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スウィーニー・トッド

 暗い色調の映画は苦手なんだけど、ティム・バートンのはそうでもない。閉塞感が少ないのと、色のバランスがいいからかな。それにバートンが画面を明るくカラフルにするのは、『ビッグ・フィッシュ』のように美しい場合でも、『シザー・ハンズ』や『マーズ・アタック』のように悪意に満ちた場合でも、表面的であることの描写に限られるからなあ。

 シリアル・キラーを讃美したり擁護したりする思想は、フィクションであっても一切受け付けない。こらえ性のなさを美学やらトラウマやらで正当化されると、ものすごくげんなりする。一言、楽しいから、で済ませろよ。もしも欲求の充足と生計手段の双方を兼ねる連続殺人というものがあれば、少なくともその創意工夫は認めてあげてもいいけどね。

 元々の都市伝説は、そういう話だったらしい。理髪師が客の喉を掻き切っては懐から盗み、愛人が死体をパイにして売る。単なるタブロイドネタだったのが、「社会への復讐」と「個人への復讐」が加わって、なんだがちぐはぐなものになってしまった。生計という身も蓋もない目的のため殺人を繰り返す残忍で狡猾な理髪師と、それを追うちょっと間抜けな警官、という構図のほうがおもしろいと思うんだが、とにかく原作があることだし、その構図だと『スリーピー・ホロウ』と被るし、やっぱり陰惨さを出すなら救いのない復讐劇が最適だし、とも思うのであった。

 そういうわけで、復讐を果たせなかったトッドが連続殺人鬼へと変貌する過程はかなり無理やりっぽいんだが、二階の理髪店から地下の厨房までが一個の「人肉パイ工場」として稼動していくのは楽しい。チョコレート工場には及ばないけどね(さすがに製造工程を詳細に描くわけにはいかんしな)。そして上の空のトッドにラベット夫人が熱心に夢を語る場面は、相変わらず悪意が冴え渡っている。

 ミュージカル映画というのは、観客の情動を煽ってどっぷり感情移入させるのではなく、距離を置いて鑑賞させることを目指すべきだと思うし、観客もそう心得るべきだろう。作り手や観客が、どっぷり感情移入を目指せば、ミュージカルという表現形態との間に齟齬を来たすことになる。「いきなり歌ったり踊ったりして不自然だからミュージカルは苦手」とかさ。『スウィーニー・トッド』はミュージカルだからこそ、共感するには無理のあるトッドやラベット夫人を滑稽で憐れだと思えるし、本来は正視に堪えない人肉パイ工場も素敵で楽しい。いや、舞台版ではどうなのか知らないんだけど。

 トッドの娘のジェイン・ワイズナーは、なんだか『スリーピー・ホロウ』の時のクリスティーナ・リッチみたいだな。金髪で顔が小さくて逆三角形で、眉も金髪だから薄くて目がでかくて、小柄で痩せてるけど胸がでかい。ヘレナ・ボナム・カーターも金髪以外は条件に当て嵌まるから(『ビッグ・フィッシュ』の時は金髪だったし)、こういうタイプがバートンの好みなんだろうな。

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