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国立科学博物館常設展

 骨とかホルマリン漬けとか剥製とか化石とか鉱物標本を見ると、なんでこんなにワクワクするんだろう。関西にいた頃から、いつか行こうと思っていた科博常設展に行って参りました。

 確か4歳の時だったから1977年のはずだけど、TVで恐竜のアニメ・シリーズが放映されていた。ストーリー物というよりは、恐竜についての教養番組の付随企画のようなものだったように記憶している。そういう番組じゃなければ、観るのを許可されてなかったはずだしな。でも、ネットで調べても該当するものが出てこない。それはともかく、私はその番組が大好きで、恐竜も大好きで、女の子なのに恐竜の絵ばかり描いていた。それが長じて「生物学と歴史」という方向に行く。地質学や天文学が好きなのも、それが「歴史」だからだよなー。

 しかし当時、恐竜の復元図というのは、現在のものよりも随分ずんぐりしていた。今の恐竜のほうが格好いいとは思うけど、4,5歳当時の私だったら怖がっていただろう。あれは「恐竜=原始的=鈍重」という固定観念に基づいたイメージだけど、でも可愛かったよな。

 だから今でも恐竜は好きだけど、巨大哺乳類のほうがもっと好きである。やっぱり爬虫類より哺乳類のほうが可愛いから。化石でも哺乳類のほうが可愛い(巨大鳥類も可)。でかいもの好きは変わってない。というわけで、最大の目的は絶滅哺乳類の化石標本だったんだけど、午前11時前には博物館入りしたのに、途中までしか観ることができませんでした。絶滅哺乳類のコーナーは最後の十分間で駆け足で回る。目くるめく体験というか、何か違う。

 ほかの展示もおもしろかったけどねー。理科室だ、理科室。じっくり見てたから時間切れになっちゃったんだよ。和時計のコーナーもありましたが、実用品じゃなくて工芸品の域だな。江戸時代の眼鏡、虫眼鏡、顕微鏡の名称で、靉靆(あいたい)という謎の語に遭遇。広辞苑や大漢和で調べたところ、1、雲の盛んな様子 2、暗い様子 3、眼鏡の異称、とあった。なぜ眼鏡の異称になったのかは書かれていない。さらにネットで調べたら、どうもアラビア語の「眼鏡」の中国語音写らしい。へー。広辞苑では「老眼鏡の異称」となってるのは、かつて眼鏡は老人専用だったからだろうな。とりあえず、現代中国語ではもう使われていないようだ。

 とても楽しい一日でした。また来よう。

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コロー展

 国立西洋美術館。カミーユ・コローは1796-1875だから、ドラクロワ(1798-1863)よりちょっと年上なんだが、「キオス島の虐殺」がサロンに出品された1824年の時点では、ようやく画業に本腰を入れ始めたところである。しかし死の直前まで描き続けていたので、活動期間は結構長い。その画風は光や皮膚の表現なども含めて、明らかにドラクロワより後の時代に属する。コローの風景画には、印象派以降の画家たちがかなり影響を受けたそうで、彼ら(ドニ、シニャック、ドラン、セザンヌ、ルノワール等、人物画ではピカソも)の絵も一緒に展示してある今回の構成もあって、余計にそう感じられたのかもしれない。

 子供の頃、市立図書館に毎週末通っていたのだが、そこには小さな美術館も併設されていて、時々父と観に行った。「どうして油絵って、筆の跡が残ってたり、皮膚を塗るのに変な色を使ったりするの?」と何度も尋ねては、父を困らせたものである。要するに近代以降の技法のことを言ってたわけだが、父がどう答えたのかは憶えていない。満足の行く答えではなかったのだろう。未だにそういう絵は、「観察」するならともかく、「鑑賞」するなら少し距離を置いて眺めるのがいいと思っている。だからガラス付の額縁は、やめてほしいんだがね。近代絵画に限ったことじゃないけどさ。

 木々と水の表現が素晴らしい。「光」の表現に関してなら、それを求めた印象派たちよりも実は成功しているのではないか。夏の田舎道の光と影のコントラストも悪くないが、森や田園風景の木々と水の、陶然とするような美しさは破格。しかしサロンの出展された作品は、そうした風景の中に神話の人物を配したもので、当時は一般的なテーマだったそうだが、凡庸というか、うーん、なんだろ。人物中心の絵でも修道衣の老人とか、ギリシャ風の衣装の女とか、妙に「コスプレ風」なんだよな。これはコローに限ったことじゃなくて、ロマン主義より後の画家には共通とも言えるんだけど。いや、ロマン主義以前だって、神話画(宗教画、歴史画含む)の人物の衣装その他を、当世風じゃなくて古代風というかそれっぽいもので描くようになってからは、すべてコスプレなのに変わりはないんだけどさ。画風や感性の違いなのかね。イラスト的というか。

 というわけで、人物画も「真珠の女」、「青い服の貴婦人」等の別格はあるけれど、やはりコローは風景画、それも木々と水の人だと思いました。それも後期の「空想的風景画」じゃないほう。

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ナルニア国物語第2章

 カスピアン王子の角笛。

 なんの期待もしていなかったので、失望もしなかった。『ライオンと魔女』は、子供が喜ぶディテールがたくさん詰め込まれているけど映画向きな盛り上がりには欠ける原作を、ディテールを切り捨て、アクションを無理やり押し込んだ、制作者の無能を示す作品だった。今回は原作にも戦闘場面はふんだんにあったわけだが、制作者はそれに脊髄反射で飛び付き、地に足の着いたディテールはまたしても切り捨てた結果、児童文学的要素と凄惨な戦闘場面が甚だしくそぐわない。しかも前回と同じく、作品を支える細部が捨てられ、残った児童文学的要素が実にしみったれた「子供だまし」レベルなのである。あんたら、子供を馬鹿にしてるだろ。

