慰めの報酬
スパイものパロディでもある『エージェント・ゾーハン』の次にこれを観たのは、特に意図があってのことではない。ないんだが、つい注目してまうわな、「どんな男がやってもセクハラになってまうことをしても、逆に女を喜ばせる絶倫敏腕スパイ」という存在がもはやギャグにしかならん現代に於いて、そういうスパイの代名詞であるジェームズ・ボンドをどのように描いているか、を。
結論から言うと、ボンドを「若造」とすることで解決したのであった。経験豊富な凄腕スパイが女たちをたらしこむのではなく、女たちが若造を可愛がるのである。だから、過去に囚われて若造を可愛がる余裕のないオルガ・キュリレンコとは、お友達までにしかならない。
エヴァ・グリーンの時はどうだったけな。あれは結局のところ、若造にほだされたんじゃなかったっけ。時間軸としては前作の直後とはいえ、前作の女のことを憶えているボンド、というのも非常に珍しいんじゃなかろうか(007シリーズは全部は観てないんで、史上初なのかどうかは知らないが。『オースティン・パワーズ2』では、前作の女を律儀に「処分」していた。あの作品で感心させられたのはそこだけだった)。
そうそう、前作の感想では、もはやパロディにしかならない「ジェームズ・ボンド」というキャラクターが、駆け出しスパイになったことで新鮮味を取り戻した、というようなことを述べ、ついでに、その「駆け出し」という安全装置を取り外しても大丈夫なんだろうか、とも危惧したんだけど、今回も「駆け出しのまんま」にしておいたわけだな。
ピアーズ・ブロンソン版ではほとんど意味がなかった、Mがジュディ・デンチである配役(ジュディ・デンチだからこそ、かろうじてもっていたが)も、ボンドが若造であることで十二分に活かされている。手に負えない腕白小僧と定年間際の厳めしい女教師の関係だ。化粧を落としながらボンドに指示を出すのがかっこいい。
今回の悪役、マチュー・アルマリックは、以前に観た作品のキャラクターと芸風がまったく一緒で、強烈な既視感に、前作にも出ていたんだっけ、としばらく混乱してもうた。そうじゃなくて、『ミュンヘン』の情報屋のルイだ。彼とダニエル・クレイグとジェフリー・ラッシュと、三人も『ミュンヘン』のキャスト(共演シーンはないが)がいるんだな。
監督はマーク・フォースター。『君のためなら千回でも』の時は、アクションシーンが全体から浮いていて、ああ苦手なんだな、と思ったものだが、今回は特に違和感もなく、ああ巧くなったんだな、と思う。
長すぎず、すっきりまとまって(1時間40分強)、おもしろうございました。
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