« ヒストリア | トップページ | わが教え子 ヒトラー »

レズヴァーン・ミカイリー

『ミカイールの階梯』に登場。テングリ大山系山中(タリム盆地側)に住む「ミカイリー一族」の一員であり、旧時代の遺産を守護するという彼らの「使命」の象徴とされる「守護者」(ハーフェズ、ラテン文字表記はhafez)である。

 性染色体XXYの男性であり、余分なX染色体の影響を除くための遺伝子治療が少年期の数年間にわたって行われた。しかし技術が衰退した上に遺伝子の安定性も失われたこの時代に於いて、遺伝子治療は非常に困難であり、充分な効果が得られなかった。それゆえ彼の肉体には、女性化、長身、造精能力の障害などXXY特有の症状が(比較的軽微とはいえ)見られる。

 年齢は明記していないが、20代半ばを想定。痩身で筋肉も脂肪も少なく、女性的というよりは中性的な体形である(単に背が高いだけでなく、女にしては全体に柄が大きすぎる)。体毛は薄く(むしろ平均的な女性よりも薄い)、乳房は膨らんでいるが着衣であればほとんど目に付かない程度。声も、男女どちらとも区別し難い。
 ミカイリー一族は近親交配の率が高いため、互いによく似通った容貌を持つ。欧亜混血の造作、黒髪、やや吊り上がった杏仁形の目などが特徴であり、レズヴァーンもそれらを受け継いでいる。

 なお、作中では説明を省いたが、X染色体を二つ以上持つ個体(通常は女性)では、各細胞内のXは一方(父親由来と母親由来のどちらか)が休眠状態になる。どちらが休眠するかは同一個体の体内でもランダムで、だから例えば片目は色盲だがもう一方の目は正常、という個体(女性)もいる。色盲の変異遺伝子を持つX染色体を一方の親から、正常な遺伝子を持つX染色体をもう一方の親から受け継ぎ、片目では変異遺伝子のXが、反対の目では正常遺伝子のXがそれぞれ発現した結果である。

 しかし休眠状態になったX染色体中でも発現する遺伝子は複数存在し、それはXが通常より多い個体(XXYやXXXなど)に遺伝子の重複によるさまざまな症状が現れることからも明らかである。
 例えば男のほうが女より平均して長身なのは、身長を伸ばす遺伝子がY上にあるからだが、それとは別に、骨の成長に関わるSHOX遺伝子はXとYの両方に存在する。性染色体をX一つしか持たない個体(Xを1個欠いた女性とも、Yを欠いた男性ともいえる)は、すなわちSHOX遺伝子を一つしか持たないため、著しく低身長になる。そしてXXYが長身なのは、SHOX遺伝子を三つ持ち、かつそのすべてが発現しているためである。
 レズヴァーンが施された遺伝子治療は、休眠中のX染色体上でなお発現している遺伝子を不活性化するものだったと思われる。

 ハーフェズ(守護者)はなんら特殊な形質を持たないとされ、能力や外見になんら変わったところはない。しかしハーフェズとなるのは、「ハーフェズ遺伝子」と呼ばれる特定の遺伝子を持つ者だけである。この遺伝子はX染色体上にあり、休眠中のX染色体上に在っても発現する。
 父親がハーフェズであった場合、娘は必ずハーフェズとなる。母親がハーフェズの場合は、卵子の減数分裂の際、X染色体同士で交叉が起こるため、ハーフェズ遺伝子の乗ったX染色体を受け継いだ娘もしくは息子だけがハーフェズとなる。
 レズヴァーンは、父親からハーフェズ遺伝子を受け継いでいる。父親の精子が、XとY、両方の性染色体を持っていたのである。

 ハーフェズの誕生は、生殖操作技術によって厳重に管理されている(男女を問わず、ハーフェズは体外受精でのみ子供をもうけることが許される)。したがって、本来ならXXYのハーフェズが生まれることはない。異常のある配偶子は体外受精に使用されないからである。
 レズヴァーンは、父親であるソルーシュが一族を出奔し、貧しいマフディ教団信徒の女性との間にもうけた子供である。レズヴァーンが生まれて数ヵ月後、窮乏に耐え切れなくなったソルーシュは家族を連れて、一族の許に戻り、その後、レズヴァーンがハーフェズであると判明した。

 ソルーシュの出奔は、ミカイリー一族の在り方に対する抗議だった。しかし他のミカイリーたちにしてみれば、彼の行動はハーフェズでありながら一族の要としての役割はもちろん、一族の義務(知識や技術を保全するための努力、テングリ大山系一帯の勢力均衡の維持など)を放棄した身勝手でしかなかった。
 しかも過酷な生活にわずか数年で音を上げ、妻子まで連れて戻ってきた後も、相変わらず義務を果たそうとはせず、安楽な生活を送りながら批判はやめないという有様だった。もっとも、その数年間の窮乏生活で身体を壊してしまい、それが原因で十数年後、比較的若くして死んでいるので、根性なしと断じてしまうのは少々酷だともいえるが、そこまで考慮してやるミカイリーはいないようである。

