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ゴーギャン展

 東京国立近代美術館。
 学生時代の展覧会友達は、美術展について「自分は作品に興味があるのであって、バックグラウンドに興味はない。だから展示作品に付いてる解説は一切読まない」と言っていた。
 作品(作家)解説という「お話」を鵜呑みにして作品を鑑賞したつもりになるのが問題なのは言うまでもないが、この友人のような態度も、それはそれでどうかと思う。

 というわけで、作品をまとめて観るのは初めてのゴーギャン。展示は解り易く年代順に、師ピサロを含めた印象派の影響がいかにも強い初期の数点から始まる。1886年のブルターニュ滞在以降、次第に「ゴーギャンらしい」絵になっていき、そして91年のタヒチ行きとなる。
 続いて、連作版画「ノアノア」(1893-94)。帰国後、タヒチの絵の評判が悪かったため、まずタヒチの宣伝をしようと発表したものである。最後はタヒチ移住(1895)からマルキーズ諸島での死(1903)まで、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」までを含む7点。
 なお、以下に掲載した画像のうち、ゴーギャンの作品はすべてこの展覧会で展示されたもの。

『男の凶暴性はどこから来たか』(リチャード・ランガム/デイル・ピーターソン、三田出版会)では、「幻想の楽園」と題する第五章で、マーガレット・ミード(『サモアの思春期』の著者)と並んで、南洋諸島に都合のいい「楽園」を見ようとした人物としてゴーギャンを挙げている。
 それによると、ゴーギャン(1848-1903)はタヒチを、ほかの男に邪魔されないプライベート・クラブであり、純真でありながら口説けばすぐに落ちる少女や女たちで溢れた「楽園」として描いた。その楽園には男は一人しかいなかった。その男は楽園の創設者であると同時に覗き見をする者でもあり、性的な魅力のある若い娘たちの姿に夢を追いながら、自然の中の平和という素朴な観念を満足させていたのである。
 しかし現実の止め処もなく「文明化」していく島での生活に於いては、役人や同国人と絶えずトラブルを起こし、性の相手には不自由しなかったものの、性病が原因で次第にそれもままならなくなっていく。
 
 ま、どんなものにせよ、他人の見解は鵜呑みにすべきではなく、少なくともゴーギャンの「視線」については、ランガムとピーターソンが言うほど単純ではなかっただろう、とゴーギャンの絵の実物を目の当たりにして思いましたよ。

「画家=男」の視線については、ちょうど佐藤亜紀氏が先日の講義でドラクロワ(「サルダナパールの死」)とアングル(「トルコ風呂」)のそれを比較しておられた。

Delacroix Jean_auguste_dominique_ingres_003 ドラクロワはサルダナパールに自己投影すると同時に、そんな自分に対する陶酔している。
 一方、アングルの視線は絵の外にある。円いフレームは覗き穴であり、女たちは見られていることに気づいていない。この視点の違いは、それぞれの性格の差にも拠るが、何よりも描いた時の年齢に拠るところが大きいだろう。ドラクロワは29歳、アングルは、なんと82歳である。

Furan 1894年「パレットをもつ自画像」。
 そういや、ゴーギャンがどんな顔をしてたのかすら知らなかったのであった。『炎の人ゴッホ』ではゴッホに扮したカーク・ダグラスが、よく似てるだけに、なんつーかコスプレみたいだったが、ゴーギャン役のアンソニー・クインも、結構実物と同じ系列の顔だったのね。

 自画像からは、強い自意識が感じ取れる。ゴーギャンの興味は無論、己の顔の造形やそれをどう描くかではなく、その内面を表現することである。

Web_exh_works_0071892年「かぐわしき大地」。
 ゴーギャンの視点は画面の外にある。女はゴーギャンに、画面の外の男に視線を向けている。彼女の内面は窺えない。だが、視線の先の男に対して興味を抱いているのは明らかだ。言うまでもなく男にとっては、それだけで充分である。

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1890-91年「純潔の喪失」。
 モデルは、お針子でゴーギャンの愛人、ジュリエットだという。妊娠させた彼女を捨てて、ゴーギャンはタヒチへと発つ。
 このジュリエットの死体のように蒼褪めた肉体に比べれば、「かぐわしき大地」の女のそれは、まさに黄金のごとく輝く。完璧な肉体の表現に、「内面」は伴っていない。必要ないのだ。

Gauguin_nous00_21897-98年、“D'où venons-nous? Que Sommes-nous? Où allons-nous?”
 二分割された画面の右側、背を向けた二人の女は、アングルが好んで描くポーズを思わせる。寄り添って座り、画面の外の男を窺い見る二人の女のうち手前のポーズは、マネの「草上の昼食」と同じである。偶然ではあるまい。Edouard_manet_024
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そして、画面の外を窺い見る「異国の女たち」という主題は、ドラクロワの「アルジェの女たち」と共通である。こちらは参考にしたというより、同じ主題を扱えば自ずと似てくるのであろう。

 魂のない、顔と身体だけの存在。無論、「見られる女」の内面が問題とされないのは、むしろ当然である。女が何を考えていようと、「見る男」にはどうでもいい。せいぜい、彼に対して興味を抱いているか否か、くらいなものだ。共有するものが少ない「異国の女」であるなら、なおさらである。

 という、わかりやすい解釈に収まりきらないのが、黒い犬の存在だ。
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1892年「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」
 女たちばかりのタヒチの風景の多くに、この黒い犬は入り込んでいる。ゴーギャンの分身であるのは間違いない。

 画面の外から女たちを眺めると同時に、画面の中にもいる。ハレムの王などではなく、女たちと性交できないばかりか、多くの場合、顧みられさえしない存在としてである。

 悪夢さながらの現実の中、描き続けたのは楽園の夢だった。夢そのものは、都合のいい、しょうもない妄想だと断じてしまうことができるだろう。それでもその作品は、紛れもなく力強い。

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慰めの報酬

 スパイものパロディでもある『エージェント・ゾーハン』の次にこれを観たのは、特に意図があってのことではない。ないんだが、つい注目してまうわな、「どんな男がやってもセクハラになってまうことをしても、逆に女を喜ばせる絶倫敏腕スパイ」という存在がもはやギャグにしかならん現代に於いて、そういうスパイの代名詞であるジェームズ・ボンドをどのように描いているか、を。

 結論から言うと、ボンドを「若造」とすることで解決したのであった。経験豊富な凄腕スパイが女たちをたらしこむのではなく、女たちが若造を可愛がるのである。だから、過去に囚われて若造を可愛がる余裕のないオルガ・キュリレンコとは、お友達までにしかならない。
 エヴァ・グリーンの時はどうだったけな。あれは結局のところ、若造にほだされたんじゃなかったっけ。時間軸としては前作の直後とはいえ、前作の女のことを憶えているボンド、というのも非常に珍しいんじゃなかろうか(007シリーズは全部は観てないんで、史上初なのかどうかは知らないが。『オースティン・パワーズ2』では、前作の女を律儀に「処分」していた。あの作品で感心させられたのはそこだけだった)。

 そうそう、前作の感想では、もはやパロディにしかならない「ジェームズ・ボンド」というキャラクターが、駆け出しスパイになったことで新鮮味を取り戻した、というようなことを述べ、ついでに、その「駆け出し」という安全装置を取り外しても大丈夫なんだろうか、とも危惧したんだけど、今回も「駆け出しのまんま」にしておいたわけだな。

 ピアーズ・ブロンソン版ではほとんど意味がなかった、Mがジュディ・デンチである配役(ジュディ・デンチだからこそ、かろうじてもっていたが)も、ボンドが若造であることで十二分に活かされている。手に負えない腕白小僧と定年間際の厳めしい女教師の関係だ。化粧を落としながらボンドに指示を出すのがかっこいい。

 今回の悪役、マチュー・アルマリックは、以前に観た作品のキャラクターと芸風がまったく一緒で、強烈な既視感に、前作にも出ていたんだっけ、としばらく混乱してもうた。そうじゃなくて、『ミュンヘン』の情報屋のルイだ。彼とダニエル・クレイグとジェフリー・ラッシュと、三人も『ミュンヘン』のキャスト(共演シーンはないが)がいるんだな。

 監督はマーク・フォースター。『君のためなら千回でも』の時は、アクションシーンが全体から浮いていて、ああ苦手なんだな、と思ったものだが、今回は特に違和感もなく、ああ巧くなったんだな、と思う。
 長すぎず、すっきりまとまって(1時間40分強)、おもしろうございました。

『エージェント・ゾーハン』

『カジノロワイヤル』

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エージェント・ゾーハン

 ある意味『ミュンヘン』のパロディみたいな話だな。

 ゾーハンはモサドの凄腕エージェントだったが、真の夢はニューヨークでヘア・スタイリストになることだった。加えて、自分の仕事が非生産的であることに心底うんざりして(死と破壊しか生み出さない上に、せっかく作戦を成功させても取り引きの材料に使われるだけ)いたところに、両親にヘア・スタイリストの夢を笑われたのもあって、ついに姿をくらませることにする。パレスティナの凄腕テロリスト「ファントム」を捕らえる任務で、ファントムに殺されたと見せかけて中東を離れ、ニューヨークに行く。

 パレスティナ‐イスラエル問題をパレスティナ側から捉えた『パラダイス・ナウ』やイスラエル人とエジプト人のぎこちない交流を描いた『迷子の警察音楽隊』ほど微妙な領域には踏み込んでおらず、視点は「アメリカに在住するパレスティナ人とイスラエル人」にほぼ固定されている。という限定はあるものの、随分と大胆に問題を扱っている。

 故郷に於いては敵同士の彼らも、アメリカでは「中東人」ということで十把一絡げにされる。そして中東人に対するアメリカの白人の反応は、「テロリストかもしれない」である。テロリストどころか、彼らは爆弾の作り方も知らない。そしてゾーハンに爆弾を仕掛けようとしたのは、故郷で彼に山羊を奪われた恨みを晴らすとともに、「英雄」になって金持ちになりたい、というささやかな望みのためだ。

