ブロークン・フラワーズ
2005年公開。ジム・ジャームッシュ監督作品は、『デッドマン』は傑作だと思うし、『ナイト・オン・ザ・プラネット』も悪くない。しかし『ダウン・バイ・ロー』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ミステリー・トレイン』は意味があるようでない思わせぶりな要素と、細部から全体に及ぶ雑さ(意図的に雑に仕上げているつもりだろうが、結果としてただ単に本当に雑なだけ)が鼻に付き、『ゴースト・ドッグ』に至っては失笑を誘う。フォレスト・ウィティカーにサムライかぶれの殺し屋を演じさせることの是非とは別の意味で。
まあなんだかんだ言いつつ、彼の作品は結構観てんだな。
今回も相変わらずなんだが、どうにかギリギリ。役者がいいのにも助けられてる。という言い方が悪ければ、役者を巧く活かせているというか。以下、いろいろネタばれ注意。
過去の恋人たちを訪ねて回る男、というのは、『ハイ・フィデリティ』(2000)も共通だが、初老と30代とでは、自ずから趣が違ってくる。
『ハイ・フィデリティ』で女を訪ねて回る理由は、現在の恋人に出ていかれたのをきっかけに、なぜ自分はいつも恋愛がうまくいかないのか、その原因を探る、と後ろ向きだとはいえ、自主的で積極的だといえないこともない。
ジョン・キューザック演じる、このマニアックな中古レコード店の店主を、同棲中だった恋人(新進弁護士)は、「あなたは昔から変わらない」と非難する。それなりに満たされてはいるが、長期的な目標があるわけでも大きな成功が転がり込んでくる見込みもない人生、というのは、アメリカ伝統の上昇志向からすれば、非難されてしかるべきものだ。
上昇なんてしなくていいじゃん、というのが『ハイ・フィデリティ』なわけだ。ベン・ステイラーの『ドッジ・ボール』(2004)もそういう話だといえる。ただし、こっちは上昇志向をドッジ・ボールの試合で「打ち負かす」のであるが。
対して、『ブロークン・フラワーズ』には、否定される価値観も肯定される価値観もない。主人公ドン(ビル・マーレイ)は人生の半ばで大きな成功を収め、その後無為な生活を送ってきた。その無為に堪りかねた愛人(ジュリー・デルピー)は出て行き、入れ違うように届いた差出人不明の手紙は彼に息子の存在を告げるが、それでも彼は動こうとしない。
ミステリ好きで、自身は妻子(子沢山)を養うために忙しい毎日を送る隣人は、ドンに息子とその母親探しをするよう、せっつく。それが「自分のこれまでを見直し、新しい人生を始める」ことになるというのだ。
そのしつこさに負ける形とはいえ、ドンが探索に乗り出したのは、やはり口では否定しつつも、息子の実在を確かめたく、そして自分のこれまでとこれからに疑問を抱いていたからであろう。
しかし、過去の恋人歴訪(19歳になるという息子の母親候補は4人もいる)は、『ハイ・フィデリティ』が「恋愛下手のオタク男」というセルフイメージを持つ30男のナルシズムで感傷的な自嘲に満ちた甘ったるいものとはまったく異なり、ものすごく痛い。剥がしたら血が噴き出そうな瘡蓋を弄り回す行為だ。ナルシズムどころか自嘲すら入り込む余地はない。感傷で糊塗する試みも巧くいかない。
一番目の訪問だけは、相手も感傷を防壁としたため、相当強引とはいえ、どうにか互いに傷つかずに済んだが、残りの三人は感傷を持ち出してくる気がなかったため、寒々しい(もしくは痛い)結果に終わる。
そして、その苦痛に満ちた体験を経て、ついに彼は息子に会うことを望むようになるが、結局息子の実在すら確かめることができず、交差点に茫然と立ち竦むことになる。「このままでいいじゃないか」という価値観にすら、到達することはできないのだ。
最初に訪ねた恋人役のシャロン・ストーンが巧かった。『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』のジュリア・ロバーツもそうだが、もはや若くなくなり、それまで辟易するほど前面に押し出されていた美貌が後退したことで、演技力が活かされる(もしくは高まる)ようになったよね。『ボビー』の時は仰天の老け顔ばかりが目に付いたが、今回は「齢のわりには綺麗な未亡人」を巧く演じている。
ロリータという名の10代初めの娘(わかりやすく、頭が悪くてコケティッシュで露出過多)と二人だけで暮らしているところへ、曖昧な理由で昔の恋人が訪ねてきたため、夕食の席では非常に微妙な空気が醸成される。まあ強いて難を言うなら、そもそもなんで娘をロリータなんて名付けたのか、ということになるが、死んだ夫の好みだったのかもしらんし、子供に碌でもない名を付ける親はどこにでもいる。
「ロリータ」は、ビル・マーレイの訪問理由を怪しむシャロン・ストーンと、怪しまれる理由に気づいたビル・マーレイの困惑が非常に巧かったんで、まあいいんだが、「ドン」の名が「ドン・フアン」と掛けてあるのは、やっぱり少々鼻に付く。お蔭で英語ではドン・フアンのDonは「ダン」と発音するのだと知りました。それに合わせて、主人公の名前のほうのDonも発音は「ダン」だった。字幕では「ドン」だったが。
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