 原作では13歳くらいのカスピアン王子を、26歳のベン・バーンズが演じているというのが、この作品のすべてを象徴している。確かに13歳では幼すぎるだろうけど、せめて長男ピーター役のウィリアム・モーズリーと同年代(1987年生まれ)にできなかったのか。ベン・バーンズは『スターダスト』の時は、チョイ役にしてはえらく男前だと思ったけど、王子キャラには興味がないので、今回はどうでもいい。スーザンとの取って付けたロマンスも、もうほんとにどうでもいいよ。

 とりあえず、前回は動物のCG(特にビーバー夫婦)が安っぽいにもほどがある出来だったが、今回はだいぶマシ。巨人の間抜けさや、ふくら熊の前足をしゃぶる癖といった原作の笑いのエピソードを削いだ上で、愚にもつかないギャグを入れるのは勘弁してくれ。でも、画面の端っこで熊が前足をしゃぶってたので赦す。「白い魔女」の登場は悪くなかった。というか、このスタッフ陣にすれば、という限定付にすれば、むしろ上出来。まあ単にティルダ・スウィントンが見れて嬉しかったというのもあるけど。音楽のハリー・グレッグソン・ウィリアムズはいつも以上のやっつけ仕事で、ほとんど『キングダム・オブ・ヘブン』の編曲レベルだった。

 テルマール人の国家がどんなものだったのか、まったく描かれないので、戦いの後、民衆がナルニアの異形の者たちをまるで解放者のごとく迎える場面が白々しいことこの上ない。もうどうでもいいというか、何も言いたくないんだけど。以下、次作『朝びらき丸、東の海へ』について、ネタばれ注意というほどのことでもないんだけど、一応注意。

 今回のどうでもいいロマンスで、スーザンが「わたしは1300歳も年上だから、うまくいかないわ」とか言うんだが、これは次回への伏線に違いないと予測。カスピアンがどっかの島の領主から娘との縁談を持ち掛けられたりするから、その際、ルーシーに「スーザンのことが忘れられないのね」とか言われたりして、で、最後に星の娘とくっついて、「やっぱり年上が好みなのね」とかそういったことをウニャウニャやるつもりだろう。ただし、伏線を張ったことをスタッフが忘れている公算も高そうだ。

第3章感想

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佐藤亜紀明治大学特別講義Ⅱ-1

 前置きはGTA4およびピクサーアニメのクオリティの高さと、現代アートについて。サブカルチャーという扱いでアートとは認められない場所からの挑戦に、現代アートは応えられなくなっている。その理由の一部は、単純に物量の問題である。ゲームやアニメ一本に注ぎ込まれる金銭と人材は、個人で太刀打ちできるようなものではない。

 話を聞いていて、すごくGTA4がやりたくなり、悲しくなる。しゃれにならないくらい不器用なので、アクションゲームには手が出せないのである。一番いいのは、誰か上手な人がプレイしてるのを見物させてもらうことだが、生憎、現在はそういう相手がいない。

 本題はアングル(1780-1867)を俎上に、「『歴史』による顔の剥奪」。カギ括弧付きの「歴史」である。最初の画像は、「ベルタン氏の肖像」。089  新聞社の社長だそうだけど、そんな来歴を知らなくても個人の歴史(カギ括弧付ではない)が凝縮された顔である。ただし、こういった肖像はアングルの作品ではむしろ珍しい。彼がどういったものを「美」と捉えていたのか、ということで出されたのが、女性の顔を真正面から描いた肖像。完全な左右対称の顔で、顔の片側に影さえ付けていないので、かなり異様な印象である。同じ女性を後に別の画家が描いた肖像があるが、確かに美人とはいえ、当然ながらアングルが描いたほど左右対称ではない。この完全左右対称の肖像と非常によく似た完全左右対称の女神(大きな絵の一部と思われる)もある。

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 完全左右対称の女性像というのがもう一つある。一見するとラファエロ風なんだが、 聖餅がこんなふうに立つわけがないし、こんなふうに真円なのも妙である。しかしアングルにとっては、こうでなくてはならなかった。それと同じ理屈で聖母の顔は完全左右対称で、指は長過ぎ、首の角度もちょっとおかしくなければならなかった、ということ。

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 聖性を表現というより、彼にとっての「完璧な美」を表現するには、そうでなければならなかったのである。というわけで、出てきたのが「グランド・オダリスク」。

 背骨の数が多すぎるという批判は、アングルにとっては的外れもいいところである。美しい背中を描くためには、解剖学なんかどうでもよかったのだ。なんか三十二相みたいだな、と思う。あれは聖性を表現するためのものだが、それと視覚表現とを摺り合わせた結果、写実性は無視しているが美しい仏像が生まれたわけだ。アングルも、まず「完璧な美とはこうでなければならない」という理念があって、それに適合させるために写実性を無視している。で、その理念というのはどこから来たのか、という話。

 アングルというと、古典主義の人、ということになっているが、それは当時、ロマン主義に対抗できる人材がいなかったので、アカデミーの連中が勝手に担ぎ上げただけであって、アングル自身はずっとイタリアにいて、母国の論争にはまったく無関心だったそうである。彼の絵からして、古典主義とは明らかにずれがある。その彼が、初めてイタリアに行った時の言葉が、「私は騙されていた」。何について騙されていたのか、説明はない。とりあえず、母国で習ったイタリア絵画論と、実際に現地で眺めたものとの食い違い、というのは推測できる。

