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火の鳥・黎明編

 風邪は治ったけど調子が悪いです。ここ2、3ヶ月の運動不足も祟ってるんだろうな。というわけで、観に行くつもりだったあの映画もこの映画も観てないので思い出し。

 5歳の夏から秋にかけての3ヶ月間、私は妹Ⅰとともに母に連れられ、親戚の家を渡り歩いていた。母は妊娠中で2歳の妹Ⅰの面倒で手一杯だし、夏休みが終われば齢の近い親戚の子らは幼稚園や学校へ行ってしまうしで、必然的に私はその期間の大半を一人で本を読んで過ごすことになった。母は両親をすでに亡くしている上に兄弟もいない。一番長く滞在することになったのは、本家の屋敷だった。江戸時代に建てられたというその屋敷は、広い上に建て増しと改築を重ねて迷路のような様相を呈しており、当時の私には非常に怖い場所だった。その一角に、縁側付きの書斎があった。書斎自体は昼でも薄暗くて怖いし、私が読めるような本もなかったので立ち入らなかったが、日当たりがよくてソファも置いてある縁側ではよく読書をした。黙読ができるようになったというか、自分が黙読ができることに気づいたのはこの場所でだ。

 ある日、縁側のテーブルに1冊の漫画が置かれていた。当時、私は漫画というものはもっと大きな子供が読むものだと思っていたので、手を出さずにいたのだが、それはそのまま何日もの間、放置されていた。で、つい手に取って最後まで読んでしまったわけである。

『黎明編』は、私の人生を決定付けた1冊だ。という言い方はアレだが、とにかく強烈なトラウマを植え付けられたのは確かである。その2年後に読んだ『ナルニア』最終巻でも相当な衝撃(悪い意味の)を受けたが、比ではない。私は死を恐れる子供になった。死だけではなく、生きる上での苦しみも恐れるようになった。妹Ⅱが生まれても、自分の家に帰っても、そのことばかり考えているようになった。母と一緒に美容院に行けば、そこで売られているアクセサリーを見て、「ああ、こういうものでおしゃれをしたって、いずれみんな齢を取って死んでしまうんだなあ」とため息をつく……嫌な5歳児だな。

 まあつまり、北門から出る直前のシッダールタみたいな状態だったのだが、どういうわけかかなり早い段階から、思想(宗教を含む)は救いにならない、という結論に達していた。性格だろうな。科学についても同様で、どれだけ科学が進歩しても苦しみを完全に取り除くことが可能になるとは思えなかった。そうなると後はひたすら恐れ続けるしかないわけで、それが何年も続いた。ちなみにシリーズのほかの作品(『未来編』~『復活編』あたりまで)は7、8歳の頃、図書館で読んでいる。

 結局、恐れ続けるのに疲れてしまって10歳くらいまでには思考を封印したのだが、その間に一つ身についた習性がある。体験はすべて、直接的なものだろうが間接的なものだろうが、或いは自分のことだろうが他人のことだろうが、客観的な叙述でもって反応してしまうのだ。叙述といっても頭の中でのことで、換言すると思考の言語化か。客観的というのはもちろん、客観性を装うに過ぎないんだが、要するに何事に対しても観察者の態度を取ってしまうのである。体験が恐怖と結び付くのを避けようとしているうちに、こういう反応が身についてしまったのだった。

  というわけで、ある意味自衛策ではあるんだが、困ったことに何事に対しても自動的に行われてしまうのである。怖い悲しいといった負の体験だけでなく、嬉しい楽しいという正の体験まで「客観的な叙述」が間に挟まる。それだけならもう慣れてるから別にいいんだが、偶に人から「冷めてる」とか「他人事だと思ってるだろう」と批判されることがある。他人事も何も、自分自身のことでさえ、それ以外の反応ができないのだから困ったものである。冷めてるからって、冷静で適切な対応ができるというわけでもないしな。むしろ手を拱いてるだけで終わることが多々ある。駄目じゃん。

 自分自身の身の処し方に於いても他人との関係に於いても、利より害のほうが多いこの反応だが、小説を書くという行為に於いてだけはかなり役に立ってるんじゃないかと思う。或いは、この「(擬似)客観性」が私の文体の基本になっているというか。だから作者と語り手の距離が曖昧な小説って苦手だしな。

 それもこれもみんな、『火の鳥』のお蔭。

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