 このように父親がたいへん評判の悪い人物だったため、レズヴァーンの一族に於ける立場も微妙である。さらに、レズヴァーンの誕生を「不名誉な事故」と見る傾向もある。そういう者たちにとって、彼がXXYであるのが問題というより、一族のコントロールを離れて誕生した者であることが単に気に食わないのである。
 ミカイリー一族の当主はハーフェズから選ばれるのだが、5年前(2442年)の選出の際、すでにソルーシュの死亡から2年余り経っていたにもかかわらず、レズヴァーンを推す者は少なかった。多数の支持によって新たな当主となったのは、前当主の娘で、レズヴァーンより若いティラーだった(『ミカイールの階梯』本編開始の3ヶ月前に暗殺される)。
 ティラーの兄、ミルザは、レズヴァーンを推した一人だった。

 レズヴァーンの母親は、旧時代の知識を授けられた上で正式にソルーシュの妻として受け入れられたが、ミカイリー一族に馴染むことができないまま孤独のうちに、ソルーシュより一年ほど早く没した。彼女の兄の息子であるアリアンも幼年期に一族に引き取られたが、叔母に深く同情し、ミカイリーたちを恨んでいた。
 レズヴァーン自身は、母について何も語っていない。

 ハーフェズか否かは、遺伝子を調べない限り判別できない。しかし一族の「象徴」としての役割のため、一目で見分けられるよう遺伝子操作で虹彩を黄色く変えられている。明るい黄色(金色)の瞳は、「黄玉の瞳」と呼ばれる。
 組み換えは体外受精の際、初期胚の段階で行われる。比較的簡単な操作のようだが、それでも組み換えた遺伝子がうまく発現しないこともある。レズヴァーンはハーフェズであると判明したのが生後数ヵ月で、虹彩の遺伝子組み換えはその後行われた。遺伝子の発現が不充分で、黄色というよりは明るい茶色の瞳になってしまったのは単なる偶然かもしれないが、一族の多くは、組み換えの時期が遅かったためだと見做した。

 特別な例外を除き、ハーフェズは天使に関係した名(「天使」を意味する語や、特定の天使の名)を与えられる。「レズヴァーン」はイスラム伝承で天国の門衛を務める天使の名であり、また「天国」そのものの名称でもある。アラビア語では「リドワーン」または「リズワーン」で、レズヴァーンはそのペルシア語形。アラビア語形で「ド」または「ズ」とカタカナ表記される子音は、アラビア語にしかないもので、敢えてラテン文字表記するなら「dz」。「リド/ズワーン」はRidzwanとなる。
 ペルシア語では、同じ文字を使ってはいるが「dz」の音はなく、普通に「z」(日本語のザ行)と発音する。「レズヴァーン」はRezvan(ペルシア語にはw音がなく、アラビア語にはv音がない。アラビア語のwはペルシア語ではvに変わる)。まあどのみち、作中で使われるイラン系言語(「タジク語」)は、現代ペルシア語とは相当隔たっているんだろうけど。

 リドワーンもレズヴァーンも、現在のイスラム圏で普通に人名として使われている。ところが、アラビア語圏ではリドワーンは男性名なのだが、イランではレズヴァーンは女性名である。なお、アフガニスタンでもペルシア語と同系の言語が使われているが、アフガン戦争を取材した日本人による著書では、この名が男性に使われている一例があった。
 上記のとおりハーフェズだと判明したのが生後数ヵ月後だったレズヴァーンは、それ以前は別の名があった。この本来の名は不明。女性に使われるのが一般的な名前が与えられたのは、彼の父に悪感情を持つ者たちの大人げない嫌がらせだったのかもしれない。

 余談(いや、そもそもこの設定集そのものが余談の集積なんだが): ペルシア語をはじめとするイラン語群は名詞、目的語/補語、述語のSOV型である。品詞の性(英語のhe, sheなど)は、言語によっては残っているものの、大方の言語では消滅している。
『ミカイールの階梯』の「タジク語」は、チュルク諸語の影響を多大に受けているのは確実である。つまり、品詞の性はほぼ消滅し、語順はもちろんSOVのまま、ということになる。
 というわけで、作中でも言及されているとおり三人称に性の区別はなく(したがって「彼」「彼女」という表現は、日本語で記述する上での便宜的なもの、ということになる)、レズヴァーンの「あの男たちを――殺せ」という台詞は、「実際に」彼が言った言葉と同じ語順なのである。余談終わり。

