グラン・トリノ
そう言えば、イーストウッドの出演作は『荒野の用心棒』『許されざる者』『スペース・カウボーイ』『ミリオン・ダラー・ベイビー』しか観たことがないのであった。で、監督作は上の3作に加えて、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』しか観たことがない。
『荒野の用心棒』と硫黄島二部作は星4つ以上、『許されざる者』と『スペース・カウボーイ』は星2.5~3くらい? 『ミリオン・ダラー・ベイビー』は、ちょうどその頃ヒロインと同年代だったこともあって、前半の「私からボクシングを取ったら何も残らない。私の人生はもう後がない」というのが妙に身につまされて暗澹としてしまったのは別にしても、あの結末は釈然としないのを通り越して腹が立ったので星0というかむしろ-1くらい。
チャップリンはまあ例外として(あと、脇役でちょこっと出てるくらいのんはともかく)、監督出演作なんてのは碌なもんじゃない、というのがこれまでの映画鑑賞歴から得た教訓だが、イーストウッドの監督出演作がこの法則に当て嵌まるかどうかは、今のところなんとも言えん。
平日の渋谷で鑑賞。あまり大きくない劇場で、かなりの入りだったが、私より若い人はほとんどおらず、イーストウッドと同年代くらいじゃないかと思える方々も。
イーストウッドになんの思い入れもないばかりか彼の作品に馴染みもない私と、『グラン・トリノ』の観客の大半を占める人たちとでは、やはり見方が違ってくるのだと思う。
で、そういう私の目からすると、「イーストウッドがイーストウッドであることを前提としている」のが、ネタなのかマジなのかが微妙で、おそらく両方なのだろうけれど、マジなほうに偏りが大きく見えるのが、また微妙なのであった。
エンドクレジットで本人が歌うのは、なんぼなんでもやり過ぎだよ。まあフルコーラスじゃないし、処理の仕方も巧かったから、『タンゴ・レッスン』でサリー・ポッター本人が歌う主題歌より遥かに遥かに遥かにましだが(「遥かに」をもう3つくらい付けてもいいくらいだが、そもそもあんなのとの比較が成立してまうのが問題なのである)。
という問題を除けば、素晴らしい作品だと言える。以下、ネタばれ注意。
偏屈な老人と彼が偏見を抱いていた相手との交流、若者の成長を導く老人、といった物語の外枠は大変オーソドックスなものだが、描かれているのは「アメリカらしさ」の死だ。イーストウッドがその成立に貢献してきた「アメリカらしさ」の死を描くのには、やはり主演は彼自身でなくてはならなかったのである。
隣人を守るために暴力を用いる、という「男らしい」「アメリカらしい」メソッドに従って行動した結果は、少女のレイプという無惨なものだった。真の解決のために、老人は自らの命を犠牲にしなければならなかったのである。
自己犠牲による解決、というのが私は大嫌いなのだが、死ぬ必要があったのはイーストウッドが演じる老人ではなく、彼が体現してきたアメリカらしさ、男らしさであったのだから致し方あるまい。
うーん、でもなあ、やっぱり本人が歌ったのがなあ。
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