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情婦

 フィクションの内容はよく憶えていられるほうだと思うが、アガサ・クリスティに限っては、読んだ端から忘れていく。高校時代、SFやファンタジー以外で読んだ小説はクリスティくらいなもので、かなりの数を読んだはずなのだが、読み返す機会があるたびに(妹Ⅰがクリスティ・ファンなので、それなりの冊数を所持している)、ストーリーやトリックをすっかり忘れていることに気づかされる。で、そういうのんとは関係ない細部(無関係なお喋りや登場人物の癖など)はピンポイントで憶えているのである。

 しかし、どういうわけか『検察側の証人』は細部は憶えてないのに、筋とトリックは憶えていたのであった。私が読んだのは戯曲じゃなくて短編のほうだけど。

 マレーネ・ディートリッヒは、十年以上前に観た『嘆きの天使』以来だ。あれは老教授のほうが印象が強かったし、ディートリッヒの曲線美も、『地獄に堕ちた勇者ども』のヘルムート・バーガーの物真似を先に観ちゃったからな。バーガーのんは、眉まで剃って作り込んでるのに地声のままで歌うんだな、とか思ったものだが、実際のディートリッヒの歌声もすごく低かったんで、ちょっとびっくりした。
 先日、同じビリー・ワイルダー作品の『サンセット大通り』(1950)で、50そこそこのグロリア・スワンソンが「老醜を晒す往年の大女優」扱いなのを観て、当時のハリウッド女優の賞味期限の短さに暗然となったものだが、2歳若いだけのディートリッヒは7年後の『情婦』でも全然、現役美人女優だ(さすがに『嘆きの天使』から27年も経ってるので、老けたな、というのが第一印象だったが)。この明暗はトーキー化を乗り越えられたか否かが大きいんだろうけど、スタイルの良し悪しもあったんじゃないかと。『サンセット大通り』でのスワンソンは、顔が老けてるというより、あのスタイルの悪さが……

 上述のとおり『検察側の証人』は詳しく憶えてないんだけど(どうせ忘れるなら、トリックを忘れたほうがよかったなあ)、『情婦』にはオリジナル部分が多く加えられているようだ。観ていて、「ここら辺、オリジナルだろうな」と思える部分がしばしばあったが、全体としてビリー・ワイルダーの作風とアガサ・クリスティの作風が巧く噛み合っていて悪くない。
 ディートリッヒ演じるヒロインのドイツ時代の回想シーンは、たぶん映画オリジナルだが、そのシーンの彼女は、なんだが『さらば、ベルリン』のケート・ブランシェットのようだった。いや、もちろん逆なんだけど。

 敗戦後のドイツの悲惨な状況を前提とすると、夫に対するヒロインの心情が重みを持つんだが、1957年当時のアメリカでは、どれだけ知られていたんだろうな、とか思ったのでした。ディートリッヒもずっとアメリカにいたしね。

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