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トプカプ宮殿の至宝展

 京都文化博物館。オスマン・トルコの美術工芸品をまとめて観るのは初めて。学生時代はシルクロード文化史が専門つっても、イスラム化以後はあんまり関心がなかったからなあ。やー、まあその後いろいろ勉強はしましたが。

 見事な細密画やアラベスク、カリグラフィーは、偶像崇拝が禁じられたからこそ発達したものなんだが、同時に人間の視覚芸術への欲求の強さを表している。この夏にオルハン・パムクの『わたしの名は「紅」』を読んだとこだったんで、表現に対する絵師たちの葛藤(決して作者の想像の中だけのものではなく、実際にあったはずだ)を展示品に重ね合わせてしまう。小説の舞台の二百年後の18世紀末にイタリア人(?)の宮廷画家によって描かれたスルタンの油彩肖像もあったりして、いわく言い難い感慨。それにしても宗教による圧力が写実を排して極度の様式化に向かわせたわけだが、だからといって中南米のような抽象化されパターン化された人物文様の方向へ行ったわけではなかったのが、ちょっと不思議な気がする。たぶん、イスラム以前の芸術がすでにそっちの方向じゃなかったからなんだろうけど。アフリカではどうなんだろう。

 展示は四部構成。サブタイトルが「オスマン帝国と時代を彩った女性たち」ということで、二部以降は食器やタオルなどの日用品や化粧道具入れ、衣類、アクセサリーが中心(第一部はスルタンの肖像や花押、武具など)。展示物自体はおもしろかったんだが、「ハーレム」を前面に押し出すんだったら、代表的な寵妃たちのプロフィールとかエピソードとか紹介したほうがよかったんじゃないかと思う。スルタンたちの紹介はしてたんだからさ。現在のトプカプ宮殿やイスタンブールの写真は何点か展示されてたが、19世紀や20世紀初めの写真だっていくらでもあるんだから(それ以前なら西洋人の旅行者によるスケッチとか)、一緒に展示してあればなあ。

 第四部は宮廷で使用された中国の磁器。10点中5点がトルコ人の手によって銀や金の取っ手、注ぎ口、蓋を取り付けられている。こういう加工は当初、修繕目的で行われていたのが、次第にトルコ人の好みに合わせた「改造」になっていく。甚だしいのになると、景徳鎮の「椅子」(スツール型)を改造した巨大な「香炉」とか。正直、かなり無理やりっぽいんだが、改造した職人も使用した王侯貴族たちも、「このほうがずっとよくなったな!」と御満悦だったんだろうなあと思うと、微苦笑が。

 最後に特別出品作品「金のゆりかご」。黄金と宝石塗れで、とても実用品だとは思えないんだが、底を見ると丸い穴が開いている。新疆のウイグル族のゆりかごと同じだ(なんのための穴かと言うと……)。この金のゆりかごの写真は巨大エメラルドのターバン飾りなんかとともにポスターに使われている。私が博物館に入ろうとした時、ちょうど出てきた中年女性のグループがポスターを眺めて、「ほんますごかったわあ」「目が眩んでもうたわ」とか言い合っていた。そのうち一人が金のゆりかごを指して、「こんなん、猫に買うてやりたくなるわあ」。……おいおい。

 京都に行ったついでに、京都駅ビルで開催してた「安彦良和原画展」も鑑賞。最初期から現在に至るまで、カラー作品のすべてが「ポスターカラー+水彩」だけで描かれていることに驚く。弘法筆を選ばず、ってほんとだなあ。いや、筆は選んでるけど。中国製の安い筆で、これが手に入らなくなったらもう描けない、だそうです。

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