 上の「聖母と聖餅」が出た時、首と身体の捻りの角度が「あれ」にそっくりだなあと思ったのだが、ここでやはり出ました。Parmigianino_003

 手の形にも共通点がありますね。つまりアングルはイタリアで、マニエリスムを発見したのではないか。画家というのはそれぞれ「ベラ・マニエラ」(美しい手法)を持っていて、それらを寄せ集めたら「完璧の美」が出来上がる――という理念に端的に示されるように、マニエリストたちは自然ではない美しさを追求した。一方、「自然というものは美しい。その自然を完璧に模写したら、完璧の美が出来上がる」という素朴な理念を持つ新古典主義は、当然ながらマニエリスムとは相容れない。

 アングルの美は自然から切り離されたものであり、まさにマニエリスムだ。その彼の影響は、19世紀ではなく20世紀の画家たちに強く及んでいる。彼らの試みを一言で言うなら、芸術を自然から切り離そうというものである。

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佐藤亜紀明治大学特別講義Ⅱ-2

 絵画のヒエラルキーというものがあって、宗教画(神話画を含む)がトップで、次いで歴史画(現代史を含む)、最底辺が風俗画と静物画だったそうである。ただし宗教画が第一位で歴史画が第二位とはいうけれど、宗教画と歴史画の区別はあまりついていなかったようである。神や聖人とは無関係な史実とされている場面にも、宗教的寓意が盛んに登場する。

089_2  で、最初に挙げられたのが、アングルが晩年、市庁舎の天井画として描いたナポレオンなんだが、人物の顔がナポレオンであるというだけの実にやる気のない代物である。

 

Ingres_napoleon_on_his_imperial_t_2 もう一つは肖像画。ナポレオンはこれが嫌いだったそうだが、確かになんの嫌がらせだというか、よく不敬罪で処罰されなかったものである。

05ingres05 市庁舎のナポレオンが、英雄像という様式にナポレオンの顔を嵌め込んだだけであるのと同様、これも理想的な君主像という様式にナポレオンの顔(と体格)を嵌め込んだだけのものだ。確かに君主でこそないが神々の支配者ユピテルを描く時も、同じポーズを取らせている。ところで、王笏の角度の違いは、モデルの腕の長さの違いだね。

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 要するにアングルは、ナポレオンという個性にはまったく興味がなかったわけで、師のダヴィッドとは好対照である。講義で提示されたのはこのヴァージョンじゃなかった気がするが、まあポーズは一緒だ。

 ではそれまでの歴史認識がどういうものだったかということで、バロックの歴史画が二例。まず、ベラスケスの「ブレダ開城」。

Img_1142993_13596172_0_2 これは歴史というものは人間の小さな行為の積み重ねだという認識。歴史小説的な史観ともいえる。もう一例がルーベンスで、タイトルは「ユリエール開城」(だったと思う)。女神たちによって祝福される女性君主を描いたもので、歴史を作っているのは神だという認識。どちらもダヴィッドのナポレオン像とは異なる。彼は勝利の女神を必要としないし、歴史の一要素でもない。彼自身が歴史なのだ。

 もっともこれはこれで理想化が甚だしいとも思えるが、ダヴィッド本人も含め、当時の人々にはナポレオンがこのように見えていたらしい。ここで話は横道に逸れ、当時の人々にとって遠くから仰ぎ見るナポレオンは光に包まれており、本人を目の当たりにしてさえ、なお光に包まれていた、というエピソードが語られる。若き日のメッテルニヒ(ナポレオンの軍隊に家を焼かれている)でさえそうで、本人に会えるのを心待ちにし、実際に会ってさえ幻滅しなかったという。ただし彼の場合は、ナポレオンの口の悪さにすっかり感嘆していたそうだが(口の悪さを頭の良さの表れだと思ったらしい)。「メッテルニヒが見たナポレオンの口の悪さの物真似」というすごい芸が披露される。メッテルニヒの書簡にほんとに書いてあるんだそうな。『メッテルニヒの伝記』にも書かれるんだろうか。楽しみだ。

Gericaulthorseman 話は元に戻る。ナポレオン効果は彼の軍隊にまで及んでいて、その好例がこのジェリコーの絵。

 単独だとそうでもないが、この流れで眺めると、あんまり正気の沙汰に思えない。一兵卒に至るまで、ナポレオンの軍隊として出兵しているだけで、「光に包まれているような気がした」そうである。

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佐藤亜紀明治大学特別講義Ⅱ-3

 カギ括弧付「歴史」という概念は現在でも生きている。そういう「歴史」を望む人は少なからずいるのである。そんな「歴史」の中で、個々の人間の顔はどうなるのか。

Eugc3a8ne_delacroix__la_libertc3a9_  ドラクロワ「民衆を導く勝利の女神」 左側、明らかに異なる階級に属する二人の男が肩を並べている。二人の顔付きは、まったく同じである。革命を望む者が望むものというのは、つまりこれだ。階級をはじめとするあらゆる差がなくなり、すべての人が同じ顔になる。

Eugc3a8ne_delacroix__le_massacre_de  もう一つドラクロワ。垂れ込めた暗雲から覗く澄んだ青い空は、わざわざ後で描き足したそうである。そのメンタリティ。ギリシャの独立運動が、英露のオスマン・トルコ割譲問題に端を発しているという視点が、完全に抜け落ちている。

