生体端末
『グアルディア』と『ラ・イストリア』に登場。知性機械サンティアゴの、文字どおり「生きた端末」。ほかの知性機械は生体端末を持たない。23世紀初頭、遺伝子管理局の末端組織によって、ユカタン半島の地下施設「グロッタgrotta(洞窟/穴蔵)」で開発される。
人間の女性の肉体を持つ。青白い肌や白に近い灰色の髪と瞳など、色素が非常に薄いがアルビノではなく、日光に当たっても平気である。顔立ちは整って美しいが、見る者の多くは美しさより奇異な印象を強く受ける(色素の濃い住民が圧倒的多数を占める中南米では、なおさらである)。
約25年ごとに「世代交代」を行う。自らのクローンを身籠り(胎内クローニング)、出産と同時に死亡する。卵子を持たず、当然ながら月経もない。
この寿命の短さと、華奢な身体つきや薄い色素などの外見から、何か儚げな印象があるが、実は彼女たちはものすごく頑丈である。生水を飲んでも腹を壊さないどころか、致死量の毒ガスを浴びても死なない。治癒力も高い。とはいえ損傷が甚だしい場合には、寿命に達していなくても世代交代が行われる。
開発・製造された当初、生体端末は「植物状態」だった。音声や視覚(文字などを見せる)によるコマンド入力によって知性機械サンティアゴにアクセスする以外は、完全に意識がない。自発呼吸をし、口に食べ物を入れてやれば咀嚼、嚥下はするが、自力で動くことはできない(命令すれば手を動かす程度のことはできる)。
この障害の原因は不明だが、知性機械から送られる情報が、一個の脳で処理するには膨大すぎるためであると推測されていた。
病気の心配はほとんどないものの、メンテナンス(給餌や排泄物処理など)はあまりにも手間が掛かる。それでも電気的通信手段が完全に失われた条件下では、サンティアゴへの唯一のアクセス手段となる。また、サンティアゴの管轄下にあるコンピュータも操作可能。ただし、生体端末を介したサンティアゴの操作には制限が設けられている。
なお、生体端末を介して情報を引き出す場合、その情報は生体端末が音声か筆記によって提示する。こうした行動はサンティアゴが生体端末の脳を介して肉体を操作するので、生体端末が乳幼児であっても問題ない。
地下施設「グロッタ」は、2202年に建設が始まり、2年後に完成した。生体端末の開発完了は2219年だが、その時点での「完成品」は三十体だった(そこに至るまでに数多くの「試作品」が処分されたであろう)。2256年の時点では、生体端末は一体のみとなる。
「ブランカ」と呼ばれたこの一体の継代クローンは2491年の時点で、西シエラ・マドレ山中の小村で「ビルヒニア(聖処女)」として崇められていたが、村はメキシコ湾岸の自治都市エスペランサの科学技術庁によって襲撃され、ビルヒニアは捕獲される。以後、その能力を利用して、エスペランサは「科学都市」として繁栄する。
科学技術庁所有の生体端末たちは「アンジェリカ」の名で呼ばれる。約150年の間に七人のアンジェリカたちが存在した。初期の生体端末たちが植物状態であったのに対し、一人目(Ⅰ、ラ・プリマ)=ビルヒニアは明らかに自己意識を持っていた。すなわち、自らの意思でサンティアゴへのアクセスが可能だった。ただし周囲の状況に対する反応は極端に乏しく、感情らしい感情も表さない。また下半身不随であり、時には全身が麻痺することもあった。
この情緒障害は二人目(Ⅱ、ラ・セコンダ)以降は見られず、また麻痺も徐々に軽症になっていった。七人目(Ⅶ、ラ・セッティマ)が『グアルディア』のヒロインの一人、アンヘルである。
なお、彼女たちの「白さ」は、「オリジナル」の形質をそのまま受け継いだものだが、遺伝子改造によるものなのか、まったくの天然であるのかは不明。遺伝子改造だとしたら、外見に顕著な特徴を付け加えるためだったと思われる。ちなみに生体端末たちは、「オリジナル」がどのような外見をしているかは知らなかった(情報がブロックされていたのか、元から保存されていなかったのかは不明である)。
「オリジナル」および生体端末たちは、コーカソイドの形質が優勢なのは確かだが、「白い」からといって北欧系というわけではないと思う。身長も特に高くはないし。
以下、ネタばれ注意。
生体端末たちは、知性機械サンティアゴの「中央処理装置の生体パーツ」(通称「ハイメ」)から生み出された。単なるクローンではなく、XYであるハイメをXX化し、胎内クローニング機能を加えるなどの改造が行われている。XX化した際、本来Y染色体上にある「メトセラ因子」は、X染色体上に移植されている。
これまでに登場または言及された生体端末たち。
ブランカ: Blancaスペイン語で「白」。グロッタが保有していた三十体の生体端末のうちの一体。2242年生まれ。2244年、グロッタの住民の一人クラウディオによって地上に連れ出される。2249年、孤児を養育する女性マリア・イサベルによって、クラウディオとともに保護される。名前を持たなかったが、誰ともなしにブランカと呼ぶようになる。「白いから」という安直な命名。
2256年、コルテス海(カリフォルニア湾)を渡るが、その際、ロス・アンヘルス湾(Los Ángeles天使たち)、守護天使島(Ángel de la guarda)を通過し、同行のフアニート少年が「アンヘルがよかった、彼女の名前。ブランカなんて誰が付けたんだろ。簡単すぎだよ」と発言する。なお、アンヘルÁngelは男性名であり、女性形はアンヘラÁngela、アンヘリカAngélicaなど。女性形縮小辞を付けるとAngelita(アンヘリータ、天使ちゃん)となる。