 ネオリベとホワイト・トラッシュが手を組んで、マイノリティを追い出そうとしている(ネオリベのほうは、ホワイト・トラッシュなんぞの手を借りなければならないことが不本意そうではある)。そういう連中に対して団結すべきだ、というのが結論である。やー、イスラエル‐パレスティナ問題も、そういう「共通の敵」によって解決できればいいんだけどね。

 件の問題自体も、まったくスルーしているわけではなくて、例えばイスラエル人であることを隠しているゾーハンが、美容院の同僚のパレスティナ女性が「民族間の憎しみに耐えられなくて故郷を離れた」という言葉に、ごくあっさりと「だって、悪いのはそっちだろ」と応じる。簡単に解決できることではないと、作り手たちはもちろん理解しているわけである。

 全体としては、たいそう下品なコメディ。スパイもののパロディでもある。往年のスパイ映画では、敏腕スパイは絶倫で、どんな男がやっても(映画の中でも現実でも)セクハラにしかならないことも、彼がやれば女を喜ばす。
『オースティン・パワーズ』では、60年代にそういう存在だったスパイが90年代に蘇るとセクハラ野郎になってしまう、というジェネレーション/カルチャー・ギャップをネタにしていた。もっとも、このネタは一作目までしかもたなかったんだけど。

 一方、21世紀に於いてもセクハラがセクハラにならない絶倫敏腕スパイなのが、エージェント・ゾーハンなのである。ただし、おばちゃん限定。そうすると、下品なだけのはずのネタが、中高年女性も「女」として扱うべきだ、という大層説得力のあるメッセージになってくるから不思議だ。

『パラダイス・ナウ』感想

『迷子の警察音楽隊』感想

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2009年度佐藤亜紀明治大学特別講義第2回-①

 6月13日土曜日。まずは前回の講義で述べた、「表現(の様式)の変遷とは世界の認識の変遷である」についての補足。

 必ずしも一つの世界に一つの様式しかないわけではない。例えばプッサン(1594-1665)の「サビニの略奪」とリュベンス(1577-1640)の「マリー・ド・メディチの生涯」。
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 最も顕著な相違は、輪郭線と色彩にある。アカデミズムの下でも、この二つの様式の並存が認められていた。論争はあったのだが決着は付かず、対等ということで落ち着いたのである。

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 実のところ、プッサン流かリュベンス流かというのは、あまり重要ではなかった。アカデミズムの序列に於いて最も重要だったのは、崇高なものか世俗なものか、である。それがすなわち、宗教画、神話画、歴史画、風俗画、静物画のヒエラルキーへと行き着くわけだが、18世紀末にはそこに政治的な抗争が入り込んだ。煽ったのはダヴィッド(1748-1825)。
 その遣り口は、1785年、アカデミーのサロンに鳴り物入りで出品されることになっていた「ホラティウス兄弟の誓い」の搬入をわざと一日遅らせることで、背後に政治的な闘争があったかのように匂わせる、といった具合。

 古典主義vsロマン主義という対立は、本当にあったのか。
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 ロマン主義の代表とされているドラクロワ(1798-1863)だが、本人はリュベンス派だと自認していた。「サルダナパールの死」(1827)の、女の肌の色合いなど、一目瞭然である。

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 一方、古典主義の代表とされるアングル(1780-1867)は、どちらかといえば輪郭線や影、空気感など、プッサン派であろう。彼とマニエリスムとの関係については、昨年度の講義で論じられた。左は「トルコ風呂」(1862)。

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 つまり古典主義vsロマン主義というのはストーリーに過ぎず(当時も存在したストーリーかもしれないが)、実際には二つの様式は並存し、相互に作用していたということだ。
 この二つの様式の違いは、要するに女の裸がどう見えるか、という違いであり、言い換えれば女をどう捉えているか、の違いである。「サルダナパールの死」に於いて、ドラクロワの視点は部下に愛妾を殺させるのを無感動に眺めるサルダナパロスと重なっており、それと同時に「そういう俺かっこいい」というナルシズムもあからさまに透けている。非常に健全なナルシズムである。

 これに対し、「トルコ風呂」に於けるアングルの視点は、画面(円いフレーム=覗き穴)の外にある。
 本来、「トルコ風呂」は、こっそりと寝室に掛けておくものとして注文された。18世紀絵画には、寝室や専用のギャラリーにカーテン付きで飾るものとして制作された作品が多い。そのようにして飾ったのは、「人に見せるのが憚られる」作品だからではなく、こっそり人に見せて反応を楽しむためである。
 ただし、アングルの危うさは、そういった類とはまた少々異なる。革命的に変だった、といえる。「グランド・オダリスク」をデッサンが狂っていると貶したドラクロワに代表される、ヨーロッパ絵画の保守本流からはまったく外れたところに立っていた。

 自然をどう捉えているか=絵画をどう捉えているか、がヨーロッパ絵画である。アングルは美のためなら自然をいかに歪めようと平気だった。その意味で、アングルの後継者は、師匠の絵をデッサンを正しく描き直したような絵を描いた彼の弟子たちではなく、抽象画家たちだといえる。
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Mor111  ギュスターヴ・モロー(1826-1898)はデビュー当時から原色が多すぎると指摘されており、最後にはアカデミックなフォルムから色彩を解放し、色彩だけの絵を描くようになった。

 .*左から1851年「キプロスの海賊に略奪されるヴェネツィアの若い娘たち」、1895年「ユピテルとセメレ」、1897-98「栄光のヘレネ」(講義中、佐藤先生による絵の提示はなし)。
 

 しかし同時に彼は官立美術学校の教授として、非常にアカデミックな指導を行い、学生たちには、悪い影響を与えるといけないという理由から、自分の絵を決して見せなかった。しかしその学生たちの中から、「フォーヴ」のマティスが出ている。

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 1905年、「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」(講義での提示なし)

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 古典主義者の自然は、実際にはそのままの自然ではなく、理想化された自然だった。アングルやモローらは、その延長上にあるといえる。

 すでにフランドルの画家たちは、色を並べることで混色されて見えることを知っていた。特に真珠や皮膚にその技法が用いられた。固有色の概念が崩れたことは、光学的な法則の放棄へと繋がる。リューベンスやドラクロワ→印象派→フォーヴィズムの流れ。

「サルダナパールの死」は衝撃的な場面を描いているようでいて、その実、構図は非常に安定している。
 一方、アングルはその安定の上にはいない。彼は世界に対する信頼感を疑っている。ただし、彼は一応最後まで踏みとどまっていた。
 踏みとどまっていなかったのが、ゴヤ(1746-1828)である。

その②へ

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2009年度佐藤亜紀明治大学特別講義第2回-②

の続き。

328pxsaturno_devorando_a_sus_hijos 1820年頃の連作「黒い絵」の一つである「我が子を喰らうサトゥルヌス」。X線照射したところ、勃起したペニスが描かれていたことが判明した。

  最初期の彼は、非常にアカデミックな神話画を描いている。プラド美術館の展示は、この神話画から始まり、ゴブラン織りの下絵(ゴブラン織りの下絵なので、陰影が少なく非常に明るい色彩)→スペイン王室の肖像画→「1808年5月2日」「5月3日」→「黒い絵」という非常に解り易い「物語」に沿っているそうだ。
 そういう、美術史の教科書の挿絵として絵を見て、本当に「見た」といえるのか。

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Goya_spring1 *参考:ゴブラン織りの下絵の一例(講義での提示はなし)、1786-87「花売り娘(春)」

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 1800-01「カルロス四世の家族」。スペイン戦役は、スペイン王室の後継者争いに介入したことで起こった。

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「5月2日」は、国王退位のニュースに、マムルーク兵(ナポレオンがエジプトから連れてきた)を市民が襲った場面である。リュベンス風の、すなわち当時の標準的な絵である。

774pxfrancisco_de_goya_y_lucientes_ 一方「5月3日」は、同じ時期(1814年)に同じ人物の発注で、つまり二枚一組として描かれたにもかかわらず、まったく違った絵である。どちらも、モニュメンタルな歴史画として注文されたはずである。

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Jacqueslouis_david_007  同時代の「モニュメンタルな歴史画」として、ダヴィッドの「アルプス越えのナポレオン」(1805)が挙げられる(画像の提示はなし)。

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「5月2日」も「5月3日」も、「無名の民衆」を描いたものである。しかし前者のほうは、モニュメンタルな歴史画としてまったく問題ない。同じく「無名の民衆」を描いたドラクロワの「民衆を導く自由の女神」(1830)と共通のヒロイズムがある(この絵について佐藤先生の言及はなかったが、比較の材料として適当だと思うので)。

 対して「5月3日」は、モニュメンタルな歴史画としての描き方が放棄されている。人物は五頭身くらいしかなく、身体のバランスもおかしい。カリカチュアライズされているのである。それによって、モニュメンタルな歴史画につきものの「崇高さ」が放棄されているのだ。

 スペイン戦役はゲリラ戦(guerillaという言葉は、そもそもこの時できた)であり、凄まじい流血を伴った。
 それが終わった後で、英雄的な「5月2日」が描かれたのは、リハビリとしての意味があったのだろう。英雄的な物語にすることで、事実を塗り替えるのである。
 対して、「5月3日」はリハビリされる前の状況に近い。そして、少なくともゴヤ自身にとっては、「5月2日」は全然リハビリになっていなかったのだろう。それが、「黒い絵」と版画連作「戦争の惨禍」である。晩年、70代描かれた絵だ。

 疾走中に倒れる馬と放り出される騎兵を描いた版画(画像は見つけられなかった)には、「こういうことも起こり得る」との言葉が添えられている。いかなるロジックも、そこには存在しない。
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 スペイン人に対するフランス兵の蛮行がこれでもかとばかりに描かれる(ただし、死体の服を剥ぎ取るのは辱めのためではなく必要に駆られてである。特に当時の靴は一週間も履けば駄目になったから、死活問題であった)。フランス兵に対するスペイン人の蛮行も描かれる。
 講義では、さらに多くの画像が提示された。

