« 殺戮機械 | トップページ | 荒馬と女 »

『戦争と平和』を楽しく読む

 佐藤亜紀「アナトーリとぼく」(『激しく、速やかな死』所収)をサブテキストに、トルストイの『戦争と平和』(藤沼貴・訳 岩波文庫 全6巻)を読む。
 もしくは、『戦争と平和』をサブテキストに「アナトーリとぼく」を読む。

『戦争と平和』は、1805年と1812年のロシアとナポレオンの戦争を中心に描いた大河小説で、1869年に完成した。全6部(各部3~5篇に分かれる)+エピローグ。
「アナトーリとぼく」は、『戦争と平和』を「くまのミーシカ」の視点から語った短編である。「くまのミーシカ」に該当する熊は、『戦争と平和』第1部第1篇6にのみ登場(名前は呼ばれていない)。なお「ミーシカ」はロシア語で熊の愛称。
 当時のロシアではフランス語で会話し読み書きするのが貴族の嗜みとされており、『戦争と平和』の登場人物の一部もフランス名で呼ばれている。
「アナトーリとぼく」ではこれらのフランス名はロシア名に戻されている。「アナトール→アナトーリ」「ピエール→ペトルーシャ」「エレン→エレナ」
 
 アナトール(アナトーリ)は、主人公ピエール(ペトルーシャ)の親戚であり、熊、そして居候の士官ドローホフとともに登場する。このエピソードは、「アナトーリとぼく」の第1節でほぼ忠実になぞられている。
『戦争と平和』で熊の出番は上述のようにこの一場面だけだが、この時熊とともにピエールたちが起こした騒ぎがあまりに度が過ぎていたので、その後幾度か言及される。
 この後、ピエールは父であるベズーホフ伯爵の死によって莫大な遺産を継ぐことになるが(それは「アナトーリとぼく」でも触れられる)、舞台は戦場に移り、ピエールもアナトールも出征していないのでしばらく出番はなくなる。
 
 第1部第3篇1、2(文庫第二巻序盤)でピエールとアナトールの姉妹エレン(エレナ)との結婚、3~5でアナトールの求婚が語られる。「アナトーリとぼく」第2節に当たるのはこの辺である。

 アナトーリが「ぼく」とともに父親に連れて行かれた「はげやま」には「こうしゃく」が住んでいたが、これは「ボルゴンスキー公爵」のこと。その領地の名は、藤沼氏の訳では「ルイスイエ・ゴールイ」と音写してあるだけだが、ルイスイエは禿げ、ゴールイは山(複数形)。
 ボルゴンスキー公爵は、アナトーリをその父親の「教え子」(「アナトーリとぼく」では「義理の息子」)呼ばわりする(これは明らかにこの親子を侮辱するためだが、なぜその言葉を選んだのかは、両作品とも、よくわからないとされている)。
 求婚が不首尾に終わる顛末について、『戦争と平和』と「アナトーリとぼく」の間に食い違いはない。ただ、「くまのミーシカ」がいるかいないか、だけである。

 この求婚の失敗から舞台は再び戦場へ移り、アナトールもピエールも出番がなくなる。
『戦争と平和』では、まず第2部第1篇2で、噂話としてピエールとアナトールの共通の知人であるドローホフとエレン(ピエールの妻)の関係が言及される。次いで4でピエールはドーロホフに決闘を申し込み、5で決闘の顛末が語られる。6でピエールはこれまでの夫婦の関係を省みて独白する。
 10~16では、ドーロホフが決闘が縁で親しくなったロストフ伯爵の息子ニコライの許に出入りするようになる。ニコライの従妹ソーニャに惚れたドーロホフは求婚するが、拒絶される。この件でニコライを逆恨みしたドーロホフは、賭けでニコライから4万3千ルーブリ巻き上げる。
 この間、アナトールは出番もなく、言及も(ほぼ)されない。

