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マキリップ2本

『チェンジリング・シー』(小学館ルルル文庫)、『ホアズブレスの龍追い人』(創元推理文庫)。

 マキリップの新刊が2冊も、日を置かずして刊行される(原著はどっちもかなり前だが)という、ファンにとってみれば信じ難い事態。あまりに信じ難いので、嬉しいというよりは、「ほな、次は当分先になるんだろうな……」とか構えてしまう。しかし、来年早々にも長編が一冊出るらしい。いったい何が起きてるんだ。

 それはともかく、『チェンジリング・シー』は590円+税、『ホアズブレスの龍追い人』は1100円+税。どちらも値段に見合った内容でした。
 こういう理由から異世界ファンタジーは苦手なんだが、『チェンジリング・シー』くらいのこじんまりとした小品なら、世界設定がなんたらとかはあんまり気にせずに済む。原著はジュヴナイルらしいな。暗い古城の一室で、古びたタペストリーに燭火を翳すと、豊かな色彩とともに物語が浮かび上がる――或いは荒野の岩陰に咲き乱れる小さな花々、といったマキリップ特有の地味だけど美しい世界が、ジュヴナイルなりに楽しめます。話もすっきりまとまってるしな。ただし、そういう「マキリップらしさ」にレセプターを持っていない人も楽しめるかどうかは知らん。

『チェンジリング・シー』くらいの長さとまとまり具合だと、鑑賞対象となるのは雰囲気とか情景描写で、物語はその外枠として機能してりゃいい、ってなもんだが、『影のオンブリア』や『オドの魔法学校』くらいの長さ、広がりになると、物語の展開に物足りなさを感じる……鑑賞対象が物語なのかイメージなのか、分かれ目はやっぱり長さということになるんだろうか。そしてあんまり長くなると、世界設定に対して「不信の停止」が必要になってくるしな。『イルスの竪琴』くらいの長さが、物語を楽しむにはちょうどいいのかな。でもあれは、「マキリップらしさ」すなわちイメージの多彩さでもってるところがあるからな。それがない作品だと、もっと早く飽きがくるかも。

 SFについては、求めてるのは物語ではなくてイメージやアイディアであり、だから短編のほうが好きなんだという自覚は前からあったんだが(自分は完全に長編型なのにな……)、どうやら異世界ファンタジーに対しても、求めているのは物語ではなかったらしい。この場合、アイディアは特に問題ではなくて、イメージ、特に「異世界の光景」なんだな。
 と気づくのが遅かったのは、異世界ファンタジーの短編ってあんまり読んだことなかったからだな。長編の外伝とか、或いは「異世界ファンタジー」とは特に認識せずに読んだりとか(山尾悠子とか佐藤哲也氏の『異国伝』とか)。

 というわけで15の短編が収録されている『ホアズブレスの龍追い人』もまた、値段に見合った買い物だったのでした。異世界ファンタジーじゃないのも何篇かあるけど。点描というか、大きな物語から切り出してきた一片というか、イマジネーションが喚起されて、断片じゃなくて全体像を知りたくなる物語ばかりだけど、いや、これで我慢しておくのがいいんだろうな……

 ところで『チェンジリング・シー』のキール王子の、人間界と海という二つの世界に引き裂かれた人物像、というのは『イルスの竪琴』のイロンの延長かな、とか思ったのでした。

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