絶対平和 Ⅰ
2008年11月の記事に加筆修正。
シリーズ共通設定。遺伝子管理局の治世(21‐22世紀)の当時の呼称。スペイン語では「パス・アブルート paz absolut」。『ラ・イストリア』の23世紀半ばにはまだこの呼び方は残っていたが、『グアルディア』の27世紀の中南米では、とうに忘れ去られている。ただし平和と繁栄の素晴らしい時代であったという伝承は残っており、「黄金時代」と呼ばれる。
なお「黄金時代」という訳語が充てられるスペイン語は「シグロ・デ・オロ siglo de oro」で、直訳すると「黄金の世紀」。スペイン文学史上の最盛期である16‐17世紀を指す名称である。本編とはなんの関係もないが。
十二基の知性機械による社会から自然環境に至るまでの徹底的な管理と、奴隷種「亜人」による奉仕。この二つによって、絶対平和は実現された。しかしそれは、あくまで物質的な側面に於いてである。人類の精神に「変革」を起こし、絶対平和を実現させたのは、「亜人への優越感」である。
遺伝子管理局は、進歩は人類を破滅へ導く悪であると捉えた。進化の原動力となるのは、他者に対し優越したいという欲望である。その欲望を抑制する機構が、すなわち絶対平和であった。
進化を神の意思によるものとする「神に祝福された遺伝学」が提唱されたのは1870年代だが、20世紀半ばからカトリックの枠を超えた、より普遍的な教義へと改革がなされた。人間を進化の頂点に置くその教義が世界的に広まった21世紀初頭、人間より「少しだけ劣った」亜人が産み出されたのである。
かくて、他者に優越したいという人間の欲望は満たされ、絶対平和が訪れた。実際に人類の精神に変革が起きたのか、そのように信じ込んでいだだけなのか、或いは単に「そういう建前」ということになっていただけだったのかは不明。しかしそれにより、確かに平和が実現したのである。
「進歩の原動力」が抑制されたため、この時代の文明は停滞した。また遺伝子管理局は、その自称のとおり、遺伝子すなわち生命そのものの管理/庇護者を任じており、人間が環境に及ぼす影響を極力抑制しようとした。そのため、この時代の科学は20世紀の基準からすると、非常に歪な様相を呈した。一部の技術(特にバイオテクノロジー)が突出する一方、重工業全般は制限された(労働力は亜人により提供されていたので問題なし)。
また、20世紀後半の環境破壊の修復も図られた。その一環として、20世紀以前の舗装道路や鉄道は、主要なものを残してすべて撤去された。その後、残された幹線は耐久性の高い素材(「恒久建材」と総称される)で作り変えられた。しかし文明崩壊の過程で、それらは多かれ少なかれ破壊を被った。また、さらに数百年を経て、砂や土に埋もれてしまったものもある。
広大な領域が自然保護区とされ、研究者等ごく少数を除いて居住は禁じられ、20世紀以前の建造物は歴史的価値を認められたもの以外は取り壊された。
『ラ・イストリア』本編の舞台であるカリフォルニア半島もその一つで、災厄が始まった22世紀末には、南端と北端の幾つかの町、沿岸部の研究施設を除き、全長1300キロに及ぶ半島の大部分が無人だった。
極度に乾燥した気候と、その後も戦乱が及ばなかったお蔭で、23世紀半ばの時点でも、21世紀に舗装を剥がされた道路が未だ使用可能な状態で残っていた。
全世界のあらゆる都市にも、大規模な再開発は及んだ。27世紀の南米、25世紀の中央アジアに残る都市の姿からすると、都市の構造は「旧市街」と「新市街」に分けられた形が多かったようだ。
旧市街はその地方の「伝統的」な街並が、新市街は20世紀のさまざまなスタイル(高層ビルなども含む)が再現された。ただしそれらは決して、かつてのその都市の特定の時代の姿を正確に復元したものではなく、あくまで理想化された、想像上の「伝統的な」街並であった。
このように文化も停滞状態にあり、かつ20世紀以前の文化の再現に徹し、多分に懐古的かつ衒学的、さらには俗悪でさえあった。
一例を挙げると、亜人の大量生産を掌る人工子宮は、カトリック圏では「コンセプシオン」の名で呼ばれ、ムリーリョの「無原罪懐胎」を模したイコンとして表されていた。これに対し、イスラム圏での呼び名は「シャフラザード/シェヘラザード」、そのイコンは「コンセプシオン」と同じ金髪碧眼白皙の少女のオダリスク(横たわる女奴隷)というものであった。
知性機械の通称として、各文化圏でキリストの十二使徒、天使、干支などが選ばれたのも、こうした悪ふざけの一つだといえる。
『グアルディア』のアンヘル(および他の生体端末たち)、『ラ・イストリア』のグロッタの住人たち、『ミカイールの階梯』のミカイリー一族は、絶対平和の知識とともにその嗜好をも継承しており、程度の差はあれ悪趣味で衒学的な傾向を持つ。