「アナトーリとぼく」の第3、4節は、この決闘の前後に当たる。
 第3節では、『戦争と平和』との明確な相違が初めて現れる。エレナが弟アナトーリ(『戦争と平和』では、序盤で言及された時にはアナトールが弟のように読めるが、以後は兄となっている)に結婚生活の不満をぶちまける場面である。
『戦争と平和』に該当の場面はないが、佐藤氏による創作、というわけではない。ピエールの独白等、全編にわたって拾い上げた多数のパーツから忠実に組み立てられている。
 ピエールがエレンを疎ましく思うのは、ほかでもなく彼女に愛情ではなく欲情しか感じないからであり、彼がそうなってしまうのは、ほかでもなく彼女が「堕落した女」だからなのである。なぜ彼女がそうなのかといえば、ほかでもなくピエールを欲情させるからなのである。
 さすがにそれだけでは根拠薄弱だとピエールも思うのか、彼女は頭が悪いとか(具体的な例は挙げられない)、下品だとか、アナトールと近親相姦疑惑があったとか、いろいろ並べ立てている。
 また、「あなたの子どもはできない」というエレンの謎のような言葉は、彼女がピエールの子を堕ろした可能性を示唆している。

 この第3節は「アナトーリとぼく」全体からすると、いささか特異だ。まず目に付くのは、ほとんどエレナの台詞だけで成り立っていることである。
 次に気が付くのは、「ぼく」の不在である。前後の第2節と4節でも、ぼくは完全に傍観の立場なのだが、ともかくアナトーリの傍にいることは示されている。
 第3節は、文体も違う。ほかの場面と同じく平仮名だが、地の文(台詞を除いた部分)の占める量はわずかとはいえ、「ぼく」の視点による文体とははっきり異なる(「ごくごくのんだ」というような表現はあるものの)。

 第4節では決闘はすでに終わっており、ドーロホフによってその次第が語られる。聞き手はアナトーリと「ぼく」である。この場面は『戦争と平和』にはないが、決闘の顛末に関しては相違はない。ただし、それ以外の細かい点がいろいろ違っている。
 まず、時系列が異なっている。上述のとおり、ドーロホフが振られた逆恨みでニコライ・ロストフから大金を巻き上げるのは、『戦争と平和』では決闘の傷が癒えてからだが、「アナトーリとぼく」では決闘の前ということになっている。
 ここでニコライ・ロストフはドーロホフに「しりあい」とだけ呼ばれている。しかしドーロホフは決闘を申し込まれた時、『戦争の平和』と同じく「ロストフのわかいやつ」と一緒にいた、と言っている。大金を毟り取ってしまった後まで、ニコライ・ロストフとの交友が続いたはずがないから、少々矛盾が出てくる。

 なお、ペトルーシャ(ピエール)がフリーメーソンに入ったことが言及されるが、『戦争と平和』ではエピソードの順番としてはフリーメーソン入会はドーロホフの求婚より後に来ているが、時系列としては逆であり、ドーロホフが療養中にこの件を知ることに矛盾はない。

 次に、語り手がドーロホフであることによると思われる相違がある。ニコライ・ロストフから毟り取った金額が『戦争と平和』では4万3千ルーブリなのが、6万ルーブリになっているところなどは、単なる誇張だろう。
 エレナと何もなかった、というのも、特に相手がアナトーリなわけだから都合よく誤魔化しているとも思える(『戦争と平和』でも、あくまで噂でしかなかったわけだが)。

 だが或いは、「本当に」ドーロホフと彼女は何もなかったのかもしれない。
『戦争と平和』はフィクションだが、どこかこの世の外で「本当に」ああいうことが起きていて、それがトルストイによって語られれば『戦争と平和』に、佐藤氏によって語られれば「アナトーリとぼく」になる、と仮定する。で、「本当に」ドーロホフとエレンは何もなかったとしよう。
 それがトルストイもしくはピエール(トルストイ自身の投影)の解釈では、エレンは堕落した女だからドーロホフとのことは黒に近い灰色、ということになる。一方、佐藤氏の解釈ではエレナは特に堕落しているというわけではなく、だから不倫の可能性を特に匂わす必要はないのである。

 もう一つ、些細だがはっきりした食い違いは、ドーロホフとその母親のことである。『戦争と平和』では決闘直後、ドーロホフが貧窮したその母にとってはよき息子であることが、意外な事実として提示される。しかし「アナトーリとぼく」では、騒ぎを起こした息子を母親は持て余し、当然ながら息子は母親をうるさがる。ドーロホフがそう語るだけではなく、「ぼく」の視点に於いてもそうである。
 これは、やくざな士官が実は……という「ちょっといい話」的な紋切り型の拒絶かもしれない。

