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2009年度佐藤亜紀明治大学特別講義第2回-①

 6月13日土曜日。まずは前回の講義で述べた、「表現(の様式)の変遷とは世界の認識の変遷である」についての補足。

 必ずしも一つの世界に一つの様式しかないわけではない。例えばプッサン(1594-1665)の「サビニの略奪」とリュベンス(1577-1640)の「マリー・ド・メディチの生涯」。
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 最も顕著な相違は、輪郭線と色彩にある。アカデミズムの下でも、この二つの様式の並存が認められていた。論争はあったのだが決着は付かず、対等ということで落ち着いたのである。

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 実のところ、プッサン流かリュベンス流かというのは、あまり重要ではなかった。アカデミズムの序列に於いて最も重要だったのは、崇高なものか世俗なものか、である。それがすなわち、宗教画、神話画、歴史画、風俗画、静物画のヒエラルキーへと行き着くわけだが、18世紀末にはそこに政治的な抗争が入り込んだ。煽ったのはダヴィッド(1748-1825)。
 その遣り口は、1785年、アカデミーのサロンに鳴り物入りで出品されることになっていた「ホラティウス兄弟の誓い」の搬入をわざと一日遅らせることで、背後に政治的な闘争があったかのように匂わせる、といった具合。

 古典主義vsロマン主義という対立は、本当にあったのか。
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 ロマン主義の代表とされているドラクロワ(1798-1863)だが、本人はリュベンス派だと自認していた。「サルダナパールの死」(1827)の、女の肌の色合いなど、一目瞭然である。

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 一方、古典主義の代表とされるアングル(1780-1867)は、どちらかといえば輪郭線や影、空気感など、プッサン派であろう。彼とマニエリスムとの関係については、昨年度の講義で論じられた。左は「トルコ風呂」(1862)。

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 つまり古典主義vsロマン主義というのはストーリーに過ぎず(当時も存在したストーリーかもしれないが)、実際には二つの様式は並存し、相互に作用していたということだ。
 この二つの様式の違いは、要するに女の裸がどう見えるか、という違いであり、言い換えれば女をどう捉えているか、の違いである。「サルダナパールの死」に於いて、ドラクロワの視点は部下に愛妾を殺させるのを無感動に眺めるサルダナパロスと重なっており、それと同時に「そういう俺かっこいい」というナルシズムもあからさまに透けている。非常に健全なナルシズムである。

 これに対し、「トルコ風呂」に於けるアングルの視点は、画面(円いフレーム=覗き穴)の外にある。
 本来、「トルコ風呂」は、こっそりと寝室に掛けておくものとして注文された。18世紀絵画には、寝室や専用のギャラリーにカーテン付きで飾るものとして制作された作品が多い。そのようにして飾ったのは、「人に見せるのが憚られる」作品だからではなく、こっそり人に見せて反応を楽しむためである。
 ただし、アングルの危うさは、そういった類とはまた少々異なる。革命的に変だった、といえる。「グランド・オダリスク」をデッサンが狂っていると貶したドラクロワに代表される、ヨーロッパ絵画の保守本流からはまったく外れたところに立っていた。

 自然をどう捉えているか=絵画をどう捉えているか、がヨーロッパ絵画である。アングルは美のためなら自然をいかに歪めようと平気だった。その意味で、アングルの後継者は、師匠の絵をデッサンを正しく描き直したような絵を描いた彼の弟子たちではなく、抽象画家たちだといえる。
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Mor111  ギュスターヴ・モロー(1826-1898)はデビュー当時から原色が多すぎると指摘されており、最後にはアカデミックなフォルムから色彩を解放し、色彩だけの絵を描くようになった。

 .*左から1851年「キプロスの海賊に略奪されるヴェネツィアの若い娘たち」、1895年「ユピテルとセメレ」、1897-98「栄光のヘレネ」(講義中、佐藤先生による絵の提示はなし)。
 

 しかし同時に彼は官立美術学校の教授として、非常にアカデミックな指導を行い、学生たちには、悪い影響を与えるといけないという理由から、自分の絵を決して見せなかった。しかしその学生たちの中から、「フォーヴ」のマティスが出ている。

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 1905年、「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」(講義での提示なし)

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 古典主義者の自然は、実際にはそのままの自然ではなく、理想化された自然だった。アングルやモローらは、その延長上にあるといえる。

 すでにフランドルの画家たちは、色を並べることで混色されて見えることを知っていた。特に真珠や皮膚にその技法が用いられた。固有色の概念が崩れたことは、光学的な法則の放棄へと繋がる。リューベンスやドラクロワ→印象派→フォーヴィズムの流れ。

「サルダナパールの死」は衝撃的な場面を描いているようでいて、その実、構図は非常に安定している。
 一方、アングルはその安定の上にはいない。彼は世界に対する信頼感を疑っている。ただし、彼は一応最後まで踏みとどまっていた。
 踏みとどまっていなかったのが、ゴヤ(1746-1828)である。

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