 ドラクロワのコロニアリズムの例として、ほかに「モロッコのスルタン」と「アルジェの女たち」。

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  これらに対してアングルの「トルコ風呂」が挙げられる。 彼はドラクロワと違って東方に行ってはいないが、世界各地から裸婦の図版を集めてスケッチしていた。すでにそういうことが可能な時代になっていたわけだ。で、そういうスケッチをさらに自分の「絵柄」で描き直してまとめたのが「トルコ風呂」。 つまりこの絵はアングルの「女体コレクション」だったわけである。一番手前の横たわる女性の身体つきなんかは、明らかに西洋の裸婦像の系譜とは異なっていて、インドのエローラ石窟寺院の影響が見られるそうである――えーと、このエピソード、何かで読んだことある。先生のエッセイでだったっけ。あれ?

 また、この絵はハーレムの浴場ではなく公衆浴場(ハンマーム)だ、という説があるそうだが、私が読んだハンマームの本によると、当時、中東に赴いた西洋人男性の妻たちの手記が出版されていて、ハンマーム体験もそれらには含まれていたそうである。彼女たち自身はハンマームの快楽に猥褻さがまったく含まれていないことに驚いているのだが、刊行された本には男性の画家による(当然ながら空想による)淫靡な挿絵が付けられていて読者の妄想を大いに掻き立てた。それらの挿絵とアングルの「トルコ風呂」の類似が指摘されている。さらに「トルコ風呂」のフレームが円形なのも、これが覗き見(鍵穴等からの)であることの暗示だそうな。

 てなことを考えていたら、ノートを取るのが疎かになっていた。ドラクロワとアングルのコロニアリズムの違いについて、なんて言ってたっけ。テーマの「『歴史』による顔の剥奪」は、つまり「民衆を導く勝利の女神」とエイゼンシュタイン等の全体主義プロパガンダとの共通点てことだったよな。次回は夏休み明けになってしまうので、それまでに宿題としてブローデルの『地中海』が課される。夏休みの宿題なんて、大学の一年次以来だ。

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白い果実

 ここのところ更新頻度がやや上がっているのは、以前は記事を一度に書いていたので、まとまった時間が取れる時しか書けなかったのを、ちょっと時間がある時にちょっとずつ書くようにしてるからである。というわけで『白い果実』。ジェフリー・フォード著、金原瑞人・谷垣暁美による訳を山尾悠子がリライト。

 第一部は素晴らしい。主人公がヘタレで、しかもただのヘタレではなく、ものすごく嫌な男なのである。第二部は主人公が改心してしまうのでがっかりだが、イメージの点描は上質。第三部はガクンと凡庸。訳文までもが同じ経過を辿る。朝から読み始めて、昼過ぎに読み終えた時には非常に意気消沈し、その日はそのまま仕事に手がつかなかった。こういうことがあるから、小説を読むのは苦手だ。

 やっぱり何がよくないって、主人公が悔い改めて真人間になってしまうことだろう。ヘタレは後悔や反省はしても、成長できないからこそヘタレなのである(打たれ強くなるのは可)。成長してしまったら、それはもうヘタレではなく別の何かだ。この世界を支配する「観相学」が、あまり活かされていないのも残念。歪んだ世界で歪んだ主人公が振り回す歪んだ学問として素晴らしかったのに、第二部以降は単なる似非学問以下に引き下げられてしまうのがつまらない。

 第三部の舞台となる「理想形態市」も、その名称にかかわらず活写されているとはいえない。ただ、なんとなくイメージされたのは、ファイナルファンタジー・シリーズにしばしば登場する極度に人工的な大都市だった。乗り物とかショップとかいろいろ揃ってるんだけど、住むのは不便そうな。その程度の独創性だということなんだろうが、それを山尾悠子の描写(精彩を欠くとはいえ)で読めるのは、結構貴重かもしれない。

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ブラッドハーレーの馬車

『おひっこし』が大好きで、『無限の住人』は中途脱落した(江戸時代はドタバタしてる初期と末期以外は苦手だ。たとえ架空の江戸であっても)私には、どうにもギャグ漫画に思えて仕方がないのである。いやたぶん、映画版『嫌われ松子の一生』に先駆けて「涙のランチョン日記」を描いた作者であるから、「悲惨さは容易にスラップスティックな様相を帯びる」という観点からのみギャグ漫画として読むなら、きっと赦してくれるだろうと思う。だが、それだけじゃないから困ったものなんだよなあ。

 舞台は一応ヨーロッパなので、キャラクターは白人ばっかりである。女の子たちの造形は日本人キャラとの描き分けがあんまりできていないが、それ以外(成人女性、全年齢男性)は一応、白人顔として描き分けが為されている。そうするとだね、たとえば或るキャラの或る表情とかを、「あ、バローネ(『おひっこし』に登場する日伊ハーフ)とおんなじだ」とか、つい思っちゃうのである。いや、困ったもんだ。

 漫画の読み方としては間違ってるというか、やってはいけないことだよな。でも、そもそも『おひっこし』のおもしろさの一部は(あくまで一部だが)、「『無限の住人』の絵柄そのままで青春ラブコメをやる」ところにあったわけだし、こんな事態になってしまうのも、すべてのコマを記憶しているくらい『おひっこし』を読み込んでるからだとも言えるし……

