなりにおもしろい作品だと思ったのだから、それでいいじゃないか、と無理やり自分を納得させた。A氏に意見を求めたりしないだけの分別は、当時の私にもあったのである。しかし当然ながら、モヤモヤが残った。

 小説好きとしては、ある作品が読者によっておもしろかったりおもしろくなかったりするのは、あくまで嗜好の違いだと思いたい。字が読める人間が小説を読めるとは限らない、という考え方は、できればしたくないのである。というわけで、この再読によっても18年前と同じ結論を出さざるを得ず、18年経ってもモヤモヤは少しも解決できなかったのであった。

 時間がなかったんで表題作しか読めなかったんだが、収録作品はどれも結構気に入っていた。その次に読んだ長編『エンダーのゲーム』は、私のSF離れ、ひいては小説離れのきっかけになった作品だが、長編に於いてはどうしても好きになれないこの著者の数々の特徴も、短編ではそれほど鼻につかない。SF以外のジャンルだと、短編より長編のほうが断然好きなのだが、SFはやはり短編である。長編はあまり好きになれなくても、短編集は楽しめる著者が多い(というか、短編で気に入って、長編を読んでがっかりするというか)。つまり私がSFに求めているのは、物語ではないということになるのだろう。そして、SF以外の小説に求めているのは、なんだかんだ言いつつ物語である、ということになる。さらに言うなら、短編を書くのが苦手な私はSF作家として……いや、まあその。

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