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殺戮機械

『ミカイールの階梯』に登場。

 絶対平和(21、22世紀)に開発された奴隷種。さまざまな遺伝子改造が施されていたと思われるが、最大の特徴は戦闘に特化された神経系。平静時でも苦痛や疲労、空腹等を感じず(情報としては知覚するが、行動を停止させるための「負」の感覚は生じない)、戦闘時には自律神経すらも自らの生命維持より敵の打破を優先させたモードに切り替わる。
『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』所収の「The Show Must Go On, and...」においても、特殊な見世物にのみ使用される戦闘種として言及されている。

 23世紀前半、とある北欧系の一族が、自らの血統に殺戮機械の改造遺伝子群を組み込んだ。エウロパ大飢饉から東に逃れたこの一族は、テングリ大山系西部(旧ソ連領天山山脈)の奥深くに隠れ住んだ。近親交配を繰り返して殺戮機械を生み出すことで、村を守ってきた。
 しかし結局はその排他性によって一族は滅亡に向かい、2440年代前半には二人の少女と一人の少年が生き残るだけとなった。彼らは村を出て山中をさ迷った挙句、ミカイリー一族に保護される。少年と一方の少女は相次いで死亡した。最後に残った少女の遺伝子を調べたミカイリーたちは、彼女が殺戮機械の能力を受け継いでいることを知る。
 ペルシア語で「殺戮機械」は「マーシーネ・コシュタル」。ラテン文字表記はmashine koshtar。mashine:(~の)機械、koshtar:殺戮。

 同胞の少女からわずかに聞き出せた情報によると、この一族の殺戮機械たちは皆、「パリーサ」と呼ばれていた。パリーサParisaはペルシア語で「妖精」の意。伝説では鳩のような白い翼を持つ美しい乙女とされる。女性名として普通に使われるが、22、23世紀の殺戮機械やその能力を受け継ぐ者たちが女だけだったのかは不明。

 絶対平和を支えた奴隷たちの正式名称は「亜人」だが、彼らは各文化圏に於いて「妖精」やそれに類する名で呼ばれた。イスラム圏に於いては「ジン(jin 妖魔)」が最も一般的だったが、イラン語圏では特に美しい外見の亜人を「パリーサ」と呼んだ。
 件の一族が殺戮機械たちをパリーサと呼んできたのは、上記の意味に於いてであり、すなわち個人名としてではなかったと思われる。

 ミカイリーたちが保護した最後のパリーサは、「妖精」の名に相応しく、非常に美しい容姿の持ち主だった。金髪白皙で虹彩の色は瑠璃(ラズヴァルド=ラピスラズリ)、整った顔立ち。2447年の時点で、外見は16、7歳程度だが小柄で非常に痩せ、肉体的にはより未成熟である。

 パリーサは同胞の命令にしか従わなかった。「躾ける」方法があるとのことだったが、ミカイリーたちはそれを明らかにすることができなかった。試行錯誤の末、パリーサの脳にチップを埋め込んで電気ショックを与えることによって(苦痛を感じなくても一時的に行動不能に陥る。出力が弱ければ一瞬動きが止まる程度。最大出力で失神に至る)、彼女を「躾ける」ことに成功。
 以後、彼女は制御装置(黒い革の小ケースに収められている)を身に着けた者の命令には従うようになる。

 ただし彼女は複雑だったり曖昧だったりする命令には従わない。言葉をある程度理解しているのは確かだが、どの程度なのかは不明。また、攻撃には自動的に反応し、その状態では停止命令に従うかどうかも不明である。

 苦痛や疲労、空腹を感じない(通常の人間が感じるようには)ため、それを解消したいという欲求も生じない。平常時でも、睡眠と排泄は自主的に行うが、食事は命じられなければ摂らない。これはオリジナルの殺戮機械も同様だと思われる。

 22世紀に行われた実験によると、オリジナルの殺戮機械は休息も栄養補給もなしに70時間以上戦い続けることが可能である。しかしさらに戦闘が続くと、稼動停止に至る。原因は小脳の壊死であり、ごく短時間に全身に広がり、文字どおり肉体が崩壊する。個体差はあるが、100時間もった例はない。
 パリーサも同様であるかは不明。彼女は、いわば雑種である。パリーサが示す特徴の幾つかは、彼女固有のものなのか、それとも殺戮機械という「品種」に共通なのか、ミカイリーたちが保管して来た旧時代の資料だけでは明らかではない。