 あー、でもギャグとしてじゃなくても、『ブラッドハーレー』はおもしろいです。悲惨で陰惨なシチュエーションを、徹底して「劣情を催すための装置」としてのみ使っているところが、いっそ清々しい。漫画に限らず、一般的にこのようなシチュエーションは「エモーションを催すための装置」として使われ、そのエモーションは最終的にはカタルシスを導くものとして使われます。作家によっては喚起しようと目論むエモーションの中に劣情が含まれている場合もあるけど、それは自分の嗜好を肯定しつつ読者の興味を惹き付けておくためで、あくまで目的はカタルシスであるのが、一般的な作品(フィクションに限らない)です。

『無限の住人』は確か五、六年前までは読んでいたが、少なくともその時点では、たびたび登場する悲惨で無惨なシチュエーションは、最終的にカタルシスをもたらすための手段であり、だから広汎な読者に受け入れられるのである。一方『ブラッドハーレー』では、少女たちの無惨な運命は投げっ放しで、カタルシスは用意されていない。劣情を喚起することが最終目的であり、すなわちポルノなのである。もっとも、嗜好が偏りすぎていて、直結で劣情を催す読者はそういないし、催したとしても良識が邪魔して自認できない人もいるだろう。認識されるのは、ただただ陰鬱な、暗澹たる気分である。

 世の中には悲惨なシチュエーションをこれでもかと提示して、「ほーら、悲惨だろう衝撃的だろう」と鑑賞者を暗澹たる気分に陥れて悦に入る作家もいるが、沙村広明はそういう手合いとは違う。つまり「女虐めたいだけじゃねえか」、ラース・フォン・トリアーと一緒なのであるが、トリアーと違って鼻につかないのは、表面を取り繕ったりしないからであろう。トリアーが悲惨さを盛り上げるために仕込んだ要素に、自動反応して感動する観客がいるように、『ブラッドハーレー』の悲惨さを盛り上げるために仕込まれた要素に自動反応して感動する読者もいるかもしれない。でも、ポルノだから。

 単なるSMとはまた違った、「悲惨萌え」というのはポルノの一つの定型といえるかもしれないが(決して詳しいわけではないので、間違っていたら申し訳ない)、「不遇な少女がお金持ちの家に貰われて、幸運を喜んだのも束の間、どん底に叩き落される」というシチュエーションは、昔の少女漫画によくあったような気がする。いや、70年代以前の少女漫画にも詳しくないので印象論に過ぎないかもしれないが、たとえば『キャンディ・キャンディ』の序盤も、どん底というほどではないがこのパターンだよな。

 で、80年代前半くらいまでは「不遇な少女がさらに不幸な状況に陥って、救いも何もなく悲惨な末路を迎える」という短編や中編の少女漫画を、ちらほら見掛けたように記憶している。『ブラッドハーレー』の少女たちの友情や嫉妬、昔の友人からの手紙が実は偽物だった、等の要素は、実に往年の少女漫画的だ。もちろん少女漫画では露骨な性的虐待こそなかったが、ちょっと高めの年齢向けでは性的な仄めかしはあったし、何より共通しているのは「悲惨萌え」である。

 したがって、「定型に忠実かつ、そこからの逸脱」という点に於いて、『ブラッドハーレーの馬車』は「涙のランチョン日記」と同じ系統と言えるだろう。それを両作品とも、このクオリティでやってるから素晴らしいのである。ほんと、よくやるなあ。

『ハルシオン・ランチ』感想

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ナイトウォッチ

 セルゲイ・ルキヤネンコ著。映画は一昨年、DVDで鑑賞。

 映画のほうがおもしろかった気がする。小説のほうは長編といっても、独立した中篇三本から成り立っていて、映画はその最初の一本を膨らませてるわけだから、当然ディテールは凝っているのだ。設定も変えてあるだけでなく、原作で活かせていない設定を巧く使いこなしている。たとえば、敵対する者同士のなんとなくの馴れ合い(「光」のエージェントが「闇」のエージェントと同じアパートのお隣同士で物を貸し借りしたりする)や、日常の重さ侘しさ、さらにはしょぼさといった、実にロシア的な要素である。原作にもあるにはあるのだが活かされていないそれらを、映画では丁寧に拾い上げている。映像の力に拠る部分もあるのだろうが、やはり脚本と演出がよいのだろう。

 原作の欠点がそのまま反映されている部分もある。オリガが梟である必然性がまったくないところとか。そもそも原作の重大な欠点の一つは、キャラクター小説として書かれるべきなのに、各キャラが全然立っていないことだ。それは映画にもそのまま当て嵌まる。意図的にやってないとか、やろうとしたけど出来なかったとかいうより、キャラクター性という概念が欠如している気がする。敵のボスはなかなかキャラ立ちしていたが。それに主人公のアントンが青年からおっさんになっているのは已むを得ない変更だとしても、ヒロインに全然魅力がない女優を起用するのは問題だろう。あれが監督の好みなのかもしれないが。二つの事件が平行して進むのは原作も映画も同じだが、原作では一応その必然性があったのに対して、映画では必然性がなくなってしまっているので、散漫な印象が強くなっている。

 善悪の境界の曖昧さは、後の二つの中篇にも共通している。エピソード3の光のエージェントたちが別荘に集まって飲んだりやったりと風紀の乱れた一夜を過ごすのだが、まったくオルギア的ではなく、ひたすら物憂げなのもまたロシアっぽい。

