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ガレとジャポニスム展

 ガレは学生時代以来。ジャポニスムという切り口なので、引用元や参考元となる日本の美術工芸品も一緒に展示してあって興味深い。

 四部構成で、第一部は「コラージュされた日本美術――ジャポニスム全盛の時代」。ガレや日本美術だけでなく、ティファニーやバカラ、ロイヤル・コペンハーゲンなどの製品、他のデザイナーの作品なども展示してある。しかしクリストファー・ドレッサーとかフランソワ・ウジューヌ・ルソーとか、プロフィールが提示されてないんで、どういう人なのか判らん。ドレッサーはイギリスのデザイナーだそうだけど、ルソーはググっても出てきーひん。それはともかく、コラージュとはよく言ったもので、ガレも含め、浮世絵や伊万里のモチーフをそのまんま切り取って西洋の皿やカップに貼り付けたに過ぎず、違和感がものすごい。日本美人の模写など、明らかに着物の構造がどうなっているのか理解せずに描いているし、日本と他の東洋的意匠(中国やエジプトなど)を平気でくっつけていたりする。

 第二部は「身を潜めた日本美術――西洋的な表現との融合、触れて愛でる感覚」。1880年代以降、ガレは表面的なジャポニスムから、自身の技術との融合を果たす。ここで紹介されていたのは1880年代半ばから90年頃の作品なんだが、第一部後半の80年代前半の作品でも、すでに最初期の70年代末のぎこちないコラージュから飛躍的な発展を見せている。90年代に入っても表面的なコラージュに留まっていた他のデザイナーたちとの差は歴然としている。

 第三部は「浸透した日本のこころ――自然への視線、もののあはれ」。二十世紀に入ると、もはや完全にあのいかにもガレ的なごてごてとした重そうな、悪趣味寸前の作品ばかりが並ぶ。中には完全に不透明なガラス器もあって、どうも陶器の質感を表現しようとしたらしいのだが、そこまでやる意味が解らない。まあ模造宝石とかを作ろうとする試みで発達した工芸技術というのもあるわけで、この不透明なガラスの壷もすごく手間が掛かってるんだろうな、とは察せられる。しかし技法の解説をもっと付けてくれればよかったと思うよ。

 この時期、器の形などは確かに日本(と中国)のものだが、モチーフは日本美術というよりは、西洋の伝統的な博物学と日本の本草学が融合したような自然描写だ。ガレはジャポニスムに嵌まった1870年代後半にはすでに30過ぎで、1904年に白血病で亡くなっている。1880年代には早くも日本美術を自家薬籠中の物にしているとはいえ、そこからさらに発展させ完全なオリジナリティを確立したと言えるのは、晩年の十年ほどの期間だ。せめて後数年長く生きていたら(もしくは数年早く日本美術と出会っていたら)、どんなものを作っていただろうか、と惜しまれる。

 最後は「ガレと『蜻蛉』」。最も早い時期のものと思われる1875-76年の「蜻蛉と忘れな草」から晩年の作まで16点。小物入れ「蜻蛉」は第一部の「鳩」と同じ1881年のもので、形も似ているが、エジプト風の鳩と日本のモチーフの組み合わせという「鳩」と、遥かに完成度の高い「蜻蛉」を比べると、試行錯誤の跡が窺われる。

 それにしても、テーマも展示品の選択も悪くないと思うんだが、展示方法がなあ。会場が手狭だったとはいえ、行きつ戻りつしないといけないし、あちこちに人溜まりは出来てるし。裏側に回れない展示には、鏡を付けるとかしてほしいよ。「底面には云々」と解説付けるんだったら、底面も見えるように展示してくれ。こういうのって、会場ごとに差が出るよねー。

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