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ストーリーやキャラクター作りに大切なことは、概ね劇団から学んだ

 大学時代、学生劇団に参加していたのであった。実質、活動したのは一年ほどであるが、その間だけでも非常に多くのことを学ばせてもらった。

 その劇団では、かつては既成の脚本(つかこうへいなど)を上演していたようだが、私が入る少し前から、演出を担当する団員が脚本も自作するのが普通になっていた。
 公演は年に四回もあり、しかも一度に二本以上が立った。作・演出希望の団員(学生)は、公演の三ヵ月ほど前に名乗りを上げ、脚本を皆に読んでもらうが、その脚本というのが完成どころかB5程度の用紙数枚分しか書けていない状態であった。そして参加者が集まれば練習に入り、公演と相成るのだ。上演時間は二時間が目安だった。

 話の進行どおりに書ける者はおらず、上がってくる脚本は順番がばらばら、しかも大概、断片的だった。何週間も練習してきた場面が没になるのはマシなほうで、執筆が進まないので同じ場面(せいぜい数分間)を繰り返し繰り返し練習させられることも少なくない。仕込み(舞台装置や照明の設置)は上演の二、三日前から始まるが、その一、二日前になって初めて通し稽古ができ、初めてキャスト・スタッフ一同、「ああ、この場面はこう繋がったのか」「ああ、こういう話だったのか」と知ることになる。
 初日数日前より早く脚本が完成した例を私は知らない。幸いにして、前日または当日に完成、という例は話に聞いただけであった。

 そんな有様でも、ちゃんと上演には漕ぎ付けられるのである。団員は全員素人の学生だ。指導者もいない。全員が、プロの劇団の上演やビデオを熱心に鑑賞しているわけでもない。
 脚本は、推敲がまったくできていないのを差し引いても、問題を挙げ始めたらきりがない。とりあえず、筋書きにも人物造型にも整合性がない。キャストも、そうした脚本の問題を差し引いても、入団まで演技は未経験だった者がほとんどだ。高校演劇部だった子も少数いた(ほとんどが女子だった)が、彼らにしてもさして差はない。

 そんな有様でも、出来上がる舞台は素晴らしいものだった。私はまず観客として、それに魅了された。荒削りな脚本と、荒削りな役者。それらが舞台という祝祭空間に於いて、化学変化を起こしたとしか思えない途轍もなく高揚した場面を生み出すのだ。
 全体を通してのテンションには非常に浮沈があるのだが、それでも約二時間の上演中に、幾度となくその高揚が訪れ、そして最終的には全体を通しても素晴らしい舞台となる。
 キャスト一人ひとりにも同じことが言えた。役者は素人、演じる役は多くの場合、整合性にも個性にも乏しい。にもかかわらず、ある瞬間では素晴らしく魅力的なキャラクターとなることがある。瞬発的にキャラ立ちするのだ。それは、それなりに経験を積んだ先輩団員が、主要キャラクターを演じる時に限ったことではなかった。

 公演は必ず全員参加だったが、どちらかというと意欲のある者がキャスト、ない者がスタッフを志望する傾向にあり、そして作・演出は来る者拒まずでなければならなかった。つまりキャスト志望者が多すぎた場合、学芸会のごとく「その他大勢」役を作ってやらねばならない。
 出演時間は合計数分間、台詞も碌にない「通りすがりA」、あるいは出番はそれなりにあるものの、いてもいなくてもいい「刑事B」(いなくてはいけないのは「刑事A」である)といった役は、当然ながら新入り団員に宛がっとけで捻り出される。そんな役を、ついこの間までまったくの未経験だった(演劇鑑賞の経験すらなかったことも)キャストが演じるにもかかわらず、驚くほど魅力的なキャラクターが生まれ得る。

 観客の一人として私は、そうした「驚くべき高揚」を幾度も目撃した。なぜこれがその場限りのものだけで終わってしまうのか、もっと活かすにはどうすべきなのか、ずっと考え続けた。それで、どのように芝居が作られているのか知るために入団してみたのだ。
 で、前述の過程で作られていることを知るわけですが。実際に体験すると、私のように低いテンションで生きている人間にとって、そうした状況は「阿鼻叫喚」に見えましたね。みんなテンション高いから。