「アナトーリとぼく」第5節の展開は、アナトーリが「ロストフのおじょうさん」(ニコライの妹ナターシャ)と駆け落ち騒ぎを起こすエピソードを概ね忠実になぞっている。『戦争と平和』第2部第5篇10~21(文庫第3巻後半)。
 ただし、『戦争と平和』ではアナトールがナターシャに横恋慕したのは、劇場で偶々ナターシャと出会ったエレンが彼と引き合わせたのがきっかけだったが、「アナトーリとぼく」では、その少し前に初めて顔を合わせた時ということになっている(『戦争と平和』でも彼はナターシャに「あの時から、あなたのことが忘れられません」とか言うが、それはあくまで社交辞令である)。そして劇場での出会いは、彼のためにエレナが仕組んだことになっている。

 決闘からは1年10ヶ月経っており、その間にエレンは美貌に加えて機知に富んだ女性として社交界の花となっているが、ピエールにはこれがどうしても納得できない。なぜならエレンが「ひどく頭が悪い」のは彼がそう思っているだけでなく、作中に於いて「真実」だからである。彼女を賢いと見做す世間のほうが間違っているのだ。
「アナトーリとぼく」では、「ぼく」は世間の評判と同じように、エレナは「とてもあたまがよかった」と語っている。

『戦争と平和』第4巻(第3部第1、2篇)では序盤、アナトールがナターシャ・ロストフの婚約者だったアンドレイ・ボルゴンスキー(「はげやまのこうしゃく」の息子)から逃げ回ってモルダヴィアに行ったりロシアに戻ったりしていることが言及され、その間にも着々と戦争は近付き、トルストイの歴史哲学が延々と語られ、そしてついにナポレオン軍は国境を越えてロシアに侵入する。
「アナトーリとぼく」第6節の「さようならミーシカ、とアナトーリはいった。ぼくはせんそうにいくからね。それからほんとうにいってしまったので、ぼくはペトルーシャのところへいった。」はこの辺りに相当するのだろう。
 そこからすぐに「いえはからっぽだった。ペトルーシャはしょさいにとじこもっていた。アナトーリがせんそうでしんだというしらせがきても、それをきいたエレナがどくをのんでしんだというしらせがきても、そとにでようとしなかった。」と続く。

『戦争と平和』では、アナトーリの戦死は1812年のボロジノ戦の直後であり、駆け落ち騒動から半年ほど経っている。その間、ピエールはナターシャを慰めたりして過ごし、いよいよ戦線がモスクワまで迫ってくると、物見遊山でボロジノまで出掛けていき、激戦を目の当たりにする。
 エレンの自殺はアナトール戦死の直後だが、二つの死はまったく無関係なものとされている。エレンもほかの家族もアナトーリの戦死を知っていた様子はない。残された家族はその後一切登場せず、言及もされない(ピエールの血縁であるにもかかわらず)。
 その後、モスクワから市民の退去が始まるが、ピエールはナポレオン暗殺を決意してモスクワに残り、知り合いの家(当人は亡くなっている)に閉じ籠り、悶々と過ごす。ところがフランス人の将校がその家に転がり込んできて、ピエールは不本意ながらその男と仲良くなる。フランス人はピエールの教養に感嘆し、あなたはまったくフランス人だ、と賞賛する。

「アナトーリとぼく」では、ペトルーシャが閉じ籠っているのは自宅であり、「ふらんすのへいたい」がやって来ても書斎からほとんど出てこない。フランス人たちと仲良くなるのは「ぼく」であり、その家の主人として扱われる。フランス人は陰気なピエールを嫌悪し、「ろしあのくま」と呼ぶ。さらにフランス人は「ぼく」をベズーホフ伯爵と呼ぶ。フランス人が「ぼく」に披露する恋と情事の物語は、『戦争と平和』でピエールに向かって語られたのと同じものである。
 その間、ペトルーシャは書斎で書き物をしている。
 ――ピエールにはいつも大理石のように見えていたその胸は、今やごく間近に近視の目の前にあり、その首や魅惑的な肩に血の通うのが感じられ…………
 といった調子の断片を、「ぼく」は幾つも目にすることになるが、これらは順に文庫第2巻29-30頁、33-34頁、305頁、309頁、310頁、第3巻459頁、第5巻213頁に該当する。