『ラ・イストリア』の表紙イラストにも示されるように、彼女には「コンセプシオンConcepción」のイメージが重ねられている。「無原罪懐胎」と「処女生殖」の意図的な混同である。
ビルヒニアたち: Virginiaスペイン語で「処女」。処女とはもちろん聖母マリアのことなので、作中のルビは「聖処女」。生体端末は2250年代後半以降、東シエラマドレSierra madre(母なる山脈)山中で、ビルヒニアと呼ばれて崇められていた。「ビルヒニア」は英語圏での「ヴァージニア」(スペルは同じ)と同様、固有名詞(女性名)として普通に使われるが、この場合は生体端末の総称であり、個人名ではない。
アンジェリカたち: イタリア語で天使はアンジェロAngeloで男性名。アンジェリカAngelicaはその女性形。2491年、エスペランサ市の科学技術庁によって捕獲された「ビルヒニア」は、クリストフォロ・ドメニコによって「アンジェリカ」と名付けられる。彼はその後、総勢七人の生体端末たちをアンジェリカと呼ぶことになる。イタリア名なのは、クリストフォロ自身がイタリア系だから。
ヨーロッパ文化圏では娘に母と同じ名を付けるのは一般的だが、クリストフォロの意図がなんだったにせよ、科学技術庁は「アンジェリカ」という名を生体端末という道具の「総称」として用いた。それぞれ、アンジェリカⅠ、アンジェリカⅡ等、番号を付けて呼ばれる。番号を後に付ける場合は「アンジェリカⅠ(プリマ)」、番号だけで呼ぶ時はⅠ(ラ・プリマ)、Ⅱ(ラ・セコンダ)等、冠詞が付けられる。
アンジェリカⅠ: ラ・プリマla prima。2475年生まれ。2491年以前はビルヒニアと呼ばれていた。
アンジェリカⅡ: ラ・セコンダla seconda。2492年生まれ。言及のみで登場せず。クリストフォロ・ドメニコは彼女の養父であり、護衛であり、愛人でもあった。
アンジェリカⅢ: ラ・テルツァla terza。生年は不明。麻痺は下肢だけであり、移動には電動車椅子を使っていた。生体端末は科学技術庁に幽閉状態にあったが、2540年、辺境に怪物が現れたという噂に興味を持ち、自ら調査に赴く。非常にシリアスなキャラクターだが、タブロイド好きという点が、アンヘルとベースが同じだと納得させられる。
アンジェリカⅣ: ラ・クワルタla quarta。2541年生まれ。言及のみ。2568年、クリストフォロを狙ったテロの巻き添えで重傷を負う。
アンジェリカⅤ: ラ・クインタla quinta。2569年生まれ。2579年、ラウル・ドメニコと出会い、ジェンマGemma(イタリア語で「宝石」)の名を与えられる。オペラと赤い薔薇を愛好する。車椅子を使用するが、杖があればどうにか歩行可能。
アンジェリカⅥ: ラ・セスタla sesta。2594年生まれ。車椅子は使わなかった。言及のみ。
アンジェリカⅦ: ラ・セッテイマla settima。2617年生まれ。2638年、アンジェリカの名を捨て、アンヘルと名乗る。
そのほか、グロッタにはブランカ以外にも二十九体の生体端末(年齢はさまざま)が保有されていた。
フィードバック: 生体端末たちの生前の記憶はすべてサンティアゴに保存されている。その記憶を情報として引き出すことはできないが、ごく稀にその一部がランダムにフィードバック(還元)することがある。フィードバックする記憶(ソフト)は、それを経験した本人のものとは限らない。クローンである生体端末たちの肉体(ハード)が同じであるため、サンティアゴには区別がつかないからである――以上が、アンジェリカⅢの説明である。
しかしフィードバックするのは、いずれも情動を伴う陳述記憶である。そのような情報の保存も再生も、演算機械に過ぎないサンティアゴにできることではない。
フィードバックは睡眠時にも覚醒時にも起こり、前者はしばしば夢と区別が曖昧。後者は鮮明だが負担が大きい。記憶の共有は、生体端末たちの人格がハイメの脳との接続上に生じた仮想に過ぎないかもしれない傍証とも言える。
フィードバックされるのは、主として強烈な情動を伴う記憶である。アンヘルによれば、最も古い記憶は、アンジェリカⅠ(ビルヒニア)が目撃した村人たちの虐殺の光景である。しかしアンジェリカⅢは非常に漠然とだが、ブランカの記憶をフィードバックされていた。その記憶はアンヘルにはフィードバックしていない。
ところで、もし生体端末たちの人格がハイメの脳に宿った多重人格に過ぎないとしたら、彼女らの精神は果たして女か男か。もっとも、アンジェリカたちの誰一人として、その点については気にしていないようではある。
メトセラ因子が生体端末にも組み込まれた目的は、もちろん寿命延長ではなく、耐久性向上である。寿命が約25年に設定されているのは性能劣化防止のためであるが、もう一つ、その年齢が妊娠・出産適齢期の生物学的上限だからである。メトセラ因子の特徴の一つが生殖率の低さで、これは年齢に反比例する。胎内クローニングであっても同じなので、確実な継代のため適齢期内に寿命を設定したのである(世代交代のサイクルが短すぎても不便だから、25年が妥当とされたのだろう)。
世代交代はサンティアゴからの指令によって開始されるので、指令さえなければ生体端末の寿命は理論上無限となる。
関連記事: 「コンセプシオン」 「アンヘル」 「カルラ」 「JD」
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