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アパルーサの決闘

 エド・ハリス、ヴィゴ・モーテンセン、レニー・ゼルヴィガー、ジェレミー・アイアンズと、主役級の役者を四人も揃えて、なんで日本未公開なんだ、と釈然としない思いを抱えていたわけですが、実際に観てみると………これは未公開でも仕方ないかな……? 
 そう私が思うのは、単にレニー・セルヴィガーが嫌いだから、余計に心証が悪いのかもしらんが。

 1882年、西部。アパルーサの町は、無法者ジェレミー・アイアンズによって支配されている。困り果てた住民たちは、腕利きガンマンのエド・ハリスと相棒のヴィゴ・モーテンセンを呼び寄せ、保安官として雇う。
 そこへやって来るのが、未亡人でピアノ弾きのレニー・ゼルヴィガーである。彼女は西部の女にしては美人で上品で教養があり、そういう女が身近にいたことのないエド・ハリスはすっかり惚れ込んでしまう。
 ところがゼルヴィガーは、とにかくその場で「一番強い男」に靡くという悪癖があり、エド・ハリスは翻弄されることになる。

 レニー・ゼルヴィガーは、そういう「いろいろとだらしない女」を演じるのが巧い。しかし巧く演じられるのと魅力があるのとはまた違う。
 そもそも、大前提である「西部の女にしては美人で上品で教養がある」ように見えないのが問題だ。「西部の女にしては」という限定付きだというのは演出から解るんだが、「美人で上品で教養がある」ようには見えないんだよね。「美人」は仕方ないにしても、「上品で教養がある」はもう少しなんとかならなかったのか。

 なんでゼルヴィガーが嫌いか言うたら、「あたし巧いでしょ?」な演技が鼻につくからだ。「こんなだらしない女も演じられるのよ。もちろんほんとはこんな女じゃないけどね」みたいな。滲み出る無神経さは、演技じゃなくて素だろう。
『ザ・エージェント』の時は可愛かったんだけどなあ。「冴えないけど一生懸命で、よく見ると可愛い女」を演じて、鼻につくところなどなかった。
 しかし『草の上の月』では、ロバート・E・ハワード(コナン・ザ・グレートの。演じたのはヴィンセント・ドノフリオ)の自殺の原因ではないにしろ後押しにはなってるんじゃないかってくらい、とにかく無神経な女で……あれは演技だったんだか素だったんだか。
 大袈裟な演技が要求される『シカゴ』では、「こんなバカ女を演じて、あたし巧いでしょ?」は相変わらず露骨だったものの鼻にはつかなかった。だけど『ブリジット・ジョーンズ』とかもう耐えられん。

 最後にセルヴィガーを見たのは『コールド・マウンテン』の予告で、「こんな粗野な女も演じられるのよ。もちろんほんとはこんな女じゃないけどね」に、もうどうしようもなくイラッとさせられてな。イライラするほどじゃないんだが、とにかくイラッとする。
 地衣類の研究者でもあったビアトリス・ポターをどう描いているのか興味はあるが、ゼルヴィガーだから『ミス・ポター』はよう観ん。

 そんなわけでゼルヴィガーは鬼門なわけだけど、男優三人に釣られて観た『アパルーサの決闘』で、久し振りに見たゼルヴィガーは「巧いでしょ?」な自意識はかなり抑えられていた。でもやっぱり魅力がない。女なら誰でもいい飢えた男どもならともかく、エド・ハリスがそこまで夢中になるような女には見えないんだよ。
 が、私の好き嫌いとは別に、キャラクターの造型が一番しっかりしていたのはゼルヴィガーだった。ほかの主要キャラクター三人は、どうにも不明瞭。キャラクター描写を行おうとしてる形跡はあるんだが、その場限り。

 例えばエド・ハリスは始終難しい言葉を使おうとしては言い間違えたり、よく理解できないのに教養本みたいなのを読もうとしたりしている。上流の世界に憧れていて、それでゼルヴィガーみたいな女に引っ掛かった、ということにしたいらしいんだが、そうした描写はどれもその場限りで、全体像に繋がってこない。
 或いは、エド・ハリスとゼルヴィガーが出会ったその夜、酒場で騒いでいる男を、エド・ハリスがいきなり切れてぶちのめす。まったく唐突で、そして翌日になるとゼルヴィガーがエド・ハリスに言い寄っている。
 どうも「突然切れる=強い→ゼルヴィガーは強い男に惚れる」という図式を描きたかったらしいんだが、短絡的すぎてわかんねーよ。

 ま、脚本も演出も拙いんだろうな。監督はエド・ハリス本人なわけだが。大まかなプロットとしてはそう拙くもないが、細部の問題。
 往年の西部劇っぽい音楽はいいとして、ゼルヴィガーの登場のたびに「ロマンティック」なメロディが流れるのは失笑ものだった(前半だけ。さすがに後半、彼女の本性が明らかになってからはこの演出はなかった)。エンドクレジットの音楽がださい。エド・ハリスの趣味?
 のろのろと坂を上る機関車はよかったです。

 粗野でふてぶてしいだけの悪党かと思いきや、実は結構教養もあって大統領へのコネまである、といういくらでもおもしろくなりそうな設定のキャラクターをジェレミー・アイアンズが演じてるのに、全然活かせてないのは余程の無能としか思えん。ヴィゴ・モーテンセンもとにかく地味でな。終盤近くになってようやくかっこよくなってくるが。やれやれ。
 モーテンセンと関係を持つ娼婦役の女優、見覚えがあると思ったら『アラトリステ』で彼の恋人を演じたアリアドナ・ヒルだった。ちょっと垢抜けたかな。スペイン語訛りがちょっといい。

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