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アドルフの画集

『対比列伝 ヒトラーとスターリン』という本がある。アラン・ブロック著、草思社、2003年刊(原著は1991/98)。内容はタイトルどおりである。それによるとスターリンの個性は驚くほど人間味に欠けており、逆にヒトラーは「弱い」という意味ではこれ以上ないほど人間的であった。というか、美術大学を目指して苦学していた、というか苦学する振りをしていた若き日のヒトラーの駄目人間振りが、既視感がありすぎる。逃避と欺瞞と責任転嫁。ぐあーっ。

 もちろん「理解できる」からといって、共感や親近感なんぞは覚えない。あるのは同類嫌悪を通り越した、ほとんど憎悪である。こんな奴が身近に現れたら、全力を挙げて私の人生から締め出してやる――と、髪を掻き毟りたくなる思いで読んでいたわけだが、著者によると、ドイツ人たちはヒトラーの精神的な弱さをちゃんと承知していたそうである。そうして、「守ってあげたい」と思っていたというのである。そうか、第三帝国の国民は「総統萌え」やってんなあ。

 というわけで、『アドルフの画集』をようやく観た。「怪物の誕生」を描いた作品であり、つまり以下のような筋である。

 裕福なユダヤ人男性が、一匹の野良犬に出会う。老犬ではないが、あんまり若くもなく、痩せこけて血走った目をした、触るのも躊躇われるような汚い犬である。やたらと付き纏ってくるのだが、あまりにも惨めったらしいので、邪険にするのも気がひける。それに懐く相手はこの男性だけなのだが、媚び方、甘え方もよくわからないらしい、非常に不器用な懐き方なのが却って気に掛かる。

 そういうわけで、なんとなく面倒を見てやってしまうのだが、実はこの犬はある特殊なウイルスの宿主なのであった。空気感染するこのウイルスは、犬と男性が出会った時点ではごく感染力が弱く、性質も安定していなかった。男性はウイルスの存在に気づかぬまま、その性質を「感染力は強いが毒性は弱い」方向へと導く役割を担うことになるのだが、一方ヴェルサイユ条約で縮小された陸軍が、ウイルスを利用しようと目論んでいた。男性の尽力が裏目に出たり、あれやこれやの末に陸軍の企みは功を奏する、というか企み以上にウイルスは強毒性を発揮し始める。犬が口から泡を吹いてギャンギャン吠え立てるや、大衆はたちどころに感染し、凶暴化して非感染者に襲い掛かるのであった。

 ノア・テイラーは特に似た風貌ではないのに、登場した瞬間に若き日(といっても30目前だが)のヒトラーだと判別できる。目がいってるというのもあるんだが、最大のポイントはあの前髪の垂れ具合だろう。あの前髪に、思わず目を背けたくなるような自意識を滲ませている。ジョン・キューザックは、ノア・テイラーとの体格差からの配役だろうな。しかし老けないな、この人は。

 やたら半端なネクロフィリア映画『キスト』以来のモリー・パーカー(『ハリウッドランド』にも出てたらしいが、思い出せない)。なんだか顔が変わったな。キストの時は、顔立ちは普通に白人なのに妙に日本人ぽく見えて、どうも涙腺があまり露出していない東洋的な眼をしてる上に、表情もどことなく日本人的だったんだが、別に今回はそんなことなかったな。リリー・ソビエスキー、『アイズ・ワイド・シャット』での印象の強さは、やはり一過性で終わるのか。

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ロシアのダーウィニストたち 其の一

『ロシアの博物学者たち』という本がある。ダニエル・P・トーデス著、垂水雄二訳。副題は「ダーウィン進化論と相互扶助論」。刊行は原著が1989年、翻訳が92年だが、別に内容は古くなってないと思う(というか、それ以来研究が進んでるような分野じゃないというか)。

 ダーウィンが用いた「生存闘争」という語は、進化の過程を説明するために、マルサスの『人口論』に関連付けた「隠喩」であり、なぜ『人口論』かというと、それが19世紀半ばのイギリスでは非常に膾炙していたからだった。ところがロシアでは、マルサス主義は激しい嫌悪を引き起こす一方、ダーウィン進化論は大歓迎された。しかしダーウィニズムとマルサス主義の関連は、誰の目にも明らかである(ダーウィン自身が明言しているのだ)。ここからロシアのダーウィニストたちの苦悩が始まる――というお話。

「人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術数的にしか増加しない」『人口論』は刊行当時(第一版が1798、第二版が1803)に主流だった楽観的な未来予測を厳しく批判したものだった。その頃からイギリスが急激な人口増加へと向かい始めたこともあり、予言的な思想として広く普及し、19世紀を通して「一般常識」であり続けた。また、ダーウィンが進化論を構想する上で常に念頭においていた「自然」は、ビーグル号の航海で目にした南米のジャングル、すなわち生命がひしめき、同種もしくは異種の個体同士が少ない資源を奪い合う環境だった。彼にとってはその「自然」と、人がひしめく個人主義と階級闘争のイギリス社会とを関連付ける隠喩は、ごく当たり前の発想であり、それはイギリスの読者にも抵抗なく受け入れられたのである。

 一方ロシアでは、広大な国土には人も獣も疎らにしか棲息せず、社会には農民と地主の二大階級しかなく、階級闘争が起こるような状況ではなかった。「ひしめく個体が少ない資源を奪い合う」という構図はロシア人の想像の限界を超えていたし、それを社会に当て嵌めてみることも無理だった。そういうわけでロシアにとって、『人口論』はまったくあり得ない不自然な思想であり、刊行から半世紀近く、ほぼ完全に無視されてきた。1840年代に入って、ようやく知識人たちの間で知られるようになるが、それは批判の対象としてだった。彼らは揃って『人口論』の冷徹さに怖気を奮い、それをイギリスの個人主義と功利主義に基づくものだと理屈づけたのである。保守派はロシアの伝統的な共同社会への脅威と見做し、急進派は資本家擁護の反動とした。