「ふらんすじん」との会話の直後にモスクワ大火が起こり、その後しばらくのペトルーシャの行動は、ピエールのそれと一致し、「ぼく」は傍観の立場に戻っている。
 フランス軍の捕虜になったピエールは、プラトン・カラターエフなる農民出身の老兵士と出会う。この男は、トルストイが考えるところの理想的な「ロシアの農民の典型」である。彼にピエールが感化されるあたりは、「アナトーリとぼく」ではすっ飛ばされている。
 敗走するフランス軍がいよいよ窮乏してくると、捕虜たちはもろにその煽りを受け、飢えや寒さで次々と死んでいく。ピエールも、薫陶よろしきを得たはずのプラトン・カターエフが死にかけているのも気にならなくなるほど衰弱する。何か幸福がどうのとかいろいろ書いてあるけど、要はそういうことである。
 そして、まったくの偶然によって、ドーロホフ率いる奇襲部隊がピエールを連行する部隊を襲撃し、彼は救出される。

「アナトーリとぼく」では、衰弱しきったペトルーシャは置き去りにされ、「ぼく」はそのままフランス軍と行動を共にする。そして、ドーロホフとその部隊によって解放され、「それからぼくはもりにいって、むすめさんのくまをみつけた。むすめさんのくまがぼくをきにいったので、ぼくはむすめさんのくまにこぐまをいっぱいうませた。これからもいっぱいうませようとおもう。」

『戦争と平和』では、救出されたピエールはロストフ家のナターシャと再会し、結婚し、子供を「いっぱいうませた。」

 なぜ途中から「ぼく」こと「くまのミーシカ」とペトルーシャが入れ替わり始め、最後には「くま」がペトルーシャに完全に成り代わってしまうのか。その答えは『戦争と平和』の序盤(第1部第1編3)に提示されている。ワシーリー公爵(エレンとアナトールの父)によって、ピエールは「このクマさん」と呼ばれているのである。これは彼の体格(「アナトーリとぼく」でも「とてもおおきくてふとっていた」と幾度も強調されている)や腕力、ぼんやりした性格などによるが、とにかく最初から「くま≒ピエール(ペトルーシャ)」なのである。

『戦争と平和』では、ピエールは二つに分裂した望みを抱えて苦しむ人物として描かれ、結末では幸福になる。「アナトーリとぼく」の結末でペトルーシャが消え、くまが生き残って幸福になる。
 ピエールが幸福になったのは、人間的成長を遂げたから、ってことになるんだろうけど、「分裂した二つの内面」のうち一方を切り捨てたから、という解釈も可能だ。それが「アナトーリとぼく」なのである。

 では、切り捨てられたのはどのような部分なのか。『戦争と平和』では、ピエールの「二つに分裂した望み」とは、要するに一方は大食、大酒、何より色欲であり、他方はそれらを抑制したい、というより切り捨てたいという望みである。切り捨てたいのにできないから汚らわしいと思い、けがらわしいと思うから切り捨てられない。その煩悶が、延々と綴られる。
 ところが、幸福になったピエール「欲望」がどうなってしまったのかについては、言及がない。彼自身についてはただ、幸福になった、としか述べられていないといっていい。

 その代わり、その幸福の要として、ナターシャの変貌が詳細に語られる。生気に溢れ、頭の回転が速く、趣味がよく、歌の巧い、ほっそりとした美しい娘だった彼女は、「すっかりたるんでしまって」「生気のない、退屈そうな目、とんちんかんな返事」の、頭にあるのは夫と何人もいる子供のことだけ、いや、そもそも「頭」などない、「その顔と体が見えるだけで、魂はまったく見えな」い「多産な雌」になるのである。歌も歌わず、服装にも構わなくなる。
 以前の彼女を知っていた人々はこの変貌をひどく惜しみ、何やら異常なことだと見做すが、トルストイ(とピエール)によればこれは素晴らしい上昇であり、道理が判っていないのは世間のほうなのである。

「アナトーリとぼく」の第3節では、ペトルーシャの発言として、エレナが次のように言う。「あたしがすこしでもすじみちだったことをいうともっとふきげんになったわ。ロストフのばあさんはこどもを12にんもうんで、からだがまいって、あたまがほうっとして、いまじゃりくつのとおったことなんてなにひとつかんがえられやしない、なんてりっぱなおんなだ、ですって。」
『戦争と平和』のロストフ伯爵夫人(ナターシャとニコライの母親)は、このような女ではない。言うまでもなく、「ロストフのばあさん」とは後のナターシャそのままである(『戦争と平和』エピローグでは子供は数人しかいないものの、もっと産むつもりであるとは書かれている)。
 そして、エレナと結婚していた頃のペトルーシャなら、妻がそうなることを一方では望んだとしても、他方では「でもそうなったらあのひと、いまよりもっとわたしをけいべつして、いまよりもっとひどいあつかいをするにきまってる。」

