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佐藤亜紀明治大学特別講義

 正式名称がよくわからない。いいか、これで。講義は全五回だが、私が行けるのはこの第四回だけ(になるはず)。以下、講義の内容とそこから想起したことなど。

 今回のテーマは「顔」。私たちが人間の顔からまず見て取るのは、造形およびその設え(化粧や髪型。服装も含む)、そして人種(民族)的分類および社会的分類である。人種的分類と社会的分類を同一視しようとしたのがナチだが、それがどれほど無意味であったか、比較として写真家アウグスト・ザンダー(「舞踏会に向かう三人の農夫」のあの写真の人)の作品が提示される。

 以前『ニュートン』に掲載された小さな記事のことを思い出したので、家に帰ってから探してみた。2005年11月号、タイトルは「人種間の不和のもと?」(元の記事は『Science』05年7月29日号)。いやな出来事と視覚刺激が同時に与えられると、その二つが結び付いて学習される(「恐怖の条件付け」)。一般に学習後、「いやな出来事」を与えずに視覚刺激を与えると、その条件付けは消失する。この研究では、いやな出来事として電気ショック、視覚刺激として「同じ人種に属する人の顔」と「異なる人種に属する人の顔」を使って被験者に恐怖条件付けを行った。その後、条件付け消失過程を経ても、「異なる人種の顔」への条件付けは消えずに残ったという。「私たちの祖先において、自分と明らかに異なる社会集団に属するものは自分に脅威をもたらす可能性が高いため、異なる人種を恐れる性質が有利にはたらき淘汰されずに残った」というのが、研究者たちの立てた説である。

 ここからは私の考えだが、多くの人にとって「外人」の顔は「みんな同じに見える」理由も、上の仮説で説明をつけることができる。同じ人種に属するか否かを見分けるために、異人種の顔からはその人種に共通した特徴だけが抽出され分類され、個人の特徴は塗り潰される、ということなのだろう。もちろん「先天的」性質だからといって「正しい」ということにはならないし、異人種の顔でも見慣れれば個々の特徴にも目が行くようになる。「外人の顔は区別が付かない」と言う人は、見慣れていない上に個別の特徴に注目しようという意思が薄いのだろう。って、かく言う私も「金髪碧眼のそこそこの美女もしくは美男」の見分けがあんまり付かないんだけどさ。関心の対象外だから、個別の特徴に注目しようとする意思が薄いのだ。あと、これは佐藤先生も言っていたことだが、美男美女というのは「最も平均的で特徴のない顔」でもあるしね。

 まあ、たとえ上記の性質が先天的に備わっていたとしても、混血が進めば無効になる。先生によると、ナチがポスターのモデルに使うために「理想的なアーリア系」の容姿の若者たちを探したところ、その中の一部は実はユダヤ系だったという。ザンダーの作品にもそうした若者の肖像写真があった。自らの出自を否定し、ドイツ人以上にドイツ人らしくあろうとした若者。人物写真を撮る写真家には二種類あって、人の無意識の所作(大口開けて笑ってたり)を撮って「内面」を捉えたと称する者、もう一方は人が「見られる」ことを意識している時を撮る者であるとのこと。どちらのタイプが無邪気なのかは、言うまでもあるまい。ザンダーは後者であり、つまり被写体の意識と無意識の双方を撮ることができた写真家だった。

 ほかにも挙げられたのは、ウェルマンの『つばさ』とエイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』(人間を「個」として描くハリウッド映画と、「類」として描くプロパガンダ映画。「ハリウッド映画」と十把ひとからげにするのは単純で硬直した見方だ)、『シンドラーのリスト』と『宇宙戦争』(「類」として殲滅された人々へ「個」としての顔を返す前者と、人々の「個」から「類」への移行を描いた後者。間に9.11が挟まれる)。いつも思うことだが、鑑賞者の大半は先生ほど注意深くはない。以前、ある知人(小説家志望の男性)が「英語ができないから洋画の俳優の演技が巧いかどうか判らない」と述べた。すごい意見もあったものだが、ここまで極端ではないにしろ大概の人は提示された情報のうちわずかしか読み取ろうとしない。一方で、提示されてもいない情報を鑑賞者が勝手に読み取っていく場合もある。そのことについて質問しようとしたんだけど、うまく質問がまとめられなかった。後者の例として『エヴァンゲリオン』を挙げたのも適切じゃなかったな。あれは鑑賞者の注意を惹くためのアイコンは無数に散りばめられてるからな。アイコンの先はどこにもリンクしていないにしても。

 まあつまり、作者の作り込みと鑑賞者の読み取りとの齟齬はなぜ起こるのか、ということを質問して、それに対して丁寧に答えていただいたわけだが、本当に訊きたかったのはそれじゃない。齟齬はあって当然で、なかったら気持ち悪いが、それにしてもあまりにも大きすぎるのではないか、と言いたかったわけで、しかしこれって質問じゃないよな。結局、未だに自分の中の疑問をまとめられていません。すみません。

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