 18世紀の戦略家によると、戦争とは人を殺すことではなく、よその土地に人を連れて行って飯を食わせることである。つまり現地調達であるが、それをやると、その土地はたちまち飢餓に見舞われる。ナポレオン軍は、まさにこの定義に当て嵌まる。
 こういう光景を作り出し、潜り抜けてきた勝者であるフランス兵たちが、故国に引き揚げる途中で、いきなり隊列を離れて自分の銃で自分の頭を撃ち抜いたりするのだそうである。

「黒い絵」が描かれてしまわないために、アカデミズムなきれいな絵が存在する。そしてゴヤ以降、「黒い絵」が再び現れるのはずっと後のことである。

Sylvia20von2020harden201926201a オットー・ディクス(1891-1969)というと、この絵(*「シルヴィア・フォン・ハルデン」、1926)を描いた、というくらいしか知らなかったんだが、第一次大戦を機関銃手として経験し、戦後、絵を学んで画家となった人である。美術学校の教師も務めたが、「退廃芸術家」として真っ先に弾圧された一人でもある。

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Artdix3「塹壕」(1932)。銃弾で穴だらけになった脚、鉄骨(?)に引っ掛かった死体は、宙に浮かぶ天使のようである。

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128594Mealtimeintrenches エッチング連作「戦争」(1924)。ゴヤの「5月3日」と同じく、カリカチュアライズされている。カリカチュアしなければ描けなかった絵である。
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 このような絵は、なんのリハビリにもならない。誰の役にも立たない。自分のリハビリのためでもなく、他人の役に立つためでもなく、表現せざるを得なかったから描いたのである。
 何を引き金にこんな表現が出てくるのか。その一つとして、今回の講義では「戦争」が挙げられた。

 今回、遅刻はしなかったものの、かなりギリギリで、昼食を食べてくる時間がなかったのであった。だから途中でサンドイッチを買って、講義が始まる直前に食べた。お蔭で講義中、喉が渇いてきて、水を飲みながら聴いてたんだが、「黒い絵」が出てきてから、まだ渇きは収まってないのに水が喉を通らなくなる。講義の後、他の聴講者の皆さんも言葉少なでしたよ。

2009年度講義第1回

2009年度講義第3回

特別講義INDEX

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ツォツィ

 ストリート・チルドレン上がりの不良少年(ツォツィ)が、赤ん坊との出会いによって失っていた人間らしさを取り戻していく……というと非常に陳腐な話のようである。だがストレートな物語だからこそ、現代の南アフリカの状況が際立つ。という前提なのでネタばれ警告は無意味だが、以下一応ネタばれ。

 主人公のツォツィは当初、まったく表情がない。仲間の一人で、ブッチャーと呼ばれる少年は、すぐに人を殺す凶悪な奴で、表情もいかにも凶悪そうだが、ツォツィの顔には、怒りの感情すら浮かばない。別の仲間に侮辱され、相手を半殺しにする時でさえ無表情なままだ。
 豪雨の夜、ツォツィは一軒の豪邸の前に佇む。住んでいるのは、若い黒人の夫婦である。アパルトヘイトが終わって、平等が訪れたのではなく、黒人の間にも格差が生じたのだ。帰宅した妻に銃を突き付けて車を奪おうとするが、抵抗されて、思わず発砲してしまう。その時初めて、驚きの表情を浮かべるが、それはひどく子供っぽく頼りない。

 その車の中にいた赤ん坊を、置き去りにできず、家に連れ帰ってしまう。悪戦苦闘しておむつを替えてやり、赤ん坊に笑い掛けられると、彼の表情も和らぐ。意識的な微笑みではない。彼が微笑むようになるのは、まだ先のことだ。

 おむつを替えたり、食べ物(スキムミルクか何か)を与えたりと、彼なりに世話をするが、すぐに手に余ることになる。そこで、近所の子持ちの女性の家に押し入り、銃を突き付けて母乳を与えるよう強要する。最初は渋々従っていた彼女が、やがて甲斐甲斐しく赤ん坊の世話を始めると、ツォツィの表情は再び和らぐ。帰る時には、何かを言いたげにひどく逡巡する。だが、出てきた言葉は、感謝ではなく「誰かに喋ったら殺すぞ」である。

 ツォツィの行動は、年齢を考慮しても非常に短絡的で、先のことなどまったく考えていない。エイズで死に掛けた母親と飲んだくれの父親の許から逃げ出して以来、先のことなど考えていられない生活を送ってきたのだろう。何かしてほしければ、頼むよりも脅すほうが効果がある相手ばかりだっただろうし。だから、お礼を言うこともない。

 赤ん坊の存在によって少しずつ昔の自分を取り戻した彼は、半殺しにした仲間を家に運び込んで療養させ、教師になる夢を叶えるよう諭す。しかし、教員試験を受けるための金を稼いでやるために、また盗みをするのだから、短絡的なのは相変わらずである。
 しかも、ミルクやベビー用品も盗むという一石二鳥を狙って、赤ん坊の家に押し入るのだ。非道な行為だという感覚がないのだろう。おもちゃでいっぱいの子供部屋を見回し、ツォツィは幸せそうに微笑む。

 心など失くしたかのような無表情が、子供らしい柔らかさを取り戻していく過程。赤ん坊を返しにきたが警官に取り囲まれ、立ち竦むツォツィに、赤ん坊の父親は「兄弟」と呼び掛ける。妻も、赤ん坊を奪い、自分に障害を負わせた少年に対して、無闇に騒ぎ立てたりしない。成金などではなく、見事にプチブル化しているこの若い夫婦が、ツォツィに対してにわかに同情的になるのは、彼を目の当たりにしたことで、自分たちばかりが豊かさを享受してきたことへの罪悪感が呼び覚まされたからだ。
 陳腐ともいえる物語が、南アフリカに持ち込まれた時、驚くほどの深みと広がりを見せている。

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告発のとき

 ポール・ハギス監督作品。
 2004年、イラク帰りの若い兵士が休暇中に行方不明になり、やがてバラバラ死体で発見される。殺人現場と隣接した死体遺棄現場は市警と軍警察の境界に跨り、市警は軍に面倒を押し付ける形で捜査を放棄し、軍は軍で何かを隠蔽しようとする動きがある。軍警察の軍曹だった父親は、市警で事実上村八分に遭っている女性刑事の協力を得て、息子の死の真相を探ろうとする。

 父親がトミー・リー・ジョーンズ。女刑事が地味なのに美人で、誰だろうと思ってたらシャーリーズ・セロンだった。気づかなかったのは、美人なのにあんまり地味なのと、『モンスター』以来の顔の弛み(『ハンコック』の時でさえ、まだ弛んでいた)が直っていたのと、何より演技が巧かったからだな。いや、これまで彼女の演技が巧いと思ったことがなかったんで。母親役のスーザン・サランドンは、あまり活かされていない。

『荒馬と女』で、第二次大戦中、多数の都市を爆撃し、「何も感じなくなった」と語る男を、女は「世界を破壊しても、そうやって自分を憐れむのね」と断じる。
 実際に、非道な行為をせざるを得ない状況に置かれて「壊れた」人に、少なくとも面と向かってそんなことを言うのは冷酷すぎる。ただし、だからといって、非道な行為が正当化されることも罷免されることも、あってはならない。非道なことをされた側の苦しみが、それで減ることもあり得ない。
 上の台詞は、そうやって非道な行為を正当化する「男の論理」によってずっと傷付けられてきたマリリン・モンローだからこそ、言うことができるのだ。

 イラクで壊れてしまったアメリカの若者たちを、責めることはできない。それができるのは、彼らの被害者とその家族・友人だけだ。責められるべきなのは軍や国家という「巨悪」だ、という単純な結論でお茶を濁すことも、この作品はしていない。

 原題はin the valley of Elah。
 「エラの谷」はダヴィデがゴリアテを斃した場所である。シングル・マザーであるシャーリーズ・セロンの幼い息子デイヴィッドに、トミー・リー・ジョーンズはこの物語を聞かせる。その中で、ダヴィデは「きみと同じくらいの小さな男の子」と語られる。
 この物語を気に入ったデイヴィッドは、暗闇の恐怖(寝室のドアを開けていないと眠れない)を克服しようとする。それだけなら、心温まるエピソードである。後日、同じ物語を母親にしてもらったデイヴィッドは、「どうしてそんなに小さな男の子を、王様は止めなかったの」と尋ねる。どうしてかしらね、と母親は答える。

 後に殺されることになる若い兵士は、まだ壊れていない、すなわち自らの非道な行為に無感覚になっていない時、父親に電話で助けを求める。だが父親は、じきに慣れる、とかなんとか益体もない慰めを与え、さらには「そこにいるのは、おまえ一人か」と尋ねることで、「そんな他人に聞かれたら恥ずかしいことを言うな」と圧力を掛ける。

「良い息子」だった若者を、壊れるような場所に、エラの谷に送り出したのは、銃後の家族である。告発されるべきは、良き市民である彼らなのだ。そのことを踏まえると、なかなか適切な邦題である。きっと、そこまで考えて付けてはいないだろうけどね。

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胡旋舞

『ミカイールの階梯』下巻では、白居易(白楽天。785-805)の「胡旋女」を引用している。書き下しは石田幹之助氏の「胡旋舞小考」(講談社学術文庫『長安の春』所収)に拠る。結構有名な詩なので、書き下しには幾つかのバージョンにお目に掛かったことがあるが、石田氏によるものが、胡旋という舞踏の軽妙かつ扇情的な魅力を最も的確に伝えることに成功していると思うからである。

 ――胡旋女、胡旋女、
   心は絃に通じ、手は鼓に応ず。
   絃鼓一声、双袖挙がり、
   廻雪飄々、転蓬のごと舞う。
   左旋、右転、疲るるを知らず、
   千匝万周、已む時なし。
   人間、物類の比すべきなく、
   奔車も輪、緩にして旋風も遅し。

