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それはヒト固有の能力である

 SFセミナー2009:「仁木稔とHISTORIAシリーズを語る」より

 冒頭、用意した以下のレジュメを読み上げました。

         * * * *

 人間の脳は、「隠された意味」を発見した時に快感を得るようにできている。快感は「報酬」であり、意味を見出した時のみならず、見出すまでの過程にも快感を覚える(その結果、意味のないものにまで意味を見出そうとする)。
「隠された意味」を見出そうとするのは、紛れもなくヒト特有の能力である。敢えてナンセンスな作品を生み出そうとする行為すら、結局はその能力の延長線上にある。

『ヒトはいかにして人となったか 言語と脳の共進化』(テレンス・W・ディーコン 金子隆芳・訳 新曜社 1999 原書:the symbolic species 1997)より
「脳は事件をモデル化し予測するシステムを進化させたが、記号能力の進化はこの能力を他の種に於ける以上に特に増幅したというより、むしろいつの間にか倒錯的モデルの傾向を生じた。記号能力はそのモデルとする対象に記号性を読み込みすぎる傾向をもたらした。
 サバンは草原の花の咲き乱れを見ずに247輪の花を見る。同様に、我々は物的プロセス、事故、繁殖生物、複雑な計画、欲望、必要を生み出す生物学的情報プロセッサーのただの世界を見ない。代わりに、無限の知恵の創造物、聖なるプランの成果、創造者の子供たち、善と悪との葛藤を見る。
 我々は偶然的なものにも、しつこい疑問を持つ。偶然の一致はただの偶然の一致ではなく、何かのサインかもしれない。何を見ても、ヒトは目的を見ようとする。…………

 …………明らかにヒトは意味のある世界に意味のある生活をするのが快適である。そうでないものは不安である。」

 ちなみにこの本は、『ラ・イストリア』の参考資料の一つ。別に私はディーコンの主張や、「隠された意味」を見出した時に反応する神経基盤(報酬系)が存在するとか、本気で信じているわけではない。まあ、半分くらいは信じてるかもしれない。

 ともかく私は、読者がこの「深読みする能力」を使ってこそ楽しめる作品を書いている。もちろん、「隠す」ための仕掛けもたくさん用意してある。

 漫画を、漫画だからというだけの理由で馬鹿にする人は少ない(そういう人こそ見識を疑われる)。個々の作品として評価する土壌があり、読者の深読み能力を遺憾なく発揮させる作品も多数ある。
 しかし「漫画的な要素を持った小説」(いわゆるライトノベルに限らない。広義にはSFすら含まれるだろう)は、深読み能力を必要としない「ジャンル」として一括りにされる傾向が強い。
 アニメ『SPEED GRAPHER』のノベライズ第一巻で、ごく短いオリジナルのシーンを挿入した(主人公とヒロインが無言で歩いている。時折、視線を交わすが、互いに何も言うことができない)。
 編集者に、「もっと台詞や説明を入れないと、読者には理解できない」と苦言を呈された。しかし漫画やアニメで同様のシーンがあったら、読者・視聴者はさまざまな意味を読み取るはず。

 このような作り手側と受け手側双方の思い込みは、深読み能力の発揮を妨げる。私が作品に殊更「漫画的な要素」を取り入れるのは、もちろんそういう要素が好きだからなのではあるが、読者の深読み能力を試す仕掛けであり、そういった表面的なものに惑わされない読者を求めているからである。
 それが、ノベライズを引き受けた理由の一つでもある。思い込みに囚われずに深読み能力を使ってノベライズを読んでくれる人を、私は無条件で信頼します。

「感情移入」も、ヒト固有の能力である(おそらく起源は深読み能力より古い)。フィクションに於いては通常、作る側も受ける側もこの共感能力(による情動の高揚)のほうが、深読み能力よりも重視される。人によっては、「泣ける」「泣けない」を絶対の物差しとしさえする。
 私は、共感能力による情動の高揚は、深読みの妨げになる(ことがままある)と思っているので、あまり重視はしていない。軽視したり無視したりするつもりもないが。読者が簡単に「感情移入」して「感動」してしまわないよう、ワンクッション挟むようにしている。これも、編集者に嫌がられることの一つ。
 しかし、「隠された意味」を発見した時に快感があるのと同様、判り易いものより判り難いものに共感できた時のほうが感動も大きいのではないかと思う(したがって、安易に「感情移入できなかった」「泣けなかった」とか言う人は、共感能力にも問題があるのかもしれない)。その辺りを追究する気はないが。

         * * * *

……てなことを語った後は、パネリストの岡和田晃氏と伊東総氏、および来場者の方々の質問に答えて約四時間。最後は仁木稔作品とはなんの関係もない雑談で終わりました。いや、楽しい時間でした。

関連記事: 「ヒストリア」 「語り手、および文体」 「レズヴァーン・ミカイリー」 

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