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佐藤亜紀明治大学特別講義Ⅱ-2

 絵画のヒエラルキーというものがあって、宗教画(神話画を含む)がトップで、次いで歴史画(現代史を含む)、最底辺が風俗画と静物画だったそうである。ただし宗教画が第一位で歴史画が第二位とはいうけれど、宗教画と歴史画の区別はあまりついていなかったようである。神や聖人とは無関係な史実とされている場面にも、宗教的寓意が盛んに登場する。

089_2  で、最初に挙げられたのが、アングルが晩年、市庁舎の天井画として描いたナポレオンなんだが、人物の顔がナポレオンであるというだけの実にやる気のない代物である。

 

Ingres_napoleon_on_his_imperial_t_2 もう一つは肖像画。ナポレオンはこれが嫌いだったそうだが、確かになんの嫌がらせだというか、よく不敬罪で処罰されなかったものである。

05ingres05 市庁舎のナポレオンが、英雄像という様式にナポレオンの顔を嵌め込んだだけであるのと同様、これも理想的な君主像という様式にナポレオンの顔(と体格)を嵌め込んだだけのものだ。確かに君主でこそないが神々の支配者ユピテルを描く時も、同じポーズを取らせている。ところで、王笏の角度の違いは、モデルの腕の長さの違いだね。

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 要するにアングルは、ナポレオンという個性にはまったく興味がなかったわけで、師のダヴィッドとは好対照である。講義で提示されたのはこのヴァージョンじゃなかった気がするが、まあポーズは一緒だ。

 ではそれまでの歴史認識がどういうものだったかということで、バロックの歴史画が二例。まず、ベラスケスの「ブレダ開城」。

Img_1142993_13596172_0_2 これは歴史というものは人間の小さな行為の積み重ねだという認識。歴史小説的な史観ともいえる。もう一例がルーベンスで、タイトルは「ユリエール開城」(だったと思う)。女神たちによって祝福される女性君主を描いたもので、歴史を作っているのは神だという認識。どちらもダヴィッドのナポレオン像とは異なる。彼は勝利の女神を必要としないし、歴史の一要素でもない。彼自身が歴史なのだ。

 もっともこれはこれで理想化が甚だしいとも思えるが、ダヴィッド本人も含め、当時の人々にはナポレオンがこのように見えていたらしい。ここで話は横道に逸れ、当時の人々にとって遠くから仰ぎ見るナポレオンは光に包まれており、本人を目の当たりにしてさえ、なお光に包まれていた、というエピソードが語られる。若き日のメッテルニヒ(ナポレオンの軍隊に家を焼かれている)でさえそうで、本人に会えるのを心待ちにし、実際に会ってさえ幻滅しなかったという。ただし彼の場合は、ナポレオンの口の悪さにすっかり感嘆していたそうだが(口の悪さを頭の良さの表れだと思ったらしい)。「メッテルニヒが見たナポレオンの口の悪さの物真似」というすごい芸が披露される。メッテルニヒの書簡にほんとに書いてあるんだそうな。『メッテルニヒの伝記』にも書かれるんだろうか。楽しみだ。

Gericaulthorseman 話は元に戻る。ナポレオン効果は彼の軍隊にまで及んでいて、その好例がこのジェリコーの絵。

 単独だとそうでもないが、この流れで眺めると、あんまり正気の沙汰に思えない。一兵卒に至るまで、ナポレオンの軍隊として出兵しているだけで、「光に包まれているような気がした」そうである。

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