ロシアのダーウィニストたち 其の一
『ロシアの博物学者たち』という本がある。ダニエル・P・トーデス著、垂水雄二訳。副題は「ダーウィン進化論と相互扶助論」。刊行は原著が1989年、翻訳が92年だが、別に内容は古くなってないと思う(というか、それ以来研究が進んでるような分野じゃないというか)。
ダーウィンが用いた「生存闘争」という語は、進化の過程を説明するために、マルサスの『人口論』に関連付けた「隠喩」であり、なぜ『人口論』かというと、それが19世紀半ばのイギリスでは非常に膾炙していたからだった。ところがロシアでは、マルサス主義は激しい嫌悪を引き起こす一方、ダーウィン進化論は大歓迎された。しかしダーウィニズムとマルサス主義の関連は、誰の目にも明らかである(ダーウィン自身が明言しているのだ)。ここからロシアのダーウィニストたちの苦悩が始まる――というお話。
「人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術数的にしか増加しない」『人口論』は刊行当時(第一版が1798、第二版が1803)に主流だった楽観的な未来予測を厳しく批判したものだった。その頃からイギリスが急激な人口増加へと向かい始めたこともあり、予言的な思想として広く普及し、19世紀を通して「一般常識」であり続けた。また、ダーウィンが進化論を構想する上で常に念頭においていた「自然」は、ビーグル号の航海で目にした南米のジャングル、すなわち生命がひしめき、同種もしくは異種の個体同士が少ない資源を奪い合う環境だった。彼にとってはその「自然」と、人がひしめく個人主義と階級闘争のイギリス社会とを関連付ける隠喩は、ごく当たり前の発想であり、それはイギリスの読者にも抵抗なく受け入れられたのである。
一方ロシアでは、広大な国土には人も獣も疎らにしか棲息せず、社会には農民と地主の二大階級しかなく、階級闘争が起こるような状況ではなかった。「ひしめく個体が少ない資源を奪い合う」という構図はロシア人の想像の限界を超えていたし、それを社会に当て嵌めてみることも無理だった。そういうわけでロシアにとって、『人口論』はまったくあり得ない不自然な思想であり、刊行から半世紀近く、ほぼ完全に無視されてきた。1840年代に入って、ようやく知識人たちの間で知られるようになるが、それは批判の対象としてだった。彼らは揃って『人口論』の冷徹さに怖気を奮い、それをイギリスの個人主義と功利主義に基づくものだと理屈づけたのである。保守派はロシアの伝統的な共同社会への脅威と見做し、急進派は資本家擁護の反動とした。
1859年の刊行からわずか5年後にロシア語版が出た『種の起源』は、非常に好意的に受け入れられた。しかしすぐにロシア人たちは、前述のとおり深刻な問題に直面する。素晴らしい理論であるはずのダーウィン進化論が、どうしてマルサス主義なんぞと結び付くのか――右も左も大いに悩んだ結果、共通した解決策を見出した。ダーウィンとマルサスを切り離すことにしたのである。ダーウィンを見捨てる者も、マルサスを受け入れる者も、一人としていなかった。いやもう、その努力は涙ぐましくさえある。
マルサスがかくも嫌われた理由は、なんとなく解る。その無慈悲さに対する嫌悪と、イギリスへの劣等感ががっちり結び付いた感情的な反応だ。しかし、なぜロシア人がかくもダーウィンを愛したのか、この本は明らかにしていない。ダーウィニズム受容の下地として、創造説が根付いていなかったことが挙げられているが、それだけでは到底説明がつかないくらい、彼らはダーウィンを熱烈に愛したのである。
ダーウィン自身が明言している以上、マルサスとの結び付きを完全に否定することはロシアのダーウィニストたちにもできなかったが、彼らはそれを欧米のダーウィニストたちの「拡大解釈」だとした。そして、自分たちこそが真のダーウィニズムの理解者だと見做したのである。彼らの理論は、「生存闘争」を個体同士、種同士ではなく環境との闘いと解釈した。そして種の壁さえ越えた助け合いが進化を促した、という相互扶助説を生み出すのだが、これはもちろんシベリアの自然観察とロシアの農村共同体の伝統に基づいている。
その成果が、ベケトフやメチニコフといった共生説の先駆的研究者たちである。しかし結局のところロシアのダーウィニストたちは、進化論は自然の進歩および社会の進歩を解き明かす法則であるという誤った見解を、彼らがかくも嫌悪した社会ダーウィニストたちと共有していたといえる。その誤解とロシア流進化論は革命の前後に、ピョートル・クロポトキン(1842-1921)とアレクサンドル・ボグダーノフ(1873-1928)の二人に結実した。クロポトキンはは、動物の相互扶助を人間の社会にそのまま当て嵌めようとした(『相互扶助論』)。ボグダーノフは集団主義による個の均質化こそが人類の進化であるとした。さらに、個体同士の闘争は進化の結果、終結するが、自然との闘争は終わらない。むしろ人類が進化すればするほど自然との軋轢は増大するが、それがさらなる進化の原動力となる、と説いた。ボグダーノフについては、『ボリシェヴィズムと「新しい人間」――20世紀ロシアの宇宙進化論』(佐藤正則、2000年)が詳しい。
クロポトキンはボリシェヴィキ政権とは距離を置いていたし、ボグダーノフも政権成立前にレーニンと決別してしまう。しかし彼らとそれ以前のダーウィニストたちの思想は、さまざまな形でソ連に継承された。共産主義それ自体がそうだし、集団主義、全体主義も言うまでもない。さらには環境汚染にまったく無頓着なのも、ボグダーノフの自然観の継承と言えるだろう。
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