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佐藤亜紀明治大学特別講義Ⅱ-3

 カギ括弧付「歴史」という概念は現在でも生きている。そういう「歴史」を望む人は少なからずいるのである。そんな「歴史」の中で、個々の人間の顔はどうなるのか。

Eugc3a8ne_delacroix__la_libertc3a9_  ドラクロワ「民衆を導く勝利の女神」 左側、明らかに異なる階級に属する二人の男が肩を並べている。二人の顔付きは、まったく同じである。革命を望む者が望むものというのは、つまりこれだ。階級をはじめとするあらゆる差がなくなり、すべての人が同じ顔になる。

Eugc3a8ne_delacroix__le_massacre_de  もう一つドラクロワ。垂れ込めた暗雲から覗く澄んだ青い空は、わざわざ後で描き足したそうである。そのメンタリティ。ギリシャの独立運動が、英露のオスマン・トルコ割譲問題に端を発しているという視点が、完全に抜け落ちている。

 ドラクロワのコロニアリズムの例として、ほかに「モロッコのスルタン」と「アルジェの女たち」。

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  これらに対してアングルの「トルコ風呂」が挙げられる。 彼はドラクロワと違って東方に行ってはいないが、世界各地から裸婦の図版を集めてスケッチしていた。すでにそういうことが可能な時代になっていたわけだ。で、そういうスケッチをさらに自分の「絵柄」で描き直してまとめたのが「トルコ風呂」。 つまりこの絵はアングルの「女体コレクション」だったわけである。一番手前の横たわる女性の身体つきなんかは、明らかに西洋の裸婦像の系譜とは異なっていて、インドのエローラ石窟寺院の影響が見られるそうである――えーと、このエピソード、何かで読んだことある。先生のエッセイでだったっけ。あれ?

 また、この絵はハーレムの浴場ではなく公衆浴場(ハンマーム)だ、という説があるそうだが、私が読んだハンマームの本によると、当時、中東に赴いた西洋人男性の妻たちの手記が出版されていて、ハンマーム体験もそれらには含まれていたそうである。彼女たち自身はハンマームの快楽に猥褻さがまったく含まれていないことに驚いているのだが、刊行された本には男性の画家による(当然ながら空想による)淫靡な挿絵が付けられていて読者の妄想を大いに掻き立てた。それらの挿絵とアングルの「トルコ風呂」の類似が指摘されている。さらに「トルコ風呂」のフレームが円形なのも、これが覗き見(鍵穴等からの)であることの暗示だそうな。

 てなことを考えていたら、ノートを取るのが疎かになっていた。ドラクロワとアングルのコロニアリズムの違いについて、なんて言ってたっけ。テーマの「『歴史』による顔の剥奪」は、つまり「民衆を導く勝利の女神」とエイゼンシュタイン等の全体主義プロパガンダとの共通点てことだったよな。次回は夏休み明けになってしまうので、それまでに宿題としてブローデルの『地中海』が課される。夏休みの宿題なんて、大学の一年次以来だ。

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