 そんな「りっぱなおんな」を妻にして、ピエール/ペトルーシャは幸福になる。つまり、彼が切り捨てたのは、己の欲望を汚らわしいと思う部分だったのである。女を「りくつのとおったことなんてなにひとつかんがえられやしない」「多産な雌」に改造する行為によって、欲望は汚らわしいものではなくなった、ということでもあるのだろう。

 では、「アナトーリとぼく」の第6節で、ペトルーシャが『戦争と平和』の本文を書いているのは、どういうことなのか。
 トルストイは語り手と自分を等号で結んでなんの齟齬も覚えていない上に、ピエールに自己投影しているようなので、ピエールの「幸福」はトルストイにとっての理想と見ていいだろう。で、彼はその理想を実現できていないのである。だから切り捨てられて消えてしまうペトルーシャ=トルストイでもあるのだ。

 最後に、「アナトーリとぼく」というタイトルについてである。
 大河小説『戦争と平和』の中で、アナトールはほんのちょい役でしかない。ヒロインのナターシャを誑かすという役回りも、話の都合上、彼女とアンドレイ(ピエールよりも遥かに有能で美形で主人公に相応しい)との結婚を阻止する必要があったからに過ぎない。さらにいうなら、この駆け落ち騒ぎは、ナターシャもまた「堕落した女」であることを示し、それがピエールとの結婚によってのみ「りっぱなおんな」になれるという展開のお膳立てでもある。

 従来からの一般的な解釈では、ピエールと対照される「もう一人の主人公」は、アンドレイである。『戦争と平和』は、ナポレオン戦争を主題とした歴史小説とピエールという個人のビルドゥングスロマン(と言ってしまうのは躊躇われるが、とりあえずトルストイはそのつもりだろう)、という二つの要素から成り立っている。
 アンドレイは、歴史小説のほうの主人公である。しかしピエールが主人公の物語に於いては、ただの当て馬でしかない。

 ピエールの物語だけに絞ってみても、アナトールがちょい役に過ぎないのは同じなのだが、ただし彼は、エレンとナターシャという二人の女を間に置いた時、ちょうどピエールと対照を成すのである。
 さらに、第2部第5篇11(ナターシャを誘惑し始めた頃)では、丸々3頁を使ってアナトールの人となりについて語られるのだが、それによると彼は「自分の地位と、自分自身と、他人にいつも満足して」おり、「賭博で金をもうけたいと思ったことは一度もなかったし、負けて金をすっても惜しいと思ったことさえなかった。彼は見栄っ張りではなかった。人が自分についてどう思おうと、彼はまったく平気だった。野心という負い目はもっと少なかった。」し、「彼はけちではなく、求められれば、だれにも嫌とは言わなかった。」

 同じくらいの分量で欠点(一言でいうと堕落している)についても語られるが、上記の点だけに注目すれば、まさに完全に自足した、トルストイ的に理想的な人物だといえるだろう。すなわち、最終的にピエールが行き着く人間像である。

 アナトールは、ピエールと違って分裂していない人物である。だから、「ぼく」はアナトーリに寄り添っているだけで何もしない。「アナトーリとぼく」第3節が「くまのミーシカ」の一人称で語られていないことは上述したが、ここはアナトーリ視点の三人称場面だといえるかもしれない。

 そしてアナトーリが退場してしまうと、いよいよ「ぼく」はペトルーシャの許へ行き、彼に成り代わり始めるのである。

『戦争と平和』映画版(ソ連製)感想

『激しく、速やかな死』感想

比較検証(単なる読み比べ)シリーズ
 佐藤哲也氏『熱帯』とホメロス『イーリアス』

 マイケル・クライトン『北人伝説』とイブン・ファドラーン『ヴォルガ・ブルガール旅行記』

 佐藤哲也氏『サラミス』とヘロドトス『歴史』

|

« 殺戮機械 | トップページ | 荒馬と女 »

鑑賞記2009」カテゴリの記事