 1859年の刊行からわずか5年後にロシア語版が出た『種の起源』は、非常に好意的に受け入れられた。しかしすぐにロシア人たちは、前述のとおり深刻な問題に直面する。素晴らしい理論であるはずのダーウィン進化論が、どうしてマルサス主義なんぞと結び付くのか――右も左も大いに悩んだ結果、共通した解決策を見出した。ダーウィンとマルサスを切り離すことにしたのである。ダーウィンを見捨てる者も、マルサスを受け入れる者も、一人としていなかった。いやもう、その努力は涙ぐましくさえある。

 マルサスがかくも嫌われた理由は、なんとなく解る。その無慈悲さに対する嫌悪と、イギリスへの劣等感ががっちり結び付いた感情的な反応だ。しかし、なぜロシア人がかくもダーウィンを愛したのか、この本は明らかにしていない。ダーウィニズム受容の下地として、創造説が根付いていなかったことが挙げられているが、それだけでは到底説明がつかないくらい、彼らはダーウィンを熱烈に愛したのである。

 ダーウィン自身が明言している以上、マルサスとの結び付きを完全に否定することはロシアのダーウィニストたちにもできなかったが、彼らはそれを欧米のダーウィニストたちの「拡大解釈」だとした。そして、自分たちこそが真のダーウィニズムの理解者だと見做したのである。彼らの理論は、「生存闘争」を個体同士、種同士ではなく環境との闘いと解釈した。そして種の壁さえ越えた助け合いが進化を促した、という相互扶助説を生み出すのだが、これはもちろんシベリアの自然観察とロシアの農村共同体の伝統に基づいている。

 その成果が、ベケトフやメチニコフといった共生説の先駆的研究者たちである。しかし結局のところロシアのダーウィニストたちは、進化論は自然の進歩および社会の進歩を解き明かす法則であるという誤った見解を、彼らがかくも嫌悪した社会ダーウィニストたちと共有していたといえる。その誤解とロシア流進化論は革命の前後に、ピョートル・クロポトキン(1842-1921)とアレクサンドル・ボグダーノフ(1873-1928)の二人に結実した。クロポトキンはは、動物の相互扶助を人間の社会にそのまま当て嵌めようとした(『相互扶助論』)。ボグダーノフは集団主義による個の均質化こそが人類の進化であるとした。さらに、個体同士の闘争は進化の結果、終結するが、自然との闘争は終わらない。むしろ人類が進化すればするほど自然との軋轢は増大するが、それがさらなる進化の原動力となる、と説いた。ボグダーノフについては、『ボリシェヴィズムと「新しい人間」――20世紀ロシアの宇宙進化論』(佐藤正則、2000年)が詳しい。

 クロポトキンはボリシェヴィキ政権とは距離を置いていたし、ボグダーノフも政権成立前にレーニンと決別してしまう。しかし彼らとそれ以前のダーウィニストたちの思想は、さまざまな形でソ連に継承された。共産主義それ自体がそうだし、集団主義、全体主義も言うまでもない。さらには環境汚染にまったく無頓着なのも、ボグダーノフの自然観の継承と言えるだろう。

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ロシアのダーウィニストたち 其の二

 ルイセンコ主義は、ロシアから受け継がれた生物学の成果を破壊してしまった。その災禍についての日本語資料で、一番詳しいのはメドヴェジェフの『ルイセンコ学説の興亡』(1971、原著は1962/64)だと思うが、とりあえず初心者向けではない。一番簡潔かつ入手し易いのは、たぶん『奇妙な論理Ⅱ』(マーチン・ガードナー、1992。ただし原著は50年代らしい)。当時の状況については、多くの優秀な研究者が弾圧されたり、ルイセンコの理論に従ったのに成果が出せなかった農民たちが処罰されたり(『収容所群島』より)、「メンデル主義者」が最悪の罵倒の一つだったり、ショウジョウバエを飼ってるだけで反逆者扱いされたりとか、ひどい話がいろいろ伝えられている。

 ルイセンコの理論そのものについて知るには、彼の論文集に勝るものはない。置いてある図書館は少ないと思うけど。いやもう、ほんとめちゃくちゃ。収穫された小麦にカラス麦や雑草が少量交じっていたという報告があると、「環境条件が適切ではなかったから、小麦から多種の植物が生じたのだ。このように、すべての生物種は生育環境の違いによって、他の種から転化して発生したのである」とか言っちゃうのである。混入しただけだと思うのが普通だが、彼はその可能性を一応考慮した上で、「そんなことはあり得ない」と言い切る。全編この調子だから、ナンセンスSFを読んでいる気分になってくるが、こんな疑似科学がつい半世紀前まで世界最大の国家を支配していたと思うと背筋が寒くなる。

 それでもルイセンコがロシア・ソ連の生物学に於けるまったくの突然変異だったかというと、そういうわけでもない。たとえば彼の「種内闘争は存在しない。それは搾取を正当化するためにブルジョア資本家が考え出したものである」という主張は、19世紀末の左派ダーウィニストたちの主張とほとんど一言一句変わらない。ぱくり目的の下調べさえ厭うような人物だから、取り巻きの誰かが提供してくれたのか、或いは当時のソ連生物学界で相当に広く行き渡っていた概念だったのだろう。

