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2009年度佐藤亜紀明治大学特別講義第2回-②

の続き。

328pxsaturno_devorando_a_sus_hijos 1820年頃の連作「黒い絵」の一つである「我が子を喰らうサトゥルヌス」。X線照射したところ、勃起したペニスが描かれていたことが判明した。

  最初期の彼は、非常にアカデミックな神話画を描いている。プラド美術館の展示は、この神話画から始まり、ゴブラン織りの下絵(ゴブラン織りの下絵なので、陰影が少なく非常に明るい色彩)→スペイン王室の肖像画→「1808年5月2日」「5月3日」→「黒い絵」という非常に解り易い「物語」に沿っているそうだ。
 そういう、美術史の教科書の挿絵として絵を見て、本当に「見た」といえるのか。

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Goya_spring1 *参考:ゴブラン織りの下絵の一例(講義での提示はなし)、1786-87「花売り娘(春)」

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 1800-01「カルロス四世の家族」。スペイン戦役は、スペイン王室の後継者争いに介入したことで起こった。

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「5月2日」は、国王退位のニュースに、マムルーク兵(ナポレオンがエジプトから連れてきた)を市民が襲った場面である。リュベンス風の、すなわち当時の標準的な絵である。

774pxfrancisco_de_goya_y_lucientes_ 一方「5月3日」は、同じ時期(1814年)に同じ人物の発注で、つまり二枚一組として描かれたにもかかわらず、まったく違った絵である。どちらも、モニュメンタルな歴史画として注文されたはずである。

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Jacqueslouis_david_007  同時代の「モニュメンタルな歴史画」として、ダヴィッドの「アルプス越えのナポレオン」(1805)が挙げられる(画像の提示はなし)。

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「5月2日」も「5月3日」も、「無名の民衆」を描いたものである。しかし前者のほうは、モニュメンタルな歴史画としてまったく問題ない。同じく「無名の民衆」を描いたドラクロワの「民衆を導く自由の女神」(1830)と共通のヒロイズムがある(この絵について佐藤先生の言及はなかったが、比較の材料として適当だと思うので)。

 対して「5月3日」は、モニュメンタルな歴史画としての描き方が放棄されている。人物は五頭身くらいしかなく、身体のバランスもおかしい。カリカチュアライズされているのである。それによって、モニュメンタルな歴史画につきものの「崇高さ」が放棄されているのだ。

 スペイン戦役はゲリラ戦(guerillaという言葉は、そもそもこの時できた)であり、凄まじい流血を伴った。
 それが終わった後で、英雄的な「5月2日」が描かれたのは、リハビリとしての意味があったのだろう。英雄的な物語にすることで、事実を塗り替えるのである。
 対して、「5月3日」はリハビリされる前の状況に近い。そして、少なくともゴヤ自身にとっては、「5月2日」は全然リハビリになっていなかったのだろう。それが、「黒い絵」と版画連作「戦争の惨禍」である。晩年、70代描かれた絵だ。

 疾走中に倒れる馬と放り出される騎兵を描いた版画(画像は見つけられなかった)には、「こういうことも起こり得る」との言葉が添えられている。いかなるロジックも、そこには存在しない。
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 スペイン人に対するフランス兵の蛮行がこれでもかとばかりに描かれる(ただし、死体の服を剥ぎ取るのは辱めのためではなく必要に駆られてである。特に当時の靴は一週間も履けば駄目になったから、死活問題であった)。フランス兵に対するスペイン人の蛮行も描かれる。
 講義では、さらに多くの画像が提示された。

 18世紀の戦略家によると、戦争とは人を殺すことではなく、よその土地に人を連れて行って飯を食わせることである。つまり現地調達であるが、それをやると、その土地はたちまち飢餓に見舞われる。ナポレオン軍は、まさにこの定義に当て嵌まる。
 こういう光景を作り出し、潜り抜けてきた勝者であるフランス兵たちが、故国に引き揚げる途中で、いきなり隊列を離れて自分の銃で自分の頭を撃ち抜いたりするのだそうである。

「黒い絵」が描かれてしまわないために、アカデミズムなきれいな絵が存在する。そしてゴヤ以降、「黒い絵」が再び現れるのはずっと後のことである。

Sylvia20von2020harden201926201a オットー・ディクス(1891-1969)というと、この絵(*「シルヴィア・フォン・ハルデン」、1926)を描いた、というくらいしか知らなかったんだが、第一次大戦を機関銃手として経験し、戦後、絵を学んで画家となった人である。美術学校の教師も務めたが、「退廃芸術家」として真っ先に弾圧された一人でもある。

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Artdix3「塹壕」(1932)。銃弾で穴だらけになった脚、鉄骨(?)に引っ掛かった死体は、宙に浮かぶ天使のようである。

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128594Mealtimeintrenches エッチング連作「戦争」(1924)。ゴヤの「5月3日」と同じく、カリカチュアライズされている。カリカチュアしなければ描けなかった絵である。
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 このような絵は、なんのリハビリにもならない。誰の役にも立たない。自分のリハビリのためでもなく、他人の役に立つためでもなく、表現せざるを得なかったから描いたのである。
 何を引き金にこんな表現が出てくるのか。その一つとして、今回の講義では「戦争」が挙げられた。

 今回、遅刻はしなかったものの、かなりギリギリで、昼食を食べてくる時間がなかったのであった。だから途中でサンドイッチを買って、講義が始まる直前に食べた。お蔭で講義中、喉が渇いてきて、水を飲みながら聴いてたんだが、「黒い絵」が出てきてから、まだ渇きは収まってないのに水が喉を通らなくなる。講義の後、他の聴講者の皆さんも言葉少なでしたよ。

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