「胡旋女」とは要するに「胡旋舞」を舞う女性のことで、胡旋舞とは文字どおり西域(胡)起源の旋舞である。
 西域の旋舞というと、舞うことで神との合一を果たそうとするメウレヴィー教団(現在ではトルコで観光客向けの伝統芸能としてのみ残っているが、起源はペルシア)が有名だし、現在見ることのできる中央アジアの伝統舞踊も旋回を基本とする。どちらも両足を地面に着けたまま比較的緩やかに舞うものである。

 一方、胡旋舞は白氏が詠んでいるとおり、急旋回を基調としている。まあ中国だけに「白髪三千丈」の可能性はあるが、残されたわずかな図像(胡旋舞であるという確証はないが、そう推測されるもの)を見ても、片足を上げて、より高速で旋回していたようだ。
 白居易の友人であった元稹(779-831)も、「胡旋女」と題する詩を詠んでおり、胡旋舞を以下のように表現している(この書き下しも石田氏のものを引用)。

 ――蓬、霜根を断ちて羊角のごと疾く、
   竿、朱盤を戴いて火輪のごと炫く。
   驪珠の迸珥、飛星を逐い、
   虹暈の軽巾、流電を掣す。
   潜鯨、暗に噏う笪海の波、
   回風乱舞、空に当たって散ず。
   万過それ誰れか終始を弁じ、
   四座、いずくんぞよく背面を分かたん。

 白居易の簡潔で鮮やかな表現に比べると、何がなんだかよく解らないが、ともかく「なんかすごそう」ということだけは伝わってくる。

 胡旋舞をはじめとする西域起源の舞踏は、五胡十六国(304-439)以来、イラン系西域人から直接、あるいは北方民族(トルコ系など)を介して中国に伝来していた。大規模な流行を見るのは盛唐(713-770)、中唐(-835)の頃である。特に中唐に於いては、酒楼や演芸場で華やかな衣装を纏った妓女たちによる演し物として人気を博した。そのことは、西域舞踏を詠んだ詩が、中唐には格段に多いことから窺える。

 中唐の西域舞踏の舞い手は必ずしも本場のイラン系民族とは限らず、漢族もいれば北方民族もいたし、女性だけではなく男性もいたが、やはり高鼻深目で白皙のイラン系女性が最も人気だったようだ。そういう女性たちが、金糸の縫い取りのある紗の衣装を纏い、舞うにつれて肌は紅潮し、汗が流れて衣装が張り付く、といったさまが、当時の中国人(男性)の心をがっちり捉えたわけである。

 国際的で異文化混淆華やかな8世紀前半以前に比べて、安禄山、史思明という二人の異民族出身者による乱(755-763)を経た中唐の社会は著しく保守化し、民族主義も高まっていた。
 その風潮に乗って、8世紀前半の胡俗(西域文化)流行は「国が乱れる前兆」であったとする見方が生じており、特に胡旋舞の流行は皇帝や下々の心を乱し、ひいては国を乱さんと欲する輩の陰謀だった、という主張までなされた。
 元稹は上の「胡旋女」の冒頭で、「胡人が(唐帝国を)乱そうと欲し、胡旋舞の巧みな女を明王(玄宗)に献じた。明王は舞に心を奪われて失政し(『ミカイールの階梯』第十一章でフェレシュテが引用するのは、ここに相当する。書き下しは仁木による)、朝廷までもが胡人に蹂躙されるところとなった」といった旨を述べている。
 また白居易も、やはり「胡旋女」の中で、安禄山および楊貴妃(すなわち国を乱した元凶二人)がこの舞に巧みだったとしている。

 胡旋舞は亡国の元凶ではないにしろ少なくともその一因であるという見方を、中唐の士人がどの程度共有していたかは判らない(安禄山が胡旋の舞い手だったという説は、唐末に書かれた『安禄山事蹟』にも受け継がれている)。しかしこの舞が「華風」でない、よろしくないものである、という見方は共通認識だったといっていいだろう。
 それにもかかわらず、彼らは胡旋舞(および胡舞全般)の魅力に抗えなかった。夷狄のもの、劣ったものとして蔑みながら、その蠱惑に抗えなかったのだ。それはもはや、単純なエキゾティシズムではない。

 エキゾティシズムを「異国趣味/異国情緒」と訳すと無害そうに聞こえるが、異文化という他者に関心を向ける限り、そこには勝手な思い込みが必ず投影される。ひたすら侮蔑するだけの目的で関心を向ける者はやはり少ないであろうから、そこには少なからず憧憬が含まれている。それは無関心よりは遥かにマシであり、そして憧憬が生み出した幻想は、どれだけ不正確で身勝手であろうと、魅力的である。
 そうした思い込みは、それ以上その他者/異文化について知るきっかけになる場合もあるが、むしろそれ以上知る妨げになる場合のほうが多いだろう。しかし、どれだけ知識を得ようと、人は主観から逃れることができない以上、思い込みは必ず生じる。

 西洋の、中近東という「近いアジア」に対するエキゾティシズムは、それ以外の異文化に対するものとは明らかに異なり、侮蔑と憧憬、愛と憎しみが根深く絡み合っている。ごく単純に要約してしまうならば、それはかつて中近東に対して西洋が抱いていた恐怖と劣等感を克服する過程で生じたものである。
 憧憬と侮蔑、どちらか一方だけでは成り立たず、侮蔑しながらも惹かれて已まない。それがオリエンタリズムである、と定義できる。

 ロシアが克服しようとしたのは、中央アジアという「近いアジア」に対する恐怖と、西洋に対する劣等感だった。そのため、手っ取り早く自らの「内なるアジア」を切り離し、中央アジアに投影し、侮蔑し蹂躙するという手段を取った。
 しかしそれでもロシアの劣等感は克服されず、したがってその手段はソ連、そして現代ロシアに至るまで受け継がれている。
 西洋に学ぶ過程で、近代ロシア人は「オリエンタリズム」というものを知った。西洋化することで、独自の文化を失いつつあるという危機感が、中央アジア、特にカフカスへの新たな自己投影を生んだ。勇猛さ、自文化に対する誇りといったものを、カフカスの雄大な自然と結び付ける形で、その民族に投影したのだ。ロシアの「オリエンタリズム」の誕生である。

 唐代の士人たちの中央アジア・西アジアへのエキゾティシズムは、(中央アジア・西アジアであるということも併せて)一種のオリエンタリズムだといえる。
『ミカイールの階梯』では、西洋に先駆けたオリエンタリズムであるところの胡旋舞を、ソ連の後継者を任ずる中央アジア共和国の精鋭部隊(グワルディア)たちに舞わせている。無論それは、ロシア人の「内なるアジア」への回帰、などという無邪気なものではない。

 大学での私の専攻は東洋史学で、学士論文のテーマは唐代の西域文化流行について楽舞と服飾を中心に、だった。
 つまり胡旋舞はど真ん中だったわけだが、『ミカイールの階梯』ではマニアックすぎて読者が付いて来られなくなったら困るので、説明は一切入れませんでした。ブログだったら、それで困ることはないので、心おきなくマニアックなネタを披露いたしたのでありましたよ。

関連記事: 「グワルディア」 「マフディ教団と中央アジア共和国」 

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ブロークン・フラワーズ

 2005年公開。ジム・ジャームッシュ監督作品は、『デッドマン』は傑作だと思うし、『ナイト・オン・ザ・プラネット』も悪くない。しかし『ダウン・バイ・ロー』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ミステリー・トレイン』は意味があるようでない思わせぶりな要素と、細部から全体に及ぶ雑さ(意図的に雑に仕上げているつもりだろうが、結果としてただ単に本当に雑なだけ)が鼻に付き、『ゴースト・ドッグ』に至っては失笑を誘う。フォレスト・ウィティカーにサムライかぶれの殺し屋を演じさせることの是非とは別の意味で。
 まあなんだかんだ言いつつ、彼の作品は結構観てんだな。

 今回も相変わらずなんだが、どうにかギリギリ。役者がいいのにも助けられてる。という言い方が悪ければ、役者を巧く活かせているというか。以下、いろいろネタばれ注意。

 過去の恋人たちを訪ねて回る男、というのは、『ハイ・フィデリティ』(2000)も共通だが、初老と30代とでは、自ずから趣が違ってくる。
『ハイ・フィデリティ』で女を訪ねて回る理由は、現在の恋人に出ていかれたのをきっかけに、なぜ自分はいつも恋愛がうまくいかないのか、その原因を探る、と後ろ向きだとはいえ、自主的で積極的だといえないこともない。
 ジョン・キューザック演じる、このマニアックな中古レコード店の店主を、同棲中だった恋人(新進弁護士)は、「あなたは昔から変わらない」と非難する。それなりに満たされてはいるが、長期的な目標があるわけでも大きな成功が転がり込んでくる見込みもない人生、というのは、アメリカ伝統の上昇志向からすれば、非難されてしかるべきものだ。
 上昇なんてしなくていいじゃん、というのが『ハイ・フィデリティ』なわけだ。ベン・ステイラーの『ドッジ・ボール』(2004)もそういう話だといえる。ただし、こっちは上昇志向をドッジ・ボールの試合で「打ち負かす」のであるが。

 対して、『ブロークン・フラワーズ』には、否定される価値観も肯定される価値観もない。主人公ドン(ビル・マーレイ)は人生の半ばで大きな成功を収め、その後無為な生活を送ってきた。その無為に堪りかねた愛人(ジュリー・デルピー)は出て行き、入れ違うように届いた差出人不明の手紙は彼に息子の存在を告げるが、それでも彼は動こうとしない。
 ミステリ好きで、自身は妻子(子沢山)を養うために忙しい毎日を送る隣人は、ドンに息子とその母親探しをするよう、せっつく。それが「自分のこれまでを見直し、新しい人生を始める」ことになるというのだ。