 さらにルイセンコは、自らを正当なダーウィニストと称しているのだ。権威付けのためでしかないのだろうが、外国のものはとにかく敵視され、化学や物理の分野でさえ「従来のブルジョア科学」を打破し、純粋な「プロレタリア科学」を打ち立てよう、という試みがなされた時代である(さすがにこの試みはすぐに挫折したが)。ロシア人て、ほんとにダーウィンが好きだなあ。

 しかしある意味何より怖いのは、日本語版の訳者たちの態度である。1953年に刊行された日本語版『ルイセンコ選集』の訳者がルイセンコの似非理論を褒めちぎり、「ルイセンコとその学派が他の学派を弾圧しているという話は真っ赤なデマだ。悪質な陰謀だ」と憤ってるのは仕方ないにせよ、1971年に刊行された『ルイセンコ主義の興亡』の訳者でさえ、メドヴェジェフの農業集団化批判を「感情的」と評している。いやはや。

 ロシアで共生説が提唱されたのは、その文化によるところが大きいが、逆に西側では共生説は永らく共産主義と結び付けられ、忌避されてきた。自然科学というものは文化やイデオロギーから切り離されたものだと思われがちだが、実際には深く結び付いている。そしてその思い込みによって、結び付きは見えにくくなっているのだろう。SFが「サイエンス・フィクション」である以上、そういうことも考えて書いていかんとなあ、と思っている。

参考記事: 「ボグダーノフ『赤い星』」  「ルイセンコ主義」 

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野田昌宏氏と氷室冴子氏が

 お亡くなりになられてしまった。二つの訃報に同時に接してしまうのは、衝撃が二倍というより二乗だ。両氏の作品を読んでいた時期が重なっている(主に中学時代)からでもあるだろう。

『銀河乞食軍団』は、初めて出会った「国産スペースオペラ群像劇」だった。あの頃は図書館にあった早川SFを手当たり次第読んでたから、野田作品との出会いは必然だったわけだけど、たぶんもう少し早い時期(小学校高学年)に読んだ海外SFの幾つかは野田氏の翻訳だったんだろうな。

 当時全盛だったコバルトシリーズは、他人に薦められたのを読むだけだったんだが、例外で自主的に読んでいたのが新井素子氏と氷室冴子氏である。ちなみに大原まり子氏がコバルトでも出していたのは知らなかった。氷室作品との出会いは、確か『なんて素敵にジャパネスク』をSFだろうかと期待して手に取って、なんだSFじゃないのかとがっかりして、それでも読んでみたらおもしろかったんだよな。ディテールの細かさから、調べた知識をちゃんと自分のものにしているのが子供心にも解って好きだった。

 なんというか、これ以上は言葉がない。御冥福をお祈りいたします。

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ダーウィン展

 国立科学博物館。ダーウィンが『種の起源』に至るまでを中心に、伝記仕立て、ジオラマ仕立てで大層解り易い展示であった。標本もいっぱいあったし、上野動物園からゾウガメやイグアナやベルツノガエルが「出張」までしてたし、そこかしこで動物等の映像を流してたりしたわけだが、自然科学、ことに生物学系の展覧会では、こういう「わかりやすさ」が衛生博覧会的ないかがわしさに通じてしまうのはなぜだろう。理科室的ともいえるかもしれない。解説文の誤字の多さがまた拍車を掛けてるんだよね。

 しかし後半では、軽くとはいえ社会ダーウィニズムや創造説の問題にも触れていて、それなりにまっとうであろうとしていることが窺える。マルサスとの関係まで取り上げていたしな。日本に於けるダーウィニズムの受容にも、わずかだがスペースを割いていた。わずかなのは、日本ではほとんど抵抗なく受け入れられたからで、その理由として仏教国であったこと、富国強兵の政策に生存闘争の概念が合致していたことが挙げられていた。

 結局、進化論が社会ダーウィニズムや優生思想と結び付いてしまう最も根本的な問題は、進化=進歩という誤解だろう。「進化」という訳語もこの誤解の下になされたわけで、「転化」とでも訳しておけば少しは誤解が減ったんじゃないかと思う。少なくとも「○○(商品名)は進化する」等のたわ言めいたキャッチコピーをひり出す輩は存在しなかったわけだ。でもevolutionとprogressではスペルというか語の構成になんの共通点もないのに、英語圏でもevolution=progressという誤解が罷り通ってきたんだよな。この展覧会ではこの誤解は完全に放置されていた。もっとも、たとえ言及したとしても大抵の人は気に留めなかっただろうけどさ。「環境への適応」を「種や個体の努力」とする獲得形質説的な物言いがなかっただけ上出来だ。

 会場にはゴライアスガエルの骨格標本が何体かあった。ほかの蛙じゃなくてこれが選ばれたのは単に大きさからなんだろう。しかし私は以前から「ゴライアスガエル」という名前を目にするたびに(そんな機会は決して多くないのだが)、ぬるい笑いが込み上げてしまうのであった。いや、実在の種というより「佐藤哲也作品に出てきそう」な名前だと思うのは私だけ? 「ゴリアテガエル」じゃなくて、「ゴライアスガエル」というのがな。

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YOKO DESIGNED

080519_bc_2『グアルディア』(文庫版)と『ラ・イストリア』で地図を作ってくれたグラフィックデザイナーのYOKO(妹Ⅱ)が、名刺を作ってくれましたよ。姉の特権で、デザイン料はロハにしてもらいました。印刷代は払ったけど。

 名前の緑色は、「仁木稔のイメージ。お姉ちゃんのじゃなくて」だそうですよ。

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