アンヘル
知性機械サンティアゴの生体端末(の一人)。『グアルディア』の裏ヒロイン。なぜ裏なのかというと、悪役だから。作中では終始(回想シーンは除く)、悪役として自覚的に行動している。「自覚」の具体例を列挙すると、以下のようになる。
- 常に白いスーツを着用。サングラスを掛けていることも多い。中南米、南・東南アジア、アフリカなど熱帯・亜熱帯の植民地(元植民地)を舞台にした20世紀の映画では、しばしば白いスーツを着用した「悪い白人」が登場する。また、サングラスは20世紀後半の第三世界に於いて、しばしば「悪の象徴」である。ユカタン半島の先住民の祝祭では、悪魔の扮装にはサングラスが用いられる。或いはアフリカの内戦で自覚的に悪逆の限りを尽くす軍隊の指揮官の多くがサングラスを愛用する、という報告もある。それらの事例を踏まえた上でのコスチュームである。
- 彼女の軍の名称は「レコンキスタ」(再征服)である。史実を鑑みれば、ムスリムとユダヤ人を虐殺したイベリア半島のレコンキスタ(その余勢を駆って行われたのがコロンブスのアメリカ到達とそれに続くコンキスタ)、また十九世紀の南米独立戦争に於けるスペイン軍の一時的勝利もレコンキスタと呼ばれるなど、負のイメージが強い名称である。さらにシリーズに於いては、23世紀初頭、ヨーロッパから大量に押し寄せた難民が、中南米の政権を乗っ取って元からの住民を抑圧し、レコンキスタと称した歴史もある(『ラ・イストリア』)。
- 自らは「総統」を名乗る。要するに独裁者だと宣言しているのである。
- 現場に出たがる。地位の高い悪役が現場に出たがるのはお約束である。
- 第八、九章ではカルラにドレスをプレゼントする。捕らえた美少女にドレスをプレゼントするのは、悪役のお約束である。
- 第九章、ギアナ高地で現地民の集落の上をヘリで超低空飛行し、航空機を生まれて初めて目にして逃げ惑う住民たちを眺めながら、「ワルキューレの騎行」を口笛で吹く。言うまでもなく、『地獄の黙示録』のあのシーンである。
ざっと挙げるとこれくらい。ほかにもいろいろやっている。
キャラクター造型としては、「銀髪銀眼のクールな美形(悪役)キャラ」と「男装の麗人」のパロディを兼ねる。いや、とりあえずどんだけ顔が綺麗でも、髪が銀(白)で肌も白かったら、眉毛がないように見えると思うよ。さらに美男美女が異性装をしたら、まんま美女美男になるかというと、無論そんなことはない。だいたい、女が男みたいに男が女みたいになって、何がおもしろいんだ(中性的な魅力というのは、また別物であろう)。
『グアルディア』の舞台は服装の性差が明確な社会なので、男の服装をしている=男、という先入観がまずある。というわけで男装したアンヘルは一応、男と見做されるのだが、色素の薄さもあって脆弱な、なよなよした印象は否めない。また本人がおもしろがって、「天使のように性別がない」という噂をばら撒いている。
一方、女の服装をするとどうなるかというと、これがなぜか「女装」になる。「アンジェリカ」であった時は、そんなことはなかったはずである。男性的な挙措にすっかり馴染んでいるので、「女らしさ」が演技過剰になってしまうのかもしれない。化粧も濃いしな。絶対、自前の胸よりでかいパッド入れてるだろうし。
子宮切除と男性ホルモン投与という処置は延命のためだが、男装はただの酔狂、悪ふざけである。とはいえ、性別の曖昧さを前提としているのも確かだろう。彼女の性別については、読者の方々の判断にお任せします。
暗くて重い過去があるのも美形敵キャラのお約束だが、それをも自覚し、自らを冷笑(自嘲ではない)している節がある。己が為そうとしていることが「悪」でしかないことを理解しているが故に、際限なく韜晦し続ける。
実際、彼女は「悪」以外の何ものでもない。目的のためならどんな悪辣な手段も用いるし、その目的も単なる私怨なのかもしれない。しかしそうまでして勝利を得た時の台詞(独白)が「ざまあみろ」という辺り、いまいちクールな美形悪役になり切れていない。この柄の悪さは、幼馴染のユベールの影響である。
彼女の目的を知るのは、ラウル・ドメニコただ一人だが、露悪的で冷笑的な「カッコつけ」はホアキンやユベールにも見抜かれていて、彼ら三人にしばしばツッコミを入れられる。また、本人も上述のようにボロを出す。
2617年生まれ。自治都市エスペランサの科学技術庁所有の生体端末(コードネーム:アンジェリカ)の七代目であり、アンジェリカⅦ(セッティマ)AngelicaⅦと呼ばれた。彼女を殊更に「道具」「機械」と見做したがる者たちは、ラ・セッティマla settimaと番号で呼んでいた。養父であり愛人であったクリストフォロ・ドメニコを失った2638年以降はアンヘルÁngelと名乗る。
姓を持たないが、そのこと自体は27世紀の中南米では珍しくない。先祖伝来の姓を持つ者以外は、適当な姓を名乗るか、出身地にde (英語でof, from)を付けて姓の代わりとする。アンヘルは自治都市エスペランサEsperanza(スペイン語で「希望」)の出身なので、Ángel de Esperanza、すなわち「希望の天使」となる。
幼馴染のユベールはフランス語の影響が残るアンティリア島(要するにハイチ)出身で、アンヘルをアンジュAnge(フランス語で天使。男性名詞)と呼ぶ。Angelicaのフランス語形はアンジェリークAngéliqueだが、そのままアンジェリカと呼んでいた。発音が困難か否かという問題もあるが、彼にとって「アンジェリカ」は何人もいる生体端末の一人ではなく、幼馴染の少女ただ一人であり、また彼女が「アンヘル」となったことをどこか受け入れ難く感じているのかもしれない。
「絶対平和」(21、22世紀)の文化は、基本的に20世紀以前の文化の反復であり、アンジェリカたちもその影響を受けているが、各自、好みに違いがある。アンヘルが演じる「悪役」は、20世紀後半の大衆文化からの引用である。たぶんMANGAやANIMEも含む。音楽はクラシックよりタンゴ、それも伝統的なものよりピアソラを好む。アンジェリカⅤが好きだったオペラ『ラ・トラヴィアータ』については、「娼婦が一人死ぬだけの地味で暗い演し物」と言ってのけた。
歩行の際、ステッキを用いるのは、生体端末の特徴の一つである肢体麻痺の名残。全般に運動障害が残るが、ごく軽症なので「単なる不器用」にしか見えないことが多い。
関連記事: 「生体端末」 「知性機械」 「亜人」 「ホアキン」 「カルラ」
参考記事: 「アンブレイカブル」
以下、ネタばれ注意。
主人公より悪役のほうが個性的というのはお約束であるが、これは元来、ヒーローというものは、アンチヒーローもしくはトリックスターでない限り、無個性な存在だからである。というわけで、『グアルディア』の「表」主人公およびヒロインのJDとカルラのキャラクター造型は「薄い」(これは『ラ・イストリア』のヒーローであるフアニートにも当て嵌まる)。彼ら父娘の「薄さ」は、物語上では伏線になっているのだが、それはさておき。
「裏」主人公はホアキンだが、彼はまだ年端も行かない上に、特に第四章以降は徹底的に「己」を捨てようと努めるため(それが逆に「個性」になるとはいえ)、キャラクターの「濃さ」ではどうしてもアンヘルに数歩譲る。
『グアルディア』で最も強烈に「キャラ立ち」しているのはアンヘルであることには、誰も異論はあるまい。しかし、これだけ強烈なキャラクターであっても、「影」でしかないかもしれないのだ。ちなみに、ボスキャラだと思ってたら実は真のボスキャラは別にいて、というのもまたお約束の一つである。
アンヘルをはじめとする生体端末たちの自己意識がハイメの「影」である、とは断定しない。その判断は、読者諸氏各自のものである。仮にハイメが「真」であれば、生体端末たちの原因不明の肢体麻痺が、後の世代になるほど軽くなっていったのは、ハイメによる生体端末の「操作」が向上したからだとも考えられる。アンヘルは二度(作中では一度)、全神経系を一時的にサンティアゴの戦闘プログラムに従わせることで、文字どおりの機械と化して近接戦を行っている。サンティアゴによって肉体が操作されるので、二挺拳銃や二刀流でも正確な攻撃が可能。
生体端末たちとハイメの関係は、端的には「接続された女」である。つまり操作するP・バークと操作されるデルフィの接続がより緊密で、さらにP・バークが完全に脳だけの存在となった(もしくは自分本来の肉体の感覚が消失した)としたら、彼女は己をデルフィそのものだとしか感じられなくなるだろう。そうなった時、「デルフィ」にとってP・バークはどのような存在になるか。
もしくは、デルフィに「独立した自己意識」が芽生えたら。その兆候と解釈できる描写も幾つか見出せる。もちろん、そう断定してしまえるような単純なものじゃないけど。
ただしこれはあくまで生体端末の側からの物語であり、ハイメの側からすれば、また別の物語が成立する。いや、『グアルディア』文庫版あとがきで述べたように、このシリーズは「生体甲冑」というガジェットから始まって、それを思い付いたのは1992年夏頃なんだけど、『グアルディア』の物語自体の出発点は、中学時代に思い付いたネタまで遡る。当時(80年代後半)以前のSFには巨大コンピュータとか秘密基地とか宇宙船、さらにはロボットにまで「自爆装置」が当たり前のように付いていた。だからつまり『グアルディア』は、「自爆装置のない巨大コンピュータが、一生懸命自爆する話」なのである。いや、爆発はせえへんけど。
関連記事: 「語り手、および文体」 「異形の守護者」
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