『グアルディア』のアンヘルが「男装の麗人」のパロディ(男装しても男に見えないにもかかわらず、女の格好をするとむしろ女装の男に見える)であるのに対し、レズヴァーンは「女装の美形」のパロディである。女装は似合うが女に見えない、という。

 紀元前30年以降、エジプトの新たな支配者となったローマ人たちは、ミイラ作りの風習を取り入れたが、防腐処理技術は巧みではなく、代わりに亜麻布が美しい幾何学模様になるよう死体を丁寧に包んだ。包みは人体の形に整えられ、顔の部分には目鼻も描かれた。
 これらローマ期のミイラの一体が、それよりずっと古い時代の女性の棺から発見された。一見したところ、ミイラというよりは布製の女性の人形(等身大)のようである。布の巻き方は非常に丁寧で、手足の指は一本一本別々に布を巻かれ、乳房や腰、太腿などは詰め物をして形を補正されている。鼻の形も作られ、目や唇も描かれている。
 ところが1960年代にX線写真を撮ったところ、中身は男性であることが判明した。彼が何者だったかは、まったく不明である。ただ、両膝に描かれた模様は当時のダンサー(資料では性別の記載なし)がしていた刺青と似ているという。また、布で形作られた「裸体」の上から紐状の衣装を着け、宝石を嵌めこんだサンダルを履いた服装も、「彼」がダンサーだった、あるいはダンサーに擬せられたという推測の裏付けとなる。

「彼」は何者で、どんな理由で「女」にさせられたのか。宗教的(呪術的)な理由だったのはほぼ間違いないだろうし、可能性は非常に低いが今後このような事例について記された文献が発見されるかもしれない。
 だが、生前の彼が、自分の死後の運命を知っていたのか、知ったとしたらどう受け止めたのか、あるいは、「死後」の彼がこの運命をどう受け止めているのか、我々は決して知ることができない。彼の心には、決して触れることができないのだ。「女装」させられたミイラはグロテスクだが、死者自身は静謐だ。

 レズヴァーン・ミカイリーというキャラクターは、この「彼」にインスパイアされて生まれた。厚い化粧と、ごてごてした衣装の下の彼の心には、誰も触れることができない。己の言葉が信じられないと語る彼の言葉から、彼の心を推し量るのは無意味だ。

How I learned to stop worrying and love the bomb.

『博士の異常な愛情』の副題である。「なぜこんなことをするのか」とフェレシュテに問われたレズヴァーンは、認知論の知見を延々と語った挙句、「以上が、“如何にして私は思い悩むを止めて爆弾を愛するようになったか”です」と答える。なお、映画の邦題としての公式の訳は、「如何にして私は心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」である。

 ストレンジラブ博士の「内面」を描くのも、彼の言葉が「真実」なのかどうかを判断するのも無意味である。そしてそれは、レズヴァーンにも、仁木作品も含めたすべてのフィクションに登場するキャラクター、さらには現実の人間についても言えることである。
 誰も他人の心には触れることができない。「私は苦しい」と誰かが言った時、それが本当なのかは、誰にもわからない。
 或いは、「私は苦しい」という言葉が表す苦しみが、発言者と、それを聞いた相手が思い浮かべたものと一致することは決してない。それどころか、発言者自身の内部の苦しみとすら一致していないだろう。語られた瞬間、その言葉は語られた対象から乖離する。フィクションに於ける「心理描写」なんぞは無意味、ということになる。
 ちなみに、私の作品に於ける暴力や悲惨な場面の描写が、スラップスティックになるか淡々とするかどちらかに傾きがちなのは、間違いなくキューブリックの影響である。

「内面描写」を拒絶するキャラクターであるレズヴァーンと、「内面」が外部に表れることのない殺戮機械パリーサは、だから対をなす存在なのである。

関連記事: 「殺戮機械」 

 以下、ネタばれ注意。

 レズヴァーンは、経験する自己と意識する自己との間に齟齬を生じていると語る。彼が「本当に」そうなのかどうかは、誰にも、仁木にすら確かめることはできない。「感情」と「情動」は、作中では便宜上同じものとして扱っているが、厳密さを期すなら、後者は体外や体内からの情報入力によって生じる感覚と直接結び付いた、より原始的な反応である。感覚が辺縁系に送られて情動が生じ、その情報が大脳皮質に送られて、初めて喜怒哀楽等の感情が生まれる。
 衝撃的な体験の最中や直後の一時的な現実感の喪失は、多くの人が体験することだろう。これは危機に対処するために情動中枢すなわち辺縁系が一時的に停止し、感覚が生じてもそれに対応する情動が生じなくなるのが原因だとする説がある。「現実感」は感覚と情動との結び付きによって生じる、ということだ。