 そのしつこさに負ける形とはいえ、ドンが探索に乗り出したのは、やはり口では否定しつつも、息子の実在を確かめたく、そして自分のこれまでとこれからに疑問を抱いていたからであろう。
 しかし、過去の恋人歴訪(19歳になるという息子の母親候補は4人もいる)は、『ハイ・フィデリティ』が「恋愛下手のオタク男」というセルフイメージを持つ30男のナルシズムで感傷的な自嘲に満ちた甘ったるいものとはまったく異なり、ものすごく痛い。剥がしたら血が噴き出そうな瘡蓋を弄り回す行為だ。ナルシズムどころか自嘲すら入り込む余地はない。感傷で糊塗する試みも巧くいかない。
 一番目の訪問だけは、相手も感傷を防壁としたため、相当強引とはいえ、どうにか互いに傷つかずに済んだが、残りの三人は感傷を持ち出してくる気がなかったため、寒々しい(もしくは痛い)結果に終わる。

 そして、その苦痛に満ちた体験を経て、ついに彼は息子に会うことを望むようになるが、結局息子の実在すら確かめることができず、交差点に茫然と立ち竦むことになる。「このままでいいじゃないか」という価値観にすら、到達することはできないのだ。

 最初に訪ねた恋人役のシャロン・ストーンが巧かった。『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』のジュリア・ロバーツもそうだが、もはや若くなくなり、それまで辟易するほど前面に押し出されていた美貌が後退したことで、演技力が活かされる(もしくは高まる)ようになったよね。『ボビー』の時は仰天の老け顔ばかりが目に付いたが、今回は「齢のわりには綺麗な未亡人」を巧く演じている。
 ロリータという名の10代初めの娘(わかりやすく、頭が悪くてコケティッシュで露出過多)と二人だけで暮らしているところへ、曖昧な理由で昔の恋人が訪ねてきたため、夕食の席では非常に微妙な空気が醸成される。まあ強いて難を言うなら、そもそもなんで娘をロリータなんて名付けたのか、ということになるが、死んだ夫の好みだったのかもしらんし、子供に碌でもない名を付ける親はどこにでもいる。

「ロリータ」は、ビル・マーレイの訪問理由を怪しむシャロン・ストーンと、怪しまれる理由に気づいたビル・マーレイの困惑が非常に巧かったんで、まあいいんだが、「ドン」の名が「ドン・フアン」と掛けてあるのは、やっぱり少々鼻に付く。お蔭で英語ではドン・フアンのDonは「ダン」と発音するのだと知りました。それに合わせて、主人公の名前のほうのDonも発音は「ダン」だった。字幕では「ドン」だったが。

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怒りの葡萄

 原作は未読。だいぶ切り詰めてるらしいが、そのためか映画だと「葡萄」関係ないやん、てなってもうてるな。
 1930年代。荒廃したオクラホマから、農民の一家が仕事を求めてカリフォルニアへ向かう。1940年のジョン・フォード監督作。ヘンリー・フォンダ主演。

 俳優たちの顔が、なんか凄いのである。ごつい顔ばっかし。特におっさんおばさん。今のハリウッドじゃ、ああいう顔はいないよな。
 彼らが演じる失業者たちは、貧しいとはいえ自分たちがアメリカの一般市民である(すなわち被差別階級ではない)ことを疑ったことはなかった。だから立ち退きを強制されれば驚愕し、憤る。しかし仕事も住む場所を失った彼らを、世間はまともな人間扱いしない。手ひどい暴力を受けるわけではないが(ただし、その可能性は常に間近にある)、侮辱的な扱いが続くことで、彼らの尊厳は次第にボロボロになっていく。特に説明などなくても、態度や表情で目に見えるのである。
 カリフォルニアにようやく辿り着き、なんとか仕事にありつけた頃には、威圧的な警官や警備員たちを前に、自分たちには尊厳があるのだということすら疑わしくなっている。そのさまが痛々しい。

 しかし、『リトル・ミス・サンシャイン』は現代版『怒りの葡萄』なのかな。失業した一家、ガタの来た車、途中で死ぬ老人(しかも埋葬費用がないのも一緒)、余所者が加わっているのも(『怒りの葡萄』では信仰を失った説教師、『リトル・ミス・サンシャイン』では自殺未遂のプルースト研究者。どっちも赤の他人ではなく、前者は昔からの隣人で、後者は叔父)。
 まあ現代のほうが周囲の侮蔑が露骨でない分、自分たちが底辺だという自覚が薄い。でも、底辺だよね。そして現代だから、「家族の絆」は最初から壊れてる。

『怒りの葡萄』に戻ると、最後に主人公や母親が、そのキャラクターが言わないような台詞を言うために、全体が損なわれている。作者の代弁者にするならするで、そのキャラクターなりの言葉で語らせないと、しらけるよ。作者の言葉を言わせてしまえば、それは「作品」じゃなくなってまう。

 スタインベック自身は別にソ連びいきではなかったようだが(生物学の人なので、『コルテスの海航海記』では、ルイセンコ学説に一言だけだが言及して批判してるし)、『怒りの葡萄』は、ソ連で一般上映された数少ないアメリカ映画の一つなのであった。しかし「アメリカの悲惨な現実」を伝えようという当局の意図とは裏腹に、ソ連人民は「アメリカでは失業者でも自家用車を持っている」ことに甚だ衝撃を受けたそうな。

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ターミネーター4

 冒頭、いきなりヘレナ・ボナム・カーターが登場したので驚いていると、彼女は死刑囚マーカス・ライト(サム・ワーシントン)に献体を依頼している。承諾書にサインし、マーカス・ライトが処刑されたのは2003年だったが、次の場面は2018年、クリスチャン・ベール演じるジョン・コナーがスカイネットの実験施設を襲撃している。
 襲撃は失敗し、実験体として捕獲され閉じ込められていた人間たちが別の場所に連れ去られ、ジョン・コナーも撤退し、無人になった(作動するロボットもいなくなった)施設から、15年前に死んだはずのマーカス・ライトが忽然と現れる。

 どうやら「なかったこと」にされたらしい前作は未見。まだ「英雄」ではなく、抵抗軍の小支部のリーダーに過ぎないジョン・コナーとまだ少年のカイル・リース(アントン・イェルチン)が出会う話。

 前半は、蘇ったマーカス・ライトがカイル・リースと出会い、カイル・リースがスカイネットに連れ去られるまで、後半はマーカス・ライトがジョン・コナーと出会い、二人でカイル・リースを助けることになる。
 というわけで、出ずっぱりなのはマーカス・ライト、物語の軸となるのはカイル・リースであり、ジョン・コナーの影が薄い。ジョン・コナー抜きでも話は成立するよな。

 しかし、仮にジョン・コナー抜きだったら、相当薄っぺらい話になってしまうであろう。というわけで、クリスチャン・ベールはサム・ワーシントンとアントン・イェルチンの引き立て役としては巧く機能している。明らかにベール本人と監督の意図からは外れているが。
 なんなんだろうな、クリスチャン・ベールのこの「巧いんだけど、埋没してる」感は。華がないとか、オーラがないとか、そういうんともまた違うんだよな。『太陽の帝国』の時は誇張抜きで神童だったのに。

 ほかの俳優はぱっとしない。ブライス・ダラス・ハワードは雰囲気だけ。口のきけない役の黒人の女の子(日本人の血も引いているそうだ)は可愛い。

 現在たいへん困ったことになっているカリフォルニア州知事(鑑賞時はまだその問題はニュースになっていなかった。お蔭で客席で笑わずに済んだ)のCGはよくできていた。「2」ではなく「1」の時の彼の顔を再現したこだわりには賞賛を送りたい。ジョン・コナーの顔の傷の由来もね。
 が、そういった細部への目配りは、そこまでだ。
 この作品に限ったことじゃないが、ああいう荒廃した世界で、生産体制とかどうなってるんだろう。文明崩壊から10年は経ってるのに、ヘリだの攻撃機だの潜水艦だのが残ってるってのも無茶な話だが(一部はスカイネットが作ったものを奪ったのかもしれないが、それにしたっていろいろ無理がありすぎる)、消耗品とか、特に食糧とかどうしてんだ。
 狩りが食糧確保の手段の一つにはなってるようだが(カイル・リースは「3日前のコヨーテ」を食べていた)、あんな環境では充分な個体数がいるとも思えないし、そもそも飢餓が発生しているように見えない(人間の栄養状態が全般によすぎる)。

 いや、別に腹が膨らむほど痩せこけてボロを着た連中が竹槍でスカイネットに立ち向かうようなのんを見たいというんじゃない。そういうのんを作らずに済むように、生産体制がどうなってるとか、せめてもう少し設定に頭を使ってくれ、というだけの話だよ。

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絶対平和 Ⅰ

2008年11月の記事に加筆修正。

 シリーズ共通設定。遺伝子管理局の治世(21‐22世紀)の当時の呼称。スペイン語では「パス・アブルート paz absolut」。『ラ・イストリア』の23世紀半ばにはまだこの呼び方は残っていたが、『グアルディア』の27世紀の中南米では、とうに忘れ去られている。ただし平和と繁栄の素晴らしい時代であったという伝承は残っており、「黄金時代」と呼ばれる。
 なお「黄金時代」という訳語が充てられるスペイン語は「シグロ・デ・オロ siglo de oro」で、直訳すると「黄金の世紀」。スペイン文学史上の最盛期である16‐17世紀を指す名称である。本編とはなんの関係もないが。

 十二基の知性機械による社会から自然環境に至るまでの徹底的な管理と、奴隷種「亜人」による奉仕。この二つによって、絶対平和は実現された。しかしそれは、あくまで物質的な側面に於いてである。人類の精神に「変革」を起こし、絶対平和を実現させたのは、「亜人への優越感」である。

 遺伝子管理局は、進歩は人類を破滅へ導く悪であると捉えた。進化の原動力となるのは、他者に対し優越したいという欲望である。その欲望を抑制する機構が、すなわち絶対平和であった。
 進化を神の意思によるものとする「神に祝福された遺伝学」が提唱されたのは1870年代だが、20世紀半ばからカトリックの枠を超えた、より普遍的な教義へと改革がなされた。人間を進化の頂点に置くその教義が世界的に広まった21世紀初頭、人間より「少しだけ劣った」亜人が産み出されたのである。

