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王妃の紋章

 中国のとある王朝。皇帝には三人の息子があり、長子(皇太子)は先妻の子、第二、第三王子は現在の妃の子である。夫婦の仲は完全に冷え切っており、そればかりか妃は血の繋がらない皇太子と不倫している。妃は身体が弱く、漢方薬を十年来服用しているが、先日、皇帝が自らその調合を変えた。ごく微量だが、毒を混入したのである。それを知った妃は、何も気づいていない振りを装いながらクーデターを計画する。重陽の節句に宮廷警備の軍を動かし、皇帝を退位させ、第二王子を即位させるのである。実は彼女は前皇帝の娘であった。一介の武人が前皇帝に取り入って婿養子として跡を継ぎ、後に暗殺か何かによって亡き者としたのである。だから宮廷の軍は彼女に忠実であり、クーデターは復讐でもあるのだ。決行を目前に控えた日、皇太子と第二王子は共に計画を知ってしまう。皇太子は皇帝に密告するが、第二王子は母と共に滅びる覚悟を決め、彼女と前皇帝の紋章である菊の刺繍を身に着けて、反乱軍を率いるのであった。

 ……という話が、偶々同じ回を観て、偶々同じレストランで隣の席に座った母娘(娘は30代)が「解読」した『王妃の紋章』である。とりあえず、私が観たのはそういう話では全然なかった。

 ワイヤーアクションとCGを使った中国映画は、チャウ・シンチー以外はビタ一文期待していない。『グリーン・デスティニー』『HERO』『LOVERS』『PROMISE』と来て、もう誰が監督してようと誰が出てようと二度と観るまいと決意したのであった。にもかかわらず、なんでこれを観てしまったのかというと、私の学士論文は唐代文化で、主に女性の服飾を取り上げていたのだ。映画の情報を事前に収集するのは敢えて控えることにしているのだが、幾つか目にした記事では時代設定が「唐王朝末期」となっていた。私の専門は初唐と盛唐で晩唐は守備範囲外だが、まあスチールを見る限りではそれなりに考証した上でアレンジを加えました、という感じなので興味を覚えたのである。

 劇場に行き、パンフレットを買う。「中国、五代十国、後唐」……って、おいっ、唐代ちゃうやん。なんじゃそらー。おのれよくもたばかったな、と激昂しかけるが、考えてみれば五代十国を唐代と偽って何か得があるとも思えない(多くの人にはマイナーという点で五十歩百歩であろう)。たぶん誰か、五代十国を知らないライターがいたのだ。知らないからソースの「五代十国、後唐」を見ても、「五代十国」はスルーし、「後唐」という字面だけで勝手に唐末だと思い込んだのであろう。そして彼の記事を見たほかのライターたちは、ソースに当たらずにそのまま引き写した、といったところなのかもしれない。そういうことなら……知らないんならしょーがないよね……

 一応、女性服飾については周から民国までひととおりやったけど、五代なんて知らんがな。半世紀しか続かなかったから独自の服飾文化というのは特になくて、唐末から宋初への移行期といったとこだろな、と見当を付ける。作中の衣装も確かにそんな感じで、もちろんアレンジしてあるんだが、そのアレンジも悪くない。さすがアカデミー賞にノミネートされただけはある。男性服飾については、あんまり熱心に勉強しなかったんでよく憶えてないが、作中の衣装は女性のものほど正確ではないようである。でも男の服には女の服ほど興味ないから、どうでもええねん。衣装だけでなく髪型も、ああ、あれが元になってるデザインだな、と判別できるものが多い。化粧はもちろん現代風なのだが、それでも眉の形はそれなりに当時を参照している。

 求められる正確さというのは作風によっても異なってくるが、特定の文化を背景にする以上は、きちんとした文化考証を前提とすべきである。その上でどれだけアレンジするかは制作側のセンスだろう。知識もなしに「自由な想像」とやらでデザインすると、どんなデザイナーだろうと、その文化に対して抱いているイメージの貧弱さを驚くほど露呈することになる。その一例が『LOVERS』のワダエミで、インタビューによると資料がほとんど入手できなかったので「大部分は私の想像力を膨らませてデザインしました」。どのデザインも悲しくなってくるくらいしょぼい。台本がコロコロ変わる上に鳥インフルエンザの影響で中国に行けない、といった問題を抱えていたとはいえ、唐代服飾の資料くらい日本国内でも入手は簡単だ。大学図書館にある資料だけで学士論文を書いた(そしてそれで院まで行った)人間が言うんだから間違いない。

 今回、衣装以外には何一つ期待してなかったんだが、「豪華絢爛なセット」が、かなり細部まで作り込んであるようなのに、ちゃちく見えたのはなぜだろう。十数年前に行った中国で、立派な古寺のそこらじゅうにクリスマスに使うような電飾が巻き付けられていたり、鍾乳洞がピンクや水色、緑と色とりどりにライトアップされてたりして呆気に取られたものだが、それと同じノリなんだよな。しかしどうせ考証無視で花火を打ち上げるくらいなら、なぜ火薬を使ったインチキ兵器の一つや二つ出さないのか。

 それにしても、あのチャン・イーモウがアン・リーがチェン・カイコーが、なぜワイヤーアクション映画になった途端、荒唐無稽とすら言えない単なる支離滅裂なものを撮ってしまうのであろうか。今回はワイヤーもCGも比較的少なかったんだが、支離滅裂度はむしろ増していた。「陰惨な状況」というものだけをとにかく詰め込んだ結果、それらの状況同士の辻褄が合っていないのである。どのキャラクターも行動・性格ともに一貫性が皆無で、役者たちはよく演技ができるものだと感心する。皇太子役リウ・イェのヘタレっぷりはなかなかよかったが。なんとなく見覚えがあると思ったら、『PROMISE』の黒ずくめの人か。あの時は白塗りだったから老けて見えたけど、78年生まれか。

 原題は『満城尽帯黄金甲』。唐末に叛乱を起こした黄巣の故事で、これに基づいて妃と叛乱軍は菊の紋を掲げるのであるが、作中では一切説明がない(重陽の節句については丁寧に説明してるのに)。手持ちの漢和辞典にも現代中国語辞典にも載ってなかったが、現代中国人にとっては一般常識なんだろうか。『王妃の紋章』のタイトルで鑑賞する日本人には菊の紋の意味が解ろうはずもなく、上述の母娘のように妃の実家の家紋だと勘違いする有様である。いや、ひょっとすると邦題を付けた人もそう勘違いしていたのかもしらんな。

 隣の席の母娘は携帯で情報を調べながら、一生懸命「解読」し、それで結構な満足を得ているようだった。「解り易い」物語ばかりではなく、どう見ても支離滅裂で物語として成立していない作品がやたらと高い評価を得るという現象は、こういう人たちによって支えられているのだなあ、と思う。いや別に聞き耳立ててたわけじゃないですよ。大声で話してるから否応無しに聞こえてきたんです。

 ところで、『少林少女』はどうしようかなあ。

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