« ハーフィズ詩集 | トップページ | 私はマシンになりたい »

ハーフェズ(守護者)

『ミカイールの階梯』に登場。旧時代の遺産を守ることを使命とするミカイリー一族が、「一族の象徴」として擁する。
 ラテン文字表記はhafez。「守護者」の意であるが、同じく「守護者」でもグアルディアguardia(guardian, gardian)が語義的には「監視者」watcherであるのに対し、こちらは「保管者」keeper。作中でも時折「保管者」とされる。

 イスラム圏では、「コーランの暗唱者」に与えられる称号でもある。14世紀のペルシア詩人シャムス・ウッディーン・ムハンマドは、本名よりもこの称号で広く知られている(日本では従来、「ハーフィズ」と表記されてきた)。長大なコーラン(邦訳だと文庫3巻分)を丸暗記したくらいだから、非常に敬虔なムスリムであるはずだが、酒と恋、そして神秘主義的な思想を詠った。『ミカイールの階梯』では、彼の詩の幾つかを引用している。

 ミカイリー一族のハーフェズは、X染色体上に「ハーフェズ遺伝子」と呼ばれる特定の遺伝子を持つ者たちである。この遺伝子は、一見いかなる形質も発現させないため、DNA検査をしない限り、ハーフェズでない者(非ハーフェズ)とまったく区別がつかない。
 にもかかわらず、ミカイリー一族はハーフェズの存在を必要とする。彼らはその理由を、一族の結束を固める象徴として必要、と説明している。そして一族の当主は必ずハーフェズから選ばれるが、権限が大きくなりすぎないよう、非ハーフェズの年長者たちからコントロールを受けている。

 したがって、ハーフェズの人数は常に一定(数人)に保たれているのが望ましい。ハーフェズの男性はX染色体をそのまま娘に受け渡すが、ハーフェズの女性の場合はハーフェズ遺伝子を持つX染色体と持たないX染色体とで交叉が起きるので、生まれてくる子供は男女を問わず、必ずしもハーフェズではない。
 そのため、ハーフェズは生殖操作によって生み出される。つまり、ハーフェズは男も女も自然生殖で子を為すことが許されない。

「象徴」であるため、ハーフェズは一目で非ハーフェズと見分けられる外見上の特徴を必要とされる。そのため、彼らは「黄玉の瞳」を与えられる。遺伝子組み換えによって、虹彩を明るい黄色に変えられるのである。
 この操作は胎児期、おそらくは体外受精させた卵子を母親の胎内に戻すのに先立って行われる。こうしたハーフェズに関わる諸々の操作は、ミカイリー一族が受け継ぐ旧時代の科学技術を一定水準に保つ役割も担っている。
 しかし技術の衰退は食い止めようがなく、レズヴァーン・ミカイリーの「黄玉の瞳」の発現が不完全で、黄色というよりは褐色になってしまったことなどはその一例であろう。一族の多くは技術の衰退を認めず、発現が不完全なのは遺伝子組み換えの時期が遅かった(生後数ヵ月以後)からだと見做す。レズヴァーンに悪意を持たないフェレシュテも、大人たちのこの見解を鵜呑みにしている。

 ミカイリー一族は200年以上にわたって内婚を続けてきたため、近年は幼児の死亡率が高くなっており、本編開始の2447年の時点で、ハーフェズは三人(レズヴァーン、マルヤム、フェレシュテ)だけに減っている。
 これについても、一族が有する医療技術の水準の低下も原因の一部だと考えられる。障害をもたらす変異を、発見・治療しきれなくなりつつあるのだ。また、ハーフェズを生み出すのに必要な生殖操作技術も低下しつつあるのかもしれない。

 ミカイリーと血縁がまったく確認できない人々のX染色体上に、ハーフェズ遺伝子とよく似た塩基配列が発見されることがある。これは自然の変異であり、ハーフェズ遺伝子はこの配列に多少手を加えて造られた、とミカイリーたちは解している。この「原型」も、ハーフェズ遺伝子同様、なんら特定の機能は見出せない。

 ミカイリー一族が密かに伝えてきたところでは、ハーフェズたちはやはり特別な能力を持つ。ハーフェズの誕生と同時に、彼または彼女の「影」となる一匹の妖魔(ジン)が作られ、そのハーフェズが見聞きしたことを逐一「創造者たち」に報告する、すなわちハーフェズは「創造者たち」の「目と耳」である、というのだ。
「創造者たち」とは、かつて世界を支配した「遺伝子管理局」の頂点に立つ「管理者たち」のことだとされる。彼ら管理者たちがミカイリー一族に「旧時代の遺産を守る」という使命を与え、「ハーフェズ遺伝子」を与えたという。
「創造者たち」が「管理者たち」だということについては、特に疑義を差し挟むミカイリーはいないが、「影」の妖魔云々、のくだりについては、馬鹿馬鹿しいお伽話だと見做されてきた。にもかかわらず、この「お伽話」もまた連綿と伝えられてきたのである。

「お伽話」には、ある儀式が付随している。ハーフェズの男性は娘(すなわちハーフェズ)が生まれると直ちにその臍帯血を舐める、というものである。それによって彼の「影」は新たなハーフェズの誕生を創造者たちに告げ、その情報によって新たなハーフェズの「影」もまた生み出されるという。
 母親がハーフェズの場合は、その胎内で臍の緒を通じて息子または娘がハーフェズか否かの情報を得ることができるので、「儀式」は必要ないとされる。