 かくて、他者に優越したいという人間の欲望は満たされ、絶対平和が訪れた。実際に人類の精神に変革が起きたのか、そのように信じ込んでいだだけなのか、或いは単に「そういう建前」ということになっていただけだったのかは不明。しかしそれにより、確かに平和が実現したのである。

「進歩の原動力」が抑制されたため、この時代の文明は停滞した。また遺伝子管理局は、その自称のとおり、遺伝子すなわち生命そのものの管理/庇護者を任じており、人間が環境に及ぼす影響を極力抑制しようとした。そのため、この時代の科学は20世紀の基準からすると、非常に歪な様相を呈した。一部の技術(特にバイオテクノロジー)が突出する一方、重工業全般は制限された(労働力は亜人により提供されていたので問題なし)。
 
 また、20世紀後半の環境破壊の修復も図られた。その一環として、20世紀以前の舗装道路や鉄道は、主要なものを残してすべて撤去された。その後、残された幹線は耐久性の高い素材(「恒久建材」と総称される)で作り変えられた。しかし文明崩壊の過程で、それらは多かれ少なかれ破壊を被った。また、さらに数百年を経て、砂や土に埋もれてしまったものもある。

 広大な領域が自然保護区とされ、研究者等ごく少数を除いて居住は禁じられ、20世紀以前の建造物は歴史的価値を認められたもの以外は取り壊された。
『ラ・イストリア』本編の舞台であるカリフォルニア半島もその一つで、災厄が始まった22世紀末には、南端と北端の幾つかの町、沿岸部の研究施設を除き、全長1300キロに及ぶ半島の大部分が無人だった。
 極度に乾燥した気候と、その後も戦乱が及ばなかったお蔭で、23世紀半ばの時点でも、21世紀に舗装を剥がされた道路が未だ使用可能な状態で残っていた。

 全世界のあらゆる都市にも、大規模な再開発は及んだ。27世紀の南米、25世紀の中央アジアに残る都市の姿からすると、都市の構造は「旧市街」と「新市街」に分けられた形が多かったようだ。
 旧市街はその地方の「伝統的」な街並が、新市街は20世紀のさまざまなスタイル(高層ビルなども含む)が再現された。ただしそれらは決して、かつてのその都市の特定の時代の姿を正確に復元したものではなく、あくまで理想化された、想像上の「伝統的な」街並であった。

 このように文化も停滞状態にあり、かつ20世紀以前の文化の再現に徹し、多分に懐古的かつ衒学的、さらには俗悪でさえあった。
 一例を挙げると、亜人の大量生産を掌る人工子宮は、カトリック圏では「コンセプシオン」の名で呼ばれ、ムリーリョの「無原罪懐胎」を模したイコンとして表されていた。これに対し、イスラム圏での呼び名は「シャフラザード/シェヘラザード」、そのイコンは「コンセプシオン」と同じ金髪碧眼白皙の少女のオダリスク(横たわる女奴隷)というものであった。
 知性機械の通称として、各文化圏でキリストの十二使徒、天使、干支などが選ばれたのも、こうした悪ふざけの一つだといえる。

『グアルディア』のアンヘル(および他の生体端末たち)、『ラ・イストリア』のグロッタの住人たち、『ミカイールの階梯』のミカイリー一族は、絶対平和の知識とともにその嗜好をも継承しており、程度の差はあれ悪趣味で衒学的な傾向を持つ。

 国家や市、州などの単位は、絶対平和の下でも存続していた。ただしそれは概ね形ばかりの組織であり、権限はないに等しかった(遺伝子管理局の下部組織として、さまざまな実務を担当してはいたと思われる)。
 国家という概念を前時代の「文化」として保存していたのだ、といえよう。そうした地域的な単位は、遺伝子管理局の衰退とともに自立を余儀なくされた。とはいえ、いずれも間もなく崩壊の途を辿ったのである。

『ミカイールの階梯』の舞台である25世紀半ばの中央アジアでは、中央アジア共和国、マフディ教団という二つの政治体制によって、絶対平和すなわち「遺伝子管理局の治世」は否定されている。
 しかしどちらの体制でも、支配層の頂点にいる者たちは、文明崩壊以前の歴史を知っている(その知識を提供したのは、ミカイリー一族である)。彼らは、人々によって語り継がれてきた「大災厄の前の、未曾有の平和と繁栄」の伝説については否定しなかった。その平和と繁栄が、それぞれの体制の祖によって実現されたという「正史」を捏造したのである。

 中央アジア共和国は、遺伝子管理局の治世を、ソ連時代(すなわち繁栄の時代)の後、「破滅」(カタストロファ。『グアルディア』では「大災厄」)に先立つ暗愚な神権政治としている。一方、マフディ教団では、遺伝子管理局というものが存在したことすら認めていない。
 なお、中央アジア共和国、マフディ教団領、そして塞外の地であるステップでも、過去の繁栄の時代を指す特定の呼称(『グアルディア』に於ける「黄金時代」のような)は存在しない。漠然と「旧時代」という言い方をするだけである。

 ただし、ジュンガル盆地(テングリ大山系北麓)には、旧時代の知識が他地域に比べてよく残っており、中央アジア共和国による征服、大粛清を経て、なお細々と伝えられてきた。そうした知識の継承者の筆頭が、独裁者の死後、名誉回復されて科学アカデミー総裁となったイリヤ・トルベツコイ博士(セルゲイ・ラヴロフの養父)だった。
 伝えられてきた知識の中には、「絶対平和」の呼称もあり、ルース語(ロシア語)では「アプソリュートヌイ・ミール」という。абсолютный:絶対の、мир:平和(「世界」という意味もある)。

 ミカイリー一族も、当然ながら「絶対平和」の呼称を用いている。彼らの母語はタジク語なので、「絶対平和」という言葉もタジク語のそれだが、作中では煩雑さを避けるため、タジク語のルビは提示しなかった。ちなみにタジク語(ということに作中ではなっている現代ペルシア語)で「絶対平和」は「スルヘ・ムトラグ」。slhe:(~の)平和、mtlaq:絶対の。

 奴隷=亜人の奉仕の上に成り立つ市民=人間の平和と繁栄である「絶対平和」は、言うまでもなく「ローマの平和 Pax Romana」を彷彿とさせる。見世物としての亜人同士の殺し合いは剣闘士の闘技であり、まさに円形闘技場(キルクス)でそうした見世物が行われていたことが、『ミカイールの階梯』で明らかにされている。

 ホマーユニー教団は、『ミカイールの階梯』本編の時点(2449年)からせいぜい数十年前に成立したマフディ教団と異なり、20世紀以前(伝承によると8世紀)から存続してきた。16世紀の弾圧以降は衰微したが、遺伝子管理局の保護を受け、復興した。保護は無償ではなく、教団の秘儀である「閾下知覚(主として視覚と聴覚)への働き掛けによる精神操作」が研究対象とされたのだった。

 その研究の成果は、遺伝子管理局の大衆操作に利用されたと思われる。2449年、旧時代の歴史に精通するホマーユニー教団教主は、その秘儀が20世紀ドイツすなわちナチ政権の大衆操作と基盤を同じくすることを示唆している。
 なお、タジク語/ペルシア語ではドイツを「アールマーン alman」と呼ぶ。フランス、スペインではドイツ(国名)をドイツ南西部のアレマン地方に由来するAllmagne アルマーニュ、Alemania アレマニアと呼ぶが、それと同じ(おそらくフランス語からの借用)。

 これまで作中に於いて、絶対平和はしばしば理想的な時代として懐古されてきた。が、それは一部の人々の主観に過ぎない。決して全体主義、原理主義(無論、特定の宗教に限らない)、白人至上主義、あるいは族長(カシーケ)的独裁、民族主義といった「絶対悪」に対する「絶対善」と位置づけられているわけではない。

 絶対平和末期、すなわち大災厄の開始を描いた作品をいつか書きたい(もちろん長編)のだが、何しろ当時の文化を「悪趣味で衒学的」と設定してしまったのであった。そして私はといえば、悪趣味なのは問題ないとして、衒学的では全然ない。
 というわけで『グアルディア』以来、衒学的な人間になるため日々努力しているのであります。道は遠く、険しい。

関連記事: 「絶対平和 Ⅱ」  「年表」 「遺伝子管理局」 

       「知性機械」 「亜人」 「生体端末」 

       「コンセプシオン」 「大災厄」 

               「マフディ教団と中央アジア共和国」 「ミカイリー一族」 

設定集コンテンツ

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トロピック・サンダー

 冒頭、清涼飲料のCM一本と映画の予告が三本入る。CMは卑語を連発する若い黒人タレント(アルパ・チーノという名)が出演、映画の予告一本目はかつては大人気だったらしいアクションものシリーズの第四作(予算が削られているのがありありと判るしょぼいCG)、予告二本目は太った男が一人六役の下品なコメディの第二作、予告三本目は中世の修道院を舞台にした文芸大作(助演はトビー・マグワイア)である。

 CMのタレントとそれぞれの映画の主演俳優たちが本編で共演、という展開になるわけだが、ウソ予告三本の中で一番それらしい出来だったのが、ロバート・ダウニーJrの文芸大作だったなあ。思い悩む表情でカメラに向かって丘を下ってくるショット(背後の丘の上には修道院)なんか、この手の映画にほんとに出てきそうだ。

 上記の四人はそれぞれの理由で新境地を切り拓きたくて「実話を基にした」ベトナム戦争映画『トロピック・サンダー』に出演する。しかし主役級俳優の二人、オスカー俳優(ロバート・ダウニーJr)と落ち目とはいえアクションスター(ベン・スティラー)が我を張り合い、かつイギリス人の若い監督は彼ら二人をも現場をもコントロールできず、大金を注ぎ込んだ爆破シーンが見事に失敗してしまう。

