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佐藤亜紀明治大学特別講義Ⅳ-1

 今回も『地中海』に関する話題には至らず。せっかく読んだ内容を忘れてしまいそうだ……

 お話は「世界の絶対的怪異性」について。我々が慣れ親しんでいる世界は、我々と関連を持っている世界である。つまりなんらかの法則にしたがって運行し、その規則を守っていれば幸せになれるし、規則を破れば不幸になる、といった因果応報の原理が働いている世界だ。
 しかしそうした自分と世界との因果関係など実は存在しないことが、明らかになる瞬間がある。世界と我々の間の「絶縁状態」が明らかになる。その時垣間見える「我々にとって他者である世界」が、「世界の絶対的怪異性」である。「カフカ的」とも言える。

 稀に、多くの人間が同時にそれを体験することがある。9.11は、その一例である。あれは、あまりにも馬鹿馬鹿しくて笑える光景。「笑える」ということが認められない人たちは、「非現実的」という表現を使う。
「ハリウッド的」という表現もあったが、あんな杜撰な光景はハリウッド映画にはないわけで、映画を観ていない(本数を観ていないか、中身をきちんと観ていない)ことを露呈する発言である。
 それはさておき、「非現実的」とはどういうことか、というと、実はあまりにも「現実」であるため、それを認めるのを拒む、一種の防衛反応として「非現実的」に見えるのである。

 我々は、世界の絶対的怪異性を「飼い慣らす」ため、努力し続けている。

「falling man」という映画がある。監督はイギリス人。9.11で、ビルが倒壊する前に、発生した火災に追われて窓から飛び降りた人たちが少なからずいた。その落下する人々を撮影した写真がある。ドキュメンタリーであるからには起承転結がなければならないから、「落下した人々を特定し、遺族に取材する」という構成になっている。

 手始めに当局に問い合わせたところ、「飛び降りた人などいません」という返答だった。仕方がないので独自に調査し、遺族に連絡をしたところ、皆一様に怒りとともに取材を拒否する。どうにか一人だけ取材に漕ぎ付けると、写真を見て言うのが「きっと覚悟の上で、心安らかに死んでいったのね」。

「飛び降りた人などいない」も、怒りとともに取材を拒否するのも、勝手に「お話」を作って勝手に心安らかになるのも、すべて事実否認の反応である。人間は、この世界がコントロール不能なのだという事実を突き付けられた時、それを否定するものである。
 破綻した世界に、もう一度「文脈」を与え、元通り安心できる場所にしようとするのである。「フィクションによる癒し」も、その一つである。現実を「お話」に仕立て上げて、それにそぐわない部分には目を瞑るのである。

 何がしかの災厄に襲われた共同体が、「悪魔祓い」をするのもまた「物語化」であると言える。しかしあまりにも災厄が大きすぎて、物語化が不可能なこともある。例えば広島・長崎には、どんな因果応報も見出せない。国民総動員の状態の国家には「非戦闘員」は存在しない、という理屈が成立し得たとしても、広島・長崎が「当然の報い」という物語は成立し得ない。しかし、人間の剥き出しの残虐と差別を直視しては生きていけない。そのギリギリのところでかろうじて成立する物語が「あやまちは二度と繰り返しません」という碑文である。

 人類の歴史とは、トラウマ的状況の積み重ねであり、世界の絶対的怪異性を突き付けられる繰り返しであったと言える。

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