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佐藤亜紀明治大学特別講義Ⅰ

 電車が十分近くも遅れたので大いに焦る。どうにか時間までにリバティタワーに到着して一息ついたところで、佐藤先生と行き会う。前回の出席(昨年の第四回)では映像資料に加えてアウグスト・ザンダーの写真集をキャリーバッグでゴロゴロと運んでこられたのであるが、今回の荷物はノートパソコンだけであった。

 まずは『小説のストラテジー』とも重なる、「作品の鑑賞の仕方」。ものすごく基本的というか根本的な問題である。そこまで根本の部分から考え直さなければならないというか、治療していかなければいけないということになるんだよな。

  1. 「作品」というものは、特定の感覚に対するある刺激である。美しいか否か、出来がいいか悪いか。
  2. それとは別に、作品が制作当時「語っていた」ものがある。それは作者が意識的に語ったものでもあれば、同じ時代、同じ社会の人々と共有している無意識の部分でもある。解り易い例だと思想になるんだろうが、それ以外にも例えば古代ギリシアの芸術には性的な題材が実に多い。現代人の解釈からすれば、「(楽しいとかそういう意味で)好きだったからだろう」ということになるが、あの時代、性は豊穣信仰と結び付いていたのである。しかし当然ながら現代人はそんな信仰を共有していない。それでも、鑑賞し評価することはできる。もう一つの例として『サテュリコン』。実はネロへの風刺として書かれたのであるが、「この部分はこういうことを風刺している」という注釈付きで読んでも、学術的にはおもしろいかもしれないが、風刺に共感するのは無理である。それでも、『サテュリコン』はおもしいろい。

 時代が変われば、2(語られていたもの)は消えてしまう。しかし1が残ることはある。それによって刺激されるのは、新たな時代の人々の感覚や感性である(ちなみに感性のみならず感覚も文化にかなり影響される)。作品は2という中身がなくなって、器(1)が残ったものかもしれない。器を満たすのは鑑賞者である。百年二百年どころか、千年以上経っても残る器もあれば、十年ともたない器もある。ところで、「時代」は「文化」についても言えるよな。

 イアン・マキューアンの『土曜日』。嘘くさいまでの「完璧な幸福」と、薄皮一枚を隔てた陰惨な世界。少し前まで「難民」というのは、可哀想な境遇から別の可哀想な境遇に移行した人々のことだったが、現在はTVの前の「私たち」と同じ「普通の人々」が難民化する。しかし人間の想像力とは要するに「我が身に置き換えてみる」共感能力のことで、これは生得の能力を基盤としているわけだけど、所詮限界があるし個人差も大きい。ニュースで難民の画像をどれだけ見ても、それが「ついこないだまで私と同じような暮らしをしていた人たち」だと認識し、さらに「私もそうなってしまうかもしれない」と想像し、現在のこの生活がどれほど脆いものだと認識することができない人、つまりはどこまでも他人事だとしか思わない人は大勢いるだろう。或いは新しい世代であれば想像力の有無にかかわらず、世界の危うさを認識し続けることは非常に困難ではあるまいか。ということを思ったんだが、質疑応答の時間が来る頃にはすっかり忘れていたのだった。何しろいろんな話をいっぺんに聞いたから。今度憶えていたら尋ねてみよう。

 ここから昨年度の復習。一回しか出席できなかったのでありがたい。人数からして、今回初めての人も多かったみたいだしね。ハリウッド映画に於ける殴り合い。かつて男同士の殴り合いしかなかったのは、技術的な制約が大きかったそうである。女だと迫力が出せないのである。先日観た『大いなる西部』(58年)ではグレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いが、ロングショットでボコボコやってるのを延々映すだけで(しかも場面は夜)、これは倫理的な制約と技術的な制約のどっちだろうと思ったのだが、少なくとも技術的な面はあったわけね。で、カメラワークの発達に加えてワイヤーアクション、さらにはCGの導入で女の格闘も可能になるのである。

 第四回の「顔」の話。あれから私はルイセンコを追いかけてるうちにロシアに於けるダーウィニズムの受容にまで行き着いてしまったのだが、ソ連の全体主義は19世紀ロシアで個人主義が嫌悪されたところまで遡れるようである。もともと個人主義が発達する土壌がなかった上に、西欧の事物に対する羨望混じりの反感から、特に個人主義は資本主義と結び付けられて忌避された。レーニンと並ぶ革命の主導者であったアレクサンドル・ボグダーノフは、血液交換による人間の均質化という理論を本気で唱えていたほどである(で、自ら実験台になって死んじゃってるしな)。ドイツやイタリアの全体主義の源泉は、民族性は云々しないとすれば、やっぱり自由主義と個人主義に対する反発が大きいかな。

 そして今回のテーマ「顔と時間」。提示されたのが『ヴェニスに死す』。主に映画についてだが、原作にも言及する。原作はマンが30代の時に書かれたと知って、そんなに若いのに老境を描きえたことに感嘆したものだが、ひょっとしたら先に観た映画の印象が多少は被っているかもしれない。ヴィスコンティは撮影時にはすでに60代である。先生によれば、映画には二つの視点があって、一つは美少年を舐めるように見詰めるアッシェンバッハの視点であり、もう一つはヴィスコンティ自身の、「かつてあったヴェネツィア」に対するノスタルジックな視点である。「かつて」というのは具体的には作品の舞台となっている第一次大戦前だ。

 タジオを象徴的な、ほとんど記号的ですらある美少年として描いているのは原作でも映画でも一緒だが、マンが「儚い美」としているのに対し、ヴィスコンティは「時の止まった美」としている。美少年は二十世紀初頭当時のヴェネツィアとともに、マンにとっては間もなく失われてしまう美(の予兆)であったが、1971年のヴィスコンティにとっては、すでに失われてしまったからこそ永遠となった美なのである。もっとも彼は1906年生まれだから、その時代へのノスタルジーは実体験よりは追体験に基づくのだろうけど、だからこそ余計に美しいのかもしれない。

 一つの時代、というよりむしろ一つの世界を終わらせた衝撃として第一次大戦を描いているのが『魔の山』である。私がこれを読んだのはデビュー前、実質的にニートだった頃のことで、だからあのサナトリウムでの生活はひしひしと身に沁み、だからあのラストには少なからぬ衝撃を受けたのだった。いやはや。それにしても、マンは「見てるだけ」の恋愛ばっかりだな。

 時間が押してたのもあって、せっかくノートパソコンに落としてきた『ヴェニスに死す』の画像は使われなかったのでした。ここに来る人だったら、たとえ未見でもタイトルとビョルン・アンドレセンの顔くらいは当然知ってそうだが、しかし男子高校生たちはどうだろな。文芸部員で顧問の先生に連れられてきたそうである。高校生でこの講義か。まったく掠りもしないか、道を踏み誤るきっかけになるかどちらかだろうな。

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