 禿でデブで眼鏡で毛むくじゃらのエグゼプティブ・プロデューサーに散々罵倒され、生命の危機すら感じた監督は、原作者(すなわち映画の主役のモデル)に唆され、撮影方法を変更することにする。その方法とは、ジャングルに無数のカメラと爆発物を仕掛け、俳優たちを放り込んで迫真の映像を撮るというものであった。
 が、そのジャングルは黄金の三角地帯を根城とするアジアン・マフィアたちの勢力圏内であり、俳優たちは「本物の戦争」に巻き込まれていくのである。

 映画のパロディ、映画産業の裏話的ネタが無数に盛り込まれているのだが、『地獄の黙示録』のパロディは、この作品のみならず欧米の映画全般のオリエンタリズム批判だと言えないこともない。
 ベン・スティラー演じる凋落しつつあるアクションスターは、演技派への脱却を目指しており、以前にも障害者を演じて大ゴケしている。ところがアジアン・マフィアたちはこの映画の大ファンだったので、彼らに捕らわれたベン・スティラーは命拾いをすることになる。
 とはいえ、この「土民」たちは充分に文明化されているので(DVDではなくVHSしか所有していないが)、俳優と映画のキャラクターを混同することはない。ベン・スティラーに障害者役を演じることを強要し、喝采は浴びせるが、演し物が終わるや否や容赦なく殴り付けて小屋に監禁する。

 仲間たちが救出に来た時、ベン・スティラーはカーツ大佐と化しているのだが、それは土民に神と祀り上げられたからではなく、過酷な扱いに自我を崩壊させたからなのであった。
 まあバルガス・リョサの『緑の家』に登場する日系人(ブラジルで人を殺して、ジャングルに逃げ込み、未開部族の王となる)は実在の人物をモデルにしてるそうなんで、「文明人が未開部族に王と祀り上げられる」ということもまったくあり得ない話じゃないんだろうけどさ。

 その他、『アイ・アム・サム』がオスカーを獲れなかったのは、「特別な才能を持っているわけではない普通の障害者」の映画(『レインマン』や『フォレスト・ガンプ』と違って)だったからと説かれたり、ロバート・ダウニーJrが特殊メイクと黒人訛り(それも、映画の黒人の訛り)だけで、すっかり「黒人」になってしまったりとか、映画に於ける障害者や黒人の描き方の問題にも踏み込んでいる。

 ところで、劇中ではロバート・ダウニーJrは手術で皮膚を黒くしたことになってるんだが、どんな手術なんかなあ。グレース・ハルセルという白人女性が1960年代に黒人に変装して黒人差別の実態を取材した記録では、皮膚を黒くするのにメラニン剤を飲んで日焼けしてたぞ。
 もう一つ思い出したこと。3年前、メキシコに行った時、『ビッグ・ファット・ママ2』(日本じゃ未公開だよな)が公開間近ってことで、TVのバラエティ番組で特集してたんだが、コメディアン(普通のメスティソのメキシコ人)がアフロの鬘を被って黒塗りして紹介してましたよ。やー、「黒塗り黒人」を見たのは、実に久し振りだった……
 ちなみにその旅行では一週間滞在でメヒコ市とグアナファト市に行ったんだが、映画のポスターはメヒコ市で『ビッグ・ファット・ママ2』とハリポタの二作を見掛けたきりでした(グアナファトでは一枚も見掛けなかった)。メキシコの映画は衰退してると聞いてたけど、これほどまでとはね。あれから少しは改善されたんだろうか。

『トロピック・サンダー』に戻ると、実は最も感心したのはトム・クルーズの演技力なのであった。かつて『シザー・ハンズ』で「ちゃんと僕だとわかるメイクにしろ。最後には人間になるハッピーエンドにしろ」と要求して降板させられたとか、『バニラ・スカイ』でも顔の傷のメイクをオリジナルのスペイン版より程度の軽いものにしたとか、そういう逸話の持ち主であることを鑑みれば、あの特殊メイクだけでも大英断であるが、それだけに留まらず、ちゃんと役になりきっているのである。
 そうか、トム・クルーズって「トム・クルーズ役」以外の演技もできたんだな。しかもすごく巧いじゃないか。もしかしたら、メイクの力に拠るところも大きいかもしれないが。

 だとしたら、彼の演技力を制限しているのは、「トム・クルーズの容姿」だということになる。今後は是非、特殊メイクといわず、かつてのロバート・デ・ニーロの如く役ごとに徹底した肉体改造を行って、演技派に転身してもらいたいものだ。この役でゴールデン・グローブ助演男優賞にノミネートされたくらいなんだから(受賞したのはヒース・レジャーだが)、容姿を捨てさえすれば、オスカーも目じゃないだろう。
 チャレンジャーなトムを、これからも応援しています(あんまり期待はしてないけど)。

『地獄の黙示録』感想

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レスラー

 小説のキャラクター≒作者という創作スタイルや、そういう読み方(作者の意図がどうであれ)は気持ち悪いから嫌いなんだが、映画(実写)のキャラクターというのは俳優という血肉を備えた「素材」から創られているわけだから、その俳優自身の経歴やイメージが重ねられることで、映画の上のキャラクターにより深みが出ることある(どんなキャラクターを演じてもその俳優自身にしかならないこともある)。

 若い頃のミッキー・ロークは『エンジェル・ハート』しか憶えとらん(『白いドレスの女』にも出てたそうだが、彼のことは思い出せん)。この二作品を観たのは90年代に入ってからだが、当時も今も、あの手の兄ちゃんには全然興味が向かず、今の崩れた顔のほうが味があっていいじゃないか、と思う。『ドミノ』の時なんか、かっこよかったし。

 で、この『レスラー』のミッキー・ロークは、かっこよくない。落ち目のプロレスラーである。この一見単純なキャラクターであるランディ“ザ・ラム”ロビンソンは、実は何重もの多義性を持つ。以下、一応ネタバレ注意。

 作中では、プロレスの「演出」の手法を徹底的に見せる。演出であっても、血と苦痛は本物だ。それを示すことによって、レスラーたちは通常のスポーツとは違って勝敗のために戦うのではなく、命懸けで観客に奉仕しているのだと明らかになる。そして観客はそんなレスラーたちを愛するのだ。
 ram(雄羊)をトレードマークとし、観客のために血を流すランディは、すなわち「犠牲の羊」である。犠牲の羊は、穢れたものとして蔑まれる一方で、人々の身代わりとなって死ぬ崇高な存在である。プロレスラーたちは、「八百長」(的外れな非難である)、「たかがプロレス」と時に蔑まれながらも、ひたすら観客に自らの苦痛を捧げる。そこには崇高さが生じる。
 そしてこの反転は、人々の罪を購うため、苦痛と汚辱の中で殺されたキリストに生じたものと同じである。

 まあ、このメタファー自体はともかく、ランディの背にキリストの刺青があり(彼の背中を追うカメラワークが多いので、必然的に観客は刺青を幾度も目にすることになる)、さらにストリッパーが『パッション』の台詞を引用するのは、少々くどい。後者だけで充分だ。

 冒頭、1980年代のランディの全盛期が雑誌やポスター、場内アナウンス等のコラージュで語られる。その中心となっていたのが、ムスリム(風)のヒールとの闘いである。これは単に自国出身レスラー=善玉vs外国出身レスラー=悪玉という図式なのではなく、パンフレット掲載の町山智浩氏の解説によると、80年代、反イラン感情(アメリカ大使館占拠事件が原因)を背景に、ハルク・ホーガンがイラン人レスラーを相手に行っていたショーがモデルだそうだ。

 冒頭の断片的なアナウンスの中で、ランディを紹介するフレーズの一つが、「アメリカ人の中のアメリカ人」とかそういうものだった。アヤトッラーというリング・ネームのムスリム(風)ヒールとの決戦から20周年ということで、すでに引退していたそのレスラーを引っ張り出してきて、再戦が企画される。
 その再試合で、観客はランディに「U.S.A、U.S.A」と声援を送る。現在のアメリカの反イスラム感情(アメリカ人の大多数はアラブとイランを区別していない。アメリカ人に限ったことじゃないが)にはまったく言及されてなかったが、実際のところどうなんだろな。

 それはともかく、引退したアヤトッラーは中古自動車店を経営する、ロバートという名の、どう見ても普通の黒人である。そしてランディ“ザ・ラム”ロビンソンはといえば、ロビン・ラムジンスキーという東欧系の本名を持つ(「ラム」も「ロビンソン」もここから取られているが、ランディ自身は本名を嫌っている)。金髪も染めたものだ。「ムスリム」も「アメリカ人」も虚構なら、その闘いもまた虚構である。

 ランディは当て書きであり、観客がミッキー・ローク自身を重ねることを前提としている。もっとも、いかに落ち目で老醜を晒し、無様だとはいえ、ランディは試合とその準備に関してはプロに徹しており、「猫パンチ」のロークとは大違いである。ファンにも愛されてるし。私生活の駄目っぷりは一緒か。
「俺には、外の現実のほうが痛い」と言い残し、ランディはリングへと帰っていく。絶望的な結末にもかかわらず、強烈なカタルシスが生み出されるのは、ランディと同じく駄目人間でありながら、ロークがこの壮絶な役を演じきったからだ。ロープの上からリングへと飛ぶランディは自らの死へとダイブしたのであるが、ロークは逆に飛翔しているのである。それは単なる復活という以上の、ほかの誰もなし得ないであろう高みへの到達である。

 多数の受賞やノミネート、ランキング等は副次的なものでしかない。この映画の観客一人ひとりが感動したこと自体が、ロークの「成功」である。ランディの物語は悲劇で終わるが、ロークの物語はハッピーエンドである。その二重性が、感動をより高めているといえる。