 そうした特徴の一つが、「冬眠」である。通常の睡眠とは異なり、突然昏睡状態に陥り、代謝も低下する。体温は28℃、心拍数は一分間に50以下に落ちる。
 通常の人間でも極度の低温下では冬眠になる事例が知られているが、パリーサの場合、周囲の温度は関係ない。数日から半月、いかなる刺激を与えられても決して目覚めることはなく、覚醒も同様に唐突である。冬眠に入る条件も覚醒する条件も不明。ただし、戦闘中に冬眠に入ることはないと思われる。周期性はないが、年間120日前後でおおむね一定している。
 オリジナルの殺戮機械にも冬眠があったかは不明だが、あったとしても、大量に製造されていればそれほど支障はなかっただろう。

 ミカイリー一族に保護された当時、パリーサは栄養状態の悪さを差し引いて10代初めに見えた。だが同胞の少女によれば、実際にはもっと年上だという。一年の三分の一もの冬眠が、パリーサの成長(加齢)を遅らせていることはあり得る。
 パリーサはまた排卵もなく、これは生殖腺の異常が原因であるが、冬眠との因果関係ははっきりしない。治療も行われたが、効果は上がらなかった。同胞の少女の不明瞭な証言によると、パリーサたちを「番わせる」なんらかの方法があったようだが、どのみちその方法は失われた。
 なお、絶対平和の下、殺戮機械も含めすべての亜人は生殖機能を停止されていた。

 殺戮機械の神経系の変異は脳の構造にも及び、小脳の特異的な発達と、大脳皮質、特に前頭葉の未発達が見られた。変異はさらに皮質と辺縁系を繋ぐ経路にも存在した。
 こうした変異を、パリーサはオリジナルの殺戮機械とほとんどそのまま受け継いでいる。ただし人間らしい感情や思考を持たないかのような、文字どおり機械のような反応が、脳の変異に由来するものなのか、また殺戮機械に共通したものなのかは不明。いずれにせよ、絶対平和に於いて亜人は思考や感情を制御されていた。

 パリーサに思考や感情があるのか、或いは、「自己」の認識、すなわち通常の人間のような「意識」があるのか、ミカイリーの研究者たちは突き止めることができなかった。

 作中では、パリーサが思考や感情を持つことの示唆と受け取れる記述が散見する。おそらく、思考や感情はあるのだろう(なお専門的には感情と情動は区別されることもあるが、作中およびこの記事では区別はしない)。
 ただしそれらは、脳の構造の特異性のために著しく変容していると思われる。さらに、感覚と感情のフィードバックが阻害されている可能性がある。つまり身体損傷の感覚が恐怖や不安、或いは怒りといった感情を引き起こすことはないし、或いはたとえ恐怖や怒り、或いは喜びといった感情を抱いたとしても、それが動悸などの身体反応を引き起こすことはない。

 そうであれば、パリーサが機械のように無感情に見えるのは、感情がないのではなく、身体反応として現れないからだといえる。
 また神経学者アントニオ・R・ダマシオによると、脊髄や脳幹の損傷によって全身不随になった患者は、首から下(或いは顔面も)からの感覚入力がなくなっても依然として幅広い感情を持つことができるが、全体として感情の波は穏やかになるという。ダマシオはこの穏やかさの原因を、感覚とのフィードバックがなくなったためと解釈する(『無意識の脳 自己意識の脳』講談社)。
 この解釈に従えば、パリーサに感情があっても感覚との相互作用が弱い場合、その感情が高ぶることは少ないだろう。

 また思考、特に意思決定は感情に強く支配され、感情抜きの思考は(感情と思考または理性は相反するものだという通説とは異なり)あり得ないが、パリーサの場合、皮質と辺縁系を繋ぐ経路に変異があることからも、思考にも著しい変異があると推測される。

 グワルディア(精鋭部隊)もまた、殺戮機械と同じ改造遺伝子群を基盤とした異能者たちであるが、彼らの遺伝子改造の程度は「基準値内」であり、「人間」の範疇に留まっていると言える。

関連記事: 「グワルディア」 「亜人」 「ミカイリー一族」 「変異体」 

       「レズヴァーン・ミカイリー」 「連作〈The Show Must Go On〉」 

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