 この説に従えば、感覚は生じるが現実感が伴わない状態が長期間続く、いわゆる離人症は、感覚は正常でもそれに対応する辺縁系の活動停止もしくは低下の常態化と見做すことができる。自分が死人だと思い込む「コタール症候群」は、離人症がさらに進行したものかもしれない。 上記のレズヴァーンの言葉が、彼の状態をそれなりに正確に表現しているのだとすれば、彼の場合は「経験する自己」すなわち感覚も情動も、そこから生じる感情も正常だが、さらにその上の「意識」の段階でなんらかの障害が発生している、ということになるのかもしれない。

 強い情動→感情が生じても、それを意識した瞬間、実感が失われるのだとすれば、彼は「意識が入り込む余裕もないほどの極限状態」でもない限り、感情に突き動かされて行動することはまずないといえる。意図して「感情的な行動」を選択することはあっても、それは「感情に突き動かされて」いるわけではない。
 レズヴァーン自身も述べているように、情動は人間の意思決定の基盤である。情動中枢と前頭葉を結ぶ経路に障害が生じると、意思決定にも障害が生じる。情動を基盤とする意思決定もまた、意識された瞬間に無価値となるため、他人の意思に抵触してしまいかねない行動を取ることができなかった、とレズヴァーンは語る。
 ある時点から彼は、己の情動ではなく、一つの目的を果たすことを意思決定の指針とするようになった(なぜその目的を選択したのかについては、一切語っていない)。

 しかし誰しも、「意識できないことは意識できない」。意思決定の背後にある情動/感情をレズヴァーンが意識できなければ、当然ながら意識が行動の妨げになることはない。レズヴァーンがミルザの報告を頑なに信じず、またミルザが肩入れするゼキを侮ったのは、要するに単にミルザを嫌っていたからだ。もちろん、自分がミルザを嫌っていることは意識していたが、意思決定に影響を及ぼすほど嫌っているとまでは意識できていなかった、ということである。
 いずれにせよ、レズヴァーンはミルザが相手の時だけは調子が狂う。苦手な相手というのは、そういうものであろう。

 以上は、『ミカイールの階梯』という作品もしくは「HISTORIA」シリーズという作品群の、「物語」のレベルでの解釈である。己が「一篇の物語の登場人物であると同時に、読者でもあるかのようだ」というレズヴァーンの発言は、さらに高次のレベルでの解釈も可能だ。

 HISTORIAは「語られた歴史/物語」である。現在進行形で語られているのでも、いずれ語られることになるのでもない。『グアルディア』『ラ・イストリア』『ミカイールの階梯』といった形ですでに完結した作品は、「語り終えられた」歴史/物語なのだ。語り手は無論、仁木稔ではない。
 レズヴァーンの発言は、つまり彼が、自身が「物語の登場人物」であると気づいていることを示している。語られる以前の、物語化されていない出来事の巨大な集積の中に、『ミカイールの階梯』の原型となる幾つかの出来事があった。レズヴァーンやほかのキャラクターたちの原型となった人々も「実在」しただろう。

 しかしそれらの「原型」は『ミカイールの階梯』という物語や、そのキャラクターたちそのものではない。キャラクターの大半は、自分が役割を演じさせられている、記号化された「キャラクター」であることにまったく気づいていないが、レズヴァーンと、その「敵」であり「英雄」であるゼキの二人は明確に気づいている。もう一人、ユスフも薄々気づいてはいるかもしれない。
 そして彼らの中でもレズヴァーンただ一人が、押し付けられた役割と自分自身の間に消し難い齟齬を感じている。
 レズヴァーンがゼキに向けて語った言葉は、彼なりにその消し難い齟齬と折り合いを付けたもの、と見ることができるかもしれない。だが「真実」は誰にもわからない。何しろ彼自身、自らの言葉を信じていないのだから。

 ところで、『ミカイールの階梯』刊行に際して、担当氏に「表紙はどうしますか」と尋ねられたので、「キャラクターを描くんだったら、フェレシュテとリューダ、レズヴァーンとパリーサの組み合わせか、フェレシュテとレズヴァーン、リューダとパリーサの組み合わせで」と答えた。
 さらに付け加えて「で、フェレシュテと組み合わせるんだったら、レズヴァーンは顔に傷が残っているのんがいいです」と言ったら、ものすごい呆れ顔とともに却下されたのであった。…………そんなに呆れることないやん。それではまるで私が変な趣味の人のようではありませんか。

関連記事: 「ミカイリー一族」 「ハーフェズ(守護者)」

       「ヒストリア」 「語り手、および文体」 「それは、ヒト固有の能力である」

|

« ヒストリア | トップページ | わが教え子 ヒトラー »

HISTORIA」カテゴリの記事