« チャーリー・ウィルソンズ・ウォー | トップページ | その男、ヴァン・ダム »

マフディ教団と中央アジア共和国 Ⅱ

「マフディ教団と中央アジア共和国 Ⅰ」の続き

マフディ教団
 最後にして最大の預言者、救世主と称されるマフディを宗祖とする教団。2406年以降はテングリ大山系の南側とタリム盆地を領有するが、その影響力は中央アジア共和国にも広く浸透している。

 24世紀後半、テングリ大山系一帯には、イスラムの系譜を引く小規模な宗教集団が数多くあった。コーランやハディース(ムハンマド言行録)といった「正統の」経典はとうに失われ(ミカイリー一族が保存してはいたが)、イスラム的な要素は痕跡程度しか留めていなかった。おそらく各教団同士も、互いにルーツを同じくするとは思っていなかっただろう。

 宗祖マフディなる人物が自らを預言者だと信じていたのか、それとも山師だったのかは不明である。だが彼を担ぎ上げた者たちの少なくとも一部は、彼が預言者にして救世主だなどとは信じていなかった。
 マフディ教団の勢力を拡大したのは、そうした人々である。

 ミカイリー一族は、この二つの新興勢力の指導者たちに、いにしえの歴史をも伝えた。中央アジア共和国は帝政ロシアとソ連の歴史から、マフディ教団はイスラムの歴史から、それぞれ都合のいい要素だけを抜き出して利用した。
 最も有効だったのは、イスラム系諸教団(「神秘主義教団」と総称されるようになったのも、おそらく歴史の利用だろう)の信徒に対し、豚と犬の食用を禁忌としたことである。
 それらを禁じられてしまえば、人造肉を食べるしかない。肉の製造は、マフディ教団指導層と共和国政府がそれぞれ独占している。共和国政府にとっても、圧倒的多数を占める神秘主義信徒を支配するために、この禁忌は有用だった。

 表向きは対立を続ける教団と共和国は互いに差異化を図った。その結果、それぞれ原理主義と全体主義のカリカチュアのような政権が出来上がったのである。ここにもそれぞれの指導者たちによる歴史の悪用が働いているが、それだけでなく対立が欺瞞であることを知らない民衆、そして彼らを直接指導する中層の指導者たちの無自覚な意図によるところが大きい。
 現実に於ける原理主義や全体主義も、「外部からくるもの」に対して「純粋さ」を追求した結果、自ずから似たり寄ったりの、何かのカリカチュアのようになってしまうのだろう。

 宗祖マフディを「最後にして最大の預言者」「救世主」とし、彼の出現が遥か過去から予言されていた、とするのは、おそらく24世紀末以降のでっち上げである(なおイスラムに於いて、ムハンマド以外の者を「最後にして最大の預言者」とするのは、紛れもなく異端である)。  

 また、災厄をマフディの出現を信じなかった者たちへの神罰だとし、その時代を「暗黒時代」(ジャーヘリー jahely:アラビア語「ジャーヒリーヤ jahiliyah」のペルシア語形。ジャーヒリーヤは無知、暗黒を意味し、イスラム化以前の時代を指す。『ミカイールの階梯』でも、ジャーヘリーは「無知の闇」をも意味する)と称するのも、同じくでっち上げの可能性がある(災厄が神罰だった、という伝承はあっただろうけれど)。

 マフディ以後の教団の最高指導者は教主(エマーム emam)と呼ばれ、その下で導師たちが信徒の指導に当たる。教主、導師の呼称と役割は、共和国内の神秘主義教団でも同じ。
 宗祖マフディが最初の啓示を受けたとし、その年を元年とするマフディ暦を使っているが、一般の信徒の間では普及していない。2447年はマフディ暦73年。ちなみに、「マフディ mahdi」は「救世主」の意味だが、男性名として普通に使われる。

.

中央アジア共和国
 ツェントラリナヤ・アジア共和国。新ルイセンコ主義を信奉するルース族が建設した国家。2406年以降は、テングリ大山系、北麓のジュンガル盆地、および南東麓のトルファン盆地、カラシャフル盆地を領有する。

 汚染された環境(加えて、この地の自然環境は元来苛酷である)に苦しめられていた人々は、「意志の力による進化(進化=進歩)」を提唱するルイセンコ主義(正確には「新ルイセンコ主義」)に魅了された。
 だが革命(建国)の中心となったルース族は、「人類の革新」などより帝政ロシアとソヴィエト社会主義共和国連邦の復活を望んでいた。ルイセンコ主義は、その手段に過ぎなかったのだ。

 彼らは何事につけても帝政ロシアとソ連のひそみに倣った。キタイ族とモンゴル族を盟友(という名のパシリ)と見做し、イスラムの流れを汲む神秘主義信徒たちを目の敵にした。民族平等は建前だけで、ルース族が「最も進化した民族」と規定された。

 ただし、社会主義(マルクス・レーニン主義)と一党独裁制の二つは敢えて採用しなかった。社会主義を除外したのは、おそらくルイセンコ主義を中心教義にしたところにもう一つの教義まで持ち出すと、ややこしくなるからであろう。
 一党独裁制については、ソ連がこれを採用したのは、国家と党という二重体制が支配に有効だからであった。しかしソ連とは比べ物にならないほど小規模な中央アジア共和国では、そのような体制を敷かずとも独裁が可能だったのである。

 人口が少なく工業力が貧弱であることは、何事につけても「偉大なるルース」復活の妨げとなってきた。

 マフディ教団と同様、中央アジア共和国の指導者たちも、ミカイリー一族から提供された歴史資料に基づいて支配体制を組織し、「正史」を捏造した。共和国の正史によれば、人類の黄金期はソ連が世界の半分を支配した時代であり、「破滅(カタストロファ)」は愚昧な神権政治が行われた「大反動時代」に科学が衰退したために起こったとされた。

 政治局(最高指導部)の頂点に立ったのは、「人民の父」と称する独裁者だったが、いつの頃からか彼はパラノイアに囚われ、共和国の「正史」が真実だと信じてしまう。その妄想が彼自身に破滅をもたらし、ルイセンコ主義と恐怖政治をも終息させる。

 ルイセンコ主義では無神論が「進化への一歩」とされたが、信教の自由は一応保障されていた。ただし各宗教の各宗派(もちろん神秘主義教団も)は政府の承認を必要とされ、活動も厳しく制限された。恐怖政治の終焉後も、承認のない宗教活動が非合法なのは変わらない。

 2388年を元年とする(たぶん、どこかの小都市を掌握したとかだろう)共和国暦を使用する。2447年は共和国暦59年。

関連記事: 「テングリ大山系一帯」 「ミカイリー一族」 「大災厄」 「年表」

       「封じ込めプログラム」  「ルイセンコ主義」 「絶対平和」 

       「各作品に於ける軍事事情 Ⅱ」 「グワルディア」 「胡旋舞」

       「25世紀中央アジアの食糧事情」   

設定集コンテンツ

|

« チャーリー・ウィルソンズ・ウォー | トップページ | その男、ヴァン・ダム »

HISTORIA」カテゴリの記事