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3時10分、決断のとき

 57年の『決断の3時10分』のリメイク。57年版もエルモア・レナードの原作も未鑑賞だが、このリメイク版はどちらのファンからも評価が高いようである。

 アメリカ公開は2007年。ラッセル・クロウとクリスチャン・ベールが主演で、ピーター・フォンダまで出ていて、大ヒットこそしなかったものの高い評価を得て、作曲賞と音響賞でアカデミーにノミネートされたのに日本で未公開だったのは、「西部劇は売れない」と判断されたためだ。
 今頃公開されたのは、『ターミネーター4』の余禄。T4よりずっとクオリティが高くておもしろかったのにな(当のクリスチャン・ベールもずっといいし)。
 まあ公開されただけ良しとすべきなんだろう。神奈川では川崎の1館で夕方の回だけの上映だけだったが。何しろ、エド・ハリスとヴィゴ・モーテンセンの西部劇『アパルーサの決闘』さえDVDスルーになるくらいだ。

 クリスチャン・ベール演じるダンは南北戦争で片足を失った傷痍軍人で、今は家族とともにアリゾナで小さな牧場を営んでいる。しかし牧場が鉄道建設予定地になり、地主は彼らを立ち退かせようと、借金返済を理由に暴力に訴える。
 大物強盗一味のボス、ウェイド(ラッセル・クロウ)が逮捕され、護送されることになる。監獄のあるユマ行きの列車が出る駅までは三日行程。途中は砂漠や岩山といった厳しい環境で、そのうえ一味がボスを奪還しようと襲ってくる。
 200ドルという報酬に惹かれ、ウェイドは護衛役を引き受ける。

 近年、「巧いのになぜか埋没している」クリスチャン・ベールだが、今回はなかなか存在感があった。14歳の息子にはもはや軽蔑され、妻にも尊敬ではなく同情されつつあることをひしひしと感じながら、どうすることもできない無力感に苛まれる男を静かに演じている。
「この傷がもっとひどかったら、もっと金を貰えたのにな」と、そんなことを妻に零したら自分も彼女もますます惨めになるだけだと解っていながら、言わずにはいられない。そしてやっぱり惨めな気分に落ち込む。まあ、今回も地味は地味なんだけどね。

 ラッセル・クロウはこれまで観たうち、『L・A・コンフィデンシャル』以外のほとんどの役はどうにも暑苦しかったんだが(『クイック・アンド・デッド』と『グラディエーター』は可もなく不可もなく)、今回は暑苦しくなく抑えた演技でバランスが取れていた。
 いや、暑苦しいこと自体はそれほど問題じゃないんだ(長髪と体重増加が組み合わさると、暑苦しさは耐え難いものがあるが)。その暑苦しさで、共演者とバランスが取れていない、演技過剰というんではないが、共演者や作品そのものから浮いてるから嫌なんだ。

 ラッセル・クロウとクリスチャン・ベールは、役者として正反対のタイプということなのかな。クロウは協調性がなくて悪目立ちし、ベールは協調性がありすぎて埋没する、ということか。今回は二人ともバランスが取れていました。相互作用の結果かどうかは知らん。

 主役二人が際立つ一方、脇役陣は全体に地味。よく造り込まれているので、もう少し目立たせてもよかっただろうと思う。
 長男役のローガン・ラーマンは撮影当時、実際に14、5歳。『バタフライ・エフェクト』でアシュトン・カッチャーの子供時代を演じた子か。ずいぶん似た顔の子を選んだな、と思ったものだが、あのまま系統的には似た顔に成長したんだね。
 妻のグレッチェン・モルは地味だし出番もそれほど多くないが印象的だった。

 ピーター・フォンダは『イージー・ライダー』しか憶えてないんだが(『団塊ボーイズ』出てたのか。気が付かなかった)、かっこいい爺さんになったんだな。とはいえ、そのわりには退場の仕方が少々微妙……
 護送隊の1人で小悪党のケヴィン・デュランドは、見覚えがあると思ったら『バタフライ・エフェクト』『スモーキン・エース』『団塊ボーイズ』と出てるのね。たぶんどれも小さな役だったんだろうけど、印象に残ってたんだろうな。顔というか表情に特徴がある。今回はその表情が大変巧く活かされた役でした。またどっかで見かけたら、注目することにしよう。

 アリゾナの荒涼とした光景が美しい。砂漠と岩山ばかりで陽射しがすごくきついのに、みんな厚着してるなあと思ってたら途中で雪が降る。これだけ厚着なのは、西部劇ではちょっと珍しいかもしれない。強盗団の1人、ベン・フォスターの白い革のジャケットとか。
 作曲賞、音響賞にノミネートされるだけあって、サウンド全体も非常によかった。

 敢えて難を言うなら、まあ仕方ないことではあるんだけど、みんな顔がきれいすぎるんだよね。美しい、という意味ではなく、肌が滑らかすぎるし歯並びもいいし骨格も左右対称だ。傷跡もないし。要するに、出生前からの栄養状態の良さを如実に示して小奇麗にまとまりすぎてる。
 昔の西部劇だと、女優はともかく男優はごつい顔ばかりだったからな。今はそういう役者を探すほうが難しいんだろう。土埃等で汚して不潔に見せるという点では、今のほうが徹底してるけど。

 役者をやたらと汚すのは、『ロード・オブ・ザ・リング』のヴィゴ・モーテンセンからじゃないかと思うが(あれは自主的にやったそうだが)、少し後の『パイレーツ・オブ・カリビアン』で決定的になったという気がする。
『パイレーツ』は何が徹底的だったかって、役者たちの歯まで弄ったことだ。『3時10分』は、衣装や顔はそこそこ汚してたが、歯はきれいなままだった。やっぱ変だよ。

 所詮映画は絵空事なんだから、黄ばんだり黒ずんだ乱杭歯の不潔な男たちなんか観たくないという人もいるかもしれないが、私は観たい(観たいだけだよ、実物に近寄りたくはない)。少なくとも『パイレーツ・オブ・カリビアン』一作目は、海賊たちの不潔振りがおもしろさの二割くらいを占めてたわけだし。

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