国家や市、州などの単位は、絶対平和の下でも存続していた。ただしそれは概ね形ばかりの組織であり、権限はないに等しかった(遺伝子管理局の下部組織として、さまざまな実務を担当してはいたと思われる)。
国家という概念を前時代の「文化」として保存していたのだ、といえよう。そうした地域的な単位は、遺伝子管理局の衰退とともに自立を余儀なくされた。とはいえ、いずれも間もなく崩壊の途を辿ったのである。
『ミカイールの階梯』の舞台である25世紀半ばの中央アジアでは、中央アジア共和国、マフディ教団という二つの政治体制によって、絶対平和すなわち「遺伝子管理局の治世」は否定されている。
しかしどちらの体制でも、支配層の頂点にいる者たちは、文明崩壊以前の歴史を知っている(その知識を提供したのは、ミカイリー一族である)。彼らは、人々によって語り継がれてきた「大災厄の前の、未曾有の平和と繁栄」の伝説については否定しなかった。その平和と繁栄が、それぞれの体制の祖によって実現されたという「正史」を捏造したのである。
中央アジア共和国は、遺伝子管理局の治世を、ソ連時代(すなわち繁栄の時代)の後、「破滅」(カタストロファ。『グアルディア』では「大災厄」)に先立つ暗愚な神権政治としている。一方、マフディ教団では、遺伝子管理局というものが存在したことすら認めていない。
なお、中央アジア共和国、マフディ教団領、そして塞外の地であるステップでも、過去の繁栄の時代を指す特定の呼称(『グアルディア』に於ける「黄金時代」のような)は存在しない。漠然と「旧時代」という言い方をするだけである。
ただし、ジュンガル盆地(テングリ大山系北麓)には、旧時代の知識が他地域に比べてよく残っており、中央アジア共和国による征服、大粛清を経て、なお細々と伝えられてきた。そうした知識の継承者の筆頭が、独裁者の死後、名誉回復されて科学アカデミー総裁となったイリヤ・トルベツコイ博士(セルゲイ・ラヴロフの養父)だった。
伝えられてきた知識の中には、「絶対平和」の呼称もあり、ルース語(ロシア語)では「アプソリュートヌイ・ミール」という。абсолютный:絶対の、мир:平和(「世界」という意味もある)。
ミカイリー一族も、当然ながら「絶対平和」の呼称を用いている。彼らの母語はタジク語なので、「絶対平和」という言葉もタジク語のそれだが、作中では煩雑さを避けるため、タジク語のルビは提示しなかった。ちなみにタジク語(ということに作中ではなっている現代ペルシア語)で「絶対平和」は「スルヘ・ムトラグ」。slhe:(~の)平和、mtlaq:絶対の。
奴隷=亜人の奉仕の上に成り立つ市民=人間の平和と繁栄である「絶対平和」は、言うまでもなく「ローマの平和 Pax Romana」を彷彿とさせる。見世物としての亜人同士の殺し合いは剣闘士の闘技であり、まさに円形闘技場(キルクス)でそうした見世物が行われていたことが、『ミカイールの階梯』で明らかにされている。
ホマーユニー教団は、『ミカイールの階梯』本編の時点(2449年)からせいぜい数十年前に成立したマフディ教団と異なり、20世紀以前(伝承によると8世紀)から存続してきた。16世紀の弾圧以降は衰微したが、遺伝子管理局の保護を受け、復興した。保護は無償ではなく、教団の秘儀である「閾下知覚(主として視覚と聴覚)への働き掛けによる精神操作」が研究対象とされたのだった。
その研究の成果は、遺伝子管理局の大衆操作に利用されたと思われる。2449年、旧時代の歴史に精通するホマーユニー教団教主は、その秘儀が20世紀ドイツすなわちナチ政権の大衆操作と基盤を同じくすることを示唆している。
なお、タジク語/ペルシア語ではドイツを「アールマーン alman」と呼ぶ。フランス、スペインではドイツ(国名)をドイツ南西部のアレマン地方に由来するAllmagne アルマーニュ、Alemania アレマニアと呼ぶが、それと同じ(おそらくフランス語からの借用)。
これまで作中に於いて、絶対平和はしばしば理想的な時代として懐古されてきた。が、それは一部の人々の主観に過ぎない。決して全体主義、原理主義(無論、特定の宗教に限らない)、白人至上主義、あるいは族長(カシーケ)的独裁、民族主義といった「絶対悪」に対する「絶対善」と位置づけられているわけではない。
絶対平和末期、すなわち大災厄の開始を描いた作品をいつか書きたい(もちろん長編)のだが、何しろ当時の文化を「悪趣味で衒学的」と設定してしまったのであった。そして私はといえば、悪趣味なのは問題ないとして、衒学的では全然ない。
というわけで『グアルディア』以来、衒学的な人間になるため日々努力しているのであります。道は遠く、険しい。
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