 この儀式は強制ではなく、行われたか否かの確認もされない。しかしハーフェズの一人であるソルーシュ(レズヴァーンの父親)は、一族の許から出奔して貧しい女性との間に一子をもうけたが、その男児がハーフェズである可能性などまったく念頭になかったにもかかわらず、その臍帯血を衝動的に舐め取っていたという。
 その時には自分の行為の意味を深く考えず、息子(すなわちレズヴァーン)がXXYでありハーフェズである可能性にも思い及ばなかったが、後に振り返って次のような仮説を立てた。

 ハーフェズ同士の脳は、なんらかの共鳴を起こしている。それは意識には上らないほど微弱だが、同じゲノムを持つ者同士では共鳴が強まるかもしれない。古来より観察されてきた一卵性双生児同士の共時現象は、前述のハーフェズ遺伝子の原型を偶々有していた例なのではないだろうか。
 ハーフェズの「影」とは、「この世のどこか」で造られる、クローンなのかもしれない。ハーフェズの経験はクローンの脳に伝えられ、さらに「管理者たち」へと伝えられる。ハーフェズの男は、我が子がハーフェズだった場合、閾下知覚でそれを感知、次いで自らの分身を介して送られた指令に従い、我が子の血を摂取してそのゲノム情報を送る。そして新たなハーフェズのクローンが造られる……

 ソルーシュがこの仮説を立てたのがいつ頃だったのかは不明だが、いずれにせよ一族からは完全に黙殺された。第一の理由はソルーシュの人望のなさだが、第二の理由は、レズヴァーンが推測するとおり、ミカイリーたちは「ハーフェズの能力と役目」や「管理者たちの実在」の証明など、まったく必要していなかったからであろう。
 ミカイリーたちは、ただ信じているのだ。いつまで続くとも知れぬ「無知の闇」の中で、自分たちの生きた証が、情報という形でハーフェズの脳を介して「この世のどこか」にいる創造者たちに送られ、永遠に保存されることを。その信念に、証拠など必要ないのである。
 まあつまりソルーシュは、ミカイリーたちのその悲痛な想いを、ハーフェズでありながらまるで理解できていなかった、ということ。

 レズヴァーン、ティラー、ソルーシュといったハーフェズたちの名は、いずれも特定の天使の名(固有名詞)とされる。「天使」そのもの意である「フェレシュテ」の名を持つのは、両親ともハーフェズの娘(すなわちハーフェズ遺伝子を二つ持つ)だけに与えられる名である。「フェレシュテ」が同時代に二人以上いることはなく、フェレシュテの母となることを予め定められたハーフェズの女性は、「マルヤム(Maryam:マリアMariaのペルシア語形)」の名を与えられる。

 以下、ネタバレ注意。

「階梯」つまり「フェレシュテ」の名を持つ娘が知性機械ミカイールにアクセスできる、という伝承は真実だった。しかし、むしろそれ以上に重要なのは、ハーフェズたちが「管理者たち」の目と耳だという伝承もまた事実だったことである。
 すなわち『グアルディア』以来、疑いを持たれていた「管理者たち」の実在が証明されたこと、そして彼らはなんらかの目的を持って文明崩壊後の世界の情報を収集・保存し続けていることになるのである。また彼らは、収集された情報をいずれどういう形でか閲覧・利用するつもりでいる(もしくは現在進行形でしている)ということにもなる。

「管理者たち」は何者なのか、何が彼らの目的なのか――その解明が今後のHISTORIAシリーズの軸を成す「大きな物語」である、かもしれない。

 X染色体を二つ持つ個体(女性もしくはXXY男性)の場合、どちらか片方のX染色体は休眠し、その遺伝子は機能しない。どちらのX染色体が休眠するかは、細胞ごとにランダムである。しかし休眠したX染色体上でも機能し続ける遺伝子もある。
 ハーフェズの能力が「意識の同調」であることから、その遺伝子は脳の特定の部位で活性化する必要があると考えられる。したがって、ハーフェズ遺伝子は休眠したX染色体上に在っても活性し続けるのであろう。

 またハーフェズの同調能力であるが、これは知性機械サンティアゴの生体端末の能力の一つ、すなわちサンティアゴの「中央処理装置の生体パーツ」と同調する能力とまったく同じものである。
『グアルディア』のアンヘルの言葉や、『ミカイールの階梯』のソルーシュの仮説から推測されるのは、この同調能力(その基盤となる遺伝子)は人類の少なくとも一部に元々備わっていたものである。サンティアゴの「中央処理装置の生体パーツ」は、偶々この遺伝子を保有していた。
 そして23世紀初頭、「管理者たち」はこの遺伝子を利用して(おそらくはいくらか改造して)、生体端末とハーフェズを造り出した。

 ハーフェズが造られた目的は情報の収集であることから考えられるのは、絶対平和(遺伝子管理局の治世)に於ける世界の十二の領域(それぞれを知性機械によって管理される)すべてに、ハーフェズと同じ使命を担わされた者たちが存在する可能性である。無論、各領域ごとに呼称は異なるはずであり、また階梯に相当する者がいるのかは不明である。
 なお、知性機械サンティアゴの領域であるラテンアメリカでは、生体端末がハーフェズの役目を兼ねると思われる。

関連記事: 「ミカイリー一族」 「レズヴァーン・ミカイリー」 「階梯」 「知性機械」 

        「遺伝子管理局」 「管理者たち」 「生体端末」 「異形の守護者」 

        「情報受容体」 

参考記事: 『ハーフェズ(ハーフィズ)詩集』感想

       映画『ハーフェズ ペルシャの詩』感想

|

« ハーフィズ詩集 | トップページ | 私はマシンになりたい »

HISTORIA」カテゴリの記事