ぜんぶ、フィデルのせい
1970年。お母さんは『マリ・クレール』の編集者で実家はシャトー、お父さんは弁護士(後でわかるが、スペインの伯爵家の出身)という9歳の女の子アンナが、オレンジをナイフとフォークで食べるような生活を送っていると、お父さんとお母さんが社会運動に「目覚めて」しまう。
具体的には、お父さんの妹(字幕では妹となっていたけど、後でアンナが見ることになる古い写真が父親の子供時代のものだとしたら、姉ではないだろうか)が、夫をフランコ政権に殺されてフランスに逃げてきたのをきっかけに、なぜか何千キロも離れたチリの民主化運動への協力を始めたのである。
思想の変化は生活の変化として如実に現れ、家には変な服を着てやたらと喫煙する他人が始終出入りするようになり、父親の服装も似たようなものになり、じきに家計が苦しくなって一家は庭付きの広い家から狭いアパートに引っ越さざるを得なくなる。
アンナは、カトリック系のお嬢様学校から転校させられそうになる。どうしても嫌だと言い張って、どうにか残ることはできたが、宗教の時間には1人で自習室で過ごさなければいけない。
引越しと同時に、カストロ政権から亡命してきたキューバ人の家政婦も辞めさせられる。彼女はアンナに、「ぜんぶ、フィデルのせいよ」と告げる。
原題はLa faute a Fidelで、「フィデルの責任/フィデルのせい」。「ぜんぶ、フィデルのせい」としたのは巧いと思う。
子供は保守的である。そうでないと思う人は、記憶力または観察力が足りない。少ない知識で常識を形成していて、そこから外れたものはすべて「変」だと思うし、習慣を変えられるのを非常に嫌がる。
もっとも、その点は上の子より下の子のほうが柔軟だろう。2、3歳下と思われる弟のフランソワは、アンナより遥かに簡単に新しい生活に馴染んでしまう。
勉強もスポーツも優秀で、できれば祖父母とシャトーに同居したいと思っているアンナは、新しい生活の何もかもが気に入らない。不規則でとっちらかっているし、「目覚めた」両親と新しい仲間たちの独善性も到底受け入れられない。
それでも、新しい家政婦(投獄中のギリシア人活動家の妻)ともやがて仲良くなり、ギリシア料理にも慣れる。母親の実家で、叔母(母親の弟の妻)が「居場所がない」と嘆くのを見ると、表面ばかりを取り繕う古い生活に対して疑問も起きてくる。
この叔母は、アンナの母の協力で密かに中絶している。理由はよく解らなかったのだが、跡継ぎを生むことだけを期待する周囲への反発だろうか。これをきっかけに、母は人工中絶合法化運動に傾倒していく。
夫が釈放されたのでギリシア人家政婦は帰国する。事前に知らされていなかった(両親とも忙しくて忘れていたのである)アンナは悲しみ、怒るが、新しく来たベトナム人家政婦には、より速やかに馴染む。
その頃には、遊びに来た友達が異様なものを見る目でアンナの生活を眺め回し、ベトナム料理に顔をしかめるのに対し、反感を覚えるようになっている。その子が、少し前までのアンナの行動をそっくりなぞっていることには気づいていない。
選挙でアジェンテが勝利し、アンナは両親と仲間たちの喜びに共感し、連帯感を味わう。そして気が付くと、カトリック・スクールの気風からはもはや逸脱してしまっている。
しかし母は中絶合法化運動にのめり込んでいくことで父と衝突し、二人は互いの欺瞞を罵り合う。そして家庭は崩壊してしまう。
子供は親を選べないし、親は子供を導けない。理想に燃えた活動家の親なんてものは、子供にとっては迷惑なだけってことだな。70年代にはごまんといただろう。
それにしても、この時代のフランスが舞台の映画って、たぶん初めて観たが、英米と違ってファッションがいかにもな70年代じゃないんだな。「髭の活動家」たちでさえそうだ(髭があって年齢がよく判らないのだが、たぶん皆かなり若いだろう)。『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』のパリの下町は、いかにもな60年代テイストだったが。70年代ファッションは、フランス人の趣味に会わなかったとか。
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