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ダーウィン展

 国立科学博物館。ダーウィンが『種の起源』に至るまでを中心に、伝記仕立て、ジオラマ仕立てで大層解り易い展示であった。標本もいっぱいあったし、上野動物園からゾウガメやイグアナやベルツノガエルが「出張」までしてたし、そこかしこで動物等の映像を流してたりしたわけだが、自然科学、ことに生物学系の展覧会では、こういう「わかりやすさ」が衛生博覧会的ないかがわしさに通じてしまうのはなぜだろう。理科室的ともいえるかもしれない。解説文の誤字の多さがまた拍車を掛けてるんだよね。

 しかし後半では、軽くとはいえ社会ダーウィニズムや創造説の問題にも触れていて、それなりにまっとうであろうとしていることが窺える。マルサスとの関係まで取り上げていたしな。日本に於けるダーウィニズムの受容にも、わずかだがスペースを割いていた。わずかなのは、日本ではほとんど抵抗なく受け入れられたからで、その理由として仏教国であったこと、富国強兵の政策に生存闘争の概念が合致していたことが挙げられていた。

 結局、進化論が社会ダーウィニズムや優生思想と結び付いてしまう最も根本的な問題は、進化=進歩という誤解だろう。「進化」という訳語もこの誤解の下になされたわけで、「転化」とでも訳しておけば少しは誤解が減ったんじゃないかと思う。少なくとも「○○(商品名)は進化する」等のたわ言めいたキャッチコピーをひり出す輩は存在しなかったわけだ。でもevolutionとprogressではスペルというか語の構成になんの共通点もないのに、英語圏でもevolution=progressという誤解が罷り通ってきたんだよな。この展覧会ではこの誤解は完全に放置されていた。もっとも、たとえ言及したとしても大抵の人は気に留めなかっただろうけどさ。「環境への適応」を「種や個体の努力」とする獲得形質説的な物言いがなかっただけ上出来だ。

 会場にはゴライアスガエルの骨格標本が何体かあった。ほかの蛙じゃなくてこれが選ばれたのは単に大きさからなんだろう。しかし私は以前から「ゴライアスガエル」という名前を目にするたびに(そんな機会は決して多くないのだが)、ぬるい笑いが込み上げてしまうのであった。いや、実在の種というより「佐藤哲也作品に出てきそう」な名前だと思うのは私だけ? 「ゴリアテガエル」じゃなくて、「ゴライアスガエル」というのがな。

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