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ジョン・エヴァレット・ミレイ展

 観たい映画はあるのに映画館まで行く気が一向に起きないのは、夏の暑さのせいだと思っていたんだが、涼しくなったというのに気が向かないままである。
 しかし展覧会には足を運ぶのであった。その理由が、「動くものより動かないものを観たい」というあたり、やはりいろいろと疲れているのだろうか。長時間歩き回る展覧会のほうが、少なくとも体力は遥かに要するはずなんだけどね。

 というわけで、「オフィーリア」のミレイ(1829~1896)。文化村ザ・ミュージアムにて。
 七部構成で、第一部はラファエル前派時代として17点。9歳頃に描いたデッサン1点も含まれるんだが、これがどうも、子供が描いたにしては異様に巧いが、妙にマンガっぽい。それも日本のマンガっぽいのである。タッチというか、特に顔のパーツの描き方に表れる描き手の癖が、マンガのいわゆる「絵柄」になっているのである。
 続いて、十代後半から二十代初め(1847~1852)の作品が展示される。うち何点かは線画であり、それらもやはりマンガっぽいタッチである。描線がすっきりしすぎているのも理由の一つだろうけれど、それだけではない。

「両親の家のキリスト」(1849)や「マリアナ」(1850)は、細部の描き込みが非常に精緻だが、写実的な精緻さとはやや違い、絵画というよりは工芸品的である。

Millais_christ011

Millais_mariana011_2 ラファエル前派が理想としたのは、芸術と工芸の境界が曖昧な中世の芸術だから当然だが、それに加えて物語性の高さと上で言及した「マンガっぽさ」から、イラスト的でもある。まあ芸術と工芸の違いとか、さらにイラストとの違いとか言い出すと話がややこしくなるから、これ以上は突っ込まないでおくけど。

800pxsir_john_everett_millais_0031 「オフィーリア」(1851)は、上の2点に比べて工芸品的、イラスト的な要素が薄れつつある。その傾向は以後顕著になり、ミレイはラファエル前派から離脱することになる。ラファエル前派の一員としての最高傑作が離脱の先駆けとなったわけだ。

 第二部「物語と新しい風俗」は、1853~1864年までの19点。ある風刺画家と仲良くなり、非常に影響を受けたそうだが、残虐だからという理由で毛嫌いしていた狐狩りに熱中するようにまでなるってのは、影響受けすぎなんじゃあるまいか。それは線画に顕著に現れていて、(日本の)マンガ・イラスト的なすっきりしすぎた描線やプロポーションが、いかにも当時の風刺画っぽいものに変わっている。油彩は工芸品的な精緻さから、写実的な精緻さへと変わる。

 第三部以降は描かれた時期に関係なく、1850年代後半から晩年までの作品をテーマごとに。時代の趨勢で、精緻な描き込みは次第に薄れる。風俗画や肖像画は、子供は可愛く、女性は美しく描いているだけなんだが、ぱっと見、印象的ではある。長く立ち止まって眺めていたい気にさせられるのは、老いた国王衛士の肖像くらいだったけど。
 晩年の風景画は、「露に濡れたハリエニシダ」がなかなかよかった。

 ところで、ジャレト・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』の表紙に使われてる絵って、ミレイが17歳の時の「インカ国王を捕らえるピサロ」なのな。今回は出展されてないけど。

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