 とにかく我の強い人間ばかりなのである。作・演出を務める団員の中には、無闇と高圧的に振る舞い、「演出家は神様だ」などと吼える者もいたのだが、所詮学生同士である。演出家が上級生ならともかく、同級生や下級生だった場合、キャスト・スタッフは舐めてかかる。「嫌だ、やりたくない」とはっきり言うし、脚本・演出に口を出す輩もいる。新入りはそこまではしないものの、「できません」くらいは平気で言う。
「演出家は神様だ」というのは、つまりは虚勢であり、「頼むから言うことを聞いてくれ」という心の叫びなのであった。

 キャスト・スタッフ同士の反目も相当だった。一回の公演に二本以上芝居が立った時は、それぞれの参加者同士の反目もある。必要な資材や作業スペースなどを相手に使わせまいとする者までいた。さすがにそこまでやると周囲が制止したし、衆人環視の中での罵り合いに発展するようなことは稀だったが、聞くに堪えない陰口、「話し合い」と称するいがみ合いは日常茶飯事だった。
 そんな状態でも、いよいよ上演ということになれば、全員が一致団結する。違う芝居の参加者も仕込みに協力する。そうして、作・演出もキャストもスタッフも不完全なはずなのに、幾度となく「驚くべき高揚」が訪れる舞台を作り上げるのだ。それはまさしく感動的な体験だった。
 まあそれで公演が終わると、溜まっていたものが一気に噴出して一人か二人辞めていくのも珍しくなかったんだけど。

 こうして振り返ってみると、私が劇団に入ったのは「どのように芝居が作られているかを知る」のが主目的で、芝居をやること自体は二の次だったともいえる。もちろん、「何か」を作りたかったからでもあったんだけど。
 ずっと小説家になりたかったけど、どうしても小説を書くことができなかったから、十代半ばから二十代半ばにかけては、「何か」を作ることを模索していた。演劇はその一つで、ほかにも漫画を描いたり映画(8mm)を撮ったり、大学院まで進んで(「入院」と言われていた)東洋史を研究したのもそうだし、編集の仕事に就こうとしたのもそうだし、とにかく「作る」のはなんでもよかったわけで、手芸や料理に凝ったこともあった。

 結局、それらの何一つとしてモノにならないと判明した時になって、突然小説が書けるようになった。突如、「書き方」を会得したのである。それは脚本形式――台詞とト書き――で「下書き」をしてから、それを小説の文章に清書する、というものだった。
 プロットに沿って順番に、最初は五つか六つの場面を下書きし、清書する。その間に文体を決め、設定を詰めていく。その後は一場面から多くても三場面ずつ、順番に下書きしては清書することを繰り返す。

「エチュード」と呼ばれる演劇の練習形式がある。おおまかなシチュエーション(例:喫茶店で別れ話をする男女)だけを決め、アドリブで数分間芝居をするのだ。私自身はこれがものすごく苦手だった。素でもアドリブ利かないからな。作・演出が脚本執筆に行き詰ると、これをやらされるから嫌だったなあ。
 しかし私の作品に於けるキャラクターが動いたり喋ったりする場面の執筆は、このエチュードに似ている。
 プロットが「大まかなシチュエーション」。細部がどうなるのかは、書き手たる私に決定権はなく、キャラクターたちのアドリブ任せだ。だから何が飛び出してくるかはわからない。書き始める前には知らなかった設定が出てきてしまうこともよくある。プロットそのものに変更が生じることはまずないが、細部はいくらでも変わる。何が起こるか本当にわからないので、重要な場面の執筆が近付いてくると、巧くキャラクターたちが「演じて」くれるかどうか心配で、非常に緊張する。

 キャラクターたちは、「演じる」のだ。私にとっての自作のキャラクターたちは、生身の人間(人間じゃない場合もあるが)として想定しているのでもないし、記号もしくは駒として意のままに動かせる存在でもなく、まして私自身の分身などではない。私の脳内に小人さんならぬ「千の仮面を持つ」役者さんたちがいて、各作品のキャラクターを演じる。私はそれを演出しているのである(ところで、このブログのタイトルは……)。

 キャラクターと私の間には、脳内「役者さん」というワンクッションが挟まれるので、私は自作のキャラクターに自己投影はしない。だから彼らはしばしば、私の思うとおりに動いてくれない。もちろん実際の演劇の作・演出家ほどは大変ではないが、それに似た苦労がある。そしてまた実際の演劇と同じく、「役者さん」に自律性があるから、作・演出家が予想もしていなかったものが生まれ得る。
 役者の自律性によって生まれる瞬発的な高揚を、その場限りのものにしないためにはどうしたらいいか。それを活かす設定、物語を作ればいい。そういうことを、演劇を通して学ばせてもらったのでした。

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