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コロー展

 国立西洋美術館。カミーユ・コローは1796-1875だから、ドラクロワ(1798-1863)よりちょっと年上なんだが、「キオス島の虐殺」がサロンに出品された1824年の時点では、ようやく画業に本腰を入れ始めたところである。しかし死の直前まで描き続けていたので、活動期間は結構長い。その画風は光や皮膚の表現なども含めて、明らかにドラクロワより後の時代に属する。コローの風景画には、印象派以降の画家たちがかなり影響を受けたそうで、彼ら(ドニ、シニャック、ドラン、セザンヌ、ルノワール等、人物画ではピカソも)の絵も一緒に展示してある今回の構成もあって、余計にそう感じられたのかもしれない。

 子供の頃、市立図書館に毎週末通っていたのだが、そこには小さな美術館も併設されていて、時々父と観に行った。「どうして油絵って、筆の跡が残ってたり、皮膚を塗るのに変な色を使ったりするの?」と何度も尋ねては、父を困らせたものである。要するに近代以降の技法のことを言ってたわけだが、父がどう答えたのかは憶えていない。満足の行く答えではなかったのだろう。未だにそういう絵は、「観察」するならともかく、「鑑賞」するなら少し距離を置いて眺めるのがいいと思っている。だからガラス付の額縁は、やめてほしいんだがね。近代絵画に限ったことじゃないけどさ。

 木々と水の表現が素晴らしい。「光」の表現に関してなら、それを求めた印象派たちよりも実は成功しているのではないか。夏の田舎道の光と影のコントラストも悪くないが、森や田園風景の木々と水の、陶然とするような美しさは破格。しかしサロンの出展された作品は、そうした風景の中に神話の人物を配したもので、当時は一般的なテーマだったそうだが、凡庸というか、うーん、なんだろ。人物中心の絵でも修道衣の老人とか、ギリシャ風の衣装の女とか、妙に「コスプレ風」なんだよな。これはコローに限ったことじゃなくて、ロマン主義より後の画家には共通とも言えるんだけど。いや、ロマン主義以前だって、神話画(宗教画、歴史画含む)の人物の衣装その他を、当世風じゃなくて古代風というかそれっぽいもので描くようになってからは、すべてコスプレなのに変わりはないんだけどさ。画風や感性の違いなのかね。イラスト的というか。

 というわけで、人物画も「真珠の女」、「青い服の貴婦人」等の別格はあるけれど、やはりコローは風景画、それも木々と水の人だと思いました。それも後期の「空想的風景画」じゃないほう。

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