『ブラックスワン』感想

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変異体

 シリーズの共通設定。文明崩壊後、特異な外見・能力を持つ個体を十把一絡げにして「正常」から差別する呼称。

 敢えて本来の定義を求めるなら、ウイルスや汚染(化学物質や放射能等)による遺伝子変異、および遺伝子改造を受けた個体とその子孫、といったところか。旧時代の知識が失われるとともに、先天性、後天性を問わず、少しでも「正常」から外れた個体はすべてそう呼ばれるようになった。
 しかし、大災厄から数世紀たったのちも、環境の汚染は根深く、また生物の遺伝子もひどく傷ついている。そんな状態で、表面的には「正常」である個体もまた、「変異」しているといえる(環境汚染に対し、耐性を高める遺伝子改造が行われた記録も残っている。『グアルディア』のアンデス赤道地帯に住む放射能耐性のある人々など)。

『ラ・イストリア』の時代には、まだ変異体の呼称はないが、すでにそれに相当する概念は生まれており、障害者は排斥され、変異を「うつされる」恐怖から第二次南北アメリカ戦争が勃発する。

 ルビは「ミューテイション」(mutation 英語)、「ムタシオン」(mutacion スペイン語)、「ミュタション」(mutation フランス語)、「ムータント」(мутант ロシア語)など。
 遺伝、形質等の概念が失われた(もしくは否定されている)社会では、当然「変異体」の呼称は用いられない。『ミカイールの階梯』のマフディ教団領やステップでは、変異体に該当する「逸脱したもの」たちの呼び名は「妖魔/ジン」である。

関連記事: 「亜人」 「グワルディア」 「殺戮機械」 「大災厄」 「キルケー・ウイルス」 

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荒馬と女

 ツタヤでは西部劇の棚にあったんだが、1961年公開の現代劇だよ。まあ広義の西部劇にはなるのか? 邦題からすると、日本では西部劇として公開されたのかもな。原題はThe Misfits(適応できない人々)。
 ジョン・ヒューストン監督作品。主演のマリリン・モンローとクラーク・ゲーブルは、これが遺作となった。

 離婚したばかりのロズリンは、パースとゲイという二人の男と知り合う。パースは第二次大戦中は爆撃機のパイロットで、今は骨董品同然の複葉機を乗り回しつつ、その維持費のために車の修理工などの職を転々としている。ゲイは自称カウボーイで、郊外の一軒家に住んでいる。
 間もなくロズリンはゲイと同棲するようになる。彼は農場で働いているわけでもなく、時々山でマスタング(野生馬)狩りをするのが唯一の収入源らしい。ロズリンに出会う直前までは、商売女のヒモをやっていたようだ。

 二人はしばらく巧くやっていたが、ゲイが畑を荒らした兎を退治しようとしたのをロズリンが止めたことで、最初の諍いが起きる。そこへ偶々やってきたパースが、マスタング狩りに行こうと誘う。
 男たちはロズリンも狩りに誘う。殺すのではなく生け捕りにして業者に売るのだと聞いて、彼女は同行を承諾する。
 まずは助っ人を募るため、三人は偶々開催されていたロデオ大会に赴く。そこでゲイたちの知人で出場者のギドーが加わることになる。

 ギドーが大会で大怪我をし、ロズリンはひどく取り乱す。そんな彼女をゲイとパースは、やや持て余し始める。
 当のギドーがけろりとしているので、ロズリンも落ち着きを取り戻すが、その夜、痛み止めで朦朧としたギドーは会ったばかりの彼女に、父親が事故死してすぐに母親が再婚し、相続するはずだった農場を、義父となったその男に奪われたことを打ち明ける。
 ゲイは別居している子供たちに偶然会うが、ロズリンを紹介しようと思ってちょっと席を外した間に、彼らはさっさと帰ってしまう。そうと知った彼は、だらしなく泣き叫ぶ。
 パースはパースで、ロズリンが彼のことを気に掛けてくれないので不機嫌になり、帰りの車内で愚痴を零す。
 それぞれ醜態を晒した三人の男たちは酔いが醒めると、マスタング狩りがどれほど素晴らしく、「自由」で「男らしい」人生の象徴であるかをしきりと強調する。そして彼らとロズリンはマスタングの群がいるはずの山へと向かう。

 脚本は、撮影当時、マリリン・モンローの夫だったアーサー・ミラーである。たぶん、ロズリンは当て書きなのだろう。ロズリンという女は、少なくとも前半は「マリリン・モンローという幻想」そのものであるかに思える。
 スクリーンの上のモンローではなく、「本当のマリリン・モンロー」という幻想である。教養がなく、頭もあまりよくなく、隙だらけの女。しかし勘がよくて包容力のある男なら、「本当の彼女」は繊細で寂しがり屋だと見抜くことができる。そんな男になら、彼女はとことん尽くす。
 だが「本当は」その孤独は底なしで、あまりにも情緒不安定で、いずれは男の重荷になる。どんな男にも決して治すことのできない欠陥を、彼女は抱えている……。
 男たちは、自分こそは「本当の彼女」を見抜くことができるという自惚れと、彼女の面倒を最後まで見る必要がない(なぜなら彼女は欠陥を抱えているから)という無責任の両方を満たすことができる。それが、「本当のマリリン・モンロー」という幻想だ。

 教養がなく、頭もあまりよくなく、隙だらけで、だが自己主張が強くなく、男に尽くし、男を立てる女として登場するロズリンは、一方で孤独で情緒不安定な面も持っている。女の友達がおらず、母親にはネグレクトされていた。まさに「本当のマリリン・モンロー」そのものである。
 そして、次第に彼女の不安定さは、男たちが持て余すほどにまでなっていく。ロディオ会場に向かう車内で、彼女はひどく暗い顔をしている。まるで表面が罅割れて無辺の虚無が覗いているかのようで、こっちはこれが遺作だと知っているものだから、もはや演技もできなくなっている状態なのかと不安になる。それほどまでに痛々しい表情だ。

 後半、山中のキャンプで明らかになるのは、捕らえられ、業者に買い取られた野生馬は、ドッグフードの原料になるという事実である。乗馬用だと思っていた、と愕然とするロズリンに、昔はそうだった、と男たちは答える。
 残酷だ、とロズリンは詰る。パースとギドーは沈黙し、ゲイは懸命に書き口説いたり、逆に詰り返したりする。ドッグフードが何でできてると思ってたんだ、とか、皆が他を犠牲にしながら生きてるんだ、とか、きみは今までそれを見ないようにしてきたんだ、とか、馬を捕まえて売るという仕事は昔ながらのカウボーイと変わらない、ただその先が違っているだけだ、とか。野生馬は耕地や牧草地を荒らすから、これは害獣駆除だ、とも言う。

 結局、一人で帰るわけにもいかず、終わるまで籠っていられる場所もないので、ロズリンは否応なしに翌朝の狩りに参加することになる。パースの複葉機で開けた場所に追い込まれた五頭の馬たちは、トラックで追いまわされ、投げ縄でタイヤを括り付けられて動きが鈍ったところを、男三人がかりで捕らえられる。
 馬たちは死に物狂いで抵抗し、ものすごい迫力なんだが、どう見ても動物虐待である。そのように撮っている。馬を追い回し、縄を掛ける男たちの視点ではなく、竦み上がって見守るロズリンの視点だ。

 ロズリンの反応に若いギドーは冷や水を浴びせられ、野生馬狩りはこれで最後にして農場に戻って働く、と言い出す。そんな彼をゲイは「雇い人」と嘲り、カウボーイの「自由」を誇示する。その隙にパースはロズリンを口説き始める。

 男たちが分け前の計算を始めると、ついにロズリンは逆上し、何が自由よ、と金切り声で罵り始める。殺しを楽しんで金儲けをしてるだけじゃない、と。
 ここで初めて、ロズリンは、普段は「現実の厳しさ」から目を背けているくせに偶々目にしてしまうと「かわいそう」とか言い出す非合理的な女の感情論を垂れ流していたのではなく、残忍さや功利主義を「自由」や「男らしさ」で糊塗する態度を非難していることが明らかになる。

 ののしり続けるロズリンに、男たちは立ち竦む。真っ先にパースが我に返り、いかれてる、と言う。ああいう女は、こっちがどれだけ尽くしてやっても際限なく要求する、と。その口調には憎しみが籠っている。それは彼女にふられた恨みやゲイに対する後ろめたさのごまかし(そんな女に引っ掛かった俺は被害者)もあるが、何よりも「自由」や「男らしさ」が虚偽だと女に見抜かれた男の憎悪である。

 最後の最後に、マリリン・モンローは「マリリン・モンローという幻想」を自ら打ち砕き、カウボーイに代表される「(アメリカ的な)男らしさ」の虚構性を告発する役を全身全霊で演じたわけだ。幻想ではない、生身の彼女を知るアーサー・ミラーだから与えることのできた役だろう。もっとも、彼も最後まで彼女といることはできないのだが。
 マリリン・モンローは時々非常に老けて見える(特に、暗い表情をしている時)が、時々、はっとするほど美しくも見える。これまで彼女を美しいと思ったことはなかったことはなく、特に興味もなかったのだが、遺作に於けるこの美しさは切ない。

 そして、西部劇への挽歌という意味でなら、この作品を西部劇に含めることはできるだろう。1960年代初頭絶滅の危機に瀕していながら誰からも保護してもらえていなかったという点で、野生馬とカウボーイは同じ立場だったわけだな。
 クラーク・ゲーブル演じるゲイは幾度も「昔はよかった」と言う。かつてのカウボーイが本当に自由で男らしかったか、という問題にはこの作品は踏み込んでいないが、ことさら昔を理想化しなくても、ここで描かれるカウボーイが「自由」「男らしさ」には程遠いのは明らかだ。
 ロズリンがかなりめんどくさい女だということが明らかになりつつあっても、なお男たちが彼女を狩りに連れて行きたがったのは、要するに褒めてくれる相手が欲しかったのである。

 1963年から物語が始まる『ブロークバック・マウンテン』も、カウボーイが具現するとされるアメリカ的な男らしさの虚構性を描いた作品である……というか、そうなり得る作品だったんだけどね。アン・リー監督の好きな「禁断の愛」に比重が傾いた結果、ああいうのんになりました、と。